梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

何事も捉えよう(その1)

2020年12月12日 04時47分37秒 | Weblog
一週間前の5日と6日は、本来なら大学時代の山のクラブの同期の忘年会でしたが、中止となりました。一泊二日で、初日は登山そして温泉宿に泊まり翌日はその地の名所など訪れる企画で、参加者は8名でした。開催地は静岡市で、幹事役の私ともう一人が、11月初旬に調査行(現地下見)をして準備をしていました。

中止の理由はコロナの第三波の襲来で、政府がGoToキャンペーンの見直しに入ったからです。「静岡市内でもこの一週間、感染者が急増している。感覚的に静岡市民の方が、コロナに関しては東京の人より脅威の度合いが大きい」と、静岡に住んでいる幹事の一人からも連絡が入りました。参加者の皆さんに諮り、中止(正確には順延)としました。

その5日ですが、東京で夕方6名が集まることにしました。一泊二日の企画は順延となりましたが、打合わせる事もあり、集まれる者だけで会食をしました。この日東京は朝から冷たい雨。静岡地区は晴れの予想でしたが、登山しても快晴ではなく肌寒かったかもしれません。ものは考えようですが、実行しなくて良かったと思います。

その打合せとは、去年亡くなった同期の一人(Hさん)の追悼文集を出すことになり、その話し合いでした。去年の忘年会の参加を表明していたHさんが、開催の一週間前に帰らぬ人となりました。4年ほど前から癌を患っていましたが初日の宴会だけは参加したいと、この忘年会は初めてのエントリーでした。

Hさんの文集を作ることは決まりましたが、今後逝去者が出る度に追悼文集を作成することは困難である、との見解となりました。後に残る人ほど負担は増えます(笑)。そこで、その文集の半分は現役時代の写真集の構成ではどうかとの案が出て、更に細かな詰めの話し合いが必要でした。ZOOM会議も可能ですが、集まったことで話は先に進みました。来年の三月の発行を目指します。

その集まりで、一人の同期から二冊の本とCDを手渡されました。どちらも佐々木閑(ささきしずか)著の『真理のことば/ブッダ』と『般若心経』、そして“NHK100分で名著”の番組でそれを取り上げた録画でした。その同期の彼とは、仏教に関わる勉強会に一緒に参加したこともあります。
 
人が生まれ、老い、病んで、衰え死ぬことが世の法則、自然の摂理である。それを変えることも無くすことも出来ないのであれば、受け入れる側の自分の在り方を変えるしかない。そこにブッダの教えの本義があります。

般若心経でも難しい、「空」の解釈です。色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是。般若心経に出てくる一文です。色 (物質要素)は空(実体がないという状態)と別のものではなく、空は色とは別のものではない。色が空なのであり、空が色なのである。受(感受作用)、想(構想作用)、行(意志作用)、識(認識作用)、についても色と全く同じことが言える。直訳はこのようになります。受想行識(心の作用)も色と全く同じとなれば、空つまり実在がないとのことです。

般若心経この後の、もう一文です。是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不滅。この世の全ての法(基本的存在要素)の特徴は、空(実体がないという状態)である。それらは起こってくることもなく、消滅することもない。汚れることもなく、清らかになることもない。減ることもなく、一杯になることもない。そのような意味になります。つまりこの世を形成している一番おおもとの存在要素には、そもそも実体がないと云っているのです。我々に見えている転変の現象も、錯覚であるとのことです。

ブッダはこの基本的存在要素を否定していません。例えば石は一見すると、安定的に常住しているように見えるが、実際は単にそれらを形成している基本要素の集合体にすぎないので、実体がない。そして常に変化し続けていて、それが空であると云います。一方、ブッダの死後五百年以上経って現れた、「大乗仏教」という新しい宗教運動を信奉する人たちの中から生まれたのが般若心経です。般若心経では、この世の中は人知では捉えがたい、むしろ漠然として神秘的な形で存在していると考えたのです。同期の彼から手渡された本と番組録画から、そのようなことを学びました。

この一年会社も私生活もコロナに振り回され、そのコロナによって同期忘年会も順延となりました。同期の死にしても、悼む文集を作ることにも、色々心をとらわれます。ブッダも般若心経も私は十分理解はしていませんが、今見えているものは錯覚であると捉え方を変えれば、また何か見えてくるものもあるように感じます。 ~次回に続く~
コメント
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