ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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田中卓氏・女系継承容認論の迷妄8

2006-02-21 10:08:19 | 皇室
10. 有識者会議の人選を支持

 田中氏は、吉川座長を擁護するだけでなく、有識者会議を「素人呼ばわりするのは失礼ではないか」と言って、有識者会議の構成を支持する。小堀桂一郎氏、大原康男氏、八木秀次氏ら女系継承に強く反対する人たちは当初、有識者会議のメンバーを「素人集団」であり、皇室問題の専門家が誰もいないとして、その人選を批判していた。この批判が甘く、また不適当だったことは、既に多くの人が明らかにしている。

 田中氏は、有識者会議は素人ばかりではない証拠として、まず笹山晴生氏を挙げる。笹山氏は「東大国史学科の名誉教授であり、後に学習院大学で教授をして皇太子殿下にご進講された経歴をもち、皇室史にも通じた有名な学者」だと。
 確かに有名な学者である。同時に、私は笹山氏の名を歴史教科書の執筆者として知っている。歴史教科書の執筆30年というプロである。自虐的な内容で問題になった教育出版の中学校用歴史教科書の執筆者の一人である。高等学校用の山川出版社の『詳説日本史』の執筆者でもある。山川の最新版は、南京事件について犠牲者数に「40万人」という誇大な数字を挙げ、物議を醸(かも)した。近現代史の部分は、笹山氏の専門の古代史の部分とは関係ないと思うかもしれないが、一冊の教科書は、複数の著者による共著であり、共著者は内容全体に責任がある。
 田中氏は、かつて戦後の偏向した歴史教科書を批判して、独自に日本史の教科書を執筆した。扶桑社の教科書がつくられる遥か以前である。画期的な業績と私は評価していた。その田中氏が今は、自虐的な教科書の執筆者を褒め称えている。この変化はなぜか。有識者会議の報告を支持するためである。皇室を守るためには、女系継承容認しかない。女系継承をできるようにするには、共産も自虐も関係ない。田中氏はこのように考えたのであろうか。

 田中氏は、メンバーのうちもう一人 園部逸夫氏を上げる。素人ではないと。
 園部氏は、筑波大学教授・最高裁判事等を歴任した法律家である。平成14年4月に、園部氏は『皇室法概論』という大冊を出版した。確かに素人ではない。ないどころか、皇室に関するある分野の権威である。田中氏は、本書につき「今回初めて繙読し、その労作に敬服した」と書いている。
 問題は、園部氏の経歴や思想である。園部氏は、最高裁判事の時代、平成7年2月の最高裁判決で、外国人参政権付与につき、本論で違憲としながら、傍論に永住外国人に地方参政権を与える法律をつくることは「憲法上禁止されているものではない」と書いた人物として知られる。この傍論を根拠に、外国人参政権付与の運動が活発化した。
 園部氏は、共産党系のオンブズマン運動や住民訴訟を拡大合法化する法制度づくりで、原告適格性の拡大に努め、自衛隊・米軍基地反対闘争などに尽力したことがわかっている。また、偏向教科書を象徴する家永教科書裁判では、家永三郎氏に与する発言をしていたことも。
 園部氏は、日本国憲法の一定の解釈のもとに、自衛隊と米軍基地に反対し、外国人地方参政権付与は違憲ではないと主張するのである。このような人物が、自分の憲法解釈を皇室のあり方に当てはめれば、そこに出てくる方向は明らかであろう。専門家は、有識者会議の報告書の内容は、園部氏の『皇室法概論』そのままであると指摘している。

 有識者会議の本当の中心は、吉川座長ではなかった。古川貞ニ郎前官房副長官と、この園部逸夫氏だった。彼らは、平成9年に宮内庁で始まった皇室典範改正のための研究会のメンバーだった。そして、研究会で準備した案は、平成13年に内閣法制局によって、法案として立案され、公表された。有識者会議は、下準備が十分できたところで、“民主的な手続き”を踏むために、選考されたのである。そして、古川氏と園部氏は、この有識者会議のメンバーに入った。園部氏は有識者会議の座長代理を務めた。

 官僚の中では、古川氏が中核という見方がある。古川氏と羽毛田宮内庁長官は、厚生省時代の上司と部下であり、古川氏が羽毛田氏を宮内庁のトップにすえた。ここに「隠れ学会員」という怪文書の出た風岡次長が加わる。夫人が熱心な学会員だと伝えられる。古川氏がリードして、羽毛田氏・風岡氏らが、女帝・女系容認の皇室典範改正の青写真をつくった可能性がある。さらにその背後に司令塔があるのかも知れない。
 古川氏は、村山首相が戦後50年の年に出した「植民地支配と侵略によって」等の談話を、「日本政府の基調を明確にしたもので、高い歴史的価値がある」と評価しているという。また、新たな戦没者追悼施設の建設に賛成だという。皇位継承のあり方を検討するには、不適切な思想の持ち主であろう。
 この官僚たちに協力し、または官僚たちを理論的に指導したのが、園部逸夫氏であろう。

 次回、この続きを書く。