ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

イスラーム44~中東複合危機から第3次世界大戦へ?

2016-04-20 09:14:50 | イスラーム
●収束の見えないイラクとアフガニスタン

 今日のイスラーム文明が対立・分裂の様相を色濃くしているのは、2001年(平成13年)9月のアメリカ同時多発テロ事件後、アメリカがアフガニスタンとイラクに対テロ戦争を仕掛け、それが解決に至っていないことに、大きな原因がある。ここでそのイラクとアフガニスタンの現況について触れておきたい。
 先ずイラクについてだが、2016年(平成28年)1月11日、イラクの首都バグダードやその近郊で商業施設などを標的とする自爆テロや爆発が相次いだ。少なくとも51人が死亡、90人以上が負傷した。同日、ISILがシーア派住民らを狙ったとする犯行声明をネット上に発表した。
 この1月の初め、サウディ等のアラブ諸国とイランが断交し、スンナ派とシーア派の宗派対立の激化が懸念される状況となっていた。ISILは、こうした状況をとらえて大規模なテロを起こすことでこの対立を煽り、イラクのアバディー政権への反攻に利用しようとしているとみられる。
 ISILは、シーア派を「異端者」等として敵視している。イラクのスンナ派には、フセイン政権が崩壊して以降、シーア派主導の政権の下で冷遇されているとの不満を持つ者が多い。ISILはそれらを吸収することで勢力を拡大してきた。
 ISILは2014年(平成26年)6月カリフ制国家樹立の宣言後、急速に発展したが、米国等による空爆を受けて劣勢に転じた。とりわけ2015年11月のパリ同時多発テロ事件後、米仏ロ等による空爆が強化され、司令施設・石油関連施設・石油輸送車両等を破壊されている。こうしたなか、アバディー政権は2015年末、ISILが制圧していた西部アンバール県の県都ラマディを奪還した。サウディも参加する米主導の有志連合やイランも、同政権のISIL掃討作戦を支援している。ISILは同県内や拠点である北部モスル周辺などでなおも強い勢力を維持しているが、一時の勢いはなくなっている。
 こうした中で、ISILは先ほどの2016年(平成28年)1月のテロ事件で、首都及びその周辺で大規模な作戦を遂行する能力があることを改めて示した。イラクの命運は、ISIL掃討作戦の成果いかんに多くを負っている。掃討仕切らなければ、テロによる攻撃が様々な形を変えながら続き、イラクを揺さぶり続けるだろう。
 ところで、イラクの事情が複雑なのは、クルド人が人口の約15%を占め、北部に自治政府を持つことである。クルド人は、民族全体で2000万人以上いるとされ、イラク、トルコ、イラン、シリアにまたがって居住し、「国家を持たない世界最大の民族」といわれる。
 イラクでのISIL掃討作戦は、米軍などの有志連合軍が空爆や情報収集、イラク軍への作戦計画支援などを担い、地上戦をイラク政府軍とクルド自治政府(KRG)の民兵組織「ペシュメルガ」が遂行している。ISILに対する戦いにおいて、オバマ大統領は空爆開始時点から地上戦闘部隊を派遣しない方針を繰り返し表明してきたが、いまだかつて空爆だけで、国際テロリスト組織を殲滅できたことはない。有志連合にとって、高い士気を保つKRGの地上部隊は必要不可欠な戦力となっている。
 地上戦で重要な役割を果たすKRGは、イラク軍とISILの戦いの合間を突いて、勢力圏を広げている。KRGは、ISILとの戦いへの貢献をもとに、今後イラクから独立を宣言する機会をうかがっているとみられる。現在のところは自治区からの石油輸出を開始するなど、財政的な自立を大きな目標としているものの、歳入の大部分はイラク中央政府からの予算配分に頼っており、経済的な基盤が弱い。
 だが、条件が整えば、KRGが独立宣言を発する可能性がある。すでにシリアでは2016年3月に「民主連合党」(PYD)が連邦制を宣言する考えを明らかにした。シリアとイラクのクルド人は、共通の敵としてISILと対決する必要性を感じるようになり、その機運はイラン、トルコのクルド人にも広がっているた。今後、KRGがイラクで独立を宣言すれば、各国のクルド人がこれに呼応するだろう。こうした動きがシリア、イラン、トルコのクルド人地域で相乗的に活発化すれば、中東情勢は一段と複雑化するだろう。
 次に、アフガニスタンについて書く。オバマ大統領は、2014年(平成26年)中にアフガニスタンからの米軍の完全撤退を行うと発表した。だが、タリバン側は停戦の意思を示さず、オバマ大統領は撤退を2016年末に延期した。
 ようやく2015年(平成27年)7月に、政府とタリバンによって、和平を目指す初の公式協議が行われた。だが、タリバンの最高指導者オマル師が2年以上前に死亡していたことが暴露され、話し合いは頓挫した。同年12月、首都カブール北方の米空軍基地近くで自爆テロが行われ、米兵6人が死亡し、タリバンが犯行を認めた。その事件により、不安定な情勢を踏まえて、米国は2016年末までの完全撤退を断念した。
 2016年(平成28年)1月初め、アフガニスタン南部ヘルマンド州でアフガン治安部隊を支援していた米軍特殊部隊が攻撃され、米兵1人が死亡した。同州は反政府武装勢力タリバンの活動が活発な地域とされる。またアフガニスタン北部のマザリシャリフにあるインド領事館が武装集団に襲撃され、また首都カブールの空港付近で自動車爆弾による自爆テロが起こった。アフガン和平やインドとパキスタンの関係改善を模索する動きに対して、イスラーム教過激組織が地域の安定化を妨害しようとしてテロ攻勢を強めている模様である。タリバン内の強硬派など、和平に反対する集団の犯行とみられる。
 そうした中、1月11日に、アフガニスタン和平に向けたアフガン、パキスタン、米国、中国による初の4者協議が、パキスタンの首都イスラマバードで行われた。協議では、アフガン政府とタリバンの公式和平協議再開を目指すことが強調された。だが、タリバンは交渉の席に戻る意思を示していない。そのうえ、アフガン政府側には、実在しないのに給料だけが支払われている「幽霊兵士」が4割ほどもいることが明らかになり、治安維持能力の不足を露呈した。自律的に国家を統治できる状態には、ほど遠い。
 アフガニスタンは、和平実現への道筋が見えない状態が続いている。今後、アフガニスタンに、ISILの影響が広がった場合、米国やパキスタン、中国の対応は、一層困難なものとなるだろう。

