ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権298~近代西欧における正義論の展開

2016-04-25 09:37:00 | 人権
●近代西欧における正義論の展開

 17世紀から西欧で支配的になっていった機械論的な世界観は、機械をモデルとする世界観である。それまでの西欧の世界観は、有機体論的な世界観であり、生物をモデルにしたものだった。生物は目的論的な性質を持つから、有機体論的な世界観は総じて目的論的である。これに対し、機械をモデルにする機械論的世界観は、因果論的である。
 機械論的な世界観は、自然を外から与えられる力によって動くものであり、様々な部分の集合ととらえる。西欧で機械論的な世界観が確立すると、社会観にも変化が起こった。新たに登場した社会観では、個人は原子(アトム)のようにそれ自体で存在するものと考え、互いに自由で独立した個人の集合が社会とされる。親子・夫婦・祖孫等の家族的血縁的なつながり、集団における生命の共有と共同性は、よく考慮されていない。
 こうした社会観の広がりは、近代化の進行に伴うものだった。近代化は、生活全般の合理化であり、文化的・社会的・政治的・経済的の四つの側面をもって進行する。近代化の進行とともに、それまでの共同体を中心とする考え方から、個人を中心とする考え方への変化が加速された。
 近代化の進行は、正義に関する考え方にも変化をもたらした。アリストテレスは、古代ギリシャのポリスという共同体において正義を説いた。その思想がヨーロッパ文明の正義観に大きな影響を与えたのだが、近代化とともに伝統的な共同体が解体して市民社会が成立し、また市場経済が支配的になると、西欧では契約に基づく交換における正義という考え方が確立された。交換的正義は、アリストテレスの配分的正義に替わる概念である。配分的正義は、共同体の目的のもとにおける貢献に比例した地位・名誉等の配分をいい、共同体の目的である公共善を前提としたが、交換的正義は、個人と個人の契約に係る正義である。
 近代西欧では、共同体の解体とともに、共同体全体にとっての公共善を正義とする古代的・中世的な価値観に替わって、個人の私的な善を実現する枠組みを正義とする近代的な価値観が現れた。この変化は、正義観における重大な変化である。諸個人がそれぞれ私的な善を実現し得る状態が自由であり、それを実現する能力・正当性が権利であるという考え方が優勢になった。近代西欧的な交換的正義の考え方と不可分のものである。
 こうした変化の過程で、人権の思想が現れた。人権の思想は、近代西欧における個人の自由と権利を確保・拡大する運動の中で発達したものである。人権の思想の発達過程で重要なのは、中世西欧の自然法の概念が変化せられ、その中から自然権の思想が現れたことである。人権とは、人間の自然権を人権と呼ぶようになったものである。この自然法から自然権への転換を最初に進めたのが、ホッブスである。トマス・アクィナスは、自然法論において、「自然法則」に基づく事物の本性に基づく正しい状態・事柄を「自然的正」と呼んだ。ホッブスはこの「自然的正」を「自然権」だとし、「各人の自由」だと主張した。ここに個人と自由と権利が自然権として主張されることになった。
 ホッブスは、アトム的な個人を要素とする社会契約説を唱え、人々は自分自身の利益のために社会を形成すると考えた。ホッブス及びその後の社会契約説については第2部に詳しく書いたが、プラトン、アリストテレス、トマスの公共善に代わる新たな思想を、ホッブスは説いた。ホッブスの自然状態は戦争状態である。ホッブスによると、自然状態では正義も不正義も存在しない。正義は法が定められ、共通の権力が発生した後に発生する。社会契約は、共同体的な公共善の概念に代わって、国家を設立し、正義を実現するためのものである。人間が理性を働かせて戦争状態を終わらせるために定めた自然法の一つが正義の法であり、正義の法は契約を守ることを求めるものである。契約に反することは不正義であり、契約を守らせるように強制する権力は正義の権力である。絶対王政を擁護するホッブスの理論においては、主権者に対するあらゆる反逆は不正義とされる。
 ホッブスと異なり、ロックの自然状態は平和な状態である。ロックによると、自然状態では、すべての人が自然法を執行する権利を持ち、自然法に違反する者を処罰する権利を持つ。国家ができる前から、正義の原理は存在する。社会契約が行われるのは、自然状態の正義が失われ、不正な状態になったのを解消するためである。しかし、絶対王政は社会契約を締結した人民に対して不正義の体制である、とロックは説いた。ホッブスは社会契約論で絶対王政を擁護したが、ロックは社会契約論で市民革命を正当化した。
 ルソーは、ロックの思想を急進化した。ルソーによると、社会契約は正義を実現するためのものであり、正義が実現されなくなった社会契約は本来の意味を喪失している。そうした社会では、正義のために革命と新たな社会契約の締結が必要だ、とルソーは説いた。ロックは抵抗権・革命権を説いて、名誉革命や米独立革命の理論を提供し、ルソーは人民主権を説いて、フランス市民革命に思想的な影響を与えた。
 カントは、今日人格を尊重する道徳哲学を構築し、すべての人の人権を守ることが正義としたという評価を受けている。カントの思想は、現代の通説によると、公的な善より私的な善を優先し、かつ正義を善より優先するものと理解されている。カントは、国家の起源については、基本的には社会契約論に立つ。ただし、社会契約を歴史的事実ではなく、「理念」としている。契約をしたという事実がないのに契約論を採るとすれば、理念とするしかないだろう。カントは、社会契約を突然廃止して結び直す革命は契約の原理から認められないとし、根源的契約の精神から共和的な政体が望ましいとする。カントの「共和的」とは、立法権が執行権から厳しく区別せられ、それが代議士を通じてすべての公民の手にあるという意味である。言い換えれば「法の支配」である。カントは、共和政体の実現を漸進的・連続的に進めるべきと説く。共和政体はすべての政治体制の目的であり、そこでこそ国民は自由で平等となり、完全な正義が実現されるだろうとする。カントは、共和的な国家で形成される国家連合が永遠平和の実現の基礎となると考えた。また国内法と国際法を補う世界公民法をつくることによってのみ、世界的な正義と永遠平和の実現が期待できるとした。
 社会契約説の展開の中で形成されたロック=カント的人間観が、世界人権宣言等に盛られた人権思想の背後にある。また、ルソーの社会契約は正義を実現するためのものという理論が、正義を人権に結び付けた。

 次回に続く。