風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

ファミリーヒストリー

2017-01-14 | 風屋日記
NHKの同番組をよく見る。
徹底的に調べる内容がすごい。
よくぞここまで調べるものだと感心する。
我が家も調べて欲しい(笑)

父が生前、自分のルーツを調べていた。
ワタシの父方の祖父は山口県出身。
だからワタシの苗字は岩手では割と珍しい。
山口市役所から除籍謄本をとって
祖父の、さらに祖父までの名前は確認できている。

祖父吉五郎は長男でありながら、
明治中期には山口市の家を出奔している。
東京で法律を学んだ後、どういう経緯か陸軍に入隊。
皇居の近衛兵を経て、盛岡駐屯地に赴任したとのこと。
盛岡で祖母と結婚している。
その後除隊し、近衛兵時代に知り合った実業家に請われて
秋田県の花岡鉱山に勤務。
伯父たちの年齢を考えると鉱山にも長くはいなかったらしい。
その後花巻の奥地、今はダムに沈んだ豊沢集落に入り
当地の人々に炭焼きを教えたらしい。
(伯父たちは同地に小学校がなかったので
 盛岡の親戚の家に預けられたと聞いた)

炭焼きが軌道に乗ると
祖父は花巻の街に出てきて
炭を首都圏に出荷する仕事を始める。
その頃父も生まれたようだ。
それなりに商売がうまくいっていたところに
関東大震災が起こり、出荷したばかりの炭が全て焼け
祖父は一文無しになってしまう。
同じ年に長男が結核で死去。
そのあとは県木炭協会を設立。
自ら理事長となって木炭新聞を発行したりしたらしい。
当時の花巻町議会議員などにも就ている。

昭和20年、花巻の空襲で家を焼かれ、
引っ越した先で今度はアイオン台風で水害に遭い、
末っ子であったワタシの父も結核で入院することになり
失意のまま昭和27年死去。

祖父を知る人から聞くと
岩手県人にはない社交性を持ち、弁舌鮮やかで
とにかく顔が広かったとのこと。
一方で、口の悪い亡き伯父はよく「山師」と言っていた。
ワタシの父は「真面目が服を着ている」ような人だったが、
父の3番目の伯父が祖父の血を引いたためか
破天荒な人生を送った人だったようで(戦前に死去)
父はその伯父を反面教師にしていたのかもしれない。

父は戦争で旧制高校進学を断念し
戦後苦学して教員免許を取得。
帰郷後病気で何年も療養した後に教員となった。

そんな私の父方のファミリーヒストリー。
もっと詳しく知りたいのだが、NHKのようには調べられない(^^;
コメント
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