ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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イスラーム46~無差別自爆テロを防ぐための宗教的課題

2016-04-24 08:39:23 | イスラーム
●無差別自爆テロを防ぐための宗教的課題

 一般市民への無差別テロは非人道的行為であり、また自爆テロも多くの宗教や倫理思想では許容される行為ではない。だが、イスラーム教においては、これらが宗教的に正当化される。
 イスラーム教にも、ユダヤ教・キリスト教と同じく最後の審判の思想がある。アッラーのために戦い、ジハード(聖戦)で死んだ者は、最後の審判の時、イスラーム教徒はすべて肉体を持って生き返り、神の審判を受ける。しかし、聖戦で倒れた者は、すぐに生きたまま天国に入ることができる、と考えられている。これなら、戦闘に当たり、現世の死など恐れるに足らないだろう。こうした他の多くの宗教や倫理思想にはみられない来世観、死生観、そして戦争観が、イスラーム教を特徴づける。そして、それが絶対唯一神の教えとして若者の心をとらえる時、ごく普通の若者が、来世の至福を信じて、自爆による異教徒の無差別殺人を決行することになると考えられる。
 イスラーム教過激派は、自分たちの行動をジハードだと主張し、異教徒の無差別殺戮を行う。その際の特徴的な戦闘行動が自爆テロである。自爆テロは、2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件の直前までは行われていなかった。この9・11は、米国政府によって、アルカーイダの犯行とされている。自爆テロが一般化したのは、レバノンのシーア派過激組織ヒズブッラによる。ヒズブッラは、圧倒的なイスラエルの軍事力と戦うために、自分の体に爆弾を巻きつけて戦う戦法を考え出した。だが、イスラーム教は自殺を禁じているから、これは自殺ではなくジハードだとして正当化した。これによって、ジハードと自爆テロ結び付いた。
 スンナ派過激組織アルカーイダから「イラクのアルカーイダ」が派生し、「イラクとレパントのイスラーム国」(ISIL)を自称するようになった。ISILは、アルカーイダ以上に過激な組織であり、2014年(平成26年)に最高指導者のアブバクル・バクダーティがカリフ制国家を宣言し、イラクやシリアで急速に支配領域を広げた。カリフは、ムハンマドの死後、「神の使徒の代理」とされてきた役職である。オスマン帝国の崩壊に伴い、カリフ制は廃止されていた。だが、ISILはカリフ制国家を復興することで、西洋近代文明に発する国際秩序を拒否し、またイスラーム教の既存の体制に挑戦している。
 宗教に基盤を持つ対立・抗争は、宗教が主な原因だから、その解決には、宗教者が取り組まなければならない。特に、各宗教宗派の内部における問題は、その宗教宗派が解決に努力しなければならない。だが、イスラーム教の宗教的指導者は、スンナ派・シーア派の対立の融和にも、スンナ派内部の正統派と過激派の争いの解決にも、ほとんど無力のように見える。これには、イスラーム教の教義の特徴が関係している。イスラーム教は、ムハンマドを最後の預言者としており、『クルアーン』は神の言葉そのものとされるので、教義の変更が許されない。イスラーム教においては、法は啓典の中に発見すべきものとされ、新しい立法という考えは出にくくなった。シャリーア(イスラーム法)は、教義の枠内での細目の整備を積み重ねてきたものである。黒田壽郎氏は、著書『イスラームの心』に次のように書いている。「8世紀から9世紀にかけて登場した主要法学派の内容が、千年を経過したのちのにもさしたる発展を示していない点に彼らの退嬰性は歴然と浮き彫りにされている」「訓詁の学を煩瑣にするばかりで、創造的活気を失っている」と。特にスンナ派では、ウラマー(法学者)と呼ばれる宗教指導者たちは政治権力に従属的で、政治を正す力を発揮できない傾向がある。ウラマーの多くは、現状の体制と権勢の維持のために改革を望まぬ支配者に迎合する傾向があると指摘される。
 池内恵氏は、2015年(平成27年)11月のパリ同時多発テロ事件後、次のように書いた。「スンナ派では構造的に宗教者の政治・経済的基盤が弱いことで政治支配者への従属は必然的となり、また、宗教解釈権において『イマーム』のような超越的存在がないことにより、教義の根底での変更を行う権限を持つ人間が現れない(過去の人物に託して変えることもできない)。そもそもそのような『法的安定性』こそがスンナ派の強みである。『イスラーム国』はスンナ派の構造的な柔構造から現れてくる。『イスラーム国』の根底を覆そうとするとスンナ派の宗教思想・権威・権力の構造そのものが揺らぎかねないという危機感を多くが抱くだろう」と。
 スンナ派における主流派・穏健派の法学者と過激思想の指導者が論争した場合、前者が教義の解釈において後者を論破できないという指摘がある。そうだとすれば、イスラーム文明において、ISILが自称する「イスラーム国」が各地で拡大していくことを防ぐことは困難だろう。
 私は、イスラーム教におけるジハード(聖戦)という教えの特殊性、及びその極端な解釈に問題があると考える。ジハードの項目に書いたが、『クルアーン』は、しばしば聖戦について言及している。アッラーは、信徒の勇気を鼓舞し、激しい表現で決然と「戦え」「殺せ」と命じる。また、アッラーは、聖戦で死ぬ者を救うことを約束する。聖戦で殉教した者は、最後の審判を待たずに天国に直行すると信じられている。
 こうした教えを極端に解釈すると、自爆テロによる無差別大量殺人の決行ということになるだろう。だが、『クルアーン』は、次のように戒めてもいる。「あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは、侵略者を愛さない」。「だがかれらが(戦いを)止めたならば、本当にアッラーは、寛容にして慈悲深くあられる」。「迫害がなくなって、この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。だがもしかれらが(戦いを)止めたならば、悪を行う者以外に対し、敵意を持つべきではない」(第2章第190節~193節)。
 またシャリーアの第一法源であり、ムハンマドの言行・事跡を記録した『ハディース』には、ムハンマドが「敵国のいかなる老人、子供及び婦人を殺してはならぬ」「僧院に在る僧侶、礼拝の場に座る人々を殺してはならぬ」と信者に命じたと記録されている。過去の歴史においては、イスラーム教は、迫害を止めた者や戦争で降伏した者には寛大であり、支配地域の諸民族に改宗を強制することもなかった。むしろ、キリスト教の方が、十字軍戦争やレコンキスタでイスラーム教徒を残虐に大量殺戮したり、北米や南米で先住民を大量虐殺したりしている。
 今後、イスラーム教の内部から根本的な改革の動きが出てくるか、あるいはイスラーム教を発展的な解消に進めるような新たな宗教が出現するかでないと、イスラーム教諸国も人類全体も、平和と安定を得られないことになるだろう。これは、ユダヤ教、キリスト教を含むセム系一神教全体に共通する課題でもある。

