●欠陥憲法の改正が必要
人権の観念のもとに、個人主義を徹底し、日本の家族と国民を解体する動きが進められている。それゆえ、解体を防ぐには、現行憲法の改正が必要である。
わが国において、現行憲法は人権に関して多くの欠陥を持つ。その改善は、日本人が自らの意思と思想をもって行うべきことであり、また為さねばならないことである。現行憲法は、国民に基本的人権を保障しているので、多くの人は漠然とこの憲法は人間の尊厳や個人の人格を認め、家族を尊重するものと思っているようである。実際はそうではない。現行憲法には、人間の尊厳も個人の人格も家族の尊重も規定されていない。これらの規定を欠いては本来、人権を憲法に規定することはできない。私は、この点でも現行憲法は欠陥憲法と考えている。日本人の手で新たな憲法をつくる時には、普遍的権利と特殊的権利、人権の狭義と広義を区別し、「人間の権利」と「国民の権利」の関係を明確にしたうえで、条文に人間の尊厳、個人の人格、家族の尊重を盛り込みたいと思う。これを実行するには、単に生命的価値を至高のものとするのではなく、文化的価値、特に精神的価値を上位に置く思想をしっかり打ち立てる必要がある。
平成18年に発表した新憲法のほそかわ私案は、人権という概念を使っていない。全文は下記に掲示している。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08h.htm
私案において権利と義務については、第2章「国民の権利と義務」に定めているが、ここに定めるのは題名の通り、日本国民の権利義務である。人間一般の権利義務ではない。必ずしも人権という普遍的と特殊的、狭義と広義等が整理されていない概念を用いなくとも、国民の権利義務の規定はできる。そのように考えてのことである。人権についてしっかり整理をし、「人間の権利」と「国民の権利」を明確に定義した上で、新憲法の条文に人権を用いたいと思う。平成18年版の新憲法ほそかわ私案は、まだその取り組みが進んでいない段階のものだが、基本的な考え方はそこに表してある。
ほそかわ私案ではまず国民の権利について、次のように定めている。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(重要な基本的権利の享有)
第ニ十一条 すべての国民は、人格を有する者として尊重される。
2 この憲法は、国民に対し、国民が自らまた相互に人格を形成し、成長させ、発展させることができるように、自由及び権利を保障する。
3 この憲法が国民に保障する重要な基本的権利は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次に国民の義務について、次のように定める。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(国民の義務)
第ニ十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自他の人格を認め合い、互いの自由と権利を尊重しなければならない。
2 国民は自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しなければならない。自由の享受、権利の行使には、公共の利益の実現のために努力する責任を負う。
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これら第21条・第22条は、人格と自由及び権利について定めるものである。次に個人と家族について次のように定める。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(個人の尊重等)
第ニ十三条 すべて国民は、家族・社会・国家の一員である個人として尊重される。
2 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の利益に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
3 前2項の権利は、公共の利益の実現のために、法律をもって制限される場合がある。ただし、第十九条に定める非常事態においては、この限りではない。
(家庭の運営と保護)
第三十九条 家庭は、社会を構成する自然かつ最も基本的な単位である。何人も、各自、その属する家庭の運営に責任を負う。
2 親は、子に対する扶養および教育の義務を負う。子は親に対する孝養に努めるものとする。
3 政府は、家庭を尊重し、家族・母性・子供を保護するものとする。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
上記のように新憲法に定めたいと思う。次に、いわゆる人格権について述べると、現行憲法は、人格という概念がなく、また人格という用語も使われていない。自由と権利を保有する主体としての人格的存在である個人の基礎付けができていないまま、自由と権利を保障するという内容になっている。名誉及びプライバシーの保護についての規定もない。その規定を設けるには、新憲法には、人格という概念を用いなければならない。私は、人格を用いて、次のような条文を盛り込みたいと思う。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(人格権)
第三十四条 国民は、その人格、名誉及び信用を尊重される権利を有する。
2 何人も、自己の私事について、みだりに干渉されない権利を有する。
