風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

光太郎の足跡

2018-01-26 | 散歩
昭和20年、東京のアトリエが空襲に遭って焼失。
彫刻家で詩人の高村光太郎は
かねて親しくしていた宮沢賢治の父親政次郎の誘いで
花巻に疎開してきた。
はじめは宮沢家に居候していたのだが
ここも8月10日に花巻空襲で焼け、
旧制花巻中学(現花巻北高)の元校長だった佐藤昌宅へ
そして9月には、当時花巻共立病院(現総合花巻病院)院長だった
佐藤隆房先生宅に寄宿したのだった。
その後、山奥の太田村山口(現花巻市太田山口)の山荘に移り
独居7年を過ごすことになる(現高村光太郎記念館)。

ところで、佐藤隆房先生の旧宅が現存している。
息子で、前総合花巻病院長の佐藤進先生宅は
道路に面したところに後に新築されているのだが、
光太郎が一時住んだ隆房先生の旧宅も
その後ろにそのままの形で残されているのだ。
今回特別にそのお宅の中を見せてもらい、大感激した。



門構えから玄関先の貫禄。



電話は116。救急と間違えそう(^^;



ほぼ当時のまま家そのものが残っているので
どこを見ても昭和初期(昭和3年築とのこと)の邸宅。
素晴らしい。



雪見障子どころか、障子のガラス窓が開く仕組み。
こんなの初めて見た。
飾りガラスも当時のままで、ちょっと感激。

光太郎が住んでいた部屋は次号(2/20発行)のマチココに掲載予定。
乞うご期待。
コメント
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