梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

懐かしい東北

2011年04月23日 06時21分50秒 | Weblog
以前私は運送関係の仕事をしていました。私は父の経営する鋼材業の会社に入社したものの現場で大怪我をして、それがきっかけで先代が運送の別会社を設立して、10年間程そこに席を置きました。

その会社の主目的は、地方から東京に上がってくる運送会社に、帰り荷としてその地方に配送する荷物を斡旋する業務でした。先代が数年前から構想していた事業で、全て電話で商売が出来るので、怪我の後遺症が暫らく残った私には適任だったのです。

創業当時は東北六県にはよく出張に出掛けました。帰り荷を受けてくれる、その地方の運送会社を開拓していました。行く時は約一週間を掛け、車で東北地方を隈なく廻りましたので、主な幹線道路は大体覚えてしまいました。

今回の大地震で被災した岩手・宮城・福島県の地名に、当時出張で廻った懐かしい地名が多く入っています。釜石にも、石巻にも、仙台にも、南相馬にも、いわきにも一泊しています。昔の綺麗な街並みも、車窓から見た風光明媚な景色も、今は見るも無残なものに変わっているはずです。

学生の頃私は山登りのクラブに入っていて、一年の夏合宿は新潟・福島・山形三県にまたがる飯豊連峰に登りました。実は飯豊に登った後、やはり山形県にある朝日連峰に行く予定でしたが、私が原因で行くことが出来ませんでした。

何故なら、8日間分の食料や装備が入った重いザックを連日背負った為に、背中が擦れて皮膚が破れ、前半の工程中に膿んでしまったのです。急遽4年生のリーダーは、平地でゆっくりするプランに切り替えてくれました。他のメンバーにも大変迷惑を掛けてしまいました。

山形県の海岸線に出て、そして宮城県に入り女川町に着きました。今回の津波の被災地、また原発がある女川です。当時は原発も無く、女川湾は本当に綺麗な海でした。そこで泳いだりキャンプファイヤーをしたりした、楽しい思い出が残っています。初めてホヤ貝なるものを食べたのもそこです。

そんな東北の被災地が元に戻るのはまだ先のことでしょうが、一日も早い復興を願うばかりです。
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