ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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田中卓氏・女系継承容認論の迷妄5

2006-02-18 08:42:01 | 皇室
7.血統・男系・女系の概念に混乱

 世界で唯一、日本の皇室でのみ続けられてきた男系継承の伝統を堅持しようと考える人は、戦後、臣籍降下した旧宮家に、男系男子が多くいることに注目する。男系男子ということは、神武天皇の血を引く男子ということである。
 これに対し、田中氏は、「神武天皇以降の子孫の数は、ただに1億くらいではすまない」と言う。男系継承堅持派が旧皇族に限って話しているのに、国民全体に話しを広げて、傍系の男系男子の存在の価値を低めんとしているかのようだ。
 男系継承については、遺伝学の専門家から男から男にしか伝わらない「Y染色体の継承」という事実が指摘され、皇室の伝統を理解する補助となっている。しかし、田中氏は、Y染色体について、「極く最近の生物学の発見で、古来の日本の歴史や伝統とは何の関係もない」と否定する。

 田中氏も論文で引いているが、9世紀初めのわが国最古の系譜集「新撰姓氏録」は、皇別つまり天皇家から分かれた家を335氏と数えている。相当の数である。皇別には、源氏、平氏、橘氏などが含まれる。
 皇別の男子と皇族・旧皇族の男系男子は、理論的には神武天皇の血を引いていると考えられる。これらの男性は、言うところのY1染色体を受け継いでいる可能性がある。田中氏は「1億くらいではすまない」と言う。しかし、人口から見て、日本の男性は全部で6千万人ほどなのだから、田中氏の数字の挙げ方は、おかしい。数字を出すなら古代と現代における神武天皇の子孫が人口に占める比率を統計的に試算して出すべきだろう。そうでなければ、ただの目くらましである。

 歴史が示しているのは、実際に皇位継承者に選ばれるのは、その折々に歴代天皇に近い男系の男子であった。単に神武天皇の血を引いているということではない。はるか昔に皇族から分かれ、家臣・人民となった者は対象にならない。最低条件が男系の血統の継承だとすると、親族内の近さが次の条件となって選択されていたのである。そのうえで、天皇となるにふさわしい適性がこれに加わっていたと考えられる。

 過去の傍系の例は、最大限離れて10親等である。その例である継体天皇は、天皇となる前は「王」と呼ばれる身分だった。遠い傍系とはいえ、社会的な階層が皇室に近いところにいた方だったわけである。
 戦前まで多数の宮家を設けてそこから皇位継承候補者を出せるようにしてきたのも、親族の範囲を限り、その内の近さを重んじたからだろう。田中氏のように神武天皇の子孫なら誰でも対象となるというなら、わざわざ宮家や世襲親王家を設ける必要もないではないか。
 伏見宮系の旧宮家は40数親等離れてはいるが、戦前までは宮様として国民に親しまれ、また明治天皇の皇女や昭和天皇の皇女が嫁がれている。戦後も「菊栄親睦会」で皇室と親戚づきあいをされているという。一般の国民とは、社会的階層が異なるわけである。
 それゆえ、田中氏のように神武天皇以降の子孫の数は、ただに1億くらいではすまない、Y染色体の話も意味がないという論は、史実の一部しか見ず、また皇族及び旧宮家の現実を見ていないものだと思う。男系継承を堅持すべきという論を排斥するために、親族内の近さという重要な条件を隠し、旧皇族の存在を排除するための意見でしかないと思う。

 さらに田中氏は、不可解なことを言う。「外国人が皇室に対して敬意を表するのも、また日本人が皇室を誇りとするのも、神武天皇の建国以来の、皇族の籍を有せられる一系の天子が、千数百年にわたって、一貫した統治者であり、他系(皇族以外の諸氏)の権力者が帝位を簒奪したことがないという、世界にも類を見ない歴史の事実にあるのであって、皇統が“男系”とか“女系”という血統のせいではない」と。
 歴史の事実として、一系の天子が、一系であり続けてきたのは、男系継承だったから可能であった。そのことを、田中氏は理解しているのだろうか。私は首かしげている。上記の引用は「皇族の籍」としか言っていないからである。そのうえ「血統のせいではない」とまで言うのだから、理解に苦しむ。

 わが国では、一系の天子が一貫した統治者であり、帝位の簒奪がなかったという事実の結果、一系の血統が保持されてきた。また、簒奪が行われなかった歴史を見ると、一系の血統に伴う侵しがたい権威が、時の権力者の権力欲を抑えた。血統という要素は、皇統に不可欠の要素である。そして、その血統とは、男系で継承されてきた血統である。
 田中氏は、男系継承による一系の血統の権威や価値を引き下げて、相対化しようとしているかに見える。

 もっと重要なこととして、田中氏の男系・女系の概念は、何度読み返しても、私には理解しがたい。定義の違いだろうか。いや失礼ながら、氏自身が混乱しているのではないかと疑う。
 この点は次回に述べたい。