梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

父親の存在

2008年04月12日 08時05分11秒 | Weblog
我が家にはもう一人の娘、次女がいます。この4月からは大学四年になり、今就職活動の真っ盛りです。

彼女が中学三年の頃でしょうか、家の門限を破るようになりました。当時ビジュアル系のバンドが流行り、原宿に行くと沢山の同好の士がいて、初対面でも直ぐに意気投合したらしいのです。そんな仲間が出来家に帰るのが遅れ出しました。

ある時、家内が何度注意しても言うことを聞かないので、私がきつく言いましたら、娘の自由を奪う権利が親にあるのかと反論され私も切れました。家にはルールがありそれを守れなければ娘ではないと、怒りがこみ上げ、自分でも信じられないくらいの叱りようでした。

こんなこともありました。娘はその女友達の実家に誘われ、宇都宮の花火大会に日帰りで行ってくると言うのです。夕方、今日は帰らなくてもよいかと娘から電話がありました。約束が違うぞと、私。

先方のお父さんが電話を換わられ、この時間では東京に帰ると遅くなるし責任を持ちますとのこと。また電話に出た娘に、しかたがないが翌朝の東北本線の始発で帰って来いと。翌日早朝上野駅に娘を車で迎えに行きました。娘は3日間口を利きませんでした。

誤解なきように、普段私は小言をうるさくは言いません。いや、そのつもりで自分に言い聞かせてきました。後にも先にも、次女にはこの期間だけしか厳しく叱っていません。

渡辺昇一の著、『父の哲学』を読みました。感動したというよりは、私の行動は間違っていなかったのだと承認された安堵感です。もっとも書かれてある父の役割、全部は出来ていませんが。

日本の戦後の父親がどうして威厳がなくなってしまったのか、日本の今抱えている問題を、父親の復権を通し喝破しています。一読をお勧めします。
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