Elton Britt (2) 米国盤 Camden Records CAS-2295 The Jimmie Rodgers Blues
(1)My Carolina Sunshine Girl (2)You And My Old Guitar (3)Roll Along Kentucky Moon (4)Waiting For A Train (5)My Little Lady (6)The Jimmie Rodgers Blues (7)Treasure Untold (8)Singin' In The Pines (9)Peach Picking Time Down In Georgia
7月18日姉の一周忌に神奈川県の鎌倉に行った帰りに東京の神田の古本屋街に寄って本とカントリーのレコードを数枚買いました(東京に行く時はいつも楽しみにしていることです)。 古本屋さんは心なしか数が少なくなっている印象を受けました、それとレコードを買いたくても肝心の古レコード屋さんが見つからないのでした、以前行った何件かのお店もなくなっていたし・・・・・・で、さんざん歩き回ってやっと見つけた古レコード屋さんにカントリーのコーナーがありました。 そこになんと2枚の 「ジミー・ロジャースを歌う」 アルバムがあったのです・・・・・・僕はそれだけで大満足、その中の1枚がこれで以前日本盤で紹介したもの (懐かしのカントリー&ウェスタン 32) の本家本元盤です。もともと廉価盤なのにさらに穴開けして安くしたもの(ジャケットのジミーのギターのところに穴有り)、繰り返しになるけれどまた載せることにしました。とにかく嬉しくて嬉しくて・・・・・レコードっていいな・・・と念仏のように唱えたのでした。
もう1枚はちょっとマニアックなもので 次回に載せる予定です。
さて、エルトン・ブリット( 1913~1972年アーカンソー州 出身)は有名な カントリーヨーデル歌手 でしたが若い頃に幸運にもジミー・ロジャースの薫陶を受けた経歴を持っている人です。エルトンが亡くなる数年前にちゃんとジミー・ロジャースを歌うアルバムを残してくれたものがこのレコードなんですね・・・・・・自分が成功するきっかけを作ってくれた Jimmie Rodgers への感謝の意を込めて是非とも残しておきたかったのに違いない・・・と推測します。
Vaughn Horton という人が書いた”Reminiscing About a Couple o' Pretty Fair Country Yodelers (2人の素晴らしいカントリーヨーデル歌手の想い出)”と題した解説が載っていますので補足を加えながら訳して載せておくことにします・・・・・・・
「1930年代初頭ジミー・ロジャースは田舎に住むほとんどの少年達にとって the king and the idol でした。アメリカのどの大通りを歩いてもいつの日か有名な Blue Yodeler's crown ( Jimmie Rodgers のこと)にとって代わろうと夢見ながらギターをかき鳴らして歌う少年達が聴かれたものです。 やっとかき集めたお金で安いギターを手に入れた少年達はジミー・ロジャースのような歌手への予備軍になっていったのです( beccame a potential front-porch howling coyote と表現してありますが・・・・howling coyote・・・吠えるコヨーテ とはヨーデルのことを指しているんでしようね )。
ジミー・ロジャースの影響は絶大だったので国中のラジオ局にはロジャースの carbon-copies(そっくりさん)を目指す熱心な若者達からオーディションをして欲しいという要望が洪水のように押し寄せたものでした。そんな熱心な若者達の中で幸運をつかんだのが Ozark-mountain 出身の10代の若者エルトン・ブリットだったのです。 エルトンは夜鷹が鳴くようなアーカンソー州の農場からオクラホマ州のラジオ放送局にやって来ました・・・・・・そしてラジオを通じて歌手としてのエルトンの魅力がそのエリアで話題になっていったのでした。 たまたま Pawnee Bill's Oklahoma Round-Up に出演するため来ていたジミー・ロジャースはエルトン・ブリットの素晴らしいヨーデルと歌声を耳にして、自分に会いに来るように招待したのでした。そしてエルトン少年のヨーデルを聴いて感銘を受けたジミーは彼にカリフォルニアに行くことを奨めたのです、当時のカリフォルニアはあらゆるものが発展しつつある新興都市でした。ジミーのアドバイスを受け入れたエルトンはハリウッドで最高のグループ( Beverly Hillbillies のことか?)に属して1年もたたないうちに West Coast でセンセーションを巻き起こすほどの存在になったのです。
カリフォルニアで再びエルトンの歌を聴いたジミーは Ralph Peer ( ジミー・ロジャースのマネージャー兼ニューヨークの出版社主 ) に次のような手紙を書いて奨めています・・・・・曰く 、”ここに来てこの若者と契約を結んだ方がよい・・・・・彼は大物になるよ”・・・・と( 今ではこの手紙は有名になっているそうです )。
