公開された時から気になっていた映画をNetflixで視聴。
想像以上に濃い中身で、最後まで目が離せなかった。
これまで三島由紀夫といえば右翼の論客で
自意識が強い耽美的作家&マウント主義者というイメージだったが、
勝手に私が抱いていたそういうイメージが根底から崩れた。
比類なき知性と教養を持ち、意味ある議論ができるインテリだ。
当時時代のアイコンだった氏を論破しようと意気込む学生たちからの
いわばこねくりまわしのような質問にも真摯に答える。
時にユーモアも混ぜながら場を徐々に和ませた能力は出色。
討論が中盤を過ぎるにつれ、両者の話が同化していったことに驚いた。
20歳前後であったろう学生たちは、大人になる前の生身。
社会を泳ぐ鎧も、相手との距離を保つ会話力もまだ持ち合わせない。
だからこそひとりひとりの人となりがよくわかる。
司会を担当した木村修氏の実直さも、
冷静に見ていたであろう橋爪大三郎氏の論理的視点も、
丁々発止の議論をふっかけた芥正彦氏の哲学的思考性も。
だから「三島を殴ろうと思って来た」と壇上に上がった学生の
短絡的な浅さがより目立った。
驚いたことはまだある。
芥氏が、その後の赤軍派や東日本反日武装戦線の暴走を
この時すでに予見していたこと。
現代における、匿名のネット民たちによるマウント合戦を
三島氏が当時もう憂慮していたこと。
議論はあくまで知性と教養に裏付けられていないと
身のあるものにはならないということがよくわかった。
そして、実はこれは私が野村秋介について調べた時に
まったく同じことを感じたのだが
三島氏と全共闘の思想は実に近く、表裏一体だった。
「反米愛国」
その拠り所として三島氏は天皇(という存在)を戴き
全共闘は革命を求めただけのこと。
だから三島割腹事件は現代の二二六事件であると言える。
三島氏の思想や行動は、
彼が1925年生まれであったことが大きいと思う。
終戦時20歳。
軍部暴走による戦争拡大と敗戦、アメリカによる占領。
その後の政治の混迷と急激な復興・経済成長。
そういう時代に育まれた感覚は知性でも教養でも抗えなかった。
もし三島氏がもう10年早く生まれていたら違ったろうし、
もう10年遅く生まれていたら60年安保の闘士となったであろう。
そんなことまで考えさせられたドキュメンタリーだった。
三島作品をちょっと読んでみようかな。