●キリスト教側の動き

 ISIL等のイスラーム教過激組織のテロによって、世界各地で無辜の人々が多数犠牲になっている。犠牲者には、キリスト教徒が多くいる。特に欧米でのテロでは、そうである。
 こうしたなか、2016年2月12日、ローマ法王フランシスコと、東方正教会の最大勢力であるロシア正教会のキリル総主教が、キューバの首都ハバナの国際空港で会談した。両教会のトップが会談するのは史上初めてという。
 キリスト教は、1054年に教義の相違等から東西に分裂した。13世紀にカトリック教会が派遣した十字軍が東方正教会の中心地コンスタンチノープルを攻略したことで、溝は深まった。20世紀に共産主義が勢力を広げたソ連・東欧では、ロシア正教は弾圧された。共産主義政権の崩壊後、東欧をはじめ旧ソ連圏でカトリックが影響力を拡大した。特にウクライナでの布教をめぐってロシア正教会側が強く反発した。
 しかし、今回、東西のキリスト教会は、本格和解に向けて歴史的な一歩を踏み出した。そのきっかけは、イスラーム教過激組織のテロによってキリスト教徒が犠牲になっていることである。2月12日に署名された共同宣言には、テロリズムや中東でのキリスト教徒迫害に対処する必要性が盛られている。
 総主教は署名後、「2つの教会は今日、世界のキリスト教徒保護のため積極的に協力できるようになった」と述べて対話を継続する姿勢を見せ、法王も「兄弟のように話した」と語ったと報じられる。
 東西の教会の教義に対する見解の相違やわだかまりは依然大きい。今回の会談でも、ウクライナでの布教をめぐる対立を棚上げし、イスラム過激派によるキリスト教徒迫害といった両教会の共通課題への対応が優先された。
 なお、ロシア正教側には、シリアやウクライナの問題で孤立を深めたプーチン政権に、バチカンとの接近を通じて欧米の態度軟化を引き出したい思惑があるという見方がある。
 カトリック教会の法王とロシア正教会の総主教が共同宣言を出すというこのキリスト教側の動きは、キリスト教徒の保護という限定されたものであり、一面では、イスラーム教とキリスト教の対立を強める方向に進む可能性もある。

 次回に続く。