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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

正論症候群

2020-02-08 | 世界・平和

少し前の新聞の雑誌広告より。
以前とあるサイトに載っていたジャーナリストの論評で
ネット右翼やヘイト行動をとる人たちは
意外に若い人より年配者が多いとの記事を読んだことがある。
しかもそれまで社会の中で役割を果たしてきた方々。
自分も年配者のカテゴリーに入る歳になり
彼らの立場になって考えてみた。

会社や役所など、長年勤めあげ、
リタイヤした方や、まだ仕事は続けているものの
組織的仕事のメインストリームから離れた方々が多いとのこと。
キャリアを積み重ね、ノウハウも豊富で
社会の中で自分の役割をきちんと全うされてきた方々は
ある程度満足感とともに、少し引いた立場におられると思うが、
その頃の充実感、手応えが忘れられず寂寥感もあろう。
様々な経験から、自分に対しても多少自信がある。
それを活かし、ほかに何か自分が社会に貢献できることはないか。
新聞を読むと世の中問題だらけだ。
ここはひとつ(自信がある)自分の意見や行動で
正義の漢となって今一度社会の役に立てるのではないか。
・・・そんな気持ちが彼らをかき立てているのではないか?
しかし残念ながら、彼らが「正義」と思っていることは
実は底が浅かったりする。

結婚どころか恋愛さえしない、子を作らない若者が
そしてLGBTだかなんだかわからん輩たちが
少子高齢化を促進させている、けしからん。
俺たちが若い頃は・・・。
そこにはなぜ結婚しないのか、子を作らないのか
そういう視点が欠如している。
また、これまで声をあげる機会や勇気がなかったマイノリティーが
ようやく少しずつ声を上げられるようになった社会を
旧態依然とした価値観の中で受け入れられないでいる。

日本の礼儀やマナーもわからん外国からの観光客が
やたら犯罪を起こしたり、街中で徒党を組んでやかましい。
このままでは日本が乗っ取られるのではないか?
昔はこんなことはなかった・・・。
そこには海外からの観光客誘致を政府が進めてきた経緯や
海外からの観光客が
すでに日本の経済に大きな影響を及ぼしている視点がない。

日本国籍を持たない日本在留者は
好きで滞在しているのだから日本人の邪魔をするな
そもそもそれなのに権利を主張するなどもってのほかだ。
なにより彼らの母国はなぜ日本を毛嫌いするのか。
そんな国とはもう付き合わなくて結構・・・。
そこには彼らがなぜいま日本に住んでいるのか
なぜ彼らが歴史にこだわるのか
歴史的な認識や他者の痛みへの思いが皆無だ。

コロナウイルスの件で中国の方々が差別されているとのこと。
また中国からの帰国者も。
よく考えてみよう。
感染者は中国の方々だけではない。
しかも、例えば中国国民数億人のうち感染者は数千人。
パーセンテージにしたら
インフルエンザの方が比べ物にならないほど多い。
もちろん他の感染症も。
仮に発表されている中国国内の感染者が実は数倍多いとしても
他の感染症に比べたら微々たるものだ。
しかもそれだけ感染者がいるとしたら、致死率も大きく下がる。
そして感染者、罹患者は日本にもアメリカにも、ヨーロッパにもいる。
ことさら騒ぎ立てるマスコミも多いに問題ではあるが
冷静になって考えてみれば理解できること。
他の感染症同様、単に個々人が自衛していれば済むことだ。
「自分勝手な正義」を振りかざして騒ぐことじゃない。

「正義」という言葉は信用できない。
戦争当事国だって、それぞれの正義に従って殺し合っている。
アメリカにはアメリカの、イランにはイランの、
イスラエルにはイスラエルの、パレスチナにはパレスチナの
そしてシリアやトルコ、北朝鮮にもそれぞれの正義がある。
「絶対的正義」なんてのはこの世にはない。
冷静な思考こそが最も大切なことではないかと思うのだ。
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今日です