●中東複合危機から第3次世界大戦に発展するおそれ

 イスラーム文明の現在において、中東の情勢は誠に複雑である。これを大局的に捉える見方を提示している専門家の一人が、山内昌之氏である。
 山内氏は、著書『中東複合危機から第三次世界大戦へ』で次のような見方を提示している。山内氏は「中東で進行する第2次冷戦とポストモダン型戦争が複雑に絡む事象」を「中東複合危機」と定義する。
 「シリアの内戦の多重性がイラクに逆流し、バグダード政府(シーア派のアバディー政権)に対する戦争、シリアのアサド政権とイラクのバグダード政府を後援するイラン革命防衛隊との衝突、同じスンナ派のサウディアラビアと、シーア派のイランとの対決など、争いが宗派間と宗派内の対立を複雑に結び付け、それでなくても多重的な内戦に外国を巻き込む多元的な戦争に変質させる構造をつくってしまった」
 こうした状況で「シリア内戦に関与している国々を中心に、世界的規模で第2次冷戦が進行している」と山内氏は見る。
 冷戦とは、もともと第2次世界大戦終了後の米ソ関係を言ったもので、直接超大国同士が砲火を交えはしないが、戦争を思わせるような国際間の厳しい対立・抗争が繰り広げられている状況をいう。米ソ冷戦の終結後、しばらく緊張は緩和したが、2010年代に入って、再び米国と中国、米欧とロシア等の間で、かつての冷戦を想起させるような対立・抗争が生じている。山内氏は、これを第2次冷戦ととらえるわけである。
 そのうえ、山内氏は言う。「シリア戦争には、第2次冷戦とは異質なポストモダン型戦争ともいうべき要素が、別に含まれている」と。
 近代西洋文明が生み出した世界において、戦争とは国家と国家の間で行われる戦争である。これに対し、ポストモダン型戦争とは、国家間の戦争とは異なるタイプの戦争である。2001年の9・11以後の国家とテロ組織の戦いがその典型である。ISILは、前近代的なカリフ制国家を自称することで、テロリストによる疑似国家と既成の国家の戦いという新たな種類のポストモダン型戦争を加えた。山内氏は、「もはや21世紀は、国家が干戈を交える形式だけを戦争と考えられない歴史に入ったのである」という。
 山内氏は、国家がISILのような「テロリズムによって寄生され、軍事力でも圧倒され、国家の骨格が腐朽していく現象が、中東からアフリカにかけてポストモダン的政治現象になっている」「領土や領域、それを画する国境を否定しながら、国家の融解や解体が進展している」という。そして、「第2次冷戦が中東の各地域で熱戦化し、ポストモダン型戦争と結合して第3次世界大戦への道を導く可能性を排除できない」と述べる。
 「トルコとロシアとの間に熱戦が生じるなら、ポストモダン型戦争が結びついて中東複合危機が深まる中で、ますます第3次世界大戦の暗雲が立ち込めるだろう」と山内氏は観測する。またサウディアラビアとイランが正面から事を構えるなら、「肥沃な三日月地帯と湾岸地域を舞台にしたスンナ派対シーア派の宗派戦争に発展するだろう」という。「この最悪のシナリオが実現すれば、中東複合危機は第3次世界大戦への扉を開くことになる。こうなれば米欧やロシアや中国も巻き込まれ、ホルムズ海峡は封鎖されるか、自由航行が大きく制限される。日本はもとより、世界中のエネルギー供給や金融株式市場や景気動向を直撃するショックが到来するのだ」と述べている。
 私はまた別の可能性として、イランが核開発を進めた場合、イスラエルがイランに攻撃を仕掛けることも挙げたい。イランの核開発に最も脅威を感じているのはイスラエルだからである。イランが自前の核を持つ前に叩こうとして、イスラエルが動くかもしれない。
 また、イランが核を持てば、中東では、これに対抗するため、イスラーム教国のパキスタンから核兵器を買って核保有をしようとする国が出るだろう。サウディアラビアは、イランとの断交後、ジュバイル外相が、「イランが核を保有する場合、サウディアラビアも核取得を排除しない」と公言した。その発言の直後にサルマーン国王は中国の習近平国家主席と原子炉建設について協力する合意文書を交わしている。仮にサウディが核を持てば、エジプトは核を自力開発するだろう。こうして核の拡散に歯止めがかからなくなるおそれがある。イスラーム文明の中心地域は、長期的に見て、世界の核開発・核保有の最も深刻な地域になり得る地域である。そして、中東発の第3次世界大戦が、核兵器を主要な兵器として使用するかつてない質の戦争となる可能性が懸念される。

 次回に続く。

人権295~正義とは何か

2016-04-19 08:55:14 | 人権
●正義とは何か

 正義とは何か。「正しいこと」「正しい状態」「正しさ」「正当性」である。宗教的・道徳的・法的な規範に沿っている状態またはその規範を実現する行為に関する概念である。
 正義という漢字単語は、英語・仏語・イタリア語の justice、独語の Die Gerchtigkeit 等の訳語である。justice はラテン語の ius を語源としている。ius は「正しさ」「公正」「法」を意味した。英語では right も正義を表す。right は正義とともに権利を意味し、justice は正義とともに公正を意味する。right には法の意味はなく、法には law が使われる。ラテン語の ius は「正しさ」「公正」とともに「法」を意味したが、ラテン語には別に法を意味する言葉として lex があった。英語の law はこの系統である。英語の語彙でかつて法用語として使われたノルマン的フランス語の droit 及び dreit は、権利と法の両義を持っていた。ドイツ語の Recht、フランス語の droit、イタリア語の diritto 等は、正義と権利と法の意味を持つ。それゆえ、英語を含めて西洋文明の主要言語では、正義と権利と法を同根とする概念が存在する。<正義=正しい状態=公正=正当性=権利=法>という概念の連続性を読み取ることができる。

●正義と善

 正義は個人の考え方や行為に関して使われるとともに、社会関係や社会制度に関しても使われる概念である。個人の考え方や行為に関する正義は、人間の徳目の一つに挙げられる。この意味の正義は教育や修養の目標となっている。また、社会関係や社会制度に関する正義は、社会のあり方として目指すべきものとされる。この意味の正義は政治の目標であり、法の基本的理念ともされてきた。
 そのようなものとしての正義をとらえるには、正義と善の関係を踏まえる必要がある。西洋文明では、その源泉の一つである古代ギリシャ文明の時代から、正義は善との関係で論じられてきたからである。
 善とは何か。「善いこと」「善い状態」「善さ」「善いもの」である。善という漢字は、英語の good、仏語の Bon、独語の Gut、イタリア語の Buono 等の訳語に当てられている。
 人間には生物性と文化性があり、生物的存在として生存・繁栄していくため、また文化的存在として文化を継承・発展させるために、集団生活を営む。人間が集団として生活していくためには、掟、決まりごとが必要であり、またそれらを守っていかなければならない。決まりごとには、行為や判断や評価を行う際の基準が必要である。それを規範という。第1部に書いたように、規範には社会規範と個人規範がある。社会規範は、集団において共同生活を行うため、成員が行為・判断・評価を行う際の基準として共有されている思想である。個人規範は、これをもとに集団の中で個人が自らに対して定めるものである。規範に適った状態は、「善い状態」である。そうした状態をもたらす行為は、「善い行為」である。こうした考えを抽象化したところに、善の概念が生まれる。善の概念は、人間が生物的また文化的存在として集団生活をしていくために必要な規範との関係において成り立つ。
 人間には個人性と社会性があり、それゆえに、物事には個人にとって「善いこと」「善い状態」と、集団にとって「善いこと」「善い状態」がある。個人にとっての善と集団にとっての善は、一致する場合と一致しない場合がある。また、一致することを求める場合もあれば、求めない場合もある。個人と集団の善の一致を目指す時、集団にとっての善は、古代ギリシャ以来、公共善または共通善と呼ばれてきた。この善の概念が、正義の概念と結びつくのは、公共善を実現した状態が、正義とされてきたからである。
 詳しくは次の項目から書くが、古代ギリシャ=ローマ文明では、公的な善は私的な善より優先された。そして、公共善が正義とされた。プラトンやアリストテレスは、そうした考えのもとに、正義に関する思想を説いた。ヨーロッパ文明は、この考え方を継承した。ところが、近代西欧では、公的な善より私的な善を優先する考え方が支配的になった。私的な善を優先する場合、善は個人的な価値となり、私的な善の追求を保障する枠組みが正義となる。私的な善の優先は、さらに善を正義より優先するか、逆に正義を善より優先するかの二つの考え方に分れた。公的な善より私的な善を優先し、かつ善を正義より優先する代表的な思想家は、第2部に書いた功利主義の始祖ベンサムである。また現代の通説では、公的な善より私的な善を優先し、かつ正義を善より優先する代表的な思想家が、「啓蒙の完成者」カントとされている。ベンサムとカントの思想は、20世紀半ばまで西洋文明における正義と善に関する思想の二大潮流となっていた。だが、1970年代に、あらためて正義と善の関係を問い直す思想が登場し、それをきっかけに活発な議論が行われてきている。ジョン・ロールズらによるものである。またその議論が、今日の人権思想に大きな影響を与えている。もはや現代の正義論を抜きに、人権を論じることはできない。そこで、次に古代ギリシャから今日までの正義の概念とその歴史を振り返ったうえで、現代の正義論を検討していきたい。

