日本には少なくなったレンガ造りの建物が残されているのが台湾でしたが、同じ焼き物の色瓦で葺かれた屋根が美しいのがボーヌのオテル・デューです。今回は、オテル・デューのあるボーヌの町並みを紹介します。
ボーヌはフランス中部のやや東より、パリから2~3時間のディジョンから列車を乗り継いで20分ほど、人口2万人ほどの小さな町です。小さな町の割には、観光客が大勢訪れるのは、オテル・デューだけではなくワインのおかげのようです。オテル・デューは、15世紀にブルゴ-ニュー公国の宰相によって建てられた困窮者のための無料の医薬院で、その運用費用を捻出したのが王侯貴族から寄贈されたぶどう園だったのだそうです。ぶどう園で採れるぶどうからワインを作り、その売り上げで衣料にかかる費用をまかなっていましたが、現在でもワインオークション会場として使い続けられています。
ボーヌは城壁に囲まれた町で、ボーヌの駅は城壁の外にあり、オテル・デューなどがある待ちの中心までは、城壁を越えて20分ほど歩くことになります。城壁の入り口には、監視所のような丸い石垣で作られた設備もあります。駅から20分の散歩も美しい町並みの中を抜けていくので苦になりません。ヨーロッパでは、町の広場では、かなりの確率で朝市に遭遇しますが、ここでも新鮮な農産物などが売られていました。
さて、オテル・デューですが、町の中心広場の北側にあって、道路に面した門を入ると中庭に出ます。この中庭を取り囲む建物の屋根瓦が美しい模様を描いています。手手者の内部は、医薬院の頃の状況が保存されていて、奥行きの長い部屋に、ずらりとベッドが並んでいます。このベッドが真っ赤なカーテンと真っ赤なシーツで統一されていて、現在の病院の白を基調としたカラールングとは違います。病院と言うより、ホテル化何かのような感じもしますが、ホテルでは、これだけ大勢の人間が同じ部屋に宿泊はしないでしょうが。
細長い部屋の端には、祭壇があって小さなチャペルのようになっています。オテル・デューとは「神の館」という意味なので祭壇があるのはごく自然なのでしょう。病院を思わせる施設は、食器棚風のガラス戸棚に、所狭しと並べられた薬ビンくらいでしょうか。薬はガラス瓶に入れられていましたが、中国で同じような棚を見ましたが、こちらは引き出しの集合体でした。薬の形が、西洋医学と東洋医学では違うためこうなったのでしょう。建物の地下には、かつての遺跡のようなものがあるようで、その部分は床がガラス張りで上から見られるようになっています。また、ワインの醸造設備や数多くのイコンなども展示されていました。
ボーヌへの入り口のディジョンは食の都と言われ、食べ物もワインも美味しい所と言われていますが、日本人観光客はあまり多くはないようです。ボーヌを訪れる日本字はさらに少ないのかもしれません。日本人の旅行は、まだまだパッケージが中心で、特にヨーロッパでは添乗員が引率するスタイルが多いようです。限られた費用と日数で人気のある観光地をバスを仕立てて駆け巡るのでは、とてもボーヌなどに寄り道するのは難しいのかもしれません。ただ、最近は、テーマのあるパッケージも増えたようで、「食をめぐる・・・」というようなコースでは取り上げられているようです。旅にはいろいろなスタイルがあってしかるべきでしょうが、毎度、全部お任せのパッケージばかりでは、旅の楽しみの半分を失っているような感じもします。かつては、自分の足で歩くための情報収集に多大のエネルーギーを要していましたが、ネットの普及した現在では簡単に手に入るようになったのですから。
ボーヌはフランス中部のやや東より、パリから2~3時間のディジョンから列車を乗り継いで20分ほど、人口2万人ほどの小さな町です。小さな町の割には、観光客が大勢訪れるのは、オテル・デューだけではなくワインのおかげのようです。オテル・デューは、15世紀にブルゴ-ニュー公国の宰相によって建てられた困窮者のための無料の医薬院で、その運用費用を捻出したのが王侯貴族から寄贈されたぶどう園だったのだそうです。ぶどう園で採れるぶどうからワインを作り、その売り上げで衣料にかかる費用をまかなっていましたが、現在でもワインオークション会場として使い続けられています。
ボーヌは城壁に囲まれた町で、ボーヌの駅は城壁の外にあり、オテル・デューなどがある待ちの中心までは、城壁を越えて20分ほど歩くことになります。城壁の入り口には、監視所のような丸い石垣で作られた設備もあります。駅から20分の散歩も美しい町並みの中を抜けていくので苦になりません。ヨーロッパでは、町の広場では、かなりの確率で朝市に遭遇しますが、ここでも新鮮な農産物などが売られていました。
さて、オテル・デューですが、町の中心広場の北側にあって、道路に面した門を入ると中庭に出ます。この中庭を取り囲む建物の屋根瓦が美しい模様を描いています。手手者の内部は、医薬院の頃の状況が保存されていて、奥行きの長い部屋に、ずらりとベッドが並んでいます。このベッドが真っ赤なカーテンと真っ赤なシーツで統一されていて、現在の病院の白を基調としたカラールングとは違います。病院と言うより、ホテル化何かのような感じもしますが、ホテルでは、これだけ大勢の人間が同じ部屋に宿泊はしないでしょうが。
細長い部屋の端には、祭壇があって小さなチャペルのようになっています。オテル・デューとは「神の館」という意味なので祭壇があるのはごく自然なのでしょう。病院を思わせる施設は、食器棚風のガラス戸棚に、所狭しと並べられた薬ビンくらいでしょうか。薬はガラス瓶に入れられていましたが、中国で同じような棚を見ましたが、こちらは引き出しの集合体でした。薬の形が、西洋医学と東洋医学では違うためこうなったのでしょう。建物の地下には、かつての遺跡のようなものがあるようで、その部分は床がガラス張りで上から見られるようになっています。また、ワインの醸造設備や数多くのイコンなども展示されていました。
ボーヌへの入り口のディジョンは食の都と言われ、食べ物もワインも美味しい所と言われていますが、日本人観光客はあまり多くはないようです。ボーヌを訪れる日本字はさらに少ないのかもしれません。日本人の旅行は、まだまだパッケージが中心で、特にヨーロッパでは添乗員が引率するスタイルが多いようです。限られた費用と日数で人気のある観光地をバスを仕立てて駆け巡るのでは、とてもボーヌなどに寄り道するのは難しいのかもしれません。ただ、最近は、テーマのあるパッケージも増えたようで、「食をめぐる・・・」というようなコースでは取り上げられているようです。旅にはいろいろなスタイルがあってしかるべきでしょうが、毎度、全部お任せのパッケージばかりでは、旅の楽しみの半分を失っているような感じもします。かつては、自分の足で歩くための情報収集に多大のエネルーギーを要していましたが、ネットの普及した現在では簡単に手に入るようになったのですから。