世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

小京都の人気No.1の角館ですが、武家屋敷だけでなく商家の町並みも見応えです

2017-08-27 08:00:00 | 日本の町並み
 円山公園の近くに伊東忠太が設計し祇園祭の山鉾をかたどった祇園閣がある一帯は、ねねの道を散策する和服の女性の姿を見かけることも多く京都らしさが漂う町並みでした。小京都と呼ばれる町並みが数多くあり、旅行雑誌などでそのランキングが載せられていますが、本家本元の京都もベスト10に入っているようです。このランキングで常に上位を占める町の一つが角館で、今回は、その角館の町並みを紹介します。

 角館は、盛岡から分岐する秋田新幹線(田沢湖線)で盛岡から45分ほど、角館駅が町並みの散歩の起点になります。駅前広場には、白壁土蔵造りの観光案内書があり、さすがに観光の町のイメージです。角館町は秋田県の東端の中央に位置する仙北市の一部で、町並みは、駅の西側、檜木内川との間に南北に広がり、北のはずれの古城山には、かつて角館城がありました。たびたび火災に見舞われたため、南北に広がる町の中央あたりに、東西に伸びる土塁を作り火除け地とし、北を武士の住む内町、南を町人の外町としました。石黒家や青柳家などの武家屋敷が残る町並みは内町の名残で、安藤醸造や西宮家などの商家があるのが外町の名残です。

 
 
 
 武家屋敷の並ぶ内町は、黒塀続きの道路に観光用の人力車なども走って、観光写真によくある風景です。黒塀のそばには小さな流れもあって、景色にアクセントを付けています。

 
 春には、枝垂れ桜が咲いて華やかな場所もこのあたりです。ちなみに、ソメイヨシノの並木は、町の西側の檜木内川の土手沿いで、筆者が訪れた時には武家屋敷の枝垂れはちらほら咲き、ソメイヨシノはつぼみ状態でした。

 
 この武家屋敷通りの西側に平福記念美術館があり、武家屋敷を見てきた目には随分とモダンでしゃれた建物に感じます。

 
 
 一方の外町は、西宮家と安藤醸造とは隣接するように建っていますが、新しい民家が増え、まとまった町並みは減ってきているようにも思えます。JRの駅は火除け地よりやや南東にあり、多くの観光客は駅から右手方向の武家屋敷を目指してしまい、南の外町では多くの観光客の姿を見かけません。このため、かえって落ち着いて町並み散歩が楽しめるようです。安藤醸造の前には自噴井戸があっておいしい水が飲め、西宮家では蔵の中にあるレストランで食事ができます。

 武家屋敷通りの南端にはウェブカメラが設置されていて、ネット経由で通りの様子が眺められます。細かな状況は、はっきりは見られないのですが桜の開花状況も何とはなくわかります。筆者も訪問の前に確認をして、ちょっとまだ早いな!ということは分かりましたが、予約状況の関係から日程をずらせませんでした。ウェブカメラは、家に居て観光地の様子が、ある程度確認ができて便利ですが、その画面に映りこんだ人にとっては、迷惑な場合もあるかもしれません。防犯カメラで犯罪の検挙率が向上したかもしれませんが、権力にとって不都合なことを抹殺する道具に使われそうで怖い存在です。

バスに置いて行かれそうになったディンケルスビュールですが、もっと長く居て楽しみたい町でした(ドイツ)

2017-08-20 08:00:00 | 世界の町並み
 ロマンティック街道の中継都市というだけでなく、市内に見どころの多い都市がアウグスブルグでした。アウグスブルグを南に行くと、日本人に人気のあるノイシュバンシュタインがありますが、ロマンティック街道の主要な街並みは北にヴィルツブルグまで続いています。今回は、その街道の中央あたりに位置するディンケルスビュールを紹介します。このディンケルスビュールもアウグスブルグと同様に30年ほども昔に訪れたので、間違いや状況の変化などはお許しください。

 ロマンティック街道は、ドイツにある数々の街道の中でも人気のある街道で、ヴュルツブルクからオーストリア国境に近いフュッセンまで370kmほどあります。途中のローテンブルクで東西に延びる古城街道と交差しています。このローテンブルクも日本人に人気の都市で、鉄道駅もあり、城壁に囲まれ、今回紹介のディンケンスビュールと同様に1万人ちょっとの規模の町です。

 さて、ディンケルスビュールですが、鉄道駅は無くバスでのみのアクセスになります。筆者が訪れた頃は、ロマンティック街道を、3か所で途中下車しながら走る観光路線バスが1日に1本あるだけでした。ディンケルスビュールは途中げちゃの中間で昼食をとる時間を含めてやや長い停車時間が設定されていました。ところが、筆者は集合時刻の15分を、どう勘違いしたか40分と認識してしまい、35分頃に駐車場に戻ってきたところ、目の前をバスが通り抜けていきました。幸い、乗客が気が付いて止まってくれて、乗車できましたが、荷物はバスの中、乗れなければ途方に暮れるところでした。

 
 
 