 次回に続く。

イスラーム43~シリア情勢とクルド人・トルコ・EU

2016-04-18 08:56:43 | イスラーム
●シリア情勢に絡むクルド人とトルコの問題

 シリアの和平協議が再開された直後、2016年3月16日、シリア北部を勢力圏とするクルド人組織「民主連合党」(PYD)が、北部地域のクルド勢力などが連合し支配地域での独立性を高める「連邦制」を一方的に宣言する考えを明らかにした。
 クルド勢力は、ジュネーブで再開されたシリアの和平協議に参加資格を与えられていない。和平協議が本格化していない中で、クルド勢力が支配圏確立に向けた動きを強めることは、協議の行方に影響を及ぼす可能性がある。
 また、PYDの連邦制宣言でクルド勢力が独立性を高め、シリアが連邦化に向かう事態となれば、トルコ国内のクルド人を刺激する可能性がある。トルコ政府がPYDを擁護する勢力に強く反発するのは間違いない。
 そのPYDを擁護する勢力の筆頭が米国である。米国は、ISILの掃討に向け、PYDを支援している。PYDは、トルコの非合法組織「クルド労働者党」(PKK)の実質的な傘下にある。トルコ政府はPKKと敵対しており、その傘下のPYDが強大化することを警戒している。トルコにすれば、米国がシリアのPYDを支援することは、自国内のPKKを手助けしていることと同じである。米国は、PKKをテロ組織に指定しているが、PYDをテロ組織とはみなしていない。ここにトルコとの認識の違いがある。米国がトルコの反発を承知の上でPYDを支援するのは、クルド勢力が対ISILで地上戦を担う貴重な存在だからである。だが、トルコとしては、米国のクルド支援を看過できない。エルドアン大統領は、2016年2月10日、米国のクルド支援策が「血の海を作り出す」と警告し、米国に対し、「われわれの側にいるのか、それともテロリスト側にいるのか」と怒りを表した。
 クルド人は、ロシアのシリアへの軍事介入後、米国だけでなくロシアの支援も受けている。そして、ISILとだけでなく、ロシアが空爆を加えている反体制派とも戦ってきた。そのため、トルコのクルド人への警戒は、より一層高まっている。
 トルコは、「アラブの春」以降、政情が不安定になっている。エルドアン大統領を事実上の指導者とするイスラーム系与党、公正発展党(AKP)は、2015年6月の総選挙で過半数割れに追い込まれた。エルドアンは、PKKやISILへの強硬姿勢を打ち出して国民の支持を回復させ、AKPは同年11月の出直し総選挙で絶対多数を獲得し、権力基盤を強化した。
 だが、PKKやISILへの強行姿勢は、これらの組織の反撃を強めることになっている。2015年10月、首都アンカラで大規模テロが起こり、一般市民や観光客らが100人以上死亡した。トルコ政府は、ISILによる犯行とみている。2016年1月には最大都市イスタンブールで、ISILのメンバーによると見られる自爆テロが発生し、観光客ら13人が死亡した。2月18日にはまたアンカラで爆弾テロが起こり、28人が死亡した。トルコのダウトオール首相はPYDとPKKによる犯行と断定した。3月13日にもアンカラで自爆テロが起こり、PKKの分派が犯行声明を出した。3月19日にはイスタンブールでまた自爆テロが起こり、少なくとも5人以上が死亡した。ISILの犯行とみられる。
 こうしたテロの頻発は、エルドアン政権がPKKやISILとの対決にかじを切った結果といえる。政権はクルド組織とISILとの「二正面作戦」を展開する形となっている。だが、国境をまたいで活動する両組織の根絶は困難で、政権の苦戦が続く模様である。
 クルド人の動きやトルコの事情は、シリア問題に影響をもたらす多くの要素の一部に過ぎない。シリアを最も熱い焦点として、複雑さを増す中東の情勢は、イスラーム文明の今後を大きく左右する重大な問題となっている。

●シリアからの難民・移民とトルコ・EUの関係

 ところで、トルコは、シリアと南東で隣接しており、シリアからの難民・移民を最も多く受け入れている国である。また、トルコはシリアの難民・移民がヨーロッパへ流入する最大の通路ともなっている。
 2016年3月18日、欧州連合(EU)とトルコは、難民・移民の流入問題をめぐる首脳会談を開き、トルコから密航した難民・移民らのトルコへの送還など新たな措置で合意した。
 EUは従来、トルコ・ギリシャ間の国境管理強化で流入を抑え、密航でも難民はギリシャで手続きを行った上で加盟国で受け入れを分担する対策を描いた。だが、実際には機能せず、EUは危機感を強めていた。
 これに対し、今回の措置では密入国者をトルコに原則送還し、シリア難民については送還者と同数を同国内の難民キャンプなどから受け入れる。不正規のルートを遮断し、受け入れを正規ルートのみに制限して密航抑止を図ることを狙いとしている。EUは、トルコから引き取る難民を当面7万2千人に限定する。
 こうしてEUは従来の難民・移民の受け入れを容認する姿勢から、難民・移民の管理・制限に大きくかじを切った。この方向転換が無秩序な流入に歯止めをかける転換点になると期待されている。
 だが、EUは2015年に、ギリシャやイタリアに入った難民ら計16万人の受け入れを加盟国で分担する計画を決めたが、実行されたのはまだ約800人に過ぎない。東欧などが分担に強く反対した経緯もあり、トルコからの受け入れをどう加盟国間で負担するかが課題となっている。法的な問題にも課題があり、危機収束の「決め手」となるかどうかは不透明な状態である。
 トルコ側は、EUに利益を与えることで、EUへの要求を強めている。トルコは、EUから難民対策への資金支援を総額60億ユーロ(約7500億円)に倍増するという条件を引き出した。また、EUへの加盟問題で、EUにトルコの受け入れを積極的に求める材料としている。
 トルコは、イスラーム文明では、最も西洋化・近代化が進んでいる国である。西洋文明との関係では、NATOには入っているが、EUには加盟を認められていない。EUは東方の安全保障上、トルコのNATO加盟は必要としているものの、キリスト教国とは宗教文化の違うトルコをEUに受け入れていない。
 EUはトルコの加盟申請を検討しているが、もしトルコがEUに入った場合、シリア、アフガニスタン、リビア等だけでなく、トルコからも独仏等に移民が行くだろう。EUは人口の数で投票権が決まる。トルコが入るとやがて最大人口国のドイツを抜くことになり、票数に逆転が生じる。それゆえ、EU側にトルコの参加を本当に認める意思はなく、一種のリップサ―ビスとみられる。西欧にとって、トルコは冷戦期には共産主義の防波堤だった。今度は難民の防波堤として利用しようとしているのだろう。
 また、トルコの南方にはイラクがあり、シリアがある。そこではISILが勢力を広げており、トルコやその周辺諸国にはクルド人が居住する。EUがもしトルコの加盟を許可すれば、中東のイスラーム教の宗派や国家の対立・抗争、アラブ民族と他民族の対立・抗争を、ヨーロッパ大陸に呼び込むことになるだろう。