2020-01-18 | 世界・平和

花巻のイトーヨーカドー2階にて、13:00〜15:00。
富川岳さんの話が聞けるチャンス。
参加費無料です。
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まきまき花巻グッドデザイン賞受賞展・トークイベント 「地域の魅力発信にまきこまれよう!」

2020-01-16 | 世界・平和
今週末はコレです。



1月18日(土)13:00〜15:00
イトーヨーカドー2階 花巻市情報発信センター「ぷらっと花巻」
ゲスト:to know代表 富川 岳 氏

遠野で情報発信を行っている富川さんをお招きし、
まきまき花巻ディレクター塩野夕子さんと私が
「地域が生み出した物語を使った魅力発信へのまきこみ方」
をテーマにトークセッションします。
先日の映画の裏話もできるかな?
参加無料なので、ぜひおいでください。
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リノベーションまちづくり構想策定委員会 公開会議

2020-01-15 | 世界・平和

秋田県五城目町や佐賀市の事例などを見る。
面白い。
食い合わせを考えて、違うものを積み合わせる。
「無い」ことを利用する。
どちらも隙間とか、遊びとかを活かしながら。

でもね、これらをこのまま真似てもつまらないし、
花巻のまちに当てはまるかどうかもわからないよね。
これらをヒントに、
さて我々はどうするのかが問われる。
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Merry Christmas

2019-12-24 | 世界・平和

世界中の人たちが笑顔で過ごせるよう願う日。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは
 個人の幸福はあり得ない」

「われらは世界のまことの幸福を索ねよう
 求道すでに道である」
             (宮澤賢治)
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正義とは?

2019-12-19 | 世界・平和

中村哲さんが襲われて亡くなったニュースは
テレビでも新聞でもネットニュースでも大きく取り上げられた。
私は以前、中村さんの講演を聞いていたし
これまでも書かれたものや報道などもチェックしていたから
いなくなってしまったことがいまだに信じられずにいる。
「飢えや渇きは薬では治せない」という言葉のインパクトに
現地を見ている人の言葉だからこそのリアリティを感じていた。
よく人は、例えばイラクやシリアで
拘束されたり犠牲になったりした方のニュースが流れるたび
「自己責任」と言って突き放すが
実際に現地で見聞きし、体験しなければわからないことがある。
ジャーナリストやNGOの方々の言葉は
私たちが現地のことをもっとよく知るためには絶対に必要だ。
彼らは命をかけてそれを伝えようとしている。

さて、今回も、中村さんを襲ったであろう武装勢力のことについて
ネットなどでは悪し様な論調が目立つ。
9.11の時もそうだった。
いわば「我々側の人が襲われると、襲ってきた相手は敵」と
単純に「正悪」の二択で人は物事を見がち。
しかし、襲った側には彼らなりの正義がある。
「正義」という言葉は、一見絶対的な概念に見えるのだが
実はそうではない。
かつてのナチスの人たちも、新左翼の人たちも、オウムの人たちも、
自分が「悪」であるとはその時点では全く考えていないだろう。
正義に基づいて行動していると考えていたはずだ。
初めから犯罪と認識している集団詐欺グループなどとは根本的に違う。
戦争だって正義と正義のぶつかり合い。
少なくても私は、中村さんの死は悼むけれども、
襲った人たちのことを責めようとは思わない。
貧困や、無教育や、差別や、虐げられた経験によって
彼らのようなグループが生まれてくるからだ。
あえて原因を考えると
彼らのような弱者を利用して私服を肥やす者たち。
彼らのような人たちやグループを生み出した人たちが
今回のような事件の根本原因だ。

日本政府はアメリカ追随により
イスラム武装勢力に武装で対抗してきた。
反対側から見れば、武器を持って自分たちに向かってくる国。
そりゃどんな人でも敵に見えるだろう。
実は、1万人の兵士より、10人の「中村さん」の方が
よほど暴力をなくす力を持っていると思うのだが。
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人と人との繋がりが大事

