世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

緑のジャングルに囲まれた古都ルアンプラバンは時間の流れもゆっくりしているようです(ラオス)

2009-09-27 08:00:00 | 世界遺産
 バスの車窓から陸地に伸びたフィヨルドの景色を真正面から俯瞰できるのはソグネフィヨルドの支流の一つのネーロフィヨルドでしたが、町を俯瞰する丘に登って俯瞰すると、お寺の中に町があるように感じるのがルアンプラバンです。一面の緑の中にお寺が散在し、早朝には托鉢僧の行列が町の通りに溢れんばかりとなる、旧市街を中心に紹介します。

 ルアンプラバンは、ラオスの首都のビエンチャンの北の200kmほど、メコン川の左岸に開けた町です。現在の首都はビエンチャンですが、16世紀まではルアンプラバンが首都でした。さらに、1975年までは王宮が置かれ、その王宮は現在は博物館になっていて、王室にまつわる陳列品に加えて建物自体が見ごたえがあります。

このように由緒正しき町なのですが、2km四方程というこじんまりとした旧市街は、緑のジャングルの中に浮かぶ小船のようです。飛行機で着いたときは日没後だったので解りませんでしたが、プーシーの丘という頂上にお寺のあるところに上ると、家並みが見えるのはほんの少しで、その向こうにメコン川が流れ、その先は緑一色です。

国際空港の機能を持つ空港も、緑のじゅうたんの中に、一筋の滑走路を描いただけといった感じです。ビエンチャンへの移動の飛行機から町が見えるのは一瞬で、後は緑がずーっと続いていました。

 ルアンプラバンの朝は托鉢僧の行列で明けます。

まだ暗いうちから、托鉢僧へのお布施をしようという人々が通りに集まってきます。観光客も多いようで、彼らのためにお布施となるもち米を蒸したものなどを売る店まで出現するようです。お布施をする人々は、通りに座って待ちますが、托鉢僧の数が半端じゃないんです。一つの集団が通り過ぎて、少しすると違った方向から、異なる集団が現れるといった感じで、ご飯を小さくちぎって渡すほうも大変です。出遅れた集団では、お布施を受け取れなかった様子もありました。

 旧市街は、とにかくお寺だらけで、その中で観光客が訪れるお寺はワット・シェントーン、ワット・マイ、ワット・ビスンナラートなどなどです。多くのお寺で金箔の装飾がなされていて、けばけばしくなるように思いますが、赤茶色の屋根や、南国の青い空と実によく調和して、浮いた感じがしません。
ワット・シェントーンは、メコン川とカーン川が合流して市街地が半島状になった先端近くにあり、ラオスで最も美しいお寺と言われています。
 
さすがに観光客も多く、本堂裏の壁のモザイク画や国王の葬送に使われた霊柩車も見ごたえありです。
ワット・マイは、王宮博物館の隣にありますが、こちらの屋根はワット・シェントーンより美しいといわれています。

日本の五重塔の美しさの一つは、各層の屋根の微妙な反りにあると言われますが、東洋の美意識はどこかでつながっているのかもしれません。
ワット・ビスンナラートは、旧市街から少しは離れた場所にあり、別名スイカ寺とも呼ばれています。

スイカの名産地というわけではなく、境内にある石塔の形がスイカを半分に切ったような形をしているためです。これらの代表的なお寺以外で、ガイドブックにも載っていないようなお寺であっても、合掌したような形の屋根は、どれも見事です。

 町は緑に飲み込まれそうと書きましたが、町中は南国の花々にも占領されています。北緯20度程度の緯度ですから、日本の真冬に行っても真夏並みの暑さです。
 
緑も花も、熱帯産の派手さがあるのは当然でしょうが、暑い中を歩き回っていてこれらの花を見ると、すこしほっとします。いや気温の方もhotなのですが。緑といえば、川海苔を干しているのも見かけました。

ただ、見かけたのは干してから、時間が経っていないものだったようで、完成品はかなり黒いだそうで、ゴマをかけて食べると絶品とのことです。多くの観光地には、中心になる観光拠点があって、それを見れば、そこは行った!というところが多いのですが、ルアンプラバンは、ゆったりと流れる時間を楽しむ、そんな町なのかもしれません。