エルトンは1933年5月にニューヨークに向かう途中 ミズーリ州 Springfield で一夜を過ごしました、3日後に初めてのレコーディングを予定されていたので早く起きてスタンバイしていたのでした。まさにその時ショッキングなニュースが飛び込んできて ジミー・ロジャースの悲劇的な死を知ったのです。 彼は最近になってナッシュビルの Grand Ole Opry のステージでその時のことを聴衆に語っています・・・・・”尊敬していたジミー・ロジャースの死を知って私はすっかり気落ちして数週間は立ち直れなかった”・・・と。
エルトン・ブリットは自身の輝かしい経歴を続けていきます- RCAレコードに数十曲のヒット曲をレコーディングし、中でもミリオンセラーになった”There's A Star Spangled Banner Waving Somewhere(どこかではためく星条旗)”で頂点に達したのです。この曲はカントリー歌手のものとしては初めて Gold Record になったもので、現在ナッシュビルの Country Music Hall Of Fame館 に飾られています。 エルトンは第二次世界大戦中 ヨーロッパ戦線を演奏ツアーしてアメリカ兵達の永遠の Favorite になったのでした。数年後には朝鮮戦争でも同様のツアーを行ったのですが今度は不運なことにアジア熱にかかってしまい、それが Elton Britt の引退を早める結果になってしまったのでした。繰り返し起こる病いで健康が許す範囲での出演に限られるようになったのです。
私(Vaughn Horton)はエルトン・ブリットに関わったことをとても誇りに思っています。私達は何年にも渡って親友でしたし、一時は彼のバンドメンバーの一人だったこともあります。私が Songwriting の世界に入った時 励ましてくれたのはエルトンでしたし、私の big hit 作 ”Mockin' Bird Hill” を RCA ビクターでレコーディングしてくれたのも彼でした。彼のこのLPレコード製作に携われたのも名誉なことですし、エルトンの素晴らしい傑作の一つだと思っています。」・・・・・・・と書かれています。
尚、エルトン・ブリット自身のコメントも載っていて・・・・・「私にジミー・ロジャースを歌うアルバムを作るようにいつも奨めてくれていたRCAビクターの Steve Sholes に感謝します・・・・彼が亡くなる前に私の Jimmie Rodgers Blues を聴いてもらえてよかった。1曲だけジミー・ロジャースの歌ではない Singin' In The Pines という曲を入れたのは彼が好きでいつも私に歌って欲しいといっていた歌だからです。」・・・・・・とのこと。
音的にはモダンなサウンドですが晩年の Elton Britt の心意気が伝わってくる作品になっています・・・・・・・もしCDになっていたらお奨めします
(2007年9月30日の記事も参照してください)
(1)My Carolina Sunshine Girl (2)You And My Old Guitar (3)Roll Along Kentucky Moon (4)Waiting For A Train (5)My Little Lady (6)The Jimmie Rodgers Blues (7)Treasure Untold (8)Singin' In The Pines (9)Peach Picking Time Down In Georgia
7月18日姉の一周忌に神奈川県の鎌倉に行った帰りに東京の神田の古本屋街に寄って本とカントリーのレコードを数枚買いました(東京に行く時はいつも楽しみにしていることです)。 古本屋さんは心なしか数が少なくなっている印象を受けました、それとレコードを買いたくても肝心の古レコード屋さんが見つからないのでした、以前行った何件かのお店もなくなっていたし・・・・・・で、さんざん歩き回ってやっと見つけた古レコード屋さんにカントリーのコーナーがありました。 そこになんと2枚の 「ジミー・ロジャースを歌う」 アルバムがあったのです・・・・・・僕はそれだけで大満足、その中の1枚がこれで以前日本盤で紹介したもの (懐かしのカントリー&ウェスタン 32) の本家本元盤です。もともと廉価盤なのにさらに穴開けして安くしたもの(ジャケットのジミーのギターのところに穴有り)、繰り返しになるけれどまた載せることにしました。とにかく嬉しくて嬉しくて・・・・・レコードっていいな・・・と念仏のように唱えたのでした。
もう1枚はちょっとマニアックなもので 次回に載せる予定です。
さて、エルトン・ブリット( 1913~1972年アーカンソー州 出身)は有名な カントリーヨーデル歌手 でしたが若い頃に幸運にもジミー・ロジャースの薫陶を受けた経歴を持っている人です。エルトンが亡くなる数年前にちゃんとジミー・ロジャースを歌うアルバムを残してくれたものがこのレコードなんですね・・・・・・自分が成功するきっかけを作ってくれた Jimmie Rodgers への感謝の意を込めて是非とも残しておきたかったのに違いない・・・と推測します。
Vaughn Horton という人が書いた”Reminiscing About a Couple o' Pretty Fair Country Yodelers (2人の素晴らしいカントリーヨーデル歌手の想い出)”と題した解説が載っていますので補足を加えながら訳して載せておくことにします・・・・・・・
