●古代地中海帝国からヨーロッパへと続く正義論の歴史
古代ギリシャではポリスに依拠する思想に反対する思想もあった。その主な担い手は、ポリスでは参政権を与えられない異邦人だった。彼らは、各ポリスの思想・宗教・文化の相対性を認識し、個々のポリスの価値観を越えた普遍的な価値を追求した。自らを世界(コスモス)をポリスとする者として、世界市民(コスモポリテース)と称した。彼らコスモポリタンは、ポリスの枠組みを越えた正義を希求した。古代ギリシャのコスモポリタンは、現代のコスモポリタンの遠い前例である。
古代ギリシャは、ポリスを単位とする社会から、巨大な帝国へと成長した。各ポリスは帝国の統治機構に組み込まれた。アリストテレスの弟子アレクサンドロス(アレクサンダー大王)は前4世紀に、アジアへ東征し、広域的な国家を築いた。ヘレニズム時代のギリシャは、政治社会の拡大と異文化間の交流によって思想的に大きな変化を遂げた。
イタリア半島に現れ、ギリシャを上回って発展したローマ帝国は、ギリシャのポリスよりはるかに大きな規模の奴隷制社会だった。ギリシャ思想はローマ帝国の法制度や政治に強い影響を与えた。コスモポリタンが説いた思想もまた影響力を持った。そのうち最も有力なのは、ストア派である。
ストア派は、ギリシャの異邦人であるキプロスのゼノンを始祖とし、ローマではキケロを代表的存在とした。ストア派によれば、ポリスや民族によって異なる正義や習慣は、ポリスや帝国の法を越えた普遍的な法に由来するものであり、もとは一つである。彼らは、自然そのものが規範を形成するとし、自然に従うことが正義であると考え、宇宙と人間をともに貫く自然法に従って生きる哲学を説いた。
やがてローマ帝国では、ユダヤ民族から出現したキリスト教が、392年に国教になった。西ローマ帝国が476年に滅亡した後、キリスト教はゲルマン民族に浸透し、ヨーロッパ文明の精神的中核となった。その際、教父アウグスティヌスが大きな影響を与えた。アウグスティヌスの思想の根本にあるのは、唯一神による無からの天地創造説、神の似姿としての人間の創造説、「イエス=救世主」説、神と子と聖霊の三位一体説である。こうした教義は、従来のギリシャ=ローマ思想とは、まったく異なる思想だった。アウグスティヌスにとって、最高善は、異教徒であるアリストテレスの説く政治的に実現する公共善ではなく、キリスト教の信仰による魂の救済だった。彼は、著書『神の国』で、歴史は善の意志を持つ天使と人間による「神の国」と、悪の意志を持つ天使と人間による「地上の国」との対立・抗争の過程であり、最後の審判へと向かっているととらえた。そして、「神の国」における神の正義を説くとともに、人々が遍歴の途上にある「地上の国」においては、平和と秩序をもたらすために国家の法には一定の正義があり、それに従わねばならないと説いた。
中世ヨーロッパ最大の思想家トマス・アクィナスは、13世紀に『神学大全』を著してキリスト教神学とアリストテレス哲学の総合を図った。イスラム文明を経由して摂取されたアリストテレス哲学は、キリスト教の教義の整備に利用された。トマスにおいて、自然法則は、人間の事物・生物・理性という三相に基づく本性の傾向、すなわち自己保存、種の保存、神の認識と共生の傾向から導かれ、モーゼの十戒に集約される。トマスは、法的な正義は「共通善」(bonum commune)を基準とするとした。法は正義の要素を有する限りにおいて、法としての力を有する。法は共通善へと秩序づけられる行為を命じるのであり、この命令に従って市民は正義や平和などの共通善を維持してゆくように教導し、形成されると説いた。共通善は、プラトン、アリストテレスの公共善を継承したもので、神、教会、共同体への義務が強調された。またトマスは、アリストテレスの一般的正義をより明確に、共通善を対象とするものとし、特殊的正義は他者の人格の善を対象とするものとした。
