銚子・角巳之・三代目

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落花生のこと...。

2022年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

銚子・落花生のこと...、時々掲載しております。毎年8月中旬から10月初旬まで(の収穫)
トウモロコシが終わり、キャベツが出てくるまでの間...。いわゆる端境期(夏場)の貴重な
収入源として銚子では20年以上前から栽培が行われているそうです...。

落花生と言えば、あの煎ったモノが一般的ですが銚子では生を茹でて食べる。いわゆる塩茹
落花生なのですが、我々にとっては一般的。他地区の方にとっては不思議な食べ物...。その後
ハマる人はハマってしまう逸品...。この時期、銚子の居酒屋さんのお通しはこれ...。

統計資料を見ると、(日本)国内で流通する落花生の実に90%が輸入品。国産10%のうち
千葉と茨城でその90%を占めておりますが、北海道、九州などでは産官学、メーカー、流通
などの関係者による新たな取組も多々始まっているようです。

落花生は千葉でしょ...。ということでしたが、様々な条件から千葉、茨城以外でも栽培が行われ
ているようですし、世界的にはナッツ類の需要が急増しているものの、干ばつ、長雨等により
収穫が思わしくないとのこと...。落花生のこと...。これから何かと話題になるかと思います...。

秩父へ

2022年09月14日 | 秩父巡礼

坂東三十三ケ所巡りを終えて約半年...。思い立ったが吉日と今度は秩父三十四ケ所巡りに挑戦
することと致しました。坂東三十三に秩父三十四、これに関西三十三を加えて日本百観音...。
更には四国八十八ケ所となりまして、全国188ケ所...。これを生きている範囲で...と。

いつか行けると思っているとなかなか行けないものです。そもそも興味すら無ければ行こう、
などとは思わないものです。何か心に思うところあり、こういう場合は思い立ったが吉日で
あります。秩父...。銚子から約200km、約3時間ほどの行程...発願と致しました...。

秩父とはいささかご縁ありました。大学時代の合宿で訪れ、社会人となっては2年ほど所沢
に住んでいたこともあり、週末に何度か秩父の自然を満喫...。そういうこともありました。
あれから30年です...。断片的ではありますが、記憶が蘇って参りました...。

関越・花園インターを降りて、ちょうど昼時でしたので飲食店探し...。こういう時は直感で。
今回はお蕎麦屋さんでしたが、大正解でありました。さて今回は1から5番札所を廻りました。
連続で掲載せず、毎週末あたりにまとめて掲載させて頂くことと致します...。





世論と輿論②

2022年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム

輿論ということが、正しい知識や情報に基づき徹底的に議論され合意形成を図る道筋だとすれば、
他方、世論はある種の感情、あるいは雰囲気。噂話の類も含まれてしまうのかもしれません。
あの人は〇〇なんだって...という根拠ない話が本当になってしまう恐ろしさも内包しております。

明治維新後、漢字の簡素化などの理由から当て字が使われ意味を混同してしまった事例の一つの
ようです。当時ラジオや新聞等の普及によってそれまで一部の知識階級の産物であった輿論形成
が、一般市民を巻き込んだ世論形成になった...。輿論の世論化と呼ばれるそうです。

時が進んで現代。SNSはじめ情報量が明治期と比べ物にならないほど多くなっている状況下に
おいて、世論と輿論を区別することは極めて重要ではないか?と感じております。意見が多く
なればなるほど...まとまらない。それでも徹底的に議論して合意形成の跡を残さないと...。

世論は短期的で人の感情、欲に直結する。輿論は将来に渡る長期的な展望であり、その合意形成
に参加する人は、感情や私利私欲を徹底的に排除しなければならない。将来展望を一時の世論で
解決しようとすること。これを教養が無いと言うのです...。再び恩師の登場でありました...。

世論と輿論①

2022年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

写真、犬吠埼と外川の中間あたりにあります奇岩・宝満(ほうまん)だと思います。よ~く
見ると、お腹の出た人(恐らく男)が、海に寝そべり天を仰いで笑っている...。そういう姿
に見える(かも...) 地球展望台からだと、ああ確かにそうだ...と見えるのですが...。

さて本日、世論(輿論)ということに付いて...。これも過日の歴史番組の受け売りですが...。
元来、世論(よろん)は輿論と書いていたそうです。漢字の簡素化から輿の字が世の字に
置き換わり世論(せろん)と書いて(よろん)とも読んでしまったことが混乱の原因だそうで...。

どちらだっていいじゃないですか?ということですが、この2つ。明確に意味が違っており
ます。意味が違っているのに何気なく使ってしまう言葉多いのですが、こういうことに対し
あれ、おかしいぞ...と思えないのは教養の欠如...。と昨日恩師からお叱りを受けました。

