今日のイスラーム文明が対立・分裂の様相を色濃くしているのは、2001年(平成13年)9月のアメリカ同時多発テロ事件後、アメリカがアフガニスタンとイラクに対テロ戦争を仕掛け、それが解決に至っていないことに、大きな原因がある。ここでそのイラクとアフガニスタンの現況について触れておきたい。
先ずイラクについてだが、2016年(平成28年)1月11日、イラクの首都バグダードやその近郊で商業施設などを標的とする自爆テロや爆発が相次いだ。少なくとも51人が死亡、90人以上が負傷した。同日、ISILがシーア派住民らを狙ったとする犯行声明をネット上に発表した。
この1月の初め、サウディ等のアラブ諸国とイランが断交し、スンナ派とシーア派の宗派対立の激化が懸念される状況となっていた。ISILは、こうした状況をとらえて大規模なテロを起こすことでこの対立を煽り、イラクのアバディー政権への反攻に利用しようとしているとみられる。
ISILは、シーア派を「異端者」等として敵視している。イラクのスンナ派には、フセイン政権が崩壊して以降、シーア派主導の政権の下で冷遇されているとの不満を持つ者が多い。ISILはそれらを吸収することで勢力を拡大してきた。
ISILは2014年(平成26年)6月カリフ制国家樹立の宣言後、急速に発展したが、米国等による空爆を受けて劣勢に転じた。とりわけ2015年11月のパリ同時多発テロ事件後、米仏ロ等による空爆が強化され、司令施設・石油関連施設・石油輸送車両等を破壊されている。こうしたなか、アバディー政権は2015年末、ISILが制圧していた西部アンバール県の県都ラマディを奪還した。サウディも参加する米主導の有志連合やイランも、同政権のISIL掃討作戦を支援している。ISILは同県内や拠点である北部モスル周辺などでなおも強い勢力を維持しているが、一時の勢いはなくなっている。
こうした中で、ISILは先ほどの2016年(平成28年)1月のテロ事件で、首都及びその周辺で大規模な作戦を遂行する能力があることを改めて示した。イラクの命運は、ISIL掃討作戦の成果いかんに多くを負っている。掃討仕切らなければ、テロによる攻撃が様々な形を変えながら続き、イラクを揺さぶり続けるだろう。
ところで、イラクの事情が複雑なのは、クルド人が人口の約15%を占め、北部に自治政府を持つことである。クルド人は、民族全体で2000万人以上いるとされ、イラク、トルコ、イラン、シリアにまたがって居住し、「国家を持たない世界最大の民族」といわれる。
イラクでのISIL掃討作戦は、米軍などの有志連合軍が空爆や情報収集、イラク軍への作戦計画支援などを担い、地上戦をイラク政府軍とクルド自治政府(KRG)の民兵組織「ペシュメルガ」が遂行している。ISILに対する戦いにおいて、オバマ大統領は空爆開始時点から地上戦闘部隊を派遣しない方針を繰り返し表明してきたが、いまだかつて空爆だけで、国際テロリスト組織を殲滅できたことはない。有志連合にとって、高い士気を保つKRGの地上部隊は必要不可欠な戦力となっている。
地上戦で重要な役割を果たすKRGは、イラク軍とISILの戦いの合間を突いて、勢力圏を広げている。KRGは、ISILとの戦いへの貢献をもとに、今後イラクから独立を宣言する機会をうかがっているとみられる。現在のところは自治区からの石油輸出を開始するなど、財政的な自立を大きな目標としているものの、歳入の大部分はイラク中央政府からの予算配分に頼っており、経済的な基盤が弱い。
だが、条件が整えば、KRGが独立宣言を発する可能性がある。すでにシリアでは2016年3月に「民主連合党」(PYD)が連邦制を宣言する考えを明らかにした。シリアとイラクのクルド人は、共通の敵としてISILと対決する必要性を感じるようになり、その機運はイラン、トルコのクルド人にも広がっているた。今後、KRGがイラクで独立を宣言すれば、各国のクルド人がこれに呼応するだろう。こうした動きがシリア、イラン、トルコのクルド人地域で相乗的に活発化すれば、中東情勢は一段と複雑化するだろう。
次に、アフガニスタンについて書く。オバマ大統領は、2014年(平成26年)中にアフガニスタンからの米軍の完全撤退を行うと発表した。だが、タリバン側は停戦の意思を示さず、オバマ大統領は撤退を2016年末に延期した。
ようやく2015年(平成27年)7月に、政府とタリバンによって、和平を目指す初の公式協議が行われた。だが、タリバンの最高指導者オマル師が2年以上前に死亡していたことが暴露され、話し合いは頓挫した。同年12月、首都カブール北方の米空軍基地近くで自爆テロが行われ、米兵6人が死亡し、タリバンが犯行を認めた。その事件により、不安定な情勢を踏まえて、米国は2016年末までの完全撤退を断念した。
2016年(平成28年)1月初め、アフガニスタン南部ヘルマンド州でアフガン治安部隊を支援していた米軍特殊部隊が攻撃され、米兵1人が死亡した。同州は反政府武装勢力タリバンの活動が活発な地域とされる。またアフガニスタン北部のマザリシャリフにあるインド領事館が武装集団に襲撃され、また首都カブールの空港付近で自動車爆弾による自爆テロが起こった。アフガン和平やインドとパキスタンの関係改善を模索する動きに対して、イスラーム教過激組織が地域の安定化を妨害しようとしてテロ攻勢を強めている模様である。タリバン内の強硬派など、和平に反対する集団の犯行とみられる。
