西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

小紀行 (筑前 秋月城を訪ねて)

2012年12月10日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に
 
筑前 秋月城を訪ねて

(平成24年)12月2日の日曜日いまにも雨が降りそうなどんよりした厚雲と寒い中を紅葉の秋月(甘木市)を見にでかけた。
秋月は桜の頃と紅葉の頃がよいといわれていてその季節に訪ねてみたいと思っていた処。今はどことなくさびれた感じを受けますが古くからの城下町でそれなりの趣きがあります。
着いた頃にはポツポツ雨が降り出していっそう寒さがまして日を間違えたかな-と思ったものの紅葉としては今日あたりが最後と思えたので強行、駐車場には観光バスも何台か止まっていました。やはり1週間ばかり遅かったようで かなり落葉していた、それでもせっかく来たので案内所でもらったパンフレットを頼りに奥まったところまで歩いてみた。歴史のある町だから史跡が多い。中世期~戦国時代の秋月氏~江戸時代の黒田氏(福岡黒田藩の支藩)で明治維新まで続いた城下町、なんでも藩政時代は5000人は住んでいたとのことで今は1000人弱の人しかいないらしく明らかに昔の方が活気があったんだろうなと思わせる町だった。石垣が残る秋月城、少し残ったもみじで風情のある黒門が晩秋を思わせた。城前の馬場の露天商の人に話をすると”紅葉は1週間前がよかったよ、人も大勢でね”といっていた。寒いので秋月郷土館には行かずに写真を撮りながら歴史的場所を見て歩いた
 
(1)お城に行く前に渡った橋から野鳥川の下流を見る、川底が石を敷きつめたようになっていて全くの清流 (2)川沿いにちょっと脇道に入るとちらっと紅葉が残っている
 
(3)城前の馬場を行くと城下町らしい雰囲気が出てくる (4)郷土館入り口の門から覗くと正面に秋月藩士だった戸波半九郎の屋敷が保存されている

(5)馬場側から見たお城の堀
  
(6)石垣がきれいな長屋門 (7)秋月氏時代の遺構という黒門、両脇の赤味は落ちてしまったもみじの葉じゅうたんです
  
(8)秋月城の石垣 (9)城の裏手にある日照院というお寺の門でこれも数少ない秋月氏時代の遺構と書いてありました
 
(10)石垣のある屋敷跡、こんなのが城の周辺には沢山あって廃屋もかなりみられました 武家屋敷の跡なんでしょうか (11)朽ちた塀

写真は後日(12)長生寺(13)大涼寺

(14)腹切岩・・・・秋月氏16代秋月種実の重臣 恵利暢尭(えりのぶたか)が天正15(1587)年豊臣秀吉が九州征伐に来たとき、和平説を主張したが容れられずこの岩上で切腹し、死をもって忠諌したとのこと・・・・畳3畳分くらいの広さでした 
写真は後日(15)鳴門観音(16)秋月種時の墓 案内板に秋月氏385年間に及ぶ秋月氏時代の数少ない遺跡であると書いてありました、かなり山奥にありました
 
(17)九州征伐で秋月に来た豊臣秀吉が腰掛けたという岩(太閤腰掛石)が町中に残っています (18)秋月の清流にかかる眼鏡橋

私なりの司馬遼太郎さん的に見て(?)秋月について興味深いのは
(1)西南戦争の4ヶ月前に起こった不平士族の「秋月の乱」
(2)日本史上最後の仇討ちの原因になった所
ということでしょうか。秋月の乱は日本史の教科書なんかでも小さく載っていたものですが(2)についてはまったく知りませんでした。こんな小さな藩でも幕末に内部抗争があったらしく近年テレビドラマ(”遺恨ありー明治13年の仇討ち”)にもなって放映されたことがあるそうです。詳しくは”最後の仇討ち”で検索すると真っ先に出てきますので興味ある方はお試しを!!

ところで秋月には”くず餅”というおいしいお菓子があって歩きながらいいお店があると入ってちょこっと腹ごしらえをした

・・・・・・・・文章も写真も未完成につき続く
コメント
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