ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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イスラーム48~人権に関する動向

2016-04-28 08:17:48 | イスラーム
●イスラーム文明の人権に関する動向

 トッドは、識字率の向上と出生率の低下によって、イスラーム文明は近代化が進み、脱イスラーム化する、と予測している。この近代化及び脱イスラーム化の進行は、イスラーム文明における人権に関する考え方にも変化をもたらすだろう。
 人権については、拙稿「人権――その起源と目標」に詳しく述べている。人権は普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」である。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion03i.htm
 人権は第2次世界大戦後の世界で中心概念の一つになっている。近代西欧に発した人権の概念は、第2次大戦後、世界に広まり、イスラーム文明においても、これにどう対処するかが課題となった。
 1948年(昭和23年)国際連合で世界人権宣言が採択された際、サウディアラビアは、イスラーム教の教義から宣言の定める自由と権利の一部は受け入れられないとして、採択を棄権した。世界人権宣言音の後、1966年(昭和41年)に宣言の理念を条約に具体化する国際人権規約が国連で採択され、76年に発効した。また、これに続いて種々の国際人権条約が多数の国々の参加で締結されてきた。それら国際人権諸条約に定められた個人の自由及び権利は、国家の体制のいかんを問わず、実現すべき価値であるという認識が、世界的に深まりつつある。
 この間、イスラーム教諸国会議機構に加盟する中東、北アフリカの国々は、人権に関する協議を重ねた。そして、これらの諸国は、1993年(平成5年)のウィーン会議を前後して、1990年(平成2年)に「イスラーム教における人権に関するカイロ宣言」を採択し、94年(平成6年)には「人権に関するアラブ憲章」を採択した。
 カイロ宣言及びアラブ憲章は、人権概念とイスラーム教の教義及び国家原理との調和を図るためのものである。イスラーム教諸国の側から欧米に向けて発せられた「どのような人権なら受け入れることができるか」を示すメッセージだったとも理解できる。カイロ宣言では「イスラーム教における基本的権利及び普遍的自由は、イスラーム教の信仰の一部である」ことが確認された。アラブ憲章では、人権が「イスラーム教のシャリーア(イスラーム法)及びその他の神の啓示に基づく諸宗教によって堅固に確立された諸原則」であることが確認された。このことは、イスラーム教諸国は人権が西洋文明の所産であるという見方を否定したことを意味する。移動や居住の自由、表現の自由といった個別的な人権については、シャリーアの優越が強調された。またカイロ宣言は、イスラーム教諸国の地域性を反映して「高利貸しは絶対的に禁止される」とし、アラブ憲章は「アラブ・ナショナリズムが誇りの源泉である」「世界平和に対する脅威をもたらす人種主義とシオニズムを拒否する」等の他地域の人権条約にはみられない規定が盛り込まれた。
 このように、イスラーム教諸国の人権解釈は、イスラーム教の教義に人権の概念に当たるものを見出して、教義と人権概念の矛盾を解消し、それでもなお矛盾の生じかねない部分、たとえば移動・居住・表現等の自由については、シャリーアの規定を優先させている。ここには西欧発の人権思想を一定程度摂取しながら、それをイスラーム教に固有の概念で置き換えて土着化させるという文明間における主体的な対応がみられる。
 今日の世界で、国際人権規約の自由権規約及び社会権規約は、160以上の国が締約国となっている。個別的人権条約についても、締約国が最も多い子どもの権利条約は190以上の国が締約国となっている。また女性差別撤廃条約も締約国は180以上となっている。イスラーム教国も多くがこれらの条約を締結している。だが、サウディアラビアやイランなどでは、キリスト教に根拠を置く人権思想を異教の思想として受け入れられないとする考えが根強い。その一方、イスラーム教諸国も、血の神聖さなどの教義を中心としたシャリーア(イスラーム法)における人権という考え方を持って欧米の人権思想との整合性を図っている。これに対し、イスラーム法の人権は制限が厳しく、欧米から人権侵害であると非難されている。特に女性の権利への制限は、西洋文明と大きな価値観の相違を示している。そこには、宗教だけでなく、家族型による価値観の違いが表れている。むしろ、家族型的な価値観が宗教的価値観の基底にあることを理解すべきである。
 中東・北アフリカに広がるアラブ社会の家族型は、内婚制共同体家族である。また父系的でもあるので、内婚制父系共同体家族と呼ばれる。この家族形態は、アラブ圏全域に加えて、イラン、アフガニスタン、パキスタン、トルコ、トルキスタンに分布する。東アジアのインドネシア、マレーシア等を除くイスラーム圏の大半の地域である。
 共同体家族は、子供が遺産相続において平等に扱われ、成人・結婚後も子供たちが親の家に住み続ける型である。アラブ社会の遺産相続制度は、男子の兄弟のみを平等とし、女子を排除する。それゆえ、女性の地位は低い。女子は家内に閉じこめられ、永遠の未成年者として扱われる。欧米の価値観に立てば、女性の権利が制限されるアラブの文化、ひいてはイスラーム教の文化は、人権侵害となる。逆にイスラーム教徒から見れば、女性が顔や肌を露出し、性的に自由な行動をする欧米の文化は不道徳となる。アラブの族内婚は、伯叔父・伯叔母の家に嫁ぐために、親しく大事にされ、族外婚の女子が体験するような苦労がない。アラブ社会は、西洋的な価値観に立てば、女性が抑圧されているとみられるが、親族内で女子が守られるという一面もある。それゆえ、文明間においては、こうした家族型による価値観の違いを理解し、そのうえで相違の次元の根底にある共通の次元を見出し、それぞれが人民の自由と権利を拡大していくのでなければならない。
 イスラーム教諸国は女性差別撤廃条約その他の条約を締結はしているが、『クルアーン(コーラン)』やシャリーアを根拠とする多数の留保や宣言を付している。その中には欧米諸国や条約実施機関から条約目的と両立しないという異議や懸念を表明されたものが少なくない。イスラーム教徒は、世界人口の4分の1近くを占める。世界の中でごく一部の国々が異論を唱えているのではない。欧米で発達した人権思想は、イスラーム文明ではそのままでは受け入れられない。それは文明、宗教、価値観の違いに根差すものである。
 イスラーム文明は、イスラーム教を宗教的な中核とする文明であり、人間やその権利についてイスラーム教の教義に基づいて、またその枠内で規定する。それゆえ、西洋文明に発する人権についても、これまでのように、イスラーム文明という単位で対応が行われていくだろう。この過程において、トッドが指摘する識字率の向上と出生率の低下による意識と価値観の変化が、イスラーム文明における人権の概念に大きな影響を与えていくに違いない。そして、この意識と価値観の変化が、イスラーム教という教義の変更を許さない宗教の非常に硬直した規範体系をも変化させる段階になった時、トッドのいう脱イスラーム化が、イスラーム文明の全体において進行していくだろう。

 次回に続く。