銚子・角巳之・三代目

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H校長先生・講演③

2006年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0545 ちょっと前まではごく当たり前の事だったのに....。気が付いた時にはもう手遅れ。そんな事が良くあります。昨日の話然り。田んぼも一度手入れを止めたら同じ状態には決して戻らないと言いますし、家畜の世話や魚の処理をするより、同じ金額を稼ぐ“だけ”だったら、もっと手っ取り早い商売はいくらでも有る。定年したら農家に“でも”なろう。“いずれ”やる....。とこんな感覚で農業・畜産業・水産業に付ける訳がありません...。なるほどだから幼少期の教育だったり、食育=生き方教育か?....と講演を聞いて繋がるところが沢山出てきました。お米の“米”という字は“八十八”とも読める。これはお米を作るのに88の手間が掛かっているということなのだそうですが、そう言えば最近、米粒残したらお百姓さんに申し訳ない。という方、少なくなりました。駅弁を食べる時、まずはフタの後ろにくっ付いた米粒を剥がして食べる(私もそうですが)、こんな風に食べると、貧乏くせえ~、と言われたりします。子供の頃、隣の家のおじいさんに、そこの“まんじゅう”取ってくれ。と言われ、私がそれを投げて渡したら、“食べ物を投げるとは何事か?と烈火のごとく叱られ、一発殴られました。私が小学校1年生の時の話。今でも鮮明に覚えております。あまりの怖さに言葉を失ったのですが、私を含めて、今近所の子供が食べ物投げつけて、それを叱れる大人がいるだろうかと考えたりしております。未だにあの時のおじさんの怖ろしさが食べ物に投影されて...。これは少々異常な経験かと思いますが、少なくとも30年前の田舎にはそういう人がいたな~。そんな事を思い出しました。


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