風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「スサノヲの正体」

2024-03-19 | 読書

タイトルと、「はじめに」に書かれた
「スサノヲの正体がわかれば、
 ヤマト建国と古代史の多くの謎が解けてくる」
の言葉に惹かれて購入、読了。
最初は、これまでの推理を基にした学説などに反論していて
「こりゃ面白い」と読んでいたのだが、
徐々にこちらも「推理を基にした学説」的になってきて
全面的に賛同までに至ることができなかった。

しかし、古事記と日本書紀を
蘇我氏と藤原氏による、それぞれの系統の正当性を
出自の神になぞらえて書かれたものではないかという考えや
(特に藤原氏による歴史改竄)
実はスサノヲこそが建国の父であったという仮説は
比較的同意できる説明となっている。
そうでなければ
例えば造り酒屋の杉玉の風習や蘇民将来伝説、
祇園祭や八雲神社、八坂神社への帰依や信仰など
今でも根強く残るスサノヲに繋がる風習は残っていなかったと思う。
以前から私が想像する「卑弥呼はったり説」も
本書の言わんとするところとは相反しない。


そういう意味では、読んで良かったと思う。
全面的に肯定したり、信用したりという説はあり得ない。
なにせ誰も見たことがないころのことで
なおかつ具体的資料もそれほど残っていないから。
状況証拠と推理しかないのだから、それは仕方ない。
一部でも「なるほど」と思うことがあれば
それを知識としてストックすればいいだけのことだ。

ところで、終章に示唆に富んだ一文があって
これには思わず唸ってしまった。
なるほどそういうことだ。
「日本列島で独自の文化を築き上げていた縄文人たちは
 多神教的発想をよく守り、
 大自然には太刀打ちできないとかしこまった。
 一神教の考えは正反対だ。
 一神教は唯一絶対の神が宇宙を想像し、
 神に似せて人を創ったと説く。
 だから、人は神になりかわって大自然を支配し、
 改造する権利を持つと考えた。
 人間の理性が、正義と考える。
 そして、この一神教的発想が、さらに恐ろしい文明を造り始める。
 一神教は砂漠で生まれた。
 生命を排除する苛酷な砂漠で生きていた人たちは
 豊穣の大地を追われた人たちである。
 だから、政敵や他民族を呪い、復讐の正当性を求めた。
 これが、一神教の原点だ。
 だから、『旧約聖書』の中で、神自身が復讐を誓っている」
明治維新から終戦までの日本も
「多神教」の神道を国教としながら
それを自然に求めるのではなく天皇神格化に求めた結果
一神教的な盲信の発想と相なった。
それが本書で一番腑に落ちた一節となった。

「スサノヲの正体」関裕二:著 新潮新書


 
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2 コメント

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マルテンサイト千年 (鉄魂熱処理)
2024-03-26 09:53:06
おもえばグローバルな視点で考えると明治維新は一神教国家の帝国主義の植民地支配が、アジアへ魔の手を伸ばしてきた危機感をもったサムライ階級が自らの階級をぶち壊してまでも日本を守ろうとしたという世界史上類例のない大革命であった。それは多神教国家の最後の砦みたいなものであり、現に現在先進国で多神教国家として仲間入りしているのは日本ぐらいのものである。しかし一神教国家と対峙するため中央集権的で一神教的なものも取り入れたのも事実である。そういうスパイラルな発展は歴史につきものだから哲学によってしか善悪は判定できない。
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コメントありがとうございます (風屋)
2024-03-26 16:38:04
確かにそういう見方できますね。
とはいえ、個人的にはあの残忍な暴力革命(明治維新)を肯定する気になれず、それもあって靖国神社を否定しています(元々新政府軍兵士を祀ったものなので)。そこまでする必要はなかった。もっと平穏に幕臣たちと手を合わせて新日本を創っていれば、廃仏毀釈も、日本の伝統文化全否定も、一神教的発想もなかったのではないかと思います。
そういうワタシも長州クオーターですが😅
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