風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

19の秋

2006-09-14 | 風屋日記
高校時代から目指すべき道ははっきりしていた。
法律にも経済にも全く興味がなく、まして理科系はムリで
「モノ書きへの道」を模索すべく大学に進む積りだった。
小説家にはハナっからなる気はなく、
詩でメシが食えないか・・・が大命題だった。
ランボーや中原中也、大手拓次、高橋新吉などに憧れ
自由奔放な詩を書きたかった。

高校3年の秋には同級生達とガリ版で文芸同人誌を作り
ランボーの詩からタイトルを頂戴して「酩酊船」と名付けた。
とても高校生達の同人誌とは思えないタイトルではあるが、
今考えても、レベルはそれほど低くないと思っている。
みんな張り切って、肩に力が入っていた。

諸処の事情(過去に書いたが)により
創作方面の学部学科ではなく国文科に進んだ後は
既存の文芸同人誌のサークルの淀みぶりに嫌気がさし、
自ら仲間を募ってミニコミ形式の同人誌を模索した。
一方で、シナリオ書きが勉強にもなると思い、
それまで全く縁がなかった演劇部にも所属してみた。

大学1年の秋、
仲間が揃ってガリ版刷りのミニコミを作り学園祭で売ることに。
ただ、言い出しっぺで一番気合いが入っていた私が
原稿集めからガリ切りまですべてを担うこととなった。

演劇部の方はオリジナルシナリオの勉強のためということで
しばらく演出のサポートなどをしていたが
なにせ熱くスタニスラフスキーの「演劇論」など論じる連中。
私のような右も左もわからない人間は用なしだった。
学園祭が近付き、新たな演目が決まった時
なぜか素人の私が主役を張ることになってしまった。
どうやら演出を一手に担当していたヤツのイメージに
ヒゲ面だった私の風貌がぴったりというだけのことだったらしい。
何せよくわからないまま引っ張り込まれたようなものなので
唐十郎だったか清水邦夫だったか別役実だったか
誰の何という作品だったのかすらよく覚えていない。
いずれ長いセリフがある乞食の役だった(笑)

さぁそこから怒濤の日々が始まった。
昼間は芝居の猛特訓、夜は友人宅に集まってガリ切り。
学園祭前の1週間で、たぶん合計5時間ぐらいしか寝てなかった。
ミニコミの印刷と販売は他の仲間に任せ
最後の2日間は芝居の方に傾注した。

ミニコミはさして売れなかった。
芝居の方は、評価は私にはよくわからない。
ただ私の中に「すべて終わった」という充実感だけがあった。
学園祭最終日、ドーランを落とし、着替えも済んで、
当時つき合っていた彼女と2人で
大学の中庭のベンチにぼんやり座り込んでいた時、
近くのラジオから日本シリーズの実況中継が流れていた。
いわゆる「江夏の21球」の瞬間だった。

一緒にミニコミを作った仲間とは今も付き合いがある。
そんなに頻繁には会えないものの、
都合がつけば簡単に集まることができるだろう。
演劇部はその後、
本格的なアングラを目指したい連中と
サークルのノリで楽しくやりたい連中とが分裂。
私はアングラチームのヤツらと仲がよかったけど
芝居の道に進む積りがなかったので足を洗った。
その後アングラチームは各々劇団円に入ったり
マジなアングラにはまって大学から姿を消したり
それぞれの道を歩んでいったようだ。

今日はちょっと個人的な思い出話を。
当時を知らない人が読めばつまらないものだが、
今の長男がちょうど19の秋。
昨夜布団に入ってから、ふと思い出したもので。
コメント (6)
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