夏の甲子園で北海道の強豪チームが“栴檀林、栴檀林(せんだんりん)”と歌ってました。この栴檀林とは、曹洞宗における学校・大学の意。現在の駒澤大学だそうです。また栴檀(せんだん)は双葉(ふたば)より芳し。ということわざがあります。栴檀とは白檀(びゃくだん)の木を指し、白檀は発芽した頃から芳香を放つ事から、大人物は子供の頃から他とは違って優れている。に通じるようです。反対語は大器晩成でしょうか。早くから頭角を現す人もいれば、年を重ねるごとに輝きを増す人もいて、それぞれに素晴らしさがある。花も木も人も様々です。さて写真は飯高檀林の正門。質素ながら極めて重厚。この扉の先には厳しい修行が待っている訳で、さながら俗世間との決別の場のような荘厳な雰囲気があります。現在は史跡として存在しているだけですが、門の前でたたずむと、修行に励む若者の真剣な姿が目前に迫ってくるような感覚に囚われます。
千葉県内には古寺・名刹が沢山有ります。写真の飯高檀林(いいだかだんりん)もその一つ。銚子から車で約40分、匝瑳市(旧八日市場市)にそれはあります。檀林(だんりん)とは仏教で学校・大学の意。ここ飯高檀林は日蓮宗に属し、日本最古の大学と言われる立正大学発祥の地であります。以前から是非訪れてみたい場所の一つでありましたが、先日、匝瑳に行く用事が出来たので、これ幸いと寄り道して参りました。敷地内は静寂に包まれ、聞こえるのは鳥のさえずりのみ。派手な建造物は一切ありませんが、他を圧倒するような威厳に満ちた空間です。ここはとても由緒があるお寺で、御三家の紀州、水戸と縁が深い。隣接して“黄門桜”というものが有りますが、これは水戸の黄門様の植樹によるものとか。威厳がありながら来るものを優しく包み込む。そんな空間で、しばし時間を忘れました。何枚か写真を撮ってきたので、明日から2日ほど掲載する事にします。
車で成田周辺に行く機会が結構有ります。毎回同じ道だと面白くないので、わざと遠回りしたり、何か見つけたら車を止めて散策したりしております。やはり千葉は自然に恵まれており、毎回何らかの発見があります。先日、少々遠回りをし過ぎて道に迷ってしまったのですが、田園風景の中に突如、写真のような風景を見つけ車を止めました。千葉ニュータウン、成田ニュータウン、ユーカリが丘...。成田周辺は首都圏にも近く、ニュータウンと呼ばれる新しい街が今までいくつも出来ましたし、これからも増えていくことと思います。私は東京時代、新宿区戸山という街に最も長く(10年)住んでおりました。近くには戸山ハイツと呼ばれる非常に大きな団地がありましたが、数年前から高齢者の単身世帯が増え、社会問題化しておりました。高島平などかつてニュータウンと呼ばれたところも同様だそうです。ある一時期に新しい町が生まれ、多くの人が集まって参りますが、みな歳をとり、それぞれの事情を抱えながら離れていく。人が去って残されたのが高齢者のみ。そういうケース少なくないそうです。千葉のあるニュータウンは“街づくり”という事に配慮し、いきなり大きな町を作るのではなく、数十年という単位で計画的に街づくりをしていると、TVで特集されていました。毎年入居できるのは200世帯に“限定”し、人口構成が極端にならないようにしているとの事。街づくりはやはり数十年先、世代を超えた見通しが必要なようです。
昨日の続き。金さえ払えば何でも食える。確かにそうなのかもしれませんが、農作物の成長を見守り、自ら汗を流して、腹をすかして食べるご飯は格別であります。当日はマキの“かまど”で炊いたご飯と、地元で取れたやまと芋、ウリの漬物をご馳走になりましたが、最高に美味しかったです。それに地元の豚肉、注文を受けてから採って来たトウモロコシ。トマト...。こういうイベントの醍醐味であります。さて写真の小民家。本当に素晴らしいです。私、近代的な建造物よりもこういった小民家に心を動かされ、いずれこういうところで生活してみたいと思っております。この小民家は大原幽学記念館の隣に建っており、大原幽学ゆかりの家だそうです。大原幽学(おおはらゆうがく)は名古屋の出身ですが、江戸時代にこ旭を中心として農村改革運動を指導した偉人であります。経済と道徳の調和を解いた“性学(せいがく)”を唱えました。また農業協同組合のルーツと言われる先祖株(せんぞかぶ)組合など、農民が自活出来るような様々な方策を実践し多大な成果を上げた。と記念館に有りました。余談ですが、私が大学時代、その大学の学長先生は文学部の出身で、専門は江戸時代の農政、特に大原幽学研究の第一人者だと在学中に聞きました。地元にいながら何も知らなかったのですが、その時はじめて大原幽学の名を聞きました。それからずっと気になってはおりましたが、今回はこれまた何かのご縁だったのでしょう。道徳と経済の調和“性学” 今、大原幽学の思想は大きな注目を浴びておりますが、その性学の思想に金を払えば何でも食える。は有りません。