 
 町は、8世紀ごろに入植が始まり、かつては市壁で囲まれていたようですが、現在は市壁にあった数多くの城門や塔それに水壕が残るのみです。ヴェルニッツ川沿いの町は、川と草地のロマンティックな町が売りなのだそうです。ドイツの都市は、第2次大戦で連合軍に破壊されつくしたところが多いのですが、ディンケルスビュールは被害をまぬかれ、中世の町並みが残っています。


 人口1万人にしては、建物が多く教会も後期ゴシックのカトリック教会や19世にに建てられたプロテスタント教会とがそろっています。バロック様式のドイツ騎士団の城跡など、かつての市壁に囲まれた狭い地域に、石造りを中心とした建物群が凝縮しているように見えます。


 
 
 
 その建物の軒先にあるのが、立体的な看板で、商店の軒先から張り出した腕の先に吊り下げられています。直径が1m前後でしょうか、透かし彫りで、それぞれの商店の商品や名前や特徴などが表示されています。ロマンティック街道のローテンブルクでもよく見かけますが、ドイツの各地で、このような看板を見かけます。吊り看板を見て回る旅もありかもしれません。

 現代社会は広告であふれかえっているように思います。一見ただで使えるように思っているネットのツール類も広告収入によって支えられていることは意外と認識されていません。メアドを登録するツールでは、デフォルトで広告メールを受ける設定が大部分で、ほっておくと大量の広告メールに悩まされ、土足で踏み込まれた感じがします。ただということはあり得ないので、ただに騙されないで、必要な経費は払った方がいいのかもしれません。吊り下げ看板の広告効果の範囲は狭いでしょうが、土足でふみこまれるようなことは無さそうです。

電柱が無くなり広い空と石畳の続くねねの道や石塀小路には和服姿がよく似合います

2017-08-13 08:00:00 | 日本の町並み
 布教のために信者の多い大都会に本山が引っ越してしまったのが総持寺でした。総持寺には有名人の墓が数多くありますが、英語のarchitectureに対して初めて建築という訳語を使った建築家の伊東忠太の葉かもあります。伊東忠太は宗教関係の建物の設計を数多く手がけ、築地本願寺はその代表的なものの一つです。作品は首都圏に集中していますが、京都にある作品の一つが、大倉喜八郎の別邸に建てられた祇園閣です。現在は、大雲院の一部となっていて、祇園祭の山鉾を思わせる形の建物の鉾頭が天を突いています。今回は、この祇園閣がある東山の「ねねの道」の周辺を紹介します。

 
 
 
 
 
 「ねねの道」は、秀吉の妻のねねが晩年を過ごした高台寺圓徳院の東側を高台寺と円山公園とを南北に結ぶ通りです。この道は電線の地下埋が完了して、空が広く見えます。祇園閣は、「ねねの道」の北の突き当たりの左手に特徴のある屋根が見えます。振り返ると法観寺の五重塔(八坂の塔)の上層部が見えて、京都らしい風景の一つです。ねねの道の高台寺寄りを西に入ると石塀小路で、ねねの道と同様に御影石で葺かれ、圓徳院の裏側に折れ曲がって通じています。

 
 祇園閣の丸山公園寄りにあるのが長楽館で、もとはたばこ王の村井吉兵衛が別荘として110年前に建てたものです。長楽館の扁額は伊藤博文の筆になるもので、長らく政治家などのための迎賓館として使われたようです。戦後にレディース・ホテルとして使われていましたが、現在は、通常のホテルとして、またティールームとして使われ、外観に加えてステンドグラスなどの内装も見事です。外観はルネサンス、応接室はロココ、ダイニングはネオ・クラシック、そしてステンドグラスはアール・ヌードーという折衷様式なのだそうです。

 
 
 一方、ねねの道の南の起点を東に上がったところが高台寺で、ねねが秀吉の冥福を祈って建立したお寺です。境内にある霊屋の堂内の装飾には、蒔絵が随所に用いられ、ねねの所蔵と伝えられる調度にも見事な蒔絵が多いことから蒔絵の寺と呼ばれています。境内の建物群は、たびたびの火災に遭い、ほとんどが再建で、創建時の建物は開山堂、霊屋それに茶室の傘亭、時雨亭くらいです。この時雨亭は、茶室としては珍しく2階建てで、伏見城から移築されたという傘亭との間は屋根付き土間でつながっています。

 
 高台寺の南には霊山観音があり、戦後に戦争の犠牲者を弔うためにコンクリート製で作られたものです。通常は正面から眺めることが多いのですが、高台寺の境内から眺める横顔も、なかなか端正で綺麗でした。

 ねねと言えば豊臣秀吉ですが、もし豊臣の権力が続いていれば、日本の首都は東京ではなく大阪になっていたかもしれません。ただ、関東平野と大阪平野とを比べると、圧倒的に関東の報が広いので、人口の収容力がある東京でよかったかなとも思います。しかし、大阪の場合は、収容力に無さから、一極集中の弊害が無かったかもしれません。大企業のコンピュータセンタは東京周辺に集中していますが、万が一に備えて、地方にもセンタを作ってバックアップできるようになっているようです。現在では、高速のネットワークが簡単に手に入るようになったので、データの同期も楽なのかもしれません。政府主導で地方分散の笛を吹いても、なかなか踊ってくれなくても、経済原則から自然に分散化が進む面もあるのかもしれません。

