ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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イスラーム40~サウディアラビアとイランが断交

2016-04-10 10:37:04 | イスラーム
●サウディアラビアとイランが断交

 ISIL掃討作戦の最中、ロシアとトルコが対立するようになり、対ISILの連携にひびが入った。そのうえ、2016年(平成28年)1月には、イスラーム教国の間でサウディアラビアとイランが断交するという新たな事態が発生した。
 中東では、1979年(昭和54年)のイラン革命後に米国とイランが断交して以降、米国と親米的なスンナ派のアラブ諸国が、シーア派の地域大国イランの影響力を防ぐことで基本的な秩序を形成してきた。スンナ派の盟主を自任するサウディは、反イラン網の一翼を担うとともに、豊富な石油資源を持つ国としてこの秩序から最も大きな恩恵を受けてきた。
 サウディの王家であり、メッカなど二大聖地の守護者を務めるのが、サウード家である。サウード王家の祖イブン・サウードは、1744年、ワッハーブ派の祖法学者アブドゥウル・ワッハーブと盟約を結び、同王家の長が最高宗教指導者であるイマームを兼務するとした。それによって、サウディでは世俗的権力者である国王が宗教上の長ともなっている。
 サウディアラビアは、ワッハーブ派というスンナ派の中でも特殊な、かなり過激な宗派を国教とする。ワッハーブ派は、スンナ派の厳格化を求めるもので、イスラーム原理主義の古典的潮流となっている。
 オサマ・ビンラディンは、サウディの富豪の一族に属し、豊富な資金を以てアルカーイダを結成・指導した。サウディの富裕層には、スンナ派過激組織を支援する者が少なくない。ISILへの資金提供者もいるとみられる。
 ワッハーブ派は、シーア派を諸悪の根源とする。それゆえ、サウディとイランとの対立は、根が深い。そのうえ、2015年(平成27年)からはISILやイエメンへの対応などで対立を強めている。
 サウード王家は従来、極めて穏健な協調外交が信条だった。ところが、「今サウジは大きく変わりつつある」と、イラクでの勤務経験を持つ元外交官で、現在キャノングローバル戦略研究所主幹の宮家邦彦氏は、言う。
 変化の発端は、2015年(平成27年)1月23日親米的なアブドゥッラー国王が死去し、サルマーン新国王が就任したことである。新国王は、ムクリン副皇太子兼第2副首相を皇太子兼副首相に任命した。また、副皇太子兼第2副首相にナエフ元皇太子の息子ムハンマドという55歳の第3世代を任命した。ところが、4月末、国王はムクリン皇太子兼副首相を解任、ムハンマド副皇太子を皇太子兼副首相に、自分の息子で30歳のムハンマド・ビン・サルマーン国防相を副皇太子兼第2副首相に、それぞれ任命した。宮家氏は、「この頃からサウジの対外政策は大きく変わり始めた」という。
 サウディは、同年3月末、内戦が激化した南方の隣国イエメンで、反政府勢力への空爆を開始した。また同年12月15日、サウディ政府はISILなどに対抗するため、イスラーム圏の34の国・地域が「イスラーム軍事同盟」を結成したと発表した。
 宮家氏は、こうした軍事的対外強硬策の裏にいるのがムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子兼国防相だという見方を伝えている。副皇太子兼国防相は、サウディの経済開発評議会議長と国営石油会社アラムコ最高評議会議長も兼ねている。
 こうした変化を見せていたサウディアラビアは、2016年(平成28年)1月初め、一段と強硬な行動に出た。サウディアラビア政府が、テロ関与容疑者47人の死刑を執行したのである。47人のうち、大半はアルカーイダ系だが、シーア派の高位法学者ニムル師が含まれていた。サウディの国内にも少数だがシーア派がおり、東部に多い。ニムル師はサウディ王家を批判し、宗派対立を扇動したなどの罪で死刑判決を受けていた。それが執行された。
 これに対し、イランでは、二ムル師の処刑に怒った群衆がテヘランのサウディ大使館を襲撃した。イラン軍で重要な位置を占めるイスラーム革命防衛隊は、1月2日、処刑を問題視し「サウディは重い代償を払うことになるだろう」と強く非難する声明を発表した。これが両国の外交問題に発展し、サウディとイランは断交状態となった。バハレーン、カタール等の湾岸主要国はサウディに同調し断交や大使召還に踏み切った。サウディは、イランに対抗するため、22カ国が加盟するアラブ連盟を舞台にスンナ派各国の糾合を図っている。