輿論(よろん)ということ、明治時代には“輿論は天下の公論”とされ、正しい知識、情報に
基づいて徹底的に議論し、合意形成を図ることを指していたようです。そこにあるのは、
感情や雰囲気ではなく、重厚な議論や背後に覚悟とか信念とか...。(続きは次回に)

生産現場にて②

2022年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

写真は野菜などを入れるコンテナ...。こちらもこれから大幅値上げですよ...という告知を受け、
値上げ前に補充しておこう...こうなりました。買う側にとっては少しでも安い方が有難いの
ですが、売る側からしたら早く価格転嫁しないと自分の商売が大変なことになる訳で...。

原油価格と飼料価格はだいたい連動していて、原油が上がれば飼料も上がる。その飼料に
ついて、このまま海外依存が高いままで良いのだろうかという疑問はずいぶん前から議論され
ておりました。どうも、もはや...議論の域を超え、具体的な実行の領域に入ったようです...。

以前、国産飼料99%での卵作りに励んでいる養鶏家さんのことを掲載しました。1個50円
と高価なのですが、生協さんを中心に販売好調のようです。輸入飼料が高騰し、現在は国・県
の対策で何とか持ちこたえているものの、これが常態化し対策(補助)が打てなくなったら...。

高い輸入飼料で卵を作れば、下手すると50円くらいになってしまうのではないか?...と。だっ
たら足元をもう一度(国産飼料で)...。写真・コンテナの中身は落花生なのですが、落花生の
皮・中の薄皮(茶色いところ)を飼料に。こういう具体的な取組、次々と開始されております。

生産現場にて①

2022年09月10日 | 日記・エッセイ・コラム

生産現場にて...。知人の養鶏場に参りましたら8月は鳥さん達も夏バテで産卵数が激減して
しまっている...と。養豚場に行ったらこちらも夏バテ。出荷体重に届かず出荷頭数が減って
いる...。それに加えて飼料高、燃料高...。コストは倍くらいに増えてしまっている...。

生産現場の飼料、燃料高に付いては農業・漁業を問わず国、県で様々な対策を講じており
ますが、一過性の対策を講じる...。これで良いのだろうか?という声も大きくなっている
ように感じております。世界情勢、円安等を鑑みるとこれは一過性ではなくこの先も続く...。

9月になって食料品の値上げも相次ぎ、それ以前から特に肉などはミート・ショックと
呼ばれるほどの異常な高騰が続いております。何気なく“異常”という言葉を使ってしまい
ましたが、これを異常と捉えること自体が、問題なのではないか?最近そう感じております。

すべからく常は無い...。要するに変わる...。現在は非常に大きな社会の変革期と捉えれば、
問題が起きる→対策・措置を講じる...の先を考えなければならない状況になっているのだと...。
何事も表裏一体...。値上げ値上げ...コスト高で嫌になりますが、ものは考えようで...。


正・五・九(重陽)

2022年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

本日9月9日...。9が重なる重陽の節句。この日は9・9で救急の日とか様々な記念日あるよう
です。殊に重陽は五節句の一つ。古より奇数は陽の数字であり、9は一桁の数の中で最大の数字
であり、それが重なると陽の気が強すぎて不吉...。よって各地でそれを祓う習慣があるのだ...と。

また正五九参りという習慣もあるかと思います。正月と五月と九月には神社仏閣にお参りに...と
いう考え方。先日、成田山でそのいわれを聞いたら、正月は年の始まり、五月は一年の内で最も
勢いが強く、9月は結実の時だからである...。とにかく正五九はどこかお参りに行っております。

9月となって所要ありまして九段界隈に。相変わらず行って・帰るだけの訪問でありましたが、
近くであるし、そうだ靖国神社へ。となりまして参拝して参りました。この界隈、学生時代を
過ごしましたので、いつ訪問しても懐かしく気持ちの良い時間であります...。

ちょうどお昼でしたので、靖国神社正門・通りを渡って反対側にある話題のお弁当屋さんに...。
話題の、“のり弁当”1,000円(写真)。値段は高いけれどその価値十分。仕事柄こういう
お弁当があるとつい...。重陽を過ぎ、虫の音が心地良く...。また季節が進んで参ります。

棺を蓋いて...。

2022年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

棺(ひつぎ:或いは“かん”)を蓋(おお)いて事定まる...。なることわざがあります。読んで
字の如く、人の評価は生きている時にすることは難しく、死んで(棺の蓋が閉まって)から
真価が問われるところ、そういう意味でしょうか。これまた解釈様々なこと承知しております。

生きているうちは利害関係、その時の感情はじめ様々な思惑が入り込んでくるのでなかなか
本当のところが分からない...。死して後...、その人がいなくなってどう感じたか?が真の評価。
これはその通りだろうと思います。寂しくなるか、せいせいするか、困るか、ホッとするか...。

先日お亡くなりになったある国の指導者のこと。冷戦を集結させた偉人として世界的名声を
得るも、自国では自国の歴史を終わらせた大罪人(という声が多い)。人それぞれ立ち位置に
よって意見は変わるのでしょうが、棺が蓋われた後、どんな評価が下されるのでしょうか?