 次回に続く。

人権294~人権と正義

2016-04-16 08:44:39 | 人権

●人権と正義

 本稿「人権――その起源と目標」は、第1部の基礎理論篇で、最初に人権とは何かを問い、自由、権利、権力、国家、主権、国民について検討した。第2部では人権の歴史と思想、第3部では人権の現状と課題を述べた。この第4部では人権の目標と新しい人間観について書く。
 今日の人権の起源は、近代西欧発の普遍的・生得的な権利という観念にあるが、人権の実態は歴史的・社会的・文化的に発達してきた権利である。生まれながらに誰もが持つ「人間の権利」ではなく、主に国民の権利として発達する「人間的な権利」である。「発達する人間的な権利」としての人権の目標とすべきものは、個人の自由と選好の無制約な追求ではない。個人においては人格的な自己実現であり、国家においては国民共同体の調和的発展、人類においては物心調和・共存共栄の世界の実現である。こうした目標を目指すには、従来の人間観から新しい人間観への転換が必要である。
 人権の起源を踏まえた人権の目標と新しい人間観について書くに当たり、最初に人権と正義について述べる。その理由は、20世紀後半から、正義の概念が世界的に重要性を増し、正義論抜きに人権を論じられなくなっているからである。
 第2次世界大戦後、人権に関する思想は、正義論を中心に新たな展開を続けている。人権の思想史については、第2部に20世紀初めまでの展開を述べた。そこでは主権、民権、人権の関係に重点を置いた。第3部では世界人権宣言、国際人権規約及び国際人権条約を概観し、人権についての国際的な取り組みと世界の人権状況及び課題について述べた。
 人権は、17世紀から西欧において自由権の確保と拡大を通じて発達した。しかし、社会的矛盾が増大し、階級間の闘争が激化したことにより、社会権の実現が要求されるようになった。20世紀に入ると、社会権の確保・拡大によって「人間的な権利」としての人権は発達を続けた。第2次大戦後は発展途上国の側から「発展の権利」が主張され、人権の発達史は新たな段階に入った。この間、人権は、個人と集団、支配集団と被支配集団の権利関係・権力関係において、自由と平等の二つの理念の関係の中で発達してきた。社会権及び「発展の権利」は、自由を中心とする価値観に対し、個人間及び集団間の平等を重視する価値観によって成立した権利である。
 ここで自由と平等という二つの理念を結ぶものとして、正義の概念が重要性を増した。本稿ではこれまで正義について主題的に述べてこなかったが、第2次世界大戦後の世界では、人権の思想は正義の概念を考慮せずに深く検討することができない。
 第10章となる本章では、まず人権との関係で正義を論じるに当たって必要な人間観について述べ、次に、西洋文明における正義の概念とその歴史を振り返り、第2次大戦後の人権と正義に関する議論について述べる。次章では、現代の国際社会における正義について検討する。その後、正義論を踏まえて人権の基礎づけ、定義、内容、実践を書き、人権の目標と新しい人間観について述べる。

●正義論の対象となる人間

 最初に、人権の主体であり、正義論の対象でもある人間について私見を述べる、第1部で人間とは何かについて基礎的な考察を行ったが、その考察の一つとして、人間には個人性と社会性、生物性と文化性、身体性と心霊性があることを述べた。私は、現代の正義論を踏まえて人権を考察する際、人間はこれら三つの対で示される諸性質を持つという見方が必要だと考える。
 人間の個人性とは、身体的に自立し、個々に性別・年齢・世代等の違いがあるという性質である。社会性とは、そうした個人が社会を構成して集団生活を行っているという性質である。人間は、個人的存在である。個人としての男女の結合によって子孫が誕生し、個人として社会関係を結ぶ。また、人間は、単に個人的存在ではなく、社会的存在でもある。人間は集団的にしか生活できない。単独では生きられず、言語を習得したり、知識や技術を学習したりすることもできない。人間の個人性と社会性という両面の中間に、家族がある。家族は、最小規模の社会である。社会は家族を単位として、親族・部族・民族・国民等の集団を重層的に構成する。
 人間の生物性とは、生物であり動物であるヒトとしての性質である。文化性とは、高度に発達した言語・技術・知能を持つという性質である。人間は、生物的存在である。生物的存在として存続するためには、餓死、病死、事故死等をせずに生き延び、成長・生殖・出産・育児をし、生命を次世代に継承できねばならない。そのためには、空気、水、食糧、住居、衣服、安全な環境、健康の維持と治病の方法が必要である。また、人間は、単に生物的ではなく、文化的存在でもある。文化的存在として発展するためには、言語・制度・技術等を学び、文化を創造し、また次世代に継承できねばならない。そのためには、それができるような教育が必要である。
 人間の身体性とは、物質的な肉体を持ち、脳の機能によって生命活動を行うという性質である。心霊性とは、肉体と脳と相関関係にありながら一定の独立性を示す精神的な霊魂を持つという性質である。人間は、身体的存在である。この点は、基本的には生物的存在であることと重なり合う。人間は他の地球生物よりも高度に発達した生体情報系を持つ。また、人間は、単に身体的存在ではなく、心霊的存在でもある。心霊的存在として自覚・成長するには、死を理解・受容し、死後の安心を得ることができねばならない。そのために、人々を自己実現・自己超越へと導き得る宗教または心霊性を踏まえた道徳が求められてきた。
 人権を考察するために正義論を論じる時、拠って立つ人間観によって、議論の枠組みが大きく変わる。個人性と社会性のうち、個人性の面に偏ると、個人主義的で選好の自由の確保に重点が置かれる。社会性の面に偏ると、個人の自由と権利が抑圧される。生物性と文化性のうち、生物性の面に偏ると、生命の維持や生存の条件に関心が集中する。文化性の面に偏ると、人間の生命・生活が軽視される。身体性と心霊性のうち、身体性の面に偏ると、身体的満足や現世的な幸福に意識が向かう。心霊性の面に偏ると、身体を持って生きる現世の課題が否定される。私は、人間をこれら三つの対の一方に偏らずに、個人性と社会性、生物性と文化性、身体性と心霊性のそれぞれの両面を総合的にとらえて、正義論を論じ、またそれを踏まえて人権を考察すべきだと考える。

 次回に続く。


イスラーム42~シリア内戦を終息させる取り組み

2016-04-15 09:37:35 | イスラーム
●シリア内戦を終息させる取り組み

 イスラーム文明の現在において、最も深刻なのが、シリア問題であることは間違いない。
 シリアでは内戦発生後、2016年3月で、丸5年となった。この間、27万人以上が死亡し、400万人以上が国外へ脱出したほか、国内避難民は760万人を超すとみられる。
 アサド政権に対抗する反体制派は、内戦当初から、シリア北部や首都ダマスカス周辺で支配地域を拡大し、トルコやサウディアラビアなどに加えて米欧の支持も得て、一時は首都をうかがう勢いもみせた。しかし、2013年秋、政府軍の化学兵器使用疑惑を受けて武力行使を示唆していた米国が空爆を回避した。それによって、潮目が変わった。政権側は、米国が本格介入をしないと見て生き残りへの自信を深めた。
 内戦は、アサド政権を支えるロシアやイランと、反体制派を支援するサウディアラビアやトルコとの代理戦争という構図を示している。弱体化した政府軍に多数の外国人部隊が加わり、それをイラン人将校が指揮・監督している。さらに2015年(平成27年)9月末、ロシアが軍事介入し、アサド政権への影響力を強めた。アサド政権はロシア=イラン同盟によって支えられており、ロシアとイランがシリア問題の主導権を握っている。
 内戦の混乱に乗じる形でイスラーム教スンナ派過激組織ISILが台頭したことも、アサド政権には追い風となった。政権が倒れた場合、シリアが過激派の温床となるとの懸念によって、米欧諸国は政権への圧力に抑制的になったからである。
 2015年11月中旬、米欧露やアラブ諸国等が外相級協議で、アサド政権と反体制派の交渉を同年内に開始し、18カ月以内に民主的な選挙を実施するなどの行程表で合意した。アサド政権の扱いなど主要な対立点は残っているが、内戦への対応が遅れればISILを利するだけであると見て、和平が急がれた。
 翌2016年(平成28年)1月29日、アサド政権と反体制派代表団の対話による和平協議がジュネーブでスタートした。反政府勢力の主要代表組織「最高交渉委員会」(HNC)側は、政権側が一般市民も殺害しているとして批判し、政府軍やロシア軍の空爆や包囲の停止を要求した。こうした人道問題が協議されなければ、協議から撤収する可能性を示唆した。だが、2月3日ロシア軍の空爆支援を受けた政府軍が進撃し、反政府勢力の補給ルートが絶たれ、反体制派は反発を強めた。対話を仲介している国連のデミストゥラ特使は、協議を一時中断せざるを得なかった。
 2月11日米国やロシアなどシリア内戦の関係国は、和平協議の進展を図るため、多国間外相協議を開催し、アサド政権と反体制派の戦闘停止を1週間以内に目指すことで合意した。だが、反体制派を「テロ組織」とするアサド政権は、和平協議が再開されても「テロとの戦いをやめることはない」と述べ、完全な停戦には応じない姿勢をあらためて表明した。
 この間、和平協議の開始直後の1月30日、トルコ政府は、ロシア軍機が領空を侵犯したとして、ロシア側に「強い抗議と非難」の意を伝えた。二度目の領空侵犯問題で、両国は、さらに態度を硬化させた。また、ロシアはアサド政権、トルコは反体制派を支援しているので、両国が対立を深めることは和平協議の進展に濃い影を落としている。
 米国とロシアの関係も緊張を強めた。2月13日ケリー米国務長官は、ミュンヘン安全保障会議で演説し、アサド政権の支援のためにロシアが実施している空爆について、「大半は正統な反体制派を標的にしている」と述べ、民間人も犠牲になっているとロシアを批判した。これに対し、ロシアのメドベージェフ首相が応酬し、ウクライナ危機でNATOが東欧の抑止力を強化していることを受け、「われわれは新冷戦に陥った」と欧米を逆に批判した。
 こうしたなか、2月21日シリアの首都ダマスカスや中部ホムスで自爆テロや自動車爆弾テロが相次ぎ、180人以上が死亡した。ISILが犯行声明を出した。アサド政権を挑発し、内戦をさらに複雑化させる狙いがあるのだろう。
 ISILの暗躍を赦すことは、米露双方にとってマイナスである。米露は強い緊張関係の中ではあるが、シリア内戦の停戦を実現するために協力し、2月27日、米露の主導による一時停戦合意が発効した。
 アサド政権は、できるだけ有利な状況に持っていったところで、和平協議に臨もうと考えて、反体制派への攻撃を続けていたのだろう。内戦発生後で最も優勢となった状態で、アサド政権は3月7日に参加を表明した。一方、反体制派の「最高交渉委員会」(HNC)は、政権やロシアのペースで和平協議が進むことを警戒していたが、11日に協議への参加を決めた。
 和平協議は3月14日にジュネーブで再開された。アサド大統領の処遇などをめぐる両当事者の立場は大きな隔たりがあり、協議は難航することが予想される。
 最も注目されるのは、ロシアの態度である。プーチン政権はアサド政権を支援し、同政権をできるだけ有利な立場で和平交渉に参加させるために、力を入れてきた。それが相当の成果を上げたものと見られる。
 和平協議の再開に当たり、プーチン大統領は、シリアから主要航空部隊を撤収させることを決めた。この時点で和平交渉に重心を移すことが、シリア問題での影響力を保持し、さらに国際的孤立から脱する上で得策だと判断したものと見られる。
 こうしたロシアの思惑通り事が運ぶかどうかは、様々な勢力の絡み合いがどう展開するかによるだろう。

