大阪近郊の都市空港でありながら旅客機は飛んでいない空港の近くに商家を中心とした古い町並みが残されているのが八尾でした。八尾は、河内音頭の中心としても知られており、河内音頭はXX音頭の代表格のような感じがします。XX音頭は各地にあるようですが、歴史の古いものでは江州音頭がよく知られているようです。今回は、江州音頭のふるさとの一つである近江八幡近郊を紹介します。
近江八幡は滋賀県のほぼ中央で、北西辺を琵琶湖に接しています。豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町として町の骨格ができ、近世には近江商人のふるさとして発展をしてきました。八幡山城は隣の安土城と似た山城でしたが、秀次の失脚によりわずか10年で廃城となってしまいました。城跡の八幡山はかなり険しい山ですが麓からロープウェーを使って簡単に登れ、北に琵琶湖、南に近江八幡の町並みの眺望が楽しめます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/38/ffe7335ed586e10a07e418a269bc3738.jpg)
ロープウェイが無くて歩いて上るのが八幡山より湖岸に近い長命寺山にある西国札所の長命寺で、車の道路はありますが、路線バスは登ってくれません。本堂と三重塔などが重文に指定されていて、お寺の諸堂は、頂上ではありませんが、ほぼ八幡山の頂上と同じくらいの標高の場所に建っています。長命寺に限らず、西国札所は高い山にあるところも多く、歩いて巡礼をしていた昔のお遍路さんは大変だったことでしょう。
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近江商人の古い商家が残されているのは、駅から北西に八幡山ロープウェイの麓駅に伸びる道の途中に広がっています。一帯は重要伝統的建物群保存地区に指定されていて、その中でも旧西川家住宅は重要文化財に指定されています。早くから無電中の町並みだったので、時代劇のロケ地に使われてきたのではないでしょうか。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/59/1edf383d3442841f969bc21659d100d1.jpg)
重伝建地区を通り越して突き当りが八幡堀で、八幡城の防備と水運を利用した流通のために作られた運河です。八幡堀に沿っては、漆喰の城壁が美しい土蔵造りの家並みが続いていますが、その中に真っ白の塔屋を持つ擬西洋館が特異な姿を見せています。この建物は、明治の初期に建てられた学校で、20年足らずを校舎として使われた後に役所などとして使われて、現在は観光物産協会として使われています。
建物と言えば、近江八幡を本拠として、多くの学校や教会を設計したのがウィリアム・ヴォーリズです。建築家としてだけではなく、キリスト教の伝道者、メンソレータムで有名になった近江兄弟者を立ち上げた実業家、それにハモンドおるがを日本に紹介し、多くの賛美歌の作詞作曲を手がける音楽家とマルチな才能を発揮しました。ヴォーリズは近江八幡の名誉市民第1号で、八幡堀を東に行ったところの旧自宅が記念館として開放されています。
ヴォーリズといえば、近州音頭の発祥の地の一つである豊郷町に建てられた小学校の校舎の改築騒動が思い起こされます。当時の町長が、ヴォーリズの校舎を潰して新校舎を建てることを強引に進めようとしたことに対して、反対派がこれを阻止したものです。建替の理由は、耐震強度不足ということでしたが、建て直しという既決事項に対して、後から無理やり付けられた理由のように思います。アンケート調査についても同じようなことがあって、結論は調査の前に決まっていて、それに誘引するような設問を準備することも多いようです。ネットを使った、世論調査なども、多くのサクラ回答者の影がちらちらし、いくらITが進んでも、このバイアスから逃れるのは無理なようです。
近江八幡は滋賀県のほぼ中央で、北西辺を琵琶湖に接しています。豊臣秀次が築いた八幡山城の城下町として町の骨格ができ、近世には近江商人のふるさとして発展をしてきました。八幡山城は隣の安土城と似た山城でしたが、秀次の失脚によりわずか10年で廃城となってしまいました。城跡の八幡山はかなり険しい山ですが麓からロープウェーを使って簡単に登れ、北に琵琶湖、南に近江八幡の町並みの眺望が楽しめます。
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ロープウェイが無くて歩いて上るのが八幡山より湖岸に近い長命寺山にある西国札所の長命寺で、車の道路はありますが、路線バスは登ってくれません。本堂と三重塔などが重文に指定されていて、お寺の諸堂は、頂上ではありませんが、ほぼ八幡山の頂上と同じくらいの標高の場所に建っています。長命寺に限らず、西国札所は高い山にあるところも多く、歩いて巡礼をしていた昔のお遍路さんは大変だったことでしょう。
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近江商人の古い商家が残されているのは、駅から北西に八幡山ロープウェイの麓駅に伸びる道の途中に広がっています。一帯は重要伝統的建物群保存地区に指定されていて、その中でも旧西川家住宅は重要文化財に指定されています。早くから無電中の町並みだったので、時代劇のロケ地に使われてきたのではないでしょうか。
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重伝建地区を通り越して突き当りが八幡堀で、八幡城の防備と水運を利用した流通のために作られた運河です。八幡堀に沿っては、漆喰の城壁が美しい土蔵造りの家並みが続いていますが、その中に真っ白の塔屋を持つ擬西洋館が特異な姿を見せています。この建物は、明治の初期に建てられた学校で、20年足らずを校舎として使われた後に役所などとして使われて、現在は観光物産協会として使われています。
建物と言えば、近江八幡を本拠として、多くの学校や教会を設計したのがウィリアム・ヴォーリズです。建築家としてだけではなく、キリスト教の伝道者、メンソレータムで有名になった近江兄弟者を立ち上げた実業家、それにハモンドおるがを日本に紹介し、多くの賛美歌の作詞作曲を手がける音楽家とマルチな才能を発揮しました。ヴォーリズは近江八幡の名誉市民第1号で、八幡堀を東に行ったところの旧自宅が記念館として開放されています。
ヴォーリズといえば、近州音頭の発祥の地の一つである豊郷町に建てられた小学校の校舎の改築騒動が思い起こされます。当時の町長が、ヴォーリズの校舎を潰して新校舎を建てることを強引に進めようとしたことに対して、反対派がこれを阻止したものです。建替の理由は、耐震強度不足ということでしたが、建て直しという既決事項に対して、後から無理やり付けられた理由のように思います。アンケート調査についても同じようなことがあって、結論は調査の前に決まっていて、それに誘引するような設問を準備することも多いようです。ネットを使った、世論調査なども、多くのサクラ回答者の影がちらちらし、いくらITが進んでも、このバイアスから逃れるのは無理なようです。