その国の市民の声(の一つ)、彼(亡くなった指導者)は我々に自由をくれたが、我々市民は
それ(自由)が何なのか分からなかった。あれほど渇望していたのに...。何とも切ない話だな
と思いながら聞いておりました...。ふと、棺を蓋いて...ということわざが出てきた次第です。

22年...③

2022年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

関東大震災後22年で東京大空襲(終戦の年)...。終戦から現在まで77年...。ということは
震災から現在...99年ということであります。これまたゾロ目...。来年、100年となります。
人生100年と言われる昨今...。100年という時間の流れをどう感じるか?...。

以前、人生二度は自らどうしようもない事態に遭遇する。という大先輩の遺訓を掲載致しました。
この100年に生きてきた方は関東大震災と太平洋戦争...だと。然らばこれからは何だろう...。
阪神、東日本大震災か、コロナ禍が入るのか、はたまた未知なる何かが起きるのか?....。

毎度のことながら、先のことは何も分かりません...。がしかし、77年、22年...と、時間の
節目で、その時人はどう振舞ったか?と考えると、不可抗力であっても逞しく、確実に足跡を
残してきたことが痛いほど良くわかります。そこにあるのはまだ見ぬ未来への“まなざし”...。

今腹が減っているのだから、今そこにあるものを食べて何が悪い。でも食べてしまったら、後に
何も残らない...。そんなの知った事か...。この一連が、無知と言われる所以なのかもしれません。
人生のどこかで自らどうしようもない事態に遭遇する...。その時に...。歴史の叡智であります。

22年...②

2022年09月06日 | 日記・エッセイ・コラム

復興計画を構想し、かつ断固たる決意で実行する...。言うは易しですが...。都市計画の“敵”の
一つに“無知”...、しかも最も厄介と語られていた訳ですから、その当時の様子が如何に困難で
あったか容易に察せられます。先般掲載の無知の知、無知の無知と言うこと思い出しました...。

番組では関東大震災後の復興に尽力した米国人建築家が描かれておりました。その後、太平洋
戦争となり、この米国人建築家は戦争を早く終わらせるため米軍に日本(東京)の家屋事情に
ついて情報提供する。下町の木造家屋を狙え...。この苦衷...、察して余りあるものがあります...。

戦後、この米国人建築家は再び日本の復興に尽力する...。まさに時代に“翻弄”されながら、それ
でも自らの人生を全うしようとしている姿に心を打たれます...。二者択一でどちらかが正解、
他方が不正解...ではなく、そもそも正解の無い領域で人間はどう振舞うか?ということについて。

震災復興に尽力し知り得た情報を軍に流し降伏に追い込み、今度はその戦後復興に再び尽力...。
後世の評論家なら何とでも言える...。自己矛盾、偽善...等々。後藤新平および、米国人建築家
レイモンドの足跡を改めて学びたい...。時を越えた仕事...ということに繋がるからであります。

22年...①

2022年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

先般の77年...とか、最近数字のゾロ目タイトルが多いような気がしております。偶然と言え
ば偶然なのですが、否・何か意味があるのかも知れないと、これまた日々の戯言であります。
関東大震災から22年後が東京大空襲。22年に2度も焼野原になった東京、その復興のお話。

これまた先般掲載のTV番組の受け売りでありますが、これは事実です。何故復興したか?に
ついては当時の日本人の精神力...となるのでしょうが、人々の精神論だけでなく都市計画という
ことに付いて語られていた今回の内容は、現在もそのまま当てはまるのではないか?と。

後藤新平という政治家が描かれておりました。詳細は省略しますが震災後の東京市長として、
帝都復興計画を構想しかつ断固たる決意で実践した偉人...。珠玉の言葉が散りばめられており
ました。災いが災いで終わってはならない。都市は四つの敵と戦わねばならない...。

四つの敵とは曰く、疫病・無知・貧困・無慈悲である...。殊に無知ということが一番厄介である。
後藤新平に関する書籍を何冊か読んでみましたが、仕事にお人柄が滲み出ており、やはり有事の
リーダーは無私、胆力...こう感じた次第です(続きは次回に)


ヤマゴボウ(2022)

2022年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム

昨年、突如として事務所・駐車場奥に出没した植物...。何か実のようなものが付いており茎は
太く、その色は紫色掛かった何か不気味な雰囲気を醸し出しておりました...。自然発生的に生
えて参りました。恐らく種子が鳥か風に運ばれて来たのだろうと思います。