 次回に続く。

人権293~食糧・水・人口の問題も解決へ

2016-04-13 06:40:25 | 人権
●食糧・水・人口の問題を解決する

 21世紀の世界では、天然資源の争奪に、食糧と水の争奪が加わっている。まず世界の食糧は、現在の世界人口を養うに十分な量が生産されている。だが、食糧の分配が過度に不平等な状態になっている。小麦、トウモロコシ、牛肉等は国際的な商品であり、巨大な農業関連資本が市場を制している。そのため、先進国には飽食、発展途上国には飢餓という二極分化が起こっている。国連開発計画が発行した2003年版の『人間開発報告書』によると、発展途上国の7億9900万人、世界人口の約18%が飢えている。毎日世界中で3万人を超える子供が、脱水症、飢餓、疾病などの予防可能な原因で死亡している。世界的な食糧事情は、国際的な協力によって貧困と不平等の是正を進めなければ、改善されない問題となっている。
 食糧問題に加えて深刻になっているのが、水不足である。2000年(平成12年)の時点で世界中で少なくとも11億人が安全な水を利用できず、24億人は改善された衛生設備を利用できなかったと報告されている。その後もアフリカ、中東、アジアの各地で水不足と飢饉が日常化している。原因は、人口増加、都市化、工業化、地球温暖化等である。水の価値が上がり、水は「21世紀の石油」といわれる。今後20年で世界の水需要は現在の倍になると予測される。これから一層、水の需要と供給のバランスが崩れていくだろう。「ウォーター・バロンズ」(水男爵)と呼ばれる欧米の水企業が、世界各地の水源地の利権を確保するため、しのぎを削っている一方、中国は、国家として、水の確保を進めており、わが国の水と森林の資源が狙われている。
 仮にエネルギーを化石燃料から太陽光・風力・水素等に転換できたとしても、水の問題は、なお存在する。水不足と水汚染を解決できなければ、人類の文明はやがて行き詰る。また水をめぐっての紛争が各地で頻発し、大規模な地域戦争が起こる可能性もある。こうしたなか、日本の水関連技術への期待は大きい。海水の淡水化に必須の逆浸透膜の技術や、排水や汚水を再び生活用水として生まれ変わらせるリサイクル技術等は、日本の技術が世界で圧倒的なシェアを誇っている。日本は世界の農村と農民を助け、水と食糧問題を解決する力を持っている。優れた農業関連技術とインフラ整備、砂漠緑化や淡水化や浄水化などで最先端の技術を保有している。自然と調和して生きる日本人の知恵が、今ほど世界で求められている時はない。
 各国政府が積極的に太陽光発電、電気自動車、砂漠の水田化、水の造成と浄化等の新しい技術を活用することで、環境、エネルギー、食糧、水等の問題は、改善に向いうる。地球温暖化や砂漠化にも、対処する方法はある。人工知能やロボットの開発、宇宙空間での資源利用等が、これらの問題への取り組みにもさまざまな形で貢献するだろう。
 しかし、仮にこれらの問題による危機を解決に向けることが出来たとしても、なお重大な課題が残る。その一つが人口問題である。世界の人口は、20世紀初めは16億人だったが、年々増加を続け、1950年頃から特に増加が急テンポになり、「人口爆発」という言葉が使われるようになった。1987年(昭和62年)に人類の人口は50億人を突破し、2007年(平成19年)には66億人になった。2050年の世界人口は91億人になると国連は予想している。世界人口がピークを迎えるのは、21世紀末から22世紀になるだろうともいわれる。
 増え続ける人口は、大量のエネルギーを消費し、環境を悪化させ、食糧を高騰させ、水の争奪を起こし、紛争を激化させる。人口爆発は、新しい技術の活用による環境、エネルギー、食糧、水等の問題への取り組みを、すべて空しいものとしかねない。だから、人口増加を制止し、「持続可能な成長」のできる範囲内に、世界の人口を安定させる必要がある。
 どうやって安定させるのかは難題であるが、エマニュエル・トッドは、家族制度と人口統計の研究に基づいて、発展途上国での識字率の向上と出生率の低下によって、世界の人口は21世紀半ばに均衡に向かうと予測している。希望はある。識字率の向上と出生率の低下を促進するには、基本的な教育の普及が必要である。そのためには、貧困と不平等の是正が不可欠となっている。
 食糧・水・人口の問題を解決することもまた、地球に生きる多くの人々の「発達する人間的な権利」を守るために、重大な課題となっている。

●シンギュラリティから人類の「黄金時代」へ

 人類は、上記のような様々な重大な課題を抱えている。だが、こうした課題解決は、決して不可能なことではない。テクノロジーの進歩は、指数関数的な変化を示してきた。たとえば、コンピュータの演算速度は、過去50年以上にわたり、2年ごとに倍増してきた。これを「ムーアの法則」という。1985年のスーパーコンピュータCray2と2011年型のiPad2を比較すると、重さと大きさは4000分の1、価格は51,775分の1、CPUのプロセッサ速度は4倍、消費電力は15,000分の1になっている。30年前には、一つの部屋くらいの大きさだったスーパーコンピュータが、今では片手で持って気軽に使えるものになっている。しかも性能は遥かに向上している。
 「ムーアの法則」によると、2045年に一個のノートパソコンが全人類の脳の能力を超えると予測される。人工知能が人間の知能を完全に上回るということである。そのような時代を未来学者レイ・カーツワイルは「シンギュラリティ(特異点)」と呼んでいる。カーツワイルは、その時、人類の「黄金時代」が始まるという。
 世界的な理論物理学者ミチオ・カクは、今から30年後の「黄金時代」について、次のように語っている。

