風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

ちゃんと負ける

2015-01-26 | 風屋日記
これまでの54年間の人生、結果として全く後悔はない。
総じて平凡ながら楽しい人生だったし、
もう一度繰り返してもいいと思っているぐらいだ。
それでも小さなことでいくつか、
「あの時こうしていればどうだったろう」
「こうしたかったなー」
と今も時々思っていることはある。

そのうち最も思い返すことが多いのは大学受験。
高校時代に行きたい大学、学部が2つあった。
しかし結局どちらも受験することすら許されなかった。
私が通うところとは別な高校教員で進路指導担当だった
親父の猛反対にあってのことだ。
「そんなとこ出て何をする気だ?」
「どんな仕事に就けるというのだ?」
「(親父が望んでいた)教員になれなくなるぞ」
「受験勉強から逃げてるんじゃないのか?」
(当時の成績はその2校とも射程内だった)
現役の進路指導の先生にそう突っ込まれると
社会経験の無い高校生は反論の言葉を持たない。
おまけに親父はワタシの説得に伯父まで引っ張り出した。
「そこ出て何をしたいのだ?と面接で疑問に思うなぁ」
と大手企業に勤める伯父は苦笑いで言ったものだ。

親父が望む教員になるための、
地元国立大教育学部合格を諦めて逃げてるだけ・・・
と親父は思っていたらしい。
代わりに教員を多く排出している私立大を薦めてきた。
ワタシとしては首都圏郊外の
教員養成ガチガチのそんな大学には行きたくない。
東京(しかも中心部)に出、文章修行をしたかったから。
何度か抵抗を試みたが無駄。
結局希望するところは受験すら認めてもらえず
折衷案だった東京の国立大教育学部も
中途半端な勉強の結果(当時の)共通一次で失敗した。

その後のワタシの作戦は浪人。
当時岩手には大学受験のための予備校が無かったから
仙台か東京で浪人しつつ、密かに志望校を受けちゃおうと
現役での大学進学を諦めた。
親父の手前、一応現役でも国立、私立を受験したが
親父の薦める私立大で受けたのは3校のうち1校だけ。
あとは「今合格は厳しいだろう」ところだけ受けた。
結果は・・・
親父が薦めた大学だけに引っかかってしまった(笑)
そして、結局教員にもならず現在に至る。

今、当時の親父の年齢に近くなって、
あのときの親父の気持ちが少しわかるような気になっている。
とはいえあの受験は未だに心残り。
卒業後の人生が今と全く同じであったとしても
やはりあの2校のどちらかに入りたかったなと今も思う。
もし仮に受験していて合格できなかったなら
今こんな気持ちになることは無かったのだろう。
挑むことすらできなかったことが今も心の引っかかりになっている。

昨日書いた「アゲイン~28年目の甲子園~」にあった
「ちゃんと負けろ」という言葉に
ふと、また当時のことを思い出してしまった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「アゲイン~28年目の甲子園~」 | トップ | 後藤さんの無事帰国を願う »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

風屋日記」カテゴリの最新記事