西洋思想では古代ギリシャ・ローマ、中世ヨーロッパを通じて、公共善の実現が正義とされてきた。その背景には、近代以前の世界で広く見られた世界観があった。その世界観とは、世界は神または超越者が秩序を与えているもの、または創造したものであり、万物は究極的な目的のもとに生成・展開しているという目的論的な世界観である。宇宙はコスモス、すなわち調和的秩序の体系であるとされ、人間はその中に包摂され、そこに規範を見出していた。そして、社会において階層的な秩序を実現することが、公共善としての正義だった。
この世界観は、ストア派による自然法の思想をキリスト教の教学に取り込んだものでもあった。キリスト教では、神は言葉によって天地を創造したとし、自然は神の被造物であり、神の支配下にあると考える。また人間は神の似姿として造られ、知恵を与えられているとする。中世西欧では、こうした教義のもとに、自然法は神の意思による宇宙と社会の秩序とされた。自然法は、神が定めた宇宙の法則であるとともに、神が人間に与えた道徳の原理を意味するものだった。
アウグスティヌスは、「神の国には完全無欠な神の永遠法が支配するが、地の国には罪ある人間の不完全な人定法しかありえない。しかし愛の神は、人間に理性の能力を授け永遠法の一部を認識して人定法の模範とさせるようにした。これが自然法である」と説いた。トマス・アクィナスは、聖書が啓示し教皇が命ずる法を神法とし、自然法の上に置いた。人間は神の叡智を理性として分有しており、自然法を理解できるが、人間には神の栄光に浴すには決定的な限界があり、これを超えられるのは信仰によってのみであるとした。
中世西欧では、カトリック教会の権威によって、人定法、自然法の上にある神の永遠法や神法の解釈は教会に委ねられていた。しかし、社会の変化に伴う宗教改革・宗教戦争等によって、教会の権威は大きく揺らいだ。そのうえに、コペルニクスの地動説やニュートンの力学の登場によって、それまでの世界観が否定され、機械論的な世界観が支配的になっていった。その過程で、正義の概念もまた大きく変化することになった。
次回に続く。
古代ギリシャではポリスに依拠する思想に反対する思想もあった。その主な担い手は、ポリスでは参政権を与えられない異邦人だった。彼らは、各ポリスの思想・宗教・文化の相対性を認識し、個々のポリスの価値観を越えた普遍的な価値を追求した。自らを世界(コスモス)をポリスとする者として、世界市民(コスモポリテース)と称した。彼らコスモポリタンは、ポリスの枠組みを越えた正義を希求した。古代ギリシャのコスモポリタンは、現代のコスモポリタンの遠い前例である。
古代ギリシャは、ポリスを単位とする社会から、巨大な帝国へと成長した。各ポリスは帝国の統治機構に組み込まれた。アリストテレスの弟子アレクサンドロス(アレクサンダー大王)は前4世紀に、アジアへ東征し、広域的な国家を築いた。ヘレニズム時代のギリシャは、政治社会の拡大と異文化間の交流によって思想的に大きな変化を遂げた。
イタリア半島に現れ、ギリシャを上回って発展したローマ帝国は、ギリシャのポリスよりはるかに大きな規模の奴隷制社会だった。ギリシャ思想はローマ帝国の法制度や政治に強い影響を与えた。コスモポリタンが説いた思想もまた影響力を持った。そのうち最も有力なのは、ストア派である。
ストア派は、ギリシャの異邦人であるキプロスのゼノンを始祖とし、ローマではキケロを代表的存在とした。ストア派によれば、ポリスや民族によって異なる正義や習慣は、ポリスや帝国の法を越えた普遍的な法に由来するものであり、もとは一つである。彼らは、自然そのものが規範を形成するとし、自然に従うことが正義であると考え、宇宙と人間をともに貫く自然法に従って生きる哲学を説いた。