2019-12-02 | 世界・平和
昨日は花巻国際フェア2019が交流会館で開催された。
毎年恒例なんだけど、今年は新しい取り組みも。
世界でも珍しい16mm映写機で見た短編映画の数々がよかった。
フィルムが送られるカタカタなる音が「ニューシネマパラダイス」みたい。
時々ブレたり、始まる時にカウントが入ったり、ゴミが揺れたり
現代のVシネマにはない風情がある。
それにしても1910年代のチャップリンの短編や
1930年代のミッキーマウスのアニメは、時代を考えるとすごい。

いつものように、世界各国の料理でお昼ご飯を食べたり
(ベトナムのフォーがおいしかった)
ワールドキッズで外国の人たちとのゲームを子ども達が楽しんだり


手作り感満載ながら、国や文化を超えた交流が嬉しい。
15年ほど前、まだ国際フェアになっていなかったワールドキッズを
(交流会館ではなくなはんプラザで単独イベントとして開催された)
ボランティアスタッフとして手伝ったことがあった。
外国からの人たちや若い人たちなどのスタッフ同士の交流も楽しく
何年か続けたけれど、それがこうやって大きなイベントになって
なんだか感慨深いものを感じる。
継続開催していただいている国際交流協会に感謝。

イベント会場では(昨日行ったのはこれが主目的)
以前から興味がありながら見た(聴いた)ことがなかった
奥州市のアフリカンバンド「チャンガマーノ」のステージを堪能。


いいねぇ(^^)
複雑に絡み合い、うねるリズムと、コール&レスポンスの歌。
時々youtubeでアフリカの踊りを見たりするけど
この強烈なリズムがとても心地よい。
どこか信仰すら感じられる音楽だよね。

「あの国はどうだ」とか「この国は好きじゃない」とか
大くくりで語る人がいるけれど(それがレイシズムにつながる)
国の仕組みやイデオロギーなんてのは人の営みには関係ない。
留学してきた高校生が書いていた報告書も昨日見たけど
その中にあった
「日本にだって悪い人もいれいい人もいる。他の国も同じこと」
が、当たり前のことだけどその通りだよね。
もちろん文化も価値観も違うから、驚くこともあるけど
それを忌み嫌うか、違いを面白いと思って理解するか
考え方ひとつだと思うんだ。
それより大事なことは、人と人との繋がり。
それを教えてくれるこういうイベントはとても大切だ。

たくさんの若い人がどんどん外を見てきて
視野を広げていってほしい。
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視点

2019-11-26 | 世界・平和
日本は島国だ。
たくさんの島が海に浮かんで日本を形成している。
ユーラシア大陸だって、アメリカ大陸だって巨大な島だ。
地球は大海原の上に
大小たくさんの島が浮かんでいる星だということができる。

一方で、島と島とは海底でつながっている。
日本と大陸だって、水の中を行けるなら歩いてでもいける。
地球は大きな土の星で、
そのくぼみに大きな水溜りがあるのだと考えることもできる。
太平洋も、大西洋も巨大な水溜り。

視点を変えることで、物の見方は大きく変わる。
私の親父は死ぬまで若い頃からの病気を苦にしていたが
その病気がなければおそらく兵隊に取られて戦死していただろう。
私は大学受験の際、希望する大学にことごとく落ちたが
その結果入った大学で得難い友人たちを得ることができた。

禍福は糾える縄の如しと言うけれど
視点を変えるだけで、受け取り方も考え方も大きく変わる。
アメリカや韓国、ロシアの大統領も、
日本やイギリス、イスラエルの首相も、
中国や北朝鮮の主席も、そしてたくさんの日本人たちも、
固定化した視点でしかものを見ていないのではないか?と
自らを振り返ってみる必要があると思うのだ。
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オリンピック

2019-11-14 | 世界・平和
日本の立候補地を決める時
当時の東京都知事はライバルだった福岡や広島を
悪し様に罵倒し、皮肉り、目に余る蹴落としをしていた。
福岡開催を唱えていた大学教授の姜尚中さんを
「変な外国人が何か言ってる」とヘイト発言まで飛び出して。
その結果、日本からの立候補地は東京に。