「1930年代初頭ジミー・ロジャースは田舎に住むほとんどの少年達にとって the king and the idol でした。アメリカのどの大通りを歩いてもいつの日か有名な Blue Yodeler's crown ( Jimmie Rodgers のこと)にとって代わろうと夢見ながらギターをかき鳴らして歌う少年達が聴かれたものです。 やっとかき集めたお金で安いギターを手に入れた少年達はジミー・ロジャースのような歌手への予備軍になっていったのです( beccame a potential front-porch howling coyote と表現してありますが・・・・howling coyote・・・吠えるコヨーテ とはヨーデルのことを指しているんでしようね )。
ジミー・ロジャースの影響は絶大だったので国中のラジオ局にはロジャースの carbon-copies(そっくりさん)を目指す熱心な若者達からオーディションをして欲しいという要望が洪水のように押し寄せたものでした。そんな熱心な若者達の中で幸運をつかんだのが Ozark-mountain 出身の10代の若者エルトン・ブリットだったのです。 エルトンは夜鷹が鳴くようなアーカンソー州の農場からオクラホマ州のラジオ放送局にやって来ました・・・・・・そしてラジオを通じて歌手としてのエルトンの魅力がそのエリアで話題になっていったのでした。 たまたま Pawnee Bill's Oklahoma Round-Up に出演するため来ていたジミー・ロジャースはエルトン・ブリットの素晴らしいヨーデルと歌声を耳にして、自分に会いに来るように招待したのでした。そしてエルトン少年のヨーデルを聴いて感銘を受けたジミーは彼にカリフォルニアに行くことを奨めたのです、当時のカリフォルニアはあらゆるものが発展しつつある新興都市でした。ジミーのアドバイスを受け入れたエルトンはハリウッドで最高のグループ( Beverly Hillbillies のことか?)に属して1年もたたないうちに West Coast でセンセーションを巻き起こすほどの存在になったのです。
カリフォルニアで再びエルトンの歌を聴いたジミーは Ralph Peer ( ジミー・ロジャースのマネージャー兼ニューヨークの出版社主 ) に次のような手紙を書いて奨めています・・・・・曰く 、”ここに来てこの若者と契約を結んだ方がよい・・・・・彼は大物になるよ”・・・・と( 今ではこの手紙は有名になっているそうです )。
エルトンは1933年5月にニューヨークに向かう途中 ミズーリ州 Springfield で一夜を過ごしました、3日後に初めてのレコーディングを予定されていたので早く起きてスタンバイしていたのでした。まさにその時ショッキングなニュースが飛び込んできて ジミー・ロジャースの悲劇的な死を知ったのです。 彼は最近になってナッシュビルの Grand Ole Opry のステージでその時のことを聴衆に語っています・・・・・”尊敬していたジミー・ロジャースの死を知って私はすっかり気落ちして数週間は立ち直れなかった”・・・と。
エルトン・ブリットは自身の輝かしい経歴を続けていきます- RCAレコードに数十曲のヒット曲をレコーディングし、中でもミリオンセラーになった”There's A Star Spangled Banner Waving Somewhere(どこかではためく星条旗)”で頂点に達したのです。この曲はカントリー歌手のものとしては初めて Gold Record になったもので、現在ナッシュビルの Country Music Hall Of Fame館 に飾られています。 エルトンは第二次世界大戦中 ヨーロッパ戦線を演奏ツアーしてアメリカ兵達の永遠の Favorite になったのでした。数年後には朝鮮戦争でも同様のツアーを行ったのですが今度は不運なことにアジア熱にかかってしまい、それが Elton Britt の引退を早める結果になってしまったのでした。繰り返し起こる病いで健康が許す範囲での出演に限られるようになったのです。
私(Vaughn Horton)はエルトン・ブリットに関わったことをとても誇りに思っています。私達は何年にも渡って親友でしたし、一時は彼のバンドメンバーの一人だったこともあります。私が Songwriting の世界に入った時 励ましてくれたのはエルトンでしたし、私の big hit 作 ”Mockin' Bird Hill” を RCA ビクターでレコーディングしてくれたのも彼でした。彼のこのLPレコード製作に携われたのも名誉なことですし、エルトンの素晴らしい傑作の一つだと思っています。」・・・・・・・と書かれています。
尚、エルトン・ブリット自身のコメントも載っていて・・・・・「私にジミー・ロジャースを歌うアルバムを作るようにいつも奨めてくれていたRCAビクターの Steve Sholes に感謝します・・・・彼が亡くなる前に私の Jimmie Rodgers Blues を聴いてもらえてよかった。1曲だけジミー・ロジャースの歌ではない Singin' In The Pines という曲を入れたのは彼が好きでいつも私に歌って欲しいといっていた歌だからです。」・・・・・・とのこと。
音的にはモダンなサウンドですが晩年の Elton Britt の心意気が伝わってくる作品になっています・・・・・・・もしCDになっていたらお奨めします
(2007年9月30日の記事も参照してください)