 ある調査によると、アメリカ人が今最も行きたい国の第一はラオスだそうです。欧米人の東洋趣味もあり、メジャーな国ではないミステリアスな面を持つためもでもあるのでしょう。これらの傾向からか、ルアンプラバンの空港はタイやベトナムから直行便が乗り入れる国際空港になっています。ただ、その割には滑走路は1本で誘導路も、ボーディングブリッジも無いのですが。町中では、日本人より欧米人の顔をよく見かけるようです。彼らは、日本人よりずっと長い日程で滞在して、ゆっくりした時間を謳歌しているように思えます。しかし、町中にインターネット・カフェがやたらと目に付き、中は欧米人で溢れています。こんな山奥でもネットにつながるようになったのか、とも思いますが、インターネット・カフェに群がる彼らは、本当にゆったりとした旅を楽しんでいると言えるのでしょうか。

かつて長野県は中野県だったのです、旧県庁所在地の信州中野は取り残されたような町でした

2009-09-20 08:00:00 | 日本の町並み
 博多の近くの歴史の古い港町に、博多人形とは違った素朴な土人形がお土産で売られていたのが津屋崎でしたが、江戸時代に京都からもたらされた土人形の伝統が受け継げられている町が信州中野です。本来は長野県中野市なのですが、東京都の中野区と混同されやすいために信州や信濃を頭に付けて呼ばれることが多いようで、長野電鉄の駅名も信州中野駅となっています。今回は、長野電鉄の駅から陣屋跡にかけての町並みを紹介します。

 中野市は長野県の北辺にあって、JRの飯山線と長野電鉄の駅がありますが、市の中心部は長野電鉄の信州中野駅になります。かつては、この駅から分岐をして飯山市の木島まで木島線が延びていましたが、2002年に廃止されてしまいました。多くの観光客やスキー客は、信州中野から先にある終点の湯田中まで乗って、そこからバスで滋賀高原に行ってしまいます。栗が名物の小布施を訪れる人は、中野の手前でUターンしてしまい、木島線が廃止されたことともあいまって、単なる途中駅といった雰囲気です。

 信州中野は、江戸時代には天領だったために陣屋が置かれ、明治になりその跡地に中野県庁(長野県庁ではありません)が建てられました。とこrが、明治初期の凶作や特権商人への不満から中野騒動と呼ばれる一揆が起こり、中野県庁は焼失、中野県も消失して、寒村に過ぎなかった長野に県庁が移転して長野県となったそうです。

陣屋、県庁跡には陣屋が再建されて中野陣屋県庁記念館として資料展示などがなされています。

 古い町並みが残されているのは、陣屋跡の周辺で、北側には「歴史の小路」の名称が付けられた通りがあり、たなまこ壁の土蔵や塀が連なっています。

飲食店などが町並みの中に割り込んできてはいますが、まだまだいい雰囲気を残している一郭です。陣屋跡の西側、駅に近い町並みには、黒漆喰の土蔵や土壁に格子を持つ民家も残っています。
  
中には、壁が崩れたり漆喰がはがれたりしている家もありますが、滅びの美学のような美しさがあるように感じます。プレハブで作られたような、最近の家が傷んでくると見苦しいだけという状況とは異なるようです。その理由はいろいろとあると思いますが、古い民家などは素材がそのまま生かされていて、プレハブなどでは塗料などで厚化粧をして、その化粧が剥げてしまった感じを受けるからでしょうか。このあたりにも、自然融合型の東洋文化と、自然征服型の西洋文明の差を感じます。

 長野から信州中野への長野電鉄では、かつて小田急のロマンスカーとして活躍をしていた車両に乗りました。地方の私鉄では、首都圏で活躍していた懐かしい車両にお目にかかることが多いものです。近畿圏の私鉄の車両にあまりお目にかからないのは、関西の私鉄は標準軌が多いからかもしれません。地方私鉄ではコスト削減のための施策の一つでしょうが、これって一種のリサイクルでエコロジーですよね。IT分野では、大量に買い替え需要が発生して使われない携帯電話のレアメタルを回収したくってしょうがないようですが、ただで持って来いでは、なかなか難しいのでしょうね。ただ、これだけ次から次へと買い換える必要性を考え直すほうが先のように思いますが。