IOCのプレゼン時、当時の東京都知事は
「7月末から8月初めの東京は温暖で競技に最適」と
連日「原則として運動禁止」が出ている時期なんてことは
一切知らんふりでアピールしていた。
しかも「震災からの復興五輪」だとか言って
日本を挙げてのオリンピック実施みたいに見せつつ
「放射能はアンダーコントロール」だとかきっぱりと宣っていた。
その結果、2020年のオリンピックは「東京」に。

そして今回、マラソンと競歩が札幌になったことで
今の都知事は不満顔だ。
「復興五輪」を「日本全体」で精一杯開催することに
なんで不満があるのか不思議で仕方ない。
「突然の決定」というけれど、
夏の東京開催にはたくさんの専門家から暑さ対策の不備が
これまで何度も提言されてきたはず。
それを無視してきた結果、意図しない変更になって
慌てふためいてもどうしようもないことなんじゃないかと
私などは冷ややかに見ている。
あの言い方はまるで「東京=日本」みたいだ。
東京はあくまで日本の1地方に過ぎない。

東京でオリンピックが開催されることで
関連施設建設のために作業員が首都圏に集まり
災害復興が遅れている事実を
都や国はどう考えているのだろうか。
東京一局で開催することで、
彼らはよほど美味しいことを享受できるんだろうなと
うがった見方しかできなくなる。
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数理、科学と芸術、教養

2019-10-31 | 世界・平和
私の母校である岩手県立花巻北高は数年前に
花巻市と姉妹都市、アメリカのアーカンソー州ホットスプリング市にある
Arkansas School for Mathematics, Sciences and the Arts(ASMSA)
と姉妹校提携を結び、生徒の相互訪問を行なっている。
ASMSAはその名の通り、数理と芸術を学ぶ高校で
アメリカ国内ランキングでもトップクラスなのだそうだ。

ところで日本の高校でも理数科や芸術科を持つ高校はある。
しかしそれが一緒に存在する学校は珍しいのではなかろうか。
しかもどうやらASMSAはコース別ではなく、総合的に学ぶらしいのだ。
はじめに聞いたときには不思議に思ったのだが
最近「STEAM教育」というものを知って納得した。
「STEAM」とは「Sciences」「Technology」「Engineering」
そして「Mathematics」「Arts」の頭文字を取ったもの。
もともとは「STEM」だったそうだが、ここ数年で「Arts」が加わった。
テクノロジーの世界でイノベーターを育てるべく
アメリカやヨーロッパで強力に推進している考え方とのこと。
そういえばASMSAももともとは「数理学校」だったと聞いたが
今では「Arts」が含まれている。

「STEAM教育」に関しては今後日本でも進められると思うので
詳しい概要はここでは端折るが、
この花巻北高とASMSAとの交流により
初年度から双方の生徒たちに大きな変化が出てきたらしい。
アメリカとアジア、文化も、価値観も、生活環境も違う人たちとの交流は
それだけで多様性を体験し、学ぶことができる。
机にかじりつくだけが勉強じゃない。
異質なものとの触れ合いにより、他者への興味喚起となり、
なおかつ自分のアイデンティティを再確認することにもつながる。
これこそがSTEAMの原点ではなかろうか。

願わくば、一時的な交流にとどまることなく
将来ともにプロジェクトワークを通して新しい価値観を生み出す
イノベーションチームを構築してほしいと思うのだ。
それはきっと日本やアメリカ個別利益のみならず
国境や人種を超えたグローバリストの育成と
新たなテクノロジーを生み出す原動力になると思うから。
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誰にでも若い頃はあった