やがてローマ帝国では、ユダヤ民族から出現したキリスト教が、392年に国教になった。西ローマ帝国が476年に滅亡した後、キリスト教はゲルマン民族に浸透し、ヨーロッパ文明の精神的中核となった。その際、教父アウグスティヌスが大きな影響を与えた。アウグスティヌスの思想の根本にあるのは、唯一神による無からの天地創造説、神の似姿としての人間の創造説、「イエス=救世主」説、神と子と聖霊の三位一体説である。こうした教義は、従来のギリシャ=ローマ思想とは、まったく異なる思想だった。アウグスティヌスにとって、最高善は、異教徒であるアリストテレスの説く政治的に実現する公共善ではなく、キリスト教の信仰による魂の救済だった。彼は、著書『神の国』で、歴史は善の意志を持つ天使と人間による「神の国」と、悪の意志を持つ天使と人間による「地上の国」との対立・抗争の過程であり、最後の審判へと向かっているととらえた。そして、「神の国」における神の正義を説くとともに、人々が遍歴の途上にある「地上の国」においては、平和と秩序をもたらすために国家の法には一定の正義があり、それに従わねばならないと説いた。
中世ヨーロッパ最大の思想家トマス・アクィナスは、13世紀に『神学大全』を著してキリスト教神学とアリストテレス哲学の総合を図った。イスラム文明を経由して摂取されたアリストテレス哲学は、キリスト教の教義の整備に利用された。トマスにおいて、自然法則は、人間の事物・生物・理性という三相に基づく本性の傾向、すなわち自己保存、種の保存、神の認識と共生の傾向から導かれ、モーゼの十戒に集約される。トマスは、法的な正義は「共通善」(bonum commune)を基準とするとした。法は正義の要素を有する限りにおいて、法としての力を有する。法は共通善へと秩序づけられる行為を命じるのであり、この命令に従って市民は正義や平和などの共通善を維持してゆくように教導し、形成されると説いた。共通善は、プラトン、アリストテレスの公共善を継承したもので、神、教会、共同体への義務が強調された。またトマスは、アリストテレスの一般的正義をより明確に、共通善を対象とするものとし、特殊的正義は他者の人格の善を対象とするものとした。
西洋思想では古代ギリシャ・ローマ、中世ヨーロッパを通じて、公共善の実現が正義とされてきた。その背景には、近代以前の世界で広く見られた世界観があった。その世界観とは、世界は神または超越者が秩序を与えているもの、または創造したものであり、万物は究極的な目的のもとに生成・展開しているという目的論的な世界観である。宇宙はコスモス、すなわち調和的秩序の体系であるとされ、人間はその中に包摂され、そこに規範を見出していた。そして、社会において階層的な秩序を実現することが、公共善としての正義だった。
この世界観は、ストア派による自然法の思想をキリスト教の教学に取り込んだものでもあった。キリスト教では、神は言葉によって天地を創造したとし、自然は神の被造物であり、神の支配下にあると考える。また人間は神の似姿として造られ、知恵を与えられているとする。中世西欧では、こうした教義のもとに、自然法は神の意思による宇宙と社会の秩序とされた。自然法は、神が定めた宇宙の法則であるとともに、神が人間に与えた道徳の原理を意味するものだった。
アウグスティヌスは、「神の国には完全無欠な神の永遠法が支配するが、地の国には罪ある人間の不完全な人定法しかありえない。しかし愛の神は、人間に理性の能力を授け永遠法の一部を認識して人定法の模範とさせるようにした。これが自然法である」と説いた。トマス・アクィナスは、聖書が啓示し教皇が命ずる法を神法とし、自然法の上に置いた。人間は神の叡智を理性として分有しており、自然法を理解できるが、人間には神の栄光に浴すには決定的な限界があり、これを超えられるのは信仰によってのみであるとした。
中世西欧では、カトリック教会の権威によって、人定法、自然法の上にある神の永遠法や神法の解釈は教会に委ねられていた。しかし、社会の変化に伴う宗教改革・宗教戦争等によって、教会の権威は大きく揺らいだ。そのうえに、コペルニクスの地動説やニュートンの力学の登場によって、それまでの世界観が否定され、機械論的な世界観が支配的になっていった。その過程で、正義の概念もまた大きく変化することになった。
次回に続く。
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