●近代西欧における正義論の歴史(続き)
西欧には社会契約説を否定する思想の系統もある。これも第2部に書いたが、ヒュームやアダム・スミスは、歴史の研究から社会契約を否定し、市民社会の秩序は自生的に誕生すると説いた。彼らは、人間には利己心だけでなく共感の能力があることを主張し、共感による社会の秩序と繁栄の道を説いた。スミスは、労働が国民の富の源泉であり、分業と資本蓄積が社会の繁栄を促進するとした。市場は、「独占の精神」ではなく「フェア・プレイ」を受け入れる正義感、他人とものの交換をしようとする「交換性向」、及び交換のために人と言葉を交わし理解を得ようとする「説得性向」によって支えられている。これらは、共感の能力に基づいている。それゆえ、市場社会を支える根本は、自愛心とともに共感である、とスミスは考えた。スミスにおける個人は、共感の能力を持ち、心の中の「公平な観察者」によって、行為の適合性を判断する人間である。利己心のみで行動し、利益拡大のために競争する人間ではない。
ベンサムは、社会契約説否定の系統から現れた。最大多数の最大幸福を目指す功利主義を打ち出し、快楽を量的に表現して計算することができるとし、効用の最大化を正義とした。ベンサムの思想は、公的な善より私的な善を優先し、かつ善を正義より優先するものである。
功利主義の正義観は、社会を構成する個人の満足の合計が最大となるように社会制度が編成されている場合に、その社会は正義に適っているというものである。これは、正義から独立に善を規定し、その善の最大化を目標とする理論である。その理論は、神や超越的な理念に根拠を置く宗教的・道徳的な規範を排除し、当時の科学的合理主義に適う社会理論となった。
ここで政治思想について触れると、17世紀から西欧で人権の思想を発達させたのは、国家権力から権利を守るために権力の介入を規制する思想・運動としての自由主義(リベラリズム)である。これと民衆が政治に参加する制度を求める民衆参政主義(デモクラシー)が融合したものが、自由とその実現のために政治参加を求める自由民主主義(リベラル・デモクラシー)である。この思想は、欧米を中心に広がり、浸透していった。
自由民主主義の中には、もともとの自由主義の側面に重点を置く古典的自由主義と、民衆参政主義の側面に重点を置く修正的自由主義がある。修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、社会改良と弱者救済を目的として自由競争を制限する。名前は同じ自由主義だが、古典的自由主義は国権抑制・自由競争型、修正的自由主義は社会改良・弱者救済型で、思想や政策に大きな違いがある。
ベンサムの思想は、効用最大化を目指す画期的な思想だったが、個人の尊重や少数者の権利の保護を欠いていた。この点について、古典的自由主義者からも修正自由主義者からも批判の声が上がった。ベンサムを継承したJ・S・ミルは、最大幸福を目的としつつ、古典的自由主義を修正し、自由と平等の調和を図った。労働者の団結権を擁護し、所有・相続・土地等の制度改革を承認した。また労働者の選挙権の拡大、婦人参政権を主張した。経済思想においては、生産面では自由放任を説きつつ、分配面では政府の関与によって正義を実現するという社会改良策を提案した。政治的自由に加えて、新たに社会的自由を主張した。これは、多数者の横暴からの自由であり、少数者の権利を保護するものである。こうしてミルは、平等に配慮して修正的自由主義を発展させた。
17世紀以降、ロック、カント、ヒューム、スミス、ベンサム、ミルらはそれぞれ思想的な特徴を異にしつつも、自由を中心的な価値とする近代西欧の自由主義の思想を発展させた。自由主義は、政治的・市民的自由とともに経済的自由の実現を追求する。それゆえ、資本主義を肯定する。近代以前の社会と近代以後の社会の違いは、資本主義の発達による。資本主義の発達とともに、共同体の解体と都市社会の形成が進み、個人と個人は相互扶助ではなく、競争原理によって動く関係となった。市場経済が支配的な社会では、個人間で自由に契約のできる枠組みが正義とされる。
しかし、経済的自由の拡大は、階級の分化を助長し、貧富の格差を拡大する。そこにおいて自由を至上のものとする考え方と、平等を求める考え方が対立するようになる。自由が実現されている状態が正義であるという考えを極端に進めると、競争社会における弱者の立場は考慮されない。そこで自由を優先しつつも平等に配慮することが正義だという考えが出てくる。前者はロックやアダム・スミスらによる古典的自由主義の正義観であり、後者はJ・S・ミルらによる修正的自由主義の正義観である。これらに対し、財産の私有制が不平等の原因であり、有産階級の自由を制限または剥奪して平等を実現することが正義であるという考えも出てくる。これが、社会主義の正義観である。社会主義のうち、議会を通じて合法的かつ漸進的に実現を図るのがよいとするのが、イギリス議会政治で発達した社会民主主義であり、暴力革命によって急進的に実現を図ろうとするのが、マルクス=エンゲルスによる共産主義である。
古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義の正義観は、自由と平等に対する評価の度合いと、目指すべき状態を実現する方法の違いによって分かれている。そして、これら4種の政治思想が、自由と平等という二つの理念をめぐってぶつかり合い、権利と権力の獲得・拡大を目指して闘争する状況が、19世紀の西欧に生まれた。