・ナノテクノロジー・再生医療等の発達で、寿命が延び、平均100歳まで生きる。
・遺伝子の研究で、老化を防ぐだけでなく、若返りさえ実現する。
・退屈な仕事や危険な仕事は、ロボットが行う。
・脳をコンピュータにつなぎ、考えるだけで電気製品や機械を動かせる、など。

 これ以外にも、新DIY革命、テクノフィランソロピストの活躍、ライジング・ビリオンの勃興等で、次のようなことも可能になると予想されている。

・新種の藻類の開発で石油を生成
・水の製造機でどこでも安全な水を製造
・垂直農場やバイオテクノロジーで豊富な食糧生産
・太陽エネルギーの利用で大気中の不要なCO2を除去

 テクノロジーの爆発的な進化が今後も続けば、いま述べたようなことが可能になると予測されている。
 さらに今後人類にとって新しい文明の建設が可能になるのは、空間エネルギーの利用、物質転換の実現等、これまでの科学技術の水準を大きく越えるものが登場・普及した時だろう。空想的といえば空想的だが、わずか500年前には、夜も昼のように明るく、空中や地下を自由に移動し、遠く離れた大陸の人と互いに姿を見ながら話ができ、過去に起こったことを映像で再生できるというような今日の文明を、誰も予想することはできなかった。ここ百年の間にも、夢のような、いや人々が夢にすら思いつかなかったようなことが、次々に実現してきている。そのことを思うと、これからの時代にも何が現れ、世界がどのように変わりうるか分からない。危機が大きければ大きいほど、それを乗り越える知恵やひらめきもまた強く輝くだろう。人類は既に想像を超える変化を経験してきている。これからはさらに想像を絶する大変化を体験していくことだろう。

 本章では、現代世界における人権の現状と課題について書いた。第2次世界大戦後の世界における国際人権諸条約による人権の発達をたどり、文明間の違いや思想的・文化的な違いを踏まえて、今日の世界の人権状況を概観した。
 第3部では、20世紀以降の人権をめぐる歴史と人権の発達を書いたうえで、人権の現状と課題について書いた。第4部では、これまでの第1~3部での考察を踏まえて、人権の理論と新しい人間観について述べたい。

 次回に続く。

イスラーム41~米国等とイランの核合意

2016-04-12 08:53:35 | イスラーム
●米国等とイランの核合意

 サウディアラビアとイランが断交に至ったより大きな要因は、米欧諸国とイランが核合意をしたことにある。サウディは、この合意に強い不満を持ち、独自の判断で行動した者だろう。
 イラン革命後、米国と断交したイランは、米国に対抗するため、核兵器の開発を進めているとみられた。近年中東で最もアメリカが最も警戒しているのは、このイランの動きである。イランの側からすれば、核大国の米国から自国を防衛するために、抑止力としての核を持つという政策判断だろう。一方、米国は、反米的な国が核を持つことを防ぎたい。その成否は、中東だけでなく世界規模の戦略に関わる。
 2002年(平成14年)に、イランの核兵器開発疑惑が発覚し、米国をはじめとする国際社会が、経済制裁措置などによってイラン封じ込めを行って来た。2008年に米国大統領となったオバマは、イランに対して「核開発疑惑には経済制裁で対処する」と発言し、ブッシュ子政権の方針を引き継いだ。そのうえ、2012年にEUがイラン産原油の禁輸措置を発動し、日本・韓国等も徐々に原油の引取量を削減していったことは、イランの国家財政に大きく響いた。イラン経済は2012年に成長率が約6%のマイナスとなるなど、疲弊してきた。
 2005年(平成17年)から13年(平成25年)にかけて大統領を務めたアフマディーネジャードは、反米的な姿勢を貫いた。イランは石油輸出で得た資金をもとに、近代兵器を購入したり、核開発に取り組んだりしてきた。イランに最も多く兵器を売っているのは、中国である。またイランは同じく反米的な北朝鮮とも密接な関係にあり、中国・北朝鮮から技術支援を受けて、核開発を進めてきたとみられる。ハンチントンの予測する「儒教―イスラーム・コネクション」は、一部イランと中国・北朝鮮の間で現実になっている。中国はインドと対立関係にあるパキスタンにも核技術を提供しており、これも「儒教―イスラーム・コネクション」の一つである。
 しかし、経済制裁の効果が強まるなか、2013年夏に大統領となった法学者ハサン・ロウハーニー師は、最高指導者のハーメネイーのもと、敵対関係にあった米国等との「建設的な関係」を築くことを政策に掲げた。イランを世界市場と国際社会に戻そうとするものである。一方、米国の側もイラク等の駐留経費増大等で財政に影響が出ている。他の要因も重なってデフォルト寸前になっては債務不履行の回避を繰り返しているオバマ政権は、2015年夏、イランとの関係を改善させる方向に転換した。
 1979年のイラン革命後、米国はイランと国交を断交した。イランは経済制裁で窮地に追い込まれたが、ただそれだったのではない。中東で占める地政学的に重要な位置を利用し、政治外交的な力量を発揮してアラブ社会に楔を打ち込み、シーア派の諸勢力を結び、シリア戦争では最重要当事国となって、国際社会に存在感を示しもしている。
 イランは、米欧の経済制裁に耐える中で、ロシアに接近した。イランにとってロシアは伝統的に敵国であり、領土を占領され、割譲してきた。だが、そのロシアと同盟関係を結ぶという戦略的な判断をした。そして、シリアのアサド政権を支援することによって、シリア内戦の最重要当事国となった。ロシアがシリア空爆に踏み切るに至って、イランにとってのロシアとの関係は、スンナ派諸国への対抗においてもまた米欧諸国への対抗においても一層重みを増すことになっている。
 2015年(平成27年)7月、イランと国連安保理常任理事国の米英仏中露に独を加えた6カ国は、「包括的共同行動計画」に最終合意した。今後15年間にわたって、イランは核兵器の製造につながる濃縮ウランの製造を制限され、この点に疑念が生じた場合にはIAEA(国際原子力機関)による査察をイランは受け入れる。その見返りとして、国際社会はイランに対する経済制裁を解除するというものである。この合意は、アメリカとイランの歴史的な合意という評価がある。アメリカが30年以上、国交を断絶して強くけん制してきたイランが核兵器を手にすることをひとまず阻止できたと言えるからである。
 オバマ政権はISILの掃討を最優先課題とする。課題達成にはシリアのアサド政権の退陣によるシリアの和平実現が不可欠と考え、同政権を支えるイランの協力に期待しているとみられる。だが、米国では、イランとの合意に関して、オバマ政権の融和的な姿勢に強い批判が出ている。また、最終合意がイランに一定のウラン濃縮を認めたことについて、米国と同盟関係にあるサウディアラビア、イスラエルは強く反発している。
 実際、イランの核合意は、イランが核兵器を生産できる時間の可能性を2カ月あるいは3か月から1年まで引き延ばしたに過ぎない。10年後の2026年から新型の遠心分離器の開発は自由になり、15年の履行機関が終われば平和利用の名目でウラン濃縮や再処理の核技術を生かして理論的には核兵器製造が可能になる。
 イランを安全保障上の脅威ととらえ、核合意に反対してきたサウディには、同盟国・米国の裏切りと映ったに違いない。また、イランと敵対するイスラエルも、イランの核兵器保有につながるとして容認できないところである。
 2016年(平成28年)1月16日、イランのザリフ外相と6カ国側代表を務めるモゲリーニEU外交安全保障上級代表は、ウィーンで共同声明を発表し、最終合意の履行を宣言した。これに伴い、オバマ大統領は、イランに課していた経済制裁の一部を解除する大統領令に署名し、外国の企業・個人に対するイランとの取引制限などを解除した。EUは、イラン産原油の輸入禁止や国際送金システムからの排除といった措置を解除した。
 イランのロウハーニー大統領は、「イランと世界の関係に新たな一章を開いた」と述べた。イランは約1千億ドル(約12兆円)に上る国外の凍結資産の確保や、制裁前から約6割も落ち込んだ原油輸出の拡大で、疲弊した経済の建て直しを急いでいる。制裁解除はイランの国際社会復帰となり、各国の経済関係強化の動きが加速するとみられる。
 2016年2月下旬、イランで国会議員選挙が行われ、ロウハーニー大統領を支持する改革派及び穏健保守派が議会の過半数を確保した。だが、強硬保守派は、国政に強い影響力を持つ革命防衛隊や、政策が「イスラーム的価値」に合致しているかを判断する護憲評議会を掌握している。政権が改革を進めれば、強硬保守派との対立がいっそう深まる可能性は高いとみられる。
 注意すべきは、今回の最終合意で、イランが核合意を守るという保証はないことである。今後、状況によっては、イランが合意を反故にして、再び核開発を進める可能性を排除できない。もしイランが核開発を進めた場合、米欧等は激しく反発するだろう。これに対し、イランがその制止に反発して強硬な姿勢を貫き、世界各国に石油を運ぶ通路であるホルムズ海峡を封鎖するという手段に出る可能性がある。わが国にとっては、シーレーンによる石油の輸送が脅かされる事態となる。国際社会が封鎖解除を図る際、その中心となるのはアメリカだろう。軍事的には、アメリカが海軍力で優勢ゆえ、比較的短期間で鎮圧される可能性が高い。だが、イランが米軍基地への報復、イスラエル本土へのミサイル攻撃、湾岸諸国の油田や製油所の爆撃・爆破等へと行動をエスカレートすると、新たな中東戦争に発展するおそれがある。
 さらにシリア、トルコ等の問題が重なると、中東情勢の深刻化が第3次世界大戦の火種となることが予測される。この点は、後の項目であらためて述べることにしたい。