2019-10-19 | 世界・平和
ひとが生まれて、子ども時代を過ごして
少年少女期から青年期に。
それぞれ甘辛青春時代を通り過ぎた後で
仕事をし、歳とともに役割も変わり
やがてベテランから退職に至る。
ひとによっては結婚し、子育てし、子が独立し
老親を抱えたり、ひとりやふたりに戻ったり、
親を見送り、自らも老いて思うように動けなくなり
体の不調も増えてきて、やがてこの世から消え去る。
個々人によっていろいろだけど、
ざっくりひとの人生はこんな感じだよね。

で、1歳違うと1年それがずれてくる。
5歳違うと5年、10歳違うと10年、50歳違うと50年。
ひとりひとりの人生は多層的に重なり、
生まれた年によってその重なりはグラデーション。
同じ10歳の記憶でも
戦時中だったり、高度経済成長時代だったり
バブル期だったり、ロストゼネレーションの時代だったり
ものごころついたときにはもうTVがあったり、
生まれてすぐスマホが身近に合ったり、
同じ20歳の時の記憶でも、
徴兵検査があったり、車持ってたり、ネットが当たり前だったり。

でもね、どんな時代に生まれようと
10歳は10歳、20歳は20歳、60歳は60歳の思いと体を持つ。
そんな当たり前のことを、齢60近くになって実感している。
いま老人だって若い、元気な時代があったはず。
いま20歳の若者だって、40年経てば60歳になる。
自分が20歳の頃は、
自分がこんな歳になるなんて考えもしなかったけど、
時間の流れだけは万人に平等だ。

自分と同じ歳の人たち・・・
平安時代は、江戸時代は、明治の頃は
どんなことをしていて、どんなことを考えていたんだろう。
昭和の初めに生まれた人は30年前に
どんなことを感じていたんだろう。

最近大河ドラマや朝ドラを見ていて
つい登場人物の現在の年齢を考えてしまう。
なつぞらのなつは終戦時8歳だから、生きていれば82歳。
私たちは82歳の人の青春時代を見ていたことになる。

かつて大変お世話になり、
今の仕事に通じる多大な影響を受けた方の、まもなく7回忌。
私が知り合った時はちょうど今の私の年齢だったはず。
あにころどんなことを考え、感じていたのかなぁ。
合掌
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責任の所在

2019-09-28 | 世界・平和



この事件は様々なことを考えさせられる。
抗議を受けて放送を見送ったことに対しては
そこまで内容に自信がなかった番組を放送しようとしてたのか
それとも抗議に屈したのか、どちらにしても問題だ。
マスメディアのあり方が問われる事件だろう。

しかしよく考えてみると、
もっと深い問題もこの事件は内包している。
不正な営業は果たして個人や部門だけの判断によって
長いこと行われてきているのだろうか。
組織として数字だけを追いかけた結果、不正を見逃した責任は?
何をしても、利益をあげれば良いという風潮が
組織全体に蔓延してはいなかったか?
NHKのみならず、日本郵政のガバナンスも問われるべきだろう。

そして、この構造は
関東大震災時や南京での虐殺事件、
徴用工や従軍慰安婦問題にもどこか繋がる気がしている。
組織が起こした問題について、個人や部門に責任を押し付け
その組織TOPが知らん顔をする構図。
本当は組織ぐるみだったとしたら他人に責任を押し付けるという
姑息で卑怯、人倫に悖る行為だが、
もしそうではなかったとしても組織TOPの責任は免れない。
にも関わらず、自分の指揮下にいる人間を腐す行為は
およそ組織のTOPにいる人間がすべきことではない。
見ているこちらが恥ずかしい。

個別案件のみならず
先の戦争責任も、結局は責任の所在がうやむや?
一部のA級戦犯が絞首刑に処されたものの
責任を問われた他の戦犯たちは
いつのまにか公職復帰して大きな顔をしていた。
そのうちのひとりの孫が現首相だ。
日本は歴史に学んでこなかったと言われるけれど
責任者が責任逃れをする社会では、
学ぶべきことにフタされてしまっているから学ぶこともできない。
このニュースを目にして、正直「またかよ」という気分。
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教育