次回に続く。
西欧には社会契約説を否定する思想の系統もある。これも第2部に書いたが、ヒュームやアダム・スミスは、歴史の研究から社会契約を否定し、市民社会の秩序は自生的に誕生すると説いた。彼らは、人間には利己心だけでなく共感の能力があることを主張し、共感による社会の秩序と繁栄の道を説いた。スミスは、労働が国民の富の源泉であり、分業と資本蓄積が社会の繁栄を促進するとした。市場は、「独占の精神」ではなく「フェア・プレイ」を受け入れる正義感、他人とものの交換をしようとする「交換性向」、及び交換のために人と言葉を交わし理解を得ようとする「説得性向」によって支えられている。これらは、共感の能力に基づいている。それゆえ、市場社会を支える根本は、自愛心とともに共感である、とスミスは考えた。スミスにおける個人は、共感の能力を持ち、心の中の「公平な観察者」によって、行為の適合性を判断する人間である。利己心のみで行動し、利益拡大のために競争する人間ではない。
ベンサムは、社会契約説否定の系統から現れた。最大多数の最大幸福を目指す功利主義を打ち出し、快楽を量的に表現して計算することができるとし、効用の最大化を正義とした。ベンサムの思想は、公的な善より私的な善を優先し、かつ善を正義より優先するものである。
功利主義の正義観は、社会を構成する個人の満足の合計が最大となるように社会制度が編成されている場合に、その社会は正義に適っているというものである。これは、正義から独立に善を規定し、その善の最大化を目標とする理論である。その理論は、神や超越的な理念に根拠を置く宗教的・道徳的な規範を排除し、当時の科学的合理主義に適う社会理論となった。
ここで政治思想について触れると、17世紀から西欧で人権の思想を発達させたのは、国家権力から権利を守るために権力の介入を規制する思想・運動としての自由主義(リベラリズム)である。これと民衆が政治に参加する制度を求める民衆参政主義(デモクラシー)が融合したものが、自由とその実現のために政治参加を求める自由民主主義(リベラル・デモクラシー)である。この思想は、欧米を中心に広がり、浸透していった。
自由民主主義の中には、もともとの自由主義の側面に重点を置く古典的自由主義と、民衆参政主義の側面に重点を置く修正的自由主義がある。修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、社会改良と弱者救済を目的として自由競争を制限する。名前は同じ自由主義だが、古典的自由主義は国権抑制・自由競争型、修正的自由主義は社会改良・弱者救済型で、思想や政策に大きな違いがある。
ベンサムの思想は、効用最大化を目指す画期的な思想だったが、個人の尊重や少数者の権利の保護を欠いていた。この点について、古典的自由主義者からも修正自由主義者からも批判の声が上がった。ベンサムを継承したJ・S・ミルは、最大幸福を目的としつつ、古典的自由主義を修正し、自由と平等の調和を図った。労働者の団結権を擁護し、所有・相続・土地等の制度改革を承認した。また労働者の選挙権の拡大、婦人参政権を主張した。経済思想においては、生産面では自由放任を説きつつ、分配面では政府の関与によって正義を実現するという社会改良策を提案した。政治的自由に加えて、新たに社会的自由を主張した。これは、多数者の横暴からの自由であり、少数者の権利を保護するものである。こうしてミルは、平等に配慮して修正的自由主義を発展させた。
17世紀以降、ロック、カント、ヒューム、スミス、ベンサム、ミルらはそれぞれ思想的な特徴を異にしつつも、自由を中心的な価値とする近代西欧の自由主義の思想を発展させた。自由主義は、政治的・市民的自由とともに経済的自由の実現を追求する。それゆえ、資本主義を肯定する。近代以前の社会と近代以後の社会の違いは、資本主義の発達による。資本主義の発達とともに、共同体の解体と都市社会の形成が進み、個人と個人は相互扶助ではなく、競争原理によって動く関係となった。市場経済が支配的な社会では、個人間で自由に契約のできる枠組みが正義とされる。
しかし、経済的自由の拡大は、階級の分化を助長し、貧富の格差を拡大する。そこにおいて自由を至上のものとする考え方と、平等を求める考え方が対立するようになる。自由が実現されている状態が正義であるという考えを極端に進めると、競争社会における弱者の立場は考慮されない。そこで自由を優先しつつも平等に配慮することが正義だという考えが出てくる。前者はロックやアダム・スミスらによる古典的自由主義の正義観であり、後者はJ・S・ミルらによる修正的自由主義の正義観である。これらに対し、財産の私有制が不平等の原因であり、有産階級の自由を制限または剥奪して平等を実現することが正義であるという考えも出てくる。これが、社会主義の正義観である。社会主義のうち、議会を通じて合法的かつ漸進的に実現を図るのがよいとするのが、イギリス議会政治で発達した社会民主主義であり、暴力革命によって急進的に実現を図ろうとするのが、マルクス=エンゲルスによる共産主義である。
古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義の正義観は、自由と平等に対する評価の度合いと、目指すべき状態を実現する方法の違いによって分かれている。そして、これら4種の政治思想が、自由と平等という二つの理念をめぐってぶつかり合い、権利と権力の獲得・拡大を目指して闘争する状況が、19世紀の西欧に生まれた。
次回に続く。