 次回に続く。

人権292~環境・エネルギー問題への取り組み

2016-04-11 09:58:25 | 人権
●環境破壊とエネルギーの危機を乗り越える

 人類全体のために長期的危機の解決を目指すより、現在の私的な利益を追い求める経済活動は、1990年代から増勢し、狂乱の様を呈した。一方、地球温暖化に対処するため、国際的な取り組みが話し合われ、1997年(平成9年)12月に京都議定書が議決された。議定書によって、2008年(平成20年)から二酸化炭素の削減への取り組みが始まった。この年、強欲資本主義はリーマン・ショックによって、壁に激突した。これを機に、従来の物質的・金銭的な基準による成長という考え方への見直しが、ようやく広まった。
 京都議定書には、世界132ヶ国が参加した。だが、先進国のうち、アメリカとオーストラリアは、批准しなかった。なかでもアメリカは、中南米・アフリカ・中東・オーストラリア・日本・アジアのすべてを合計した以上の量の温室効果ガスを排出している。アメリカの人口は世界の5%だが、世界全体の25%近くの温室効果ガスを出している。一人当たりの炭素排出量で見ても、アメリカがずば抜けて多い。こうしたアメリカが、地球温暖化の問題への取り組みにおいて極めて消極的であることは、この取り組みを大きな限界のあるものにしている。アメリカが変わらなければ、地球の温暖化は止まらない。
 さらに京都議定書では、インドや中国などの大量排出国が規制対象外となった。その他の削減対象になっていない発展途上国からの排出は続き、かつ急速に増加した。そのうえ、カナダは削減目標の達成を断念するなど、多くの問題が発生した。
 京都議定書は、2013年(平成25年)までの5年間に関する協定だった。それ以降の地球温暖化防止の実効的な枠組みを作る必要がある。だが、ポスト京都議定書については、5年間のうちには結論が出ず、また協議や議論の途中であり、合意の目処は立たなかった。
 そうしたなか、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)が続けられてきた。2015年(平成27年)11月30日にパリでCOP21が開催され、初日は150カ国もの首脳が参加した。12月12日に、2020年以降の温暖化対策の国際枠組みとしてパリ協定が採択された。この協定は、京都議定書と同じく、法的拘束力の持つ強い協定として合意された。
 全体目標として、世界の平均気温上昇を2度未満に抑えることを掲げ、世界全体で今世紀後半には、人間活動による温室効果ガス排出量を実質的にゼロにする方針を打ち出した。そのために、全ての国が、排出量削減目標を作り、提出することが義務づけられ、その達成のための国内対策を取ることも義務付けられた。各国の国情を考慮しながら、全ての国が徐々に国全体を対象とした目標に移行することとし、5年ごとに目標の見直しをする。アメリカ・中国・インドも従来より積極的に排出量実質ゼロに取り組むこととなり、ようやく世界全体で地球温暖化対策に取り組む国際合意ができたといえる。
 地球環境問題では、各国がエゴの張り合いをしていたのでは、人類全体が共倒れになる。人類全体としての「持続可能な成長」の枠内で、先進国、途上国、それぞれが「持続可能な成長」のあり方を見出せなければ、海面上昇による主要な巨大臨海都市の水没、凶暴化する台風・竜巻の襲来、一層の砂漠化による農地の荒廃、大気・水・土壌の汚染による健康喪失等によって、人類は衰亡へと向かうだろう。これほど人間の生存・生活の権利を自ら危うくすることは、核戦争以外に他にない。

 温室効果ガスの削減を進めるためには、エネルギー政策の転換が急務である。産業革命以降、19世紀までは石炭の時代、20世紀以降は石油の時代だった。だが、化石燃料は埋蔵量に限界がある。1970年代の初めに、人類はエネルギーの危機にあると報告されるようになってから、自然エネルギーの研究が進められてきた。2008年の世界経済危機によって、自然エネルギーの活用は、世界各国の現実的課題となり、活発に進められることになった。アメリカのオバマ大統領はグリーン・ニューディール政策を打ち出し、わが国でもクリーンなエネルギーを活用する新しい政策が推進されている。太陽光・風力・地熱・潮力等の自然エネルギーの活用による「21世紀の産業革命」が、起こりつつある。いわば石油の時代から「太陽の時代」への転換である。この変化は、人類の文明に大きな変化を生み出す出来事である。
 だが、石油に代わる新たなエネルギーが産業と生活全体を支えられるようになるには、時間がかかる。新興国を中心とした経済成長と人口増加によって、世界全体の石油消費は増え続けている。20世紀の後半から21世紀にかけて、石油・天然ガス等の天然資源の争奪が各地で繰り広げられている。天然資源の確保は、新たな国際紛争の重要な要因となっている。資源問題が改善に向かわないと、世界は安定に向かえない。そのうえ、化石燃料の消費で温室効果ガスが増加し、異常気象が恒常化している。北極の氷や氷河が溶け、各地の大河が干上がり、地下水が涸れてきている。砂漠が拡大し、難民や内乱や戦争を誘発している。
 原子力発電は二酸化炭素を少量しか排出しないが、現在の核分裂による発電技術は、安全性が確保されていない。原発の管理や廃棄物処理が難しく、事故やテロや核兵器転用へのリスクもある。直接石油燃料に替わるものとしては、トウモロコシやサトウキビを原料にしたエタノール燃料が商品化され、それを利用した自動車も走るようになっている。しかし、食用植物を原料とするバイオ燃料は、食糧価格の上昇をもたらすなど、新たな問題を生み出している。
 これらの問題を乗り越えるため、自然エネルギーの活用への転換を急加速しなければならない。
 地球環境破壊とエネルギーの危機を乗り越えることは、地球に生きる多くの人々の「発達する人間的な権利」を守るために、重大な課題となっている。

