●正義とは何か
正義とは何か。「正しいこと」「正しい状態」「正しさ」「正当性」である。宗教的・道徳的・法的な規範に沿っている状態またはその規範を実現する行為に関する概念である。
正義という漢字単語は、英語・仏語・イタリア語の justice、独語の Die Gerchtigkeit 等の訳語である。justice はラテン語の ius を語源としている。ius は「正しさ」「公正」「法」を意味した。英語では right も正義を表す。right は正義とともに権利を意味し、justice は正義とともに公正を意味する。right には法の意味はなく、法には law が使われる。ラテン語の ius は「正しさ」「公正」とともに「法」を意味したが、ラテン語には別に法を意味する言葉として lex があった。英語の law はこの系統である。英語の語彙でかつて法用語として使われたノルマン的フランス語の droit 及び dreit は、権利と法の両義を持っていた。ドイツ語の Recht、フランス語の droit、イタリア語の diritto 等は、正義と権利と法の意味を持つ。それゆえ、英語を含めて西洋文明の主要言語では、正義と権利と法を同根とする概念が存在する。<正義=正しい状態=公正=正当性=権利=法>という概念の連続性を読み取ることができる。
●正義と善
正義は個人の考え方や行為に関して使われるとともに、社会関係や社会制度に関しても使われる概念である。個人の考え方や行為に関する正義は、人間の徳目の一つに挙げられる。この意味の正義は教育や修養の目標となっている。また、社会関係や社会制度に関する正義は、社会のあり方として目指すべきものとされる。この意味の正義は政治の目標であり、法の基本的理念ともされてきた。
そのようなものとしての正義をとらえるには、正義と善の関係を踏まえる必要がある。西洋文明では、その源泉の一つである古代ギリシャ文明の時代から、正義は善との関係で論じられてきたからである。
善とは何か。「善いこと」「善い状態」「善さ」「善いもの」である。善という漢字は、英語の good、仏語の Bon、独語の Gut、イタリア語の Buono 等の訳語に当てられている。
人間には生物性と文化性があり、生物的存在として生存・繁栄していくため、また文化的存在として文化を継承・発展させるために、集団生活を営む。人間が集団として生活していくためには、掟、決まりごとが必要であり、またそれらを守っていかなければならない。決まりごとには、行為や判断や評価を行う際の基準が必要である。それを規範という。第1部に書いたように、規範には社会規範と個人規範がある。社会規範は、集団において共同生活を行うため、成員が行為・判断・評価を行う際の基準として共有されている思想である。個人規範は、これをもとに集団の中で個人が自らに対して定めるものである。規範に適った状態は、「善い状態」である。そうした状態をもたらす行為は、「善い行為」である。こうした考えを抽象化したところに、善の概念が生まれる。善の概念は、人間が生物的また文化的存在として集団生活をしていくために必要な規範との関係において成り立つ。
人間には個人性と社会性があり、それゆえに、物事には個人にとって「善いこと」「善い状態」と、集団にとって「善いこと」「善い状態」がある。個人にとっての善と集団にとっての善は、一致する場合と一致しない場合がある。また、一致することを求める場合もあれば、求めない場合もある。個人と集団の善の一致を目指す時、集団にとっての善は、古代ギリシャ以来、公共善または共通善と呼ばれてきた。この善の概念が、正義の概念と結びつくのは、公共善を実現した状態が、正義とされてきたからである。
詳しくは次の項目から書くが、古代ギリシャ=ローマ文明では、公的な善は私的な善より優先された。そして、公共善が正義とされた。プラトンやアリストテレスは、そうした考えのもとに、正義に関する思想を説いた。ヨーロッパ文明は、この考え方を継承した。ところが、近代西欧では、公的な善より私的な善を優先する考え方が支配的になった。私的な善を優先する場合、善は個人的な価値となり、私的な善の追求を保障する枠組みが正義となる。私的な善の優先は、さらに善を正義より優先するか、逆に正義を善より優先するかの二つの考え方に分れた。公的な善より私的な善を優先し、かつ善を正義より優先する代表的な思想家は、第2部に書いた功利主義の始祖ベンサムである。また現代の通説では、公的な善より私的な善を優先し、かつ正義を善より優先する代表的な思想家が、「啓蒙の完成者」カントとされている。ベンサムとカントの思想は、20世紀半ばまで西洋文明における正義と善に関する思想の二大潮流となっていた。だが、1970年代に、あらためて正義と善の関係を問い直す思想が登場し、それをきっかけに活発な議論が行われてきている。ジョン・ロールズらによるものである。またその議論が、今日の人権思想に大きな影響を与えている。もはや現代の正義論を抜きに、人権を論じることはできない。そこで、次に古代ギリシャから今日までの正義の概念とその歴史を振り返ったうえで、現代の正義論を検討していきたい。