津屋崎への鉄道は廃止されましたが、福岡からちょっと寄り道をしたくなる町並みが残っています

2009-09-13 08:35:10 | 日本の町並み
 四国への客を呼び戻そうとして引かれた軽便鉄道の下津井電鉄も廃線となり、静かな漁村が残された港町が下津井でしたが、保存運動もむなしく平行するJRに旅客が流れて、路線の大部分が廃線となったのが西鉄宮地岳線です。この宮地岳線の終点であった港町が福岡の東にある津屋崎です。今回は、旧西鉄宮地岳線の津屋崎駅周辺の町並みを紹介します。

 津屋崎は、福間町との合併でできた福津市の一部で、福岡市と北九州市の間に位置します。それにしても、合併後の詩の名前は一文字ずつを採ってつけるというのは単純すぎでがないかと思います。ただ、かつて有名になった幸福駅も、アイヌ由来の幸震の土地に福井出身者が多かったことから一文字ずつとって幸福となったそうですが。

 さて、かつての津屋崎駅は福岡市地下鉄の貝塚駅からJR鹿児島本線と平行して北に伸び、福間あたりから北西に離れて走っていた西鉄線の終点でした。福間と津屋崎の間に宮地嶽神社があったことから宮地岳線と呼ばれていました。本線に標準軌を採用している西鉄ですが宮地岳線はJRと同じ狭軌で全線が単線でした。乗客の鉄道離れと、残った乗客が便利なJRに流れたことによって、特に乗車率の悪かった西鉄新宮と津屋崎間が2007年に廃止となり、路線の名称も貝塚線となってしまいました。筆者が訪れたのは廃止の半年ほど前でしたが、町中に保存運動のための張り紙や旗がありました。

 津屋崎は九州の北部の港町のため、古代から大陸との交流が盛んで、江戸時代から昭和初期まで津屋崎千軒とと呼ばれて繁栄してきました。現在では、旧津屋崎駅から民俗館の「藍の家」にかけて往時の面影を残す町並みが続いています。町家の面影を保存した「藍の家}は白壁と格子のある国の有形文化財で内部は資料展示室になっています。

隣には、同じように白壁に虫篭窓を持ち格子のある造り酒屋があります。軒に杉玉が下げられていて酒屋さんということがわかります。

駅から、このあたりにいたる道沿いには、このお酒屋さんのものと思われる板張りと白壁の酒蔵も連なっています。
 
 この道すがらには、津屋崎人形のお店もあります。博多人形の流れを汲む土人形で1700年頃から続いている民芸品だそうです。博多人形のように洗練された透明感はありませんが、原色に彩色され土の肌合いが残るところに素朴な親しみを感じる人形たちです。ただ、これらの人形のうち雛人形や干支のセットは受注生産のため、場合によっては1年待ちのこともあるとか。

 津屋崎を訪問したときには、西鉄と地下鉄に使える「よかネットカード」というものを購入しましたが、これが旧宮地岳線では使えず困りました(ちなみに、「よかネットカードは今年度いっぱいで廃止だそうです)。地下鉄の貝塚駅と接していて、西鉄なので使えると思ったのですが、使えないはずで、宮地岳線は自動改札化されていなかったのです。大都市圏の改札は、ほとんどICカード対応の自動改札になって、タッチするだけで乗り越しの清算まで瞬時にやってくれます。自動といっても自動販売機のように、お金を入れて、料金を調べて、ボタンを押すと、人手を煩わして何が自動かと思うものもありますが、最近の自動改札はまさしく自動と言えるかもしれません。ただ、自動に慣れすぎると、払っている意識が希薄になって、過剰に運賃を清算されても気が付かない事故があるかもしれません。

北欧のネーロイフィヨルドは絶壁の高さもフィヨルドの奥行きもさすがに巨大です(ノルウェー)

2009-09-06 11:40:36 | 世界遺産
 湖のように波の無い穏やかな海はヨーロッパ最南端のフィヨルドの地形のせいだったのはモンテネグロのコトルでしたが、ノルウェーのフィヨルドは、湾の深さも、絶壁の高さも巨大なものが数多くあります。今回は、世界遺産に登録されている「ガイランゲルフィヨルドとネーロイフィヨルド」のうちネーロイフィヨルドを中心に紹介します。

