論文で「です/ます」体で書いたら却下されたと嘆く哲学者が
「だ/である」体とは何が違うのかを考察した本。
タイトルはかっこいいけど、ただそれだけを本にしちゃうって
ある意味すごい😅
でも確かに、無意識のうちに使い分けていたけれど
きっちりした法則や規則を考えたことがなかった。
どうやら「です/ます」体は江戸時代に出現したらしいが、
一般化されるまでは「卑しい言い方」とか「田舎者の言い方」とか
現代においては噴飯物の表現である「おんな子どもの言い方」みたいな、
当時としてはかなり蔑んだ扱いを、当時の学者から受けたらしい。
それまでの候文から、言文一致運動を経て
「だ/である」体は演説の文体として定着した明治20年ごろから、
「です/ます」体は同じく明治20年ごろの初等国語教科書から
・・・とのこと。
(それが「子ども向け」と称される原因かと思われる)
本書では「機能」と「効果」に分けて論じられているが
「です/ます」体は主体的、「だ/である」体は客観的な表現という
文献からの引用も行われている。
一方で「です/ます」体は敬語ではないかという論に対しては
「丁寧語ではあるが、丁寧語自体敬語の範疇としては薄い」
という結論を述べている。
最終的には
「です/ます」体は常に読み手を意識する表現で、
「だ/である」体は読み手を意識しない表現とのこと。
主観と客観の違いにも通じる。
なるほど。
でもさ、通常のメディア(新聞、web記事など)は
大抵が「だ/である」体だけど
読み手がいないと成り立たない文章だよね。
考え始めるとなかなか奥が深い問題。