そうした中、1月11日に、アフガニスタン和平に向けたアフガン、パキスタン、米国、中国による初の4者協議が、パキスタンの首都イスラマバードで行われた。協議では、アフガン政府とタリバンの公式和平協議再開を目指すことが強調された。だが、タリバンは交渉の席に戻る意思を示していない。そのうえ、アフガン政府側には、実在しないのに給料だけが支払われている「幽霊兵士」が4割ほどもいることが明らかになり、治安維持能力の不足を露呈した。自律的に国家を統治できる状態には、ほど遠い。
アフガニスタンは、和平実現への道筋が見えない状態が続いている。今後、アフガニスタンに、ISILの影響が広がった場合、米国やパキスタン、中国の対応は、一層困難なものとなるだろう。
●中東複合危機から第3次世界大戦に発展するおそれ
イスラーム文明の現在において、中東の情勢は誠に複雑である。これを大局的に捉える見方を提示している専門家の一人が、山内昌之氏である。
山内氏は、著書『中東複合危機から第三次世界大戦へ』で次のような見方を提示している。山内氏は「中東で進行する第2次冷戦とポストモダン型戦争が複雑に絡む事象」を「中東複合危機」と定義する。
「シリアの内戦の多重性がイラクに逆流し、バグダード政府(シーア派のアバディー政権)に対する戦争、シリアのアサド政権とイラクのバグダード政府を後援するイラン革命防衛隊との衝突、同じスンナ派のサウディアラビアと、シーア派のイランとの対決など、争いが宗派間と宗派内の対立を複雑に結び付け、それでなくても多重的な内戦に外国を巻き込む多元的な戦争に変質させる構造をつくってしまった」
こうした状況で「シリア内戦に関与している国々を中心に、世界的規模で第2次冷戦が進行している」と山内氏は見る。
冷戦とは、もともと第2次世界大戦終了後の米ソ関係を言ったもので、直接超大国同士が砲火を交えはしないが、戦争を思わせるような国際間の厳しい対立・抗争が繰り広げられている状況をいう。米ソ冷戦の終結後、しばらく緊張は緩和したが、2010年代に入って、再び米国と中国、米欧とロシア等の間で、かつての冷戦を想起させるような対立・抗争が生じている。山内氏は、これを第2次冷戦ととらえるわけである。
そのうえ、山内氏は言う。「シリア戦争には、第2次冷戦とは異質なポストモダン型戦争ともいうべき要素が、別に含まれている」と。
近代西洋文明が生み出した世界において、戦争とは国家と国家の間で行われる戦争である。これに対し、ポストモダン型戦争とは、国家間の戦争とは異なるタイプの戦争である。2001年の9・11以後の国家とテロ組織の戦いがその典型である。ISILは、前近代的なカリフ制国家を自称することで、テロリストによる疑似国家と既成の国家の戦いという新たな種類のポストモダン型戦争を加えた。山内氏は、「もはや21世紀は、国家が干戈を交える形式だけを戦争と考えられない歴史に入ったのである」という。
山内氏は、国家がISILのような「テロリズムによって寄生され、軍事力でも圧倒され、国家の骨格が腐朽していく現象が、中東からアフリカにかけてポストモダン的政治現象になっている」「領土や領域、それを画する国境を否定しながら、国家の融解や解体が進展している」という。そして、「第2次冷戦が中東の各地域で熱戦化し、ポストモダン型戦争と結合して第3次世界大戦への道を導く可能性を排除できない」と述べる。
「トルコとロシアとの間に熱戦が生じるなら、ポストモダン型戦争が結びついて中東複合危機が深まる中で、ますます第3次世界大戦の暗雲が立ち込めるだろう」と山内氏は観測する。またサウディアラビアとイランが正面から事を構えるなら、「肥沃な三日月地帯と湾岸地域を舞台にしたスンナ派対シーア派の宗派戦争に発展するだろう」という。「この最悪のシナリオが実現すれば、中東複合危機は第3次世界大戦への扉を開くことになる。こうなれば米欧やロシアや中国も巻き込まれ、ホルムズ海峡は封鎖されるか、自由航行が大きく制限される。日本はもとより、世界中のエネルギー供給や金融株式市場や景気動向を直撃するショックが到来するのだ」と述べている。
私はまた別の可能性として、イランが核開発を進めた場合、イスラエルがイランに攻撃を仕掛けることも挙げたい。イランの核開発に最も脅威を感じているのはイスラエルだからである。イランが自前の核を持つ前に叩こうとして、イスラエルが動くかもしれない。
また、イランが核を持てば、中東では、これに対抗するため、イスラーム教国のパキスタンから核兵器を買って核保有をしようとする国が出るだろう。サウディアラビアは、イランとの断交後、ジュバイル外相が、「イランが核を保有する場合、サウディアラビアも核取得を排除しない」と公言した。その発言の直後にサルマーン国王は中国の習近平国家主席と原子炉建設について協力する合意文書を交わしている。仮にサウディが核を持てば、エジプトは核を自力開発するだろう。こうして核の拡散に歯止めがかからなくなるおそれがある。イスラーム文明の中心地域は、長期的に見て、世界の核開発・核保有の最も深刻な地域になり得る地域である。そして、中東発の第3次世界大戦が、核兵器を主要な兵器として使用するかつてない質の戦争となる可能性が懸念される。
次回に続く。