 ISIL壊滅はサウディとイランにとっても最優先課題のはずだが、イスラーム文明の二つの地域大国が宗派の違いから対立関係になってしまった。このことで、中東情勢は一層複雑さを増した。サウディとイランの対立は、ISILを利することになる。
 米国とサウディの歴史的な同盟関係がオバマ政権下で弱体化する一方、イランは米欧との核合意で国際社会復帰を実現し、イラクやシリア情勢への発言力を強めている。サウディは、米国のイラン傾斜に不満を抱いているに違いない。イランとの断交は、シリア和平協議にイランが参加することを阻止するためという意図もあったと考えられる。
 折から中東を訪問した中国の習近平国家主席と対談したサルマーン国王は、米国一辺倒の方針を改め、中国を外交の対象として格上げし、関係を深めることに合意した。習主席はイランも訪問し、ここでも関係の拡大を進めた。海外で大規模な軍事作戦を展開する力を失いつつある米国が中東で後退し、またイスラーム教諸国の関係が不安定になっているところへ、中国が巧みに進出している。
 中国は、2030年にアメリカを越えて世界最大の石油輸入国となると予想される。輸入の大部分は中東に依存する。一方、アメリカの中東石油輸入は、シェールガスや国内石油生産によって、2011年の日量190万バレルから、2035年には10万バレルに激減すると見られる。そのため、中東産油国にとって、中国はますます重要な輸出相手国となる。中国と中東産油国はともに相手を必要とする。ここにも、西洋文明対イスラーム=シナ文明連合の対立という可能性を見て取ることができる。
 ところで、サウディアラビアは、隣国イエメンの民主化過程の後ろ盾になってきた。サウディにおける王位交代はイエメンに影響を与えている。
 イエメンにおける2015年(平成27年)1月のフーシー派によるクーデタは、サウディにおける王位交代の隙を突いたものだったとみられる。池内氏は「サウジの内憂と裏庭のイエメンの外患は連動している。そして、サウジが揺らげば、中東の混乱は極まる」と述べている。
 サウディはスンナ派アラブの盟主を自任する。イエメンのフーシー派はシーア派の一派、ザイド派を信奉する。シーア派大国のイランがザイド派を支援しており、サウディはイエメンでイランが影響力を増すことを警戒している。
 2015年(平成27年)2月15日国連安保理は、全会一致で、政府施設を制圧しているフーシー派に即座・無条件で権限を大統領・首相に戻すように要求する決議をした。ただし、決議を主導した湾岸協力理事会(GCC)の求めていた国連憲章第7章の軍事的強制力は盛り込まれなかった。そうしたなか、サウディは、同年3月末、イエメンでの空爆を開始したのだった。
 イエメンでは、サウディの後押しを受けるハディ政権と、イランが支援するフーシー派が激しく対立して、内戦状態になっている。サウディは、フーシー派が首都サヌアを掌握したことなどを受けイエメンへ軍事介入した。そのことによって、サウディはイランとの対立を深めた。このことが、サウディとイランが断交することになった要因の一つとみられる。
 サウディアラビアとイランが断交した情勢について、山内昌之氏は、著書『中東複合危機から第三次世界大戦へ』に次のように書いている。
 「1980年のイラン=イラク戦争で始まったシーア派対スンナ派の対立激化は、次々と新たな衝突ひいては戦争に発展し、宗派と政治の絡んだ文明内対立はこれから深化することはあっても、薄まることはない。政治化したセクタリアン・クレンジング(宗派浄化)の恐怖は、いまや中東の広い範囲に及んでいる。言い換えれば、『宗派戦争』とその脅威は、もはやシリア戦争やイエメン内戦やバハレーン紛争を超えてしまった。2016年のイランとサウディアラビアの危機は、現代中東のいちばん深い『宗派的断層線』(sectarian fault lines)がどこに横たわっているかをまざまざと見せつけたのである」
 ここで、「セクタリアン・クレンジング(宗派浄化)」とは、エスニック・クレンジング(民族浄化)の概念を、イスラーム教の宗派間に応用したものである。また「断層線」は、ハンチントンが使った概念であり、ハンチントンは、文明の衝突は文明間の断層線(フォルトライン)で起こると指摘した。山内氏は、これを文明内の宗派間にも用いているものである。

 次回に続く。