次回に続く。
正義とは何か。「正しいこと」「正しい状態」「正しさ」「正当性」である。宗教的・道徳的・法的な規範に沿っている状態またはその規範を実現する行為に関する概念である。
正義という漢字単語は、英語・仏語・イタリア語の justice、独語の Die Gerchtigkeit 等の訳語である。justice はラテン語の ius を語源としている。ius は「正しさ」「公正」「法」を意味した。英語では right も正義を表す。right は正義とともに権利を意味し、justice は正義とともに公正を意味する。right には法の意味はなく、法には law が使われる。ラテン語の ius は「正しさ」「公正」とともに「法」を意味したが、ラテン語には別に法を意味する言葉として lex があった。英語の law はこの系統である。英語の語彙でかつて法用語として使われたノルマン的フランス語の droit 及び dreit は、権利と法の両義を持っていた。ドイツ語の Recht、フランス語の droit、イタリア語の diritto 等は、正義と権利と法の意味を持つ。それゆえ、英語を含めて西洋文明の主要言語では、正義と権利と法を同根とする概念が存在する。<正義=正しい状態=公正=正当性=権利=法>という概念の連続性を読み取ることができる。
●正義と善
正義は個人の考え方や行為に関して使われるとともに、社会関係や社会制度に関しても使われる概念である。個人の考え方や行為に関する正義は、人間の徳目の一つに挙げられる。この意味の正義は教育や修養の目標となっている。また、社会関係や社会制度に関する正義は、社会のあり方として目指すべきものとされる。この意味の正義は政治の目標であり、法の基本的理念ともされてきた。
そのようなものとしての正義をとらえるには、正義と善の関係を踏まえる必要がある。西洋文明では、その源泉の一つである古代ギリシャ文明の時代から、正義は善との関係で論じられてきたからである。
善とは何か。「善いこと」「善い状態」「善さ」「善いもの」である。善という漢字は、英語の good、仏語の Bon、独語の Gut、イタリア語の Buono 等の訳語に当てられている。
人間には生物性と文化性があり、生物的存在として生存・繁栄していくため、また文化的存在として文化を継承・発展させるために、集団生活を営む。人間が集団として生活していくためには、掟、決まりごとが必要であり、またそれらを守っていかなければならない。決まりごとには、行為や判断や評価を行う際の基準が必要である。それを規範という。第1部に書いたように、規範には社会規範と個人規範がある。社会規範は、集団において共同生活を行うため、成員が行為・判断・評価を行う際の基準として共有されている思想である。個人規範は、これをもとに集団の中で個人が自らに対して定めるものである。規範に適った状態は、「善い状態」である。そうした状態をもたらす行為は、「善い行為」である。こうした考えを抽象化したところに、善の概念が生まれる。善の概念は、人間が生物的また文化的存在として集団生活をしていくために必要な規範との関係において成り立つ。
人間には個人性と社会性があり、それゆえに、物事には個人にとって「善いこと」「善い状態」と、集団にとって「善いこと」「善い状態」がある。個人にとっての善と集団にとっての善は、一致する場合と一致しない場合がある。また、一致することを求める場合もあれば、求めない場合もある。個人と集団の善の一致を目指す時、集団にとっての善は、古代ギリシャ以来、公共善または共通善と呼ばれてきた。この善の概念が、正義の概念と結びつくのは、公共善を実現した状態が、正義とされてきたからである。
詳しくは次の項目から書くが、古代ギリシャ=ローマ文明では、公的な善は私的な善より優先された。そして、公共善が正義とされた。プラトンやアリストテレスは、そうした考えのもとに、正義に関する思想を説いた。ヨーロッパ文明は、この考え方を継承した。ところが、近代西欧では、公的な善より私的な善を優先する考え方が支配的になった。私的な善を優先する場合、善は個人的な価値となり、私的な善の追求を保障する枠組みが正義となる。私的な善の優先は、さらに善を正義より優先するか、逆に正義を善より優先するかの二つの考え方に分れた。公的な善より私的な善を優先し、かつ善を正義より優先する代表的な思想家は、第2部に書いた功利主義の始祖ベンサムである。また現代の通説では、公的な善より私的な善を優先し、かつ正義を善より優先する代表的な思想家が、「啓蒙の完成者」カントとされている。ベンサムとカントの思想は、20世紀半ばまで西洋文明における正義と善に関する思想の二大潮流となっていた。だが、1970年代に、あらためて正義と善の関係を問い直す思想が登場し、それをきっかけに活発な議論が行われてきている。ジョン・ロールズらによるものである。またその議論が、今日の人権思想に大きな影響を与えている。もはや現代の正義論を抜きに、人権を論じることはできない。そこで、次に古代ギリシャから今日までの正義の概念とその歴史を振り返ったうえで、現代の正義論を検討していきたい。
次回に続く。