 次回に続く。

イスラーム40~サウディアラビアとイランが断交

2016-04-10 10:37:04 | イスラーム
●サウディアラビアとイランが断交

 ISIL掃討作戦の最中、ロシアとトルコが対立するようになり、対ISILの連携にひびが入った。そのうえ、2016年(平成28年)1月には、イスラーム教国の間でサウディアラビアとイランが断交するという新たな事態が発生した。
 中東では、1979年(昭和54年)のイラン革命後に米国とイランが断交して以降、米国と親米的なスンナ派のアラブ諸国が、シーア派の地域大国イランの影響力を防ぐことで基本的な秩序を形成してきた。スンナ派の盟主を自任するサウディは、反イラン網の一翼を担うとともに、豊富な石油資源を持つ国としてこの秩序から最も大きな恩恵を受けてきた。
 サウディの王家であり、メッカなど二大聖地の守護者を務めるのが、サウード家である。サウード王家の祖イブン・サウードは、1744年、ワッハーブ派の祖法学者アブドゥウル・ワッハーブと盟約を結び、同王家の長が最高宗教指導者であるイマームを兼務するとした。それによって、サウディでは世俗的権力者である国王が宗教上の長ともなっている。
 サウディアラビアは、ワッハーブ派というスンナ派の中でも特殊な、かなり過激な宗派を国教とする。ワッハーブ派は、スンナ派の厳格化を求めるもので、イスラーム原理主義の古典的潮流となっている。
 オサマ・ビンラディンは、サウディの富豪の一族に属し、豊富な資金を以てアルカーイダを結成・指導した。サウディの富裕層には、スンナ派過激組織を支援する者が少なくない。ISILへの資金提供者もいるとみられる。
 ワッハーブ派は、シーア派を諸悪の根源とする。それゆえ、サウディとイランとの対立は、根が深い。そのうえ、2015年(平成27年)からはISILやイエメンへの対応などで対立を強めている。
 サウード王家は従来、極めて穏健な協調外交が信条だった。ところが、「今サウジは大きく変わりつつある」と、イラクでの勤務経験を持つ元外交官で、現在キャノングローバル戦略研究所主幹の宮家邦彦氏は、言う。
 変化の発端は、2015年(平成27年)1月23日親米的なアブドゥッラー国王が死去し、サルマーン新国王が就任したことである。新国王は、ムクリン副皇太子兼第2副首相を皇太子兼副首相に任命した。また、副皇太子兼第2副首相にナエフ元皇太子の息子ムハンマドという55歳の第3世代を任命した。ところが、4月末、国王はムクリン皇太子兼副首相を解任、ムハンマド副皇太子を皇太子兼副首相に、自分の息子で30歳のムハンマド・ビン・サルマーン国防相を副皇太子兼第2副首相に、それぞれ任命した。宮家氏は、「この頃からサウジの対外政策は大きく変わり始めた」という。
 サウディは、同年3月末、内戦が激化した南方の隣国イエメンで、反政府勢力への空爆を開始した。また同年12月15日、サウディ政府はISILなどに対抗するため、イスラーム圏の34の国・地域が「イスラーム軍事同盟」を結成したと発表した。
 宮家氏は、こうした軍事的対外強硬策の裏にいるのがムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子兼国防相だという見方を伝えている。副皇太子兼国防相は、サウディの経済開発評議会議長と国営石油会社アラムコ最高評議会議長も兼ねている。
 こうした変化を見せていたサウディアラビアは、2016年(平成28年)1月初め、一段と強硬な行動に出た。サウディアラビア政府が、テロ関与容疑者47人の死刑を執行したのである。47人のうち、大半はアルカーイダ系だが、シーア派の高位法学者ニムル師が含まれていた。サウディの国内にも少数だがシーア派がおり、東部に多い。ニムル師はサウディ王家を批判し、宗派対立を扇動したなどの罪で死刑判決を受けていた。それが執行された。
 これに対し、イランでは、二ムル師の処刑に怒った群衆がテヘランのサウディ大使館を襲撃した。イラン軍で重要な位置を占めるイスラーム革命防衛隊は、1月2日、処刑を問題視し「サウディは重い代償を払うことになるだろう」と強く非難する声明を発表した。これが両国の外交問題に発展し、サウディとイランは断交状態となった。バハレーン、カタール等の湾岸主要国はサウディに同調し断交や大使召還に踏み切った。サウディは、イランに対抗するため、22カ国が加盟するアラブ連盟を舞台にスンナ派各国の糾合を図っている。
 ISIL壊滅はサウディとイランにとっても最優先課題のはずだが、イスラーム文明の二つの地域大国が宗派の違いから対立関係になってしまった。このことで、中東情勢は一層複雑さを増した。サウディとイランの対立は、ISILを利することになる。
 米国とサウディの歴史的な同盟関係がオバマ政権下で弱体化する一方、イランは米欧との核合意で国際社会復帰を実現し、イラクやシリア情勢への発言力を強めている。サウディは、米国のイラン傾斜に不満を抱いているに違いない。イランとの断交は、シリア和平協議にイランが参加することを阻止するためという意図もあったと考えられる。
 折から中東を訪問した中国の習近平国家主席と対談したサルマーン国王は、米国一辺倒の方針を改め、中国を外交の対象として格上げし、関係を深めることに合意した。習主席はイランも訪問し、ここでも関係の拡大を進めた。海外で大規模な軍事作戦を展開する力を失いつつある米国が中東で後退し、またイスラーム教諸国の関係が不安定になっているところへ、中国が巧みに進出している。
 中国は、2030年にアメリカを越えて世界最大の石油輸入国となると予想される。輸入の大部分は中東に依存する。一方、アメリカの中東石油輸入は、シェールガスや国内石油生産によって、2011年の日量190万バレルから、2035年には10万バレルに激減すると見られる。そのため、中東産油国にとって、中国はますます重要な輸出相手国となる。中国と中東産油国はともに相手を必要とする。ここにも、西洋文明対イスラーム=シナ文明連合の対立という可能性を見て取ることができる。
 ところで、サウディアラビアは、隣国イエメンの民主化過程の後ろ盾になってきた。サウディにおける王位交代はイエメンに影響を与えている。
 イエメンにおける2015年(平成27年)1月のフーシー派によるクーデタは、サウディにおける王位交代の隙を突いたものだったとみられる。池内氏は「サウジの内憂と裏庭のイエメンの外患は連動している。そして、サウジが揺らげば、中東の混乱は極まる」と述べている。
 サウディはスンナ派アラブの盟主を自任する。イエメンのフーシー派はシーア派の一派、ザイド派を信奉する。シーア派大国のイランがザイド派を支援しており、サウディはイエメンでイランが影響力を増すことを警戒している。
 2015年(平成27年)2月15日国連安保理は、全会一致で、政府施設を制圧しているフーシー派に即座・無条件で権限を大統領・首相に戻すように要求する決議をした。ただし、決議を主導した湾岸協力理事会(GCC)の求めていた国連憲章第7章の軍事的強制力は盛り込まれなかった。そうしたなか、サウディは、同年3月末、イエメンでの空爆を開始したのだった。
 イエメンでは、サウディの後押しを受けるハディ政権と、イランが支援するフーシー派が激しく対立して、内戦状態になっている。サウディは、フーシー派が首都サヌアを掌握したことなどを受けイエメンへ軍事介入した。そのことによって、サウディはイランとの対立を深めた。このことが、サウディとイランが断交することになった要因の一つとみられる。
 サウディアラビアとイランが断交した情勢について、山内昌之氏は、著書『中東複合危機から第三次世界大戦へ』に次のように書いている。
 「1980年のイラン=イラク戦争で始まったシーア派対スンナ派の対立激化は、次々と新たな衝突ひいては戦争に発展し、宗派と政治の絡んだ文明内対立はこれから深化することはあっても、薄まることはない。政治化したセクタリアン・クレンジング(宗派浄化)の恐怖は、いまや中東の広い範囲に及んでいる。言い換えれば、『宗派戦争』とその脅威は、もはやシリア戦争やイエメン内戦やバハレーン紛争を超えてしまった。2016年のイランとサウディアラビアの危機は、現代中東のいちばん深い『宗派的断層線』(sectarian fault lines)がどこに横たわっているかをまざまざと見せつけたのである」
 ここで、「セクタリアン・クレンジング(宗派浄化)」とは、エスニック・クレンジング(民族浄化)の概念を、イスラーム教の宗派間に応用したものである。また「断層線」は、ハンチントンが使った概念であり、ハンチントンは、文明の衝突は文明間の断層線(フォルトライン)で起こると指摘した。山内氏は、これを文明内の宗派間にも用いているものである。

 次回に続く。