湖水地方は湖水だけでなく、古い邸宅やかわいい町並み、それに伸びやかな丘が魅力です(イギリス)

2017-08-06 08:00:00 | 世界遺産
 第41回の世界遺産委員会はポーランドのクラクフで開催され、我が国の宗像・沖ノ島と関連遺産群が新たに登録され我が国の21番目の世界遺産となりました。この遺産群を紹介したかったのですが、あいにくと未訪問(沖ノ島は簡単にはいけません)なので、今回新たに登録された遺産の中からイギリスの湖水地方を紹介します。湖水地方は、2015年に世界の町並みとして紹介しましたが、写真を増やし視点を変えて紹介します。

 
 湖水地方はイングランドの北西部、ロンドンの北北西300km、海から20kmほど入った高原に多数の湖水のある地域です。列車で行く場合は、ロンドンのユーストンからICでオクセンホルまで行き、そこから支線に乗り換え湖水地方の中心地のウィンダミアまで行けます。4~5時間の行程でしょうか。筆者は、18年前に現地催行のパッケージツアーに参加して、ロンドンからバスで5時間ほどかけて行きましたが、同行者はさすがに英国人ばかりでした。。

 
 
 
 湖水地方は、名前の通り大小の湖水が散らばっていて、その中の代表格がウンダミア湖です。ホテルなどが多いのがウィンダミアでウィンダミア湖を挟んだ西の丘の上にはピータ・ラビットの作者ビアトリクス・ポターが住んでいたヒルトップの田舎屋が残されています。ニアソーリーにはウインダミア湖をスクリューではなく、ケーブルカーと同じようにワイヤーで引かれて行き来をするフェリーで渡るか、湖岸の道路を北に行って廻りこむルートがあります。フェリーで行くと、丘が連なる散歩道でピータ・ラビットが出てきそうな草原を横切って行きます。路線バスで湖岸を北にまわると、ホークスヘッドの町にはポターのだんな様が事務所に使っていた建物がポターの記念館として使われています。途中のアンブルサイドは綺麗な街並みが広がり、ウィンダミアからヒルトップへは、往路と復路を変えて周回コースがお勧めです。

 
 
 
 ウィンダミア湖の南端のレイクエンドからは、蒸気機関車が引く保存鉄道が走っていて、ウィンダミア湖から流れ出る川沿いの眺めのよい所を走ります。終点からさらに南に行ったホーカーには、Holker Hall and Gardenがあり、典型的な英国庭園の中にお城のような邸宅が建っています。貴族のキャベンディッシュの邸宅で、現在も子孫が住んでいるそうです。科学者のヘンリー・キャベンディッシュも貴族の生まれでしたが別の家系のようです。
 
 
 ウンダミアの東には、ウィンダミアへの支線の起点であるケンダルがありディゼルカーが往復しています。人口はウィンダミアのようなリゾートではなく、人口も3.5倍ほどの地方都市で、アウトレットもありました。18世に建てられた貴族の館を転用しアートギャラリーもあるアボット・ホールや聖トリニティ教会などがあります。

 
 
 
 
 最後は、ウィンダミアの北には、ケズィックやグラスミアがあります。ケズィックはウインダミアの北40kmほど、ダンウェントウォータ湖の北岸にあってウンダミア程度の規模です。グラミアは詩人のワーズ・ワースが生まれた土地であり、お墓もあります。これらの町並みには、教会があったり、心地よい町並みが連なっていたりで気持ちが和みます。また、湖水地歩の南東のハワースは嵐が丘の舞台になったところです。湖水地方というと湖というイメージですが、湖水の周辺には綿々と丘が連なり、気持ちの良い風景を見せています。バスで連れて行ってもらったので、場所がも一つ特定できないところが多いのですが、このような風景も世界遺産に登録された理由の一つかもしれません。

 ウィンダミア湖のフェリーは両岸に渡したロープに引かれて進むケーブルカーもどきの船でした。ディズニーランドのレールの上を進む船を思い出しました。ディズニーランドでは、舞台で演じられるキャラクタ以外の動物や人物は、すべてコンピュータ制御の人形で構成されてます。生身の人間のように演技の差がでなく、失敗することもなく、うまい方法のようです。ただ、個性が無くって、白々しい感じを受けるのも事実です。これらの人形と似た動きをするものが、からくり人形で、こちらはコンピュータなど存在しなかった江戸時代に作られたものです。プログラムの代わりに、複雑な歯車やカムの組み合わせで、時系列的に各部の動きに分解して、全体的に人形がお茶を運んだり、楽器を演奏したりします。ディズニーの人形に比べて動きは単純ですが、より個性的に感じます。