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この条文について補足すると、人はそれぞれ人格を持ち、人格を成長・発展させる自由と権利を有する。ここで家庭は、相互の人格の形成・発展の場として尊重されねばならない。子供の両親または保護者は、子供の心身の健やかな成長と、人格の健全な発展を促す義務を負う。地域社会もまた相互の人格の交流・発展の場として、その活動の振興を図らねばならない。政府は、国民の子供の人格形成のため、教育を施す義務を負う。また、国民の人格の発展を促す環境を整備する責務を負う。こうしたことを、新憲法の条項に定めることとして、人格権については最低、上記のような規定が必要と思う。
人格権は個人の人格的利益を保護するための権利である。現行憲法第13条に定める幸福追求の権利から導かれる基本的人権の一つと理解される。幸福追求権は、個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体を言うとされる。憲法第13条は、第14条に列挙されていない新しい人権の根拠となる包括的な権利であり、これによって根拠づけられる個々の権利は、裁判上の救済を受けることのできる具体的権利であるとされる。
幸福追求権には、人格的利益説と一般行為の自由説とがあるとされる。人格的利益説は、「個人の人格的生存に不可欠な利益」のみが幸福追求権として保護されるとする。一般行為の自由説では、「あらゆる生活領域に関する行為」が保護されるべきとする。前者は保護範囲が狭く、後者は広い。一般的行為の自由にまで範囲を拡大すると、人の行為のほとんどが憲法で保障される権利となり、人権の範囲が拡大しすぎてしまう。これを「人権のインフレ化」と呼ぶ。何でも人権だとすると、権利をめぐる争いが多くなる。そこで主張されたのが人格的利益説である。人格的利益説は通説となっており、裁判の判例で取られている説である。
だが、私は、これらの説は、人格についての根本的な考察を欠いていると思う。そこには、人格の成長と発展、文化的価値、特に精神的価値を踏まえた人間観がない。そのため、利益を中心とした権利論となっている。これを新しい人間観によって基礎づけなければならないと私は考える。それをしないと、人格という用語を使いながら、憲法が個人の利己的欲望の追求を助長することになってしまうと考える。
人権の観念を利用した個人主義の徹底は、日本の家族と国民を解体する動きである。家族の崩壊が加速され、それがさらに社会・国家の混迷を深めることになるだろう。個人主義的かつ普遍主義的な人権思想は、家族・国民の共同性を破壊し、「発達する人間的な権利」としての人権を侵害する。左翼人権主義の策謀を打ち破るには、人間とは何か、人権とは何かを問い直し、個人主義的かつ普遍主義的な人権論を打破し、家族的・生命的なつながりを重視した人権論を打ち立てる必要がある。
次回に続く。
人権の観念のもとに、個人主義を徹底し、日本の家族と国民を解体する動きが進められている。それゆえ、解体を防ぐには、現行憲法の改正が必要である。
わが国において、現行憲法は人権に関して多くの欠陥を持つ。その改善は、日本人が自らの意思と思想をもって行うべきことであり、また為さねばならないことである。現行憲法は、国民に基本的人権を保障しているので、多くの人は漠然とこの憲法は人間の尊厳や個人の人格を認め、家族を尊重するものと思っているようである。実際はそうではない。現行憲法には、人間の尊厳も個人の人格も家族の尊重も規定されていない。これらの規定を欠いては本来、人権を憲法に規定することはできない。私は、この点でも現行憲法は欠陥憲法と考えている。日本人の手で新たな憲法をつくる時には、普遍的権利と特殊的権利、人権の狭義と広義を区別し、「人間の権利」と「国民の権利」の関係を明確にしたうえで、条文に人間の尊厳、個人の人格、家族の尊重を盛り込みたいと思う。これを実行するには、単に生命的価値を至高のものとするのではなく、文化的価値、特に精神的価値を上位に置く思想をしっかり打ち立てる必要がある。
平成18年に発表した新憲法のほそかわ私案は、人権という概念を使っていない。全文は下記に掲示している。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08h.htm
私案において権利と義務については、第2章「国民の権利と義務」に定めているが、ここに定めるのは題名の通り、日本国民の権利義務である。人間一般の権利義務ではない。必ずしも人権という普遍的と特殊的、狭義と広義等が整理されていない概念を用いなくとも、国民の権利義務の規定はできる。そのように考えてのことである。人権についてしっかり整理をし、「人間の権利」と「国民の権利」を明確に定義した上で、新憲法の条文に人権を用いたいと思う。平成18年版の新憲法ほそかわ私案は、まだその取り組みが進んでいない段階のものだが、基本的な考え方はそこに表してある。
ほそかわ私案ではまず国民の権利について、次のように定めている。
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(重要な基本的権利の享有)
第ニ十一条 すべての国民は、人格を有する者として尊重される。
2 この憲法は、国民に対し、国民が自らまた相互に人格を形成し、成長させ、発展させることができるように、自由及び権利を保障する。
3 この憲法が国民に保障する重要な基本的権利は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
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次に国民の義務について、次のように定める。
