風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

あれから12年

2007-01-17 | 風屋日記
今日は阪神・淡路大震災から12年目。
犠牲者の方々へ追悼を捧げるとともに
被害に会われた方々のこれまでのご苦労に思いを寄せる。

あの日は今日と同じように
出勤のために朝早く家を出るべく朝食をとろうとしていた。
つけていたNHKの朝のニュースで
「近畿地方で大きな地震があったようです」
との第一報。
京都や大阪が震度5という表示が地図上に出ていた。
当地で震度5は十勝沖、宮城県沖、三陸沖の各地震で体験したが、
「あんな大都会で震度5とは、大変なことだなぁ」
と母ちゃんと言葉を交わしたことを覚えている。
でもおかしいと思ったのは神戸に震度表示が出なかったこと。
それは家を出る7時前になっても変わらなかった。
昼休み、昼食を取る時にテレビのニュースでことの重大さを知った。
これが日本かと思うほど信じられない映像が映っていた。

すぐに、当時芦屋に住んでいた高校時代の友人に連絡を取ろうとした。
電話が繋がらない。職場にも繋がらない。
翌日になってようやく職場への電話は繋がったものの、
私の友人をはじめ、多くの社員は安否すらわからないとのこと。
・・・・・
1週間経って、やっと彼と連絡がついた。
彼も彼の家族(息子2人が我が家と同年齢)も無事だった。
彼の家を含む、周囲の家々がみんな全半壊したとのこと。
最初の2日間は、無事だった近所の人達と一緒に、
閉じ込められた人達の救出活動をしていたとのこと。
その後数日間、援助団体の人達と救援活動をしていたとのこと。
1週間の話をひととおり聞いた後で、ポツリと彼が言った
「神様はどうしてこんなことされたんだろうな」
に、私は返す言葉を失った。
高校時代にはいつもヘラヘラ冗談を言い合った彼、
東北大工学部から大学院まで出たあと
一流メーカーの研究所に勤務するエリートエンジニアの彼、
絶対にそんな言葉を発する人間じゃない彼の言葉だからこそ
その言葉を重く受け止めざるを得なかった。

あれから12年。
ニュースでは被害が風化しつつあることに警鐘を鳴らしていたが、
まだたったの12年、風化はしないよ。
実際に見、体験した人達が語り続けているうちは。
今年はなくなった人達の13回忌であるという。
合掌。
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3 コメント

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12年・・ (♪ひばり)
2007-01-17 22:06:10
いつも通ってた道に 但馬銀行が倒れてて 信じられない映像今でも思い出します
冬に神戸(三宮)に行ったけど すっかり見た目は震災前と変わらなかった・・・スゴイと思いました
高層マンションも沢山建ってましたし・・・

震災にあった友人が「枕元に履き物は必ず置いとけよ!!」って
忘れたいけど 忘れちゃいけない事も有りますよね


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当時 (bunko)
2007-01-18 00:49:44
震災時、大阪市内に住んでいました。
その日のことは忘れられないですね。

家は、市内でもだいぶ南のほうだったのですが、
かなり揺れました。
ベッドの脇に立てかけていた鏡が倒れ、
冷蔵庫の上の電子レンジは90度回転、
目覚まし時計は落ちて針が取れました。
会社の人の中には、家がつぶれてしばらく下敷きになってしまった人もいたのですが、幸いにも誰も大きな怪我はなく。

倒れた鏡は、今も使っていて、今、私の真横にあります。
倒れた時についたキズがガラス面に残っているので、
見るたびに、思い出しますね・・・
返信する
おはようございます (風屋)
2007-01-18 08:17:06
>♪ひばりさん
>bunkoさん
当日、当時刻にその場に居合わせた方々おひとりおひとりが
それぞれに体験した事実はとても重いと思います。
それは誰もが想像はできるけれども100%はわからない。
どうぞいつまでも忘れず、そしてできれば語って下さい。
戦争にしろ、災害にしろ、
その記憶を風化させるわけにはいきません。
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