 ネーロイフィヨルドは、湾の深さが最大規模のソグネフィヨルドの支流の一つで、ノルウェー第2の都市ベルゲンの東に位置します。首都のオスロとベルゲンを結ぶ国鉄のベルゲン線のミュルダールやヴォスを起点にして手軽に訪れることができるため、北欧のパッケージツアーではおなじみのコースになっているようです。ミュルダールからフロム鉄道でフロムに下り、船でグドヴァンゲンに、そこからバスでヴォスに登るコースか、その逆のコースが一般的です。この3つの交通機関がそれぞれに魅力的なのです。

 フロム鉄道は、900m近い標高差を20kmくらいの距離で下ります。平均で40‰、最大で55‰(55/1000)という急坂ですが、スイスのベルニナ線と同様でラックレールを使っていません。

氷河が削り取った絶壁にへばりつくようにレールが敷かれていて、見所の滝の近くではカメラストップがあります。滝のそばにはニンフが出没するというサービス振りです。1時間弱の間、車窓に釘付けになりますが、一人静かに席に座ったままの老婦人がいらっしゃいました。この方、フロム駅の2つ手前の駅で降りていかれました、この景色は日常なのですね。

 フロムとグドヴァンゲンを結ぶフェリーは途中何箇所かの港に寄港して2時間ちょっとで運んでくれます。途中に寄港するところには、後ろに断崖絶壁があって、どう見ても陸路でアクセスするのは不可能なような所もあります。
 
フロムを出たフェリーは、まずは北に向かいます。このあたりはフィユルドの幅も比較的広く、絶壁も低いので、穏やかな景色です。
1時間ほど走ると、鋭角的に南に曲がり、ネールフィヨルドに入っていくと景色は男性的になります。フィヨルドの幅は狭くなり、絶壁が迫ってきます。
 
そして、この狭いフィヨルドの突き当りが下船場所のグドヴァンゲンです。
途中には、数多くの滝が落ちていて、最初のうちは滝だ!滝だ!と指針を撮っていましたが、余りの数の多さに、途中からは、あつ、また滝?という雰囲気です。

 グドヴァンゲンとヴォスを結ぶバスからの見所は、氷河に削られた狭い谷を俯瞰できるところです。それも片側から見るのではなく、ほぼ正面から眺められるので絵になります。

バスもこの景色が見える地点では徐行をしてくれますが、道がヘヤピンカーブで危ないので徐行をしているのかもしれません。船から見るフィヨルドは見上げるもので地形を把握する上でちょっと難点があるように思います。上から眺めると地形がよく解りますが、このためには陸路のそれも高いところに上る必要があるわけです。ヴォスまでのバスでは、この高みにバスが連れて行ってくれますが、自分の足で登る必要のあるフィヨルドがあります。世界遺産には登録されていないフィヨルドですが、ベルゲンより南にあるリーセフィヨルドです。このフィヨルドも船からも見上げることができますが、陸路から見るためには標高差600m程度を自分の足で登らなければなりません。2時間ほどかけて登ると、巨大な岩の塊に到着します。この岩の塊が海まで600m垂直に落ち込んでいる説教壇と呼ばれる絶壁です。

東京タワーの2倍という高さでは、とても絶壁に立って説教などできそうにありませんが、柵も何も無い絶壁の角に座ったり、身を乗り出して覗き込んでいる人が居ます。高所平気症でしょうか。

 フィヨルドは、ご存知の通り氷河が削り取った谷筋に海水が入り込んで深い入り江を作ったものです。氷河と言えば、地球温暖化で各地の氷河の後退が話題になります。温暖化を止めるために、CO2の排出を抑えるため、ITを利用しようとの動きもあります。人や物をなるべく動かさないで、情報だけを動かして、エネルギー消費を減らし、CO2排出を抑制しようというものです。ただ、話はそう単純ではなさそうで、場合によっては制御のためのITのシステムが消費するエネルギーの方が大きいかもしれません。ディジタル機器は、仕事をしないときにもエネルギーを消費するものが多いのですから。また、CO2排出規制枠にも、発展途上国の不満が多いようです。大量のCO2を排出をしている先進国は、その国の人口に比例した値まで削減するのではなく、現状を既得権とし、そこを基準とした削減しかしないからです。核拡散防止条約と同じ状況でしょうか。核を持つ国の中には、正義の味方が持つのは正当だと主張しているようですが、いったい誰が正義の味方と決めたんでしょうね。