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(国民の義務)
第ニ十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自他の人格を認め合い、互いの自由と権利を尊重しなければならない。
2 国民は自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しなければならない。自由の享受、権利の行使には、公共の利益の実現のために努力する責任を負う。
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これら第21条・第22条は、人格と自由及び権利について定めるものである。次に個人と家族について次のように定める。
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(個人の尊重等)
第ニ十三条 すべて国民は、家族・社会・国家の一員である個人として尊重される。
2 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の利益に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
3 前2項の権利は、公共の利益の実現のために、法律をもって制限される場合がある。ただし、第十九条に定める非常事態においては、この限りではない。
(家庭の運営と保護)
第三十九条 家庭は、社会を構成する自然かつ最も基本的な単位である。何人も、各自、その属する家庭の運営に責任を負う。
2 親は、子に対する扶養および教育の義務を負う。子は親に対する孝養に努めるものとする。
3 政府は、家庭を尊重し、家族・母性・子供を保護するものとする。
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上記のように新憲法に定めたいと思う。次に、いわゆる人格権について述べると、現行憲法は、人格という概念がなく、また人格という用語も使われていない。自由と権利を保有する主体としての人格的存在である個人の基礎付けができていないまま、自由と権利を保障するという内容になっている。名誉及びプライバシーの保護についての規定もない。その規定を設けるには、新憲法には、人格という概念を用いなければならない。私は、人格を用いて、次のような条文を盛り込みたいと思う。
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(人格権)
第三十四条 国民は、その人格、名誉及び信用を尊重される権利を有する。
2 何人も、自己の私事について、みだりに干渉されない権利を有する。
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この条文について補足すると、人はそれぞれ人格を持ち、人格を成長・発展させる自由と権利を有する。ここで家庭は、相互の人格の形成・発展の場として尊重されねばならない。子供の両親または保護者は、子供の心身の健やかな成長と、人格の健全な発展を促す義務を負う。地域社会もまた相互の人格の交流・発展の場として、その活動の振興を図らねばならない。政府は、国民の子供の人格形成のため、教育を施す義務を負う。また、国民の人格の発展を促す環境を整備する責務を負う。こうしたことを、新憲法の条項に定めることとして、人格権については最低、上記のような規定が必要と思う。
人格権は個人の人格的利益を保護するための権利である。現行憲法第13条に定める幸福追求の権利から導かれる基本的人権の一つと理解される。幸福追求権は、個人の人格的生存に不可欠な利益を内容とする権利の総体を言うとされる。憲法第13条は、第14条に列挙されていない新しい人権の根拠となる包括的な権利であり、これによって根拠づけられる個々の権利は、裁判上の救済を受けることのできる具体的権利であるとされる。
幸福追求権には、人格的利益説と一般行為の自由説とがあるとされる。人格的利益説は、「個人の人格的生存に不可欠な利益」のみが幸福追求権として保護されるとする。一般行為の自由説では、「あらゆる生活領域に関する行為」が保護されるべきとする。前者は保護範囲が狭く、後者は広い。一般的行為の自由にまで範囲を拡大すると、人の行為のほとんどが憲法で保障される権利となり、人権の範囲が拡大しすぎてしまう。これを「人権のインフレ化」と呼ぶ。何でも人権だとすると、権利をめぐる争いが多くなる。そこで主張されたのが人格的利益説である。人格的利益説は通説となっており、裁判の判例で取られている説である。
だが、私は、これらの説は、人格についての根本的な考察を欠いていると思う。そこには、人格の成長と発展、文化的価値、特に精神的価値を踏まえた人間観がない。そのため、利益を中心とした権利論となっている。これを新しい人間観によって基礎づけなければならないと私は考える。それをしないと、人格という用語を使いながら、憲法が個人の利己的欲望の追求を助長することになってしまうと考える。
人権の観念を利用した個人主義の徹底は、日本の家族と国民を解体する動きである。家族の崩壊が加速され、それがさらに社会・国家の混迷を深めることになるだろう。個人主義的かつ普遍主義的な人権思想は、家族・国民の共同性を破壊し、「発達する人間的な権利」としての人権を侵害する。左翼人権主義の策謀を打ち破るには、人間とは何か、人権とは何かを問い直し、個人主義的かつ普遍主義的な人権論を打破し、家族的・生命的なつながりを重視した人権論を打ち立てる必要がある。
次回に続く。