千葉県は直売所王国と言っても良いくらい、県内至るところに農畜産物の直売所があり、各直売所それぞれが特徴あるお店作りや品揃え、イベントなどを行っております。写真は栗源(くりもと:成田の近くです)にある直売所、成田までの配達の途中で見掛けましたので立ち寄りました。そこで“メダカ”売ってました。観賞用でしょうか。ここの直売所ではザリガニも売ってました。メダカやザリガニ。私の子供の頃の記憶では、日常の風景にそれらはありました。メダカはお菓子の“エビせん”を撒くと寄ってくるとか、ザリガニ釣りのエサには“酢イカ”が良いとか、みんなで知恵を絞ったのを思い出します。ここでメダカが売られていた是非はともかく、何故メダカがいなくなったのか?という事と、メダカがそこ(自然に)いる。という事、すごーく深い問題提起です。生物の多様性とか、環境感受性の高い指標生物の存在が人間の生活環境を推し量る1つのバロメーター。メダカは人間に警鐘を鳴らし続けているように思います。
写真は野に咲く藤の花です。臥龍の藤のような管理された、歴史ある藤棚は見事ですが、千葉県は自然王国。至るところで、こんな野生児を見ることが出来ます。これまた一興です。銚子に戻って、都会と田舎の大きな違いの一つは“スピード感”だと感じています。これをどう考えるかです。田舎はスピード感が無くてね~。という発想は気が滅入るので、スピードが遅いが故に得られるものは何か?こんなふうに考えています。この写真も今までなら全く気にも留めなかった風景だと思います。今までA地点からB地点まで。とにかくそこに“行く”、(しかも早く)事だけが目的になっていたような気がします。出張で全国各地を回りましたが、生産者の方々とのスピード感の違いにイライラしたこともありました(本当に失礼な話ですが...)でもこの感覚、最近は良く分かるようになってきました。何かを作りあげるには時間が掛かるんです。それが積みあがって伝統や歴史になるにはさらに多くの時間を必要とします。そろそろ田植えが終り、これがおコメになるまで約半年。それが毎年再生産されて、豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに:古事記等で日本を表す言葉です。葦の草原のように稲穂の実り豊かという意味でしょうか)と呼ばれた原風景が出来上がってきたのだと思います。今日も余談が過ぎました。ところでこの野生の藤、至るところに欠落が見られます。地元の方に聞くと盗難だそうです。悲しい話です。
話には聞いておりましたが、その大きさにビックリしました。印旛・吉高(“きったか”と読むらしいです)の大桜。樹齢は300年以上、根の周りは20m以上あるそうです。千葉ニュータウンの帰りに寄ってみました。印旛の中央公園に車を止めて、徒歩で30分ほど山に入るとそれはありました。(まだ開花していません。花が咲くのは1週間から10日後だろうとの事です)。当日はあいにく雨混じりの空模様で、行ってもまだ咲いてないよ。と地元の方に言われておりましたが、どうしても気になったので行って参りました。“明日ありと、思う心の仇桜、夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは”(親鸞上人) 不思議な事に、ふとそんな詩を思い出しました。明日も咲いてるだろうと思っていても、夜に嵐が吹いたら桜は散ってしまうかもしれない。人生訓のような深い詩です。桜の花のはかなさも感じます。昔の人は自然に対して物凄く心が研ぎ澄まされていたのだろうと思います。この大桜。満開になったらさぞ壮観で綺麗だろうと思います。まだ開花前にもかかわらず圧倒的な存在感でした。