図鑑で確認し専門家に再確認したら“ヤマゴボウ”で間違いないとなりまして、山菜として売られ
ている山ごぼうとは違うので、絶対に食べるなよ...と(食べようとすら思いませんでしたが)
そして今年...。昨年の2倍以上の大きさでまた生えて参りました...。

切ってしまおうかと思いましたが、これまた何かのご縁だろうと思いました。何よりもすでに
茎が非常に太くなっており、もし切ったら血が出て来るのではないか...。と、そんな雰囲気に
なってました。あと1ケ月ほどで実が沢山出てきて、鳥がこの身をついばみにやってきます...。

この実には毒があるようで人間が食べると中毒を起こす恐れがあるようですが、鳥は好物の
ようで、あと1ケ月もすれば全て食べ尽くされることでしょう。これまた植物(ヤマゴボウ)
の(種の)保存戦略...。すでにハトが来ていました...。2022年ヤマゴボウ記でした。

バタフライ・エフェクト②

2022年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

バタフライ・エフェクトという番組...、そこで取り上げられる内容はもちろんですが、この
タイトルに込められた意味に考えさせられること大であります...。最初の小さな違いが後に
大差を生む...。解釈の仕方は人それぞれと思いますが、つまりそういうことだと...。

そういう思考を阻むものは、先般掲載の思考停止あるはある種の諦め...。近くの小さな変化
を見逃し、遠くの大きな(曖昧な)世界に心を馳せる...(自戒の意味を込めて)。神々は
細部に宿ると申しますし、部分は全体の相似形(フラクタル)であることを知れ...と。

部分最適の総和は全体最適では無いけれど、まず始めるところは部分...。全体を見て部分を
見て...これの繰り返しが合意形成とかそういうことに繋がるんだろうと思います。かつて
お世話になった先輩方(団塊世代)が言っていたこと...“燎原(りょうげん)の火...。

燎原の火とは、火の勢いが増し、もはや止められなくなる様を表しているのだそうです。
小さな蝶の羽ばたきが遠くで竜巻を起こす(かもしれない)そういえば、銚子の海の“うねり”
もその遠因は遥か太平洋の沖合から...。バタフライ・エフェクト...これから心に留めて...。

バタフライ・エフェクト①

2022年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

バタフライ・エフェクト...。直訳すれば蝶(昆虫の蝶)効果とでもなりましょうか...。これが
何故出てきたかと言えば、NHK同タイトルの番組を毎回見ているから...ということなんですが
ここからあちらこちらに飛躍して、なるほど...。これは面白い...。となったからであります。

有名な一節、ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサス(米国)で竜巻を引き起こすか?という
命題...。そんなの知るか!...ということですが...。蝶の羽ばたきは非常に小さなものである。
がしかし...。ここから転じて小さな要因が後に大きな事柄を引き起こす可能性がある...と。

カオス理論等、難しい話も出て参りましたがいつものように難しい話は一切省略...。ただこの
例え、非常に親近感を感じるのは気のせいでしょうか?蝶のはばたきによって、僅かな空気
の流れが出来ることは事実...。これが一羽であれば些少でも物凄い数が一斉に羽ばたいたら?

このことによって竜巻が起こる...。そんなバカなと思っても、可能性として否定することは
出来ない。そしてそれを予測することも困難である...。気象学、物理学、数学の領域らしい
のですが、直面している様々な問題に繋がっている...と(続きは次回に)
 



トンネル(出口)③

2022年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

本日から9月...。暑くなったり、涼しくなったり...と気温が目まぐるしく変わって参りますが、
やがて本格的に秋風が吹き、気が付くと年末...。こうやって容赦なく時間が進んで行くのだろう
と...。さて、道路の受益者と言うことについて再考...。まずは私が東京在住の時の感想...。

当時、北海道、九州に行く機会が多く、牧場・農場に続く道はみな整備され高速がほぼ完備され
ているという状況でありました。俗に言う地方の道路は立派...。勝手に税金の無駄遣いとか地方
のおねだりとか、そう思っていた時期もありました。都市生活者の目線だったと思います。

こんな立派な道路...。車がほとんど走っていないじゃないですか?...と地元の方に申し上げ、
“喝”を喰らったこと良く覚えております...。だったら夜中、早朝に来い...となりまして、そこで
見た風景...。首都圏の市場に向かうおびただしい数のトラック...。魚や野菜、肉を運んでました。

都市生活者もこの道路の受益者と思った次第です。全体の一部を切り取ってそれをして全体の
批判とするのは間違い...。現在、地方生活も長くなり(目線が変わり)中央市場への到着時間
を気にしている自分がいる...。道路の受益者は双方向(都市・地方ともに)...であります。