2019-09-23 | 世界・平和
「教えすぎない」「できるよう導く」
深い言葉が並ぶ。
もともと「education」とは「教える」ことではなく
「引っ張り出す」「導く」という意味だと先日聞いたばかり。
「教える」というのは
もしかしたら押し付けなのかも知れない。

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昭和天皇は何を語ったのか〜初公開・秘録「拝謁記」〜

2019-08-18 | 世界・平和

昨夜放送のNHKスペシャルを見た。
昭和天皇の人となり、考え方、想いにかなり突っ込んだ
かなり興味深い内容だった。
特にも自らの戦争責任をどう考えているのか、
支那事変以来の軍部の暴走をどう感じていたのか、
ズルズルと太平洋戦争へとなだれ込んだ当時の状況について
戦後どう振り返っているのか、
生身の人間、昭和天皇の姿がそこにはあった。

戦争責任を取るため退位して、
当時の皇太子に天皇位を譲ろうとしていた昭和天皇を
押しとどめたのは吉田茂だったとのこと。
それから70年ほど経った今、その功罪を考えてみると
良かった点は、世の中の変化がスムーズに行われたこと。
(吉田茂の意図通りになったわけだ)
それと、恐らくもうひとつ、
現人神の人間宣言により、時代が変わったと
国民全体が否応なく認識させられたということも。
2つの憲法下を生きた昭和天皇は辛かったのだろうが、
国民にはわかりやすかったのだと思う。

ただし、悪かった点もあった。
戦争責任は当然のことながら
天皇にのみ問われるわけじゃない。
昭和天皇の戦争責任を(本人の想いとは裏腹に)
うやむやにしてしまった結果、
当時の内閣や軍上層部の責任まで
いつのまにかうやむやになってしまった。
石原莞爾は「自分にも責任がある。逮捕せよ」と語ったが
そういう人が果たして他にいたのだろうか。

それ以来、国のトップの責任の取り方が
なんとなくおかしくなった気がするんだな。
誰かに責任をかぶせ、本当の責任者は知らん顔する。
昭和天皇は知らん顔していたわけじゃなく
深く苦悩していたと思うし、
吉田茂も本当のインテリとして熟慮の判断だった。
今の為政者たちにそんな気持ちかあるようには思えない。

残念ながら、この拝謁記を遺した当時の宮内庁長官や
吉田首相のように、明晰な頭脳を持つ人格者たちのいない
今の政界や与党内には悪い前例にしかならなかったのだと思う。
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花巻空襲から74年

2019-08-10 | 世界・平和


1945年のこの日、花巻は米軍機による攻撃を受けた。
中心街は投下された爆弾によってほぼ全焼し、
花巻駅前や似内駅(当時の軽便鉄道、現釜石線の駅)も
爆弾や機銃掃射によって相当数の犠牲者を生んだ。
宮沢賢治さんの生家も焼け、
疎開していた高村光太郎が火の中を逃げ惑った。
賢治さんの生家のすぐ近くだったワタシの父の家も焼け
仲間だった賢治さんの弟 清六さんと右往左往したらしい。
(写真は燃える花巻市街地。北西の方角から)

友人のおじいさんはその時の機銃掃射で亡くなったとのことだ。
家人の親戚はそのとき負った傷がもとで足に障害を負った。
身近な人たちも直接被害に遭っている。
決して遠い昔の話じゃない。

花巻だけじゃなく、全国どのまちでもそんな話が残っている。
そして被害に遭ったまちでは「悲劇を繰り返すな」と言い続けてきた。
それではどうすれば繰り返さずにすむのか。
それは「昔話」と思うことなく、
どうしてそういうことになったのかを歴史から学ぶこと。
他国と意見が違った時に、感情論に走ることなく
きちんと向き合って、根気よく話し合いを続けること。

8月6日の広島での慰霊祭に時の広島市長の
「不寛容もまた暴力」という言葉を噛み締めよう。
決して手を振り上げたり、武器を持ったりすることばかりが
暴力ではない。

今日は平和な社会の象徴でもある音楽のイベント
イーハトーブ音楽祭2019初日。
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