ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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田中卓氏・女系継承容認論の迷妄10

2006-02-23 09:40:15 | 皇室
11.老大家、迷妄を流布し晩節を汚す

 田中氏の迷妄は、まことに深い。氏は次のように書いている。
 「試案として改定案(第一条)だけ示しておく。「皇位は日本国憲法(第2条)にもとづく世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」。これは天照大神の神勅を現代文に直しただけで、真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」

 氏はこの試案に「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」と言うのだが、私は反対である。氏の試案には重大な問題があるからである。「日本国憲法(第2条)にもとづく」という一節である。
 田中氏は、日本国憲法をGHQによる占領憲法であり、「ヤルタ=ポツダム体制」の一環として論じていたはずである。その占領憲法を、皇室典範の案文に入れている。皇位の世襲は、日本国憲法が初めて定めたことではない。明治の皇室典範は、第一条に「大日本皇位は、祖宗の皇統にして男系の男子、之を継承す。」と定めていた。世襲は、成文化した法令以前のものである。
 田中氏は「男系の男子」という限定をはずしたいわけだが、それならば、「皇位は世襲のもので、皇統に属する子孫がこれを継承する」とすればよいのである。そこに敢えて日本国憲法を持ってくるのは、まことに奇異である。まさか日本国憲法が「革命憲法」であり、大日本帝国憲法及び明治皇室典範と断絶したものだという、左翼学者の見解へと転換したわけでもあるまいが。

 さて、田中氏は論文の最終節を「後醍醐天皇の御精神を仰ぐ」と題している。ここで田中氏は、後醍醐天皇の事績をあげ、南北朝対立の時代に触れる。そして、「北朝側は、後醍醐天皇の改革政治に対し、これは従来の儀式慣例を破るものとして、しきりに非難した。これに対して、後醍醐天皇は、何とおっしゃったか。「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」。」と述べて、「女帝・女系反対論者は、この後醍醐天皇のお言葉を心して拝聴するがよい」と結んでいる。
 不可解な結尾である。建武の中興で名高い後醍醐天皇であるが、後醍醐天皇は、「朕の新儀」として、女系継承を始めようとしたのだろうか。
 否、皇位継承については、男系継承を堅持されたのである。後醍醐天皇が行ったのは、古代の「延喜・天暦の治」(醍醐天皇・村上天皇の時代)のような治世をめざす改革であって、皇位継承のあり方の変革ではない。守るべきものは、命をかけても守り、変えるべきものは断固として変えるという姿勢で、改革を試みたのである。田中氏は、後醍醐天皇の言葉を引いて、女系継承の容認に援用するやに見える。
 これは想像だが、「帝は女系でもよいのです。天照大神は女神ですから」などと申し上げたら、後醍醐天皇は目をむいて、「それでは、足利に朝廷を簒奪されるではないか!」と叱責されるのではなかろうか。

 本稿の最初に、田中氏は、今上天皇が女帝・女系容認という思い込みをしているのではないかと書いた。私は、後醍醐天皇を引く田中氏の論文の結尾に、再びこれを思う。
 田中氏は、後醍醐天皇と今上天皇を重ね合わせ、今上天皇は皇室の存続のために、女系継承容認という大改革をされようとしていると推測し、今上天皇が「今の例は、昔の新儀なり。朕が新儀は未来の先例たるべし」と言わんとされていると想像しているのではあるまいか。
 もう一度言う。後醍醐天皇は、皇位については男系継承の伝統を堅持したのであって、女系継承の提起とは、何の関係もないのである。その何の関係もない後醍醐天皇の言葉を「心して拝聴するがよい」とは、今上天皇が決してお述べになるはずのないことを「ご意思」だと言って、風説を流している不敬の輩と、五十歩百歩であろう。

 「晩節を汚す」という言葉があるが、自分の名を地に落とすのは、自業自得である。しかし、国を憂える多くの善良な日本人を惑わせるのは、よろしくない。
 「真の日本人なら誰も反対出来ないであろう」などと発することの傲慢さに気付き、迷妄の説を取り下げてもらいたいものである。

※連載したものをまとめて、Webサイトに掲載しました。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/opinion05c.htm