世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ホーチミン市1区の南部は東洋のパリと呼ばれるヨーロッパを思わせる町並みが続きますが北部にには七重の塔もそびえる現役の仏教寺院が対照的な姿を見せます(ベトナム)

2023-05-28 08:00:00 | 世界の町並み
 ホーチミン市は元のサイゴンで、空港の3レターコードも鉄道駅名もサイゴンのままです。今回は、このホーチミン市の観光拠点が集中する1区を中心に紹介します。

 
 
 ホーチミン市の人口は首都のハノイよりも多く、ベトナム最大です、このためでしょうか、ホーチミン市の空港のタンソンニャット空港の入国管理の行列はすさまじいものでした。筆者は2時間近くの乗り継ぎを予定していましたが、到着そのものが遅れたせいもあって予定の乗継便に搭乗できませんでした。ベトナムに行かれる人は、ハノイで入国するか、ホーチミンで入国で乗り継ぎの場合は十分な時間を取っておくほうがよさそうです。空港は市街地の北7km程にあって、市内バスで簡単にアクセスできますが、手狭のせいでしょうか北50km程のところに新空港を作る予定だそうです。タンソンニアット空港から市内バスで中心街にむかい川を渡ったって右手に見えるのが永源寺です。観光拠点が集中する1区の南のほうではなく北端あたりに位置するので日本人観光客はほとんど見かけませんが、現役の仏教寺院らしく現地の方がたくさん参詣していました。

 
 
 さて、1区の南、ベンタイン市場の北東に広がる観光拠点です。市場に一番近いのが、北東に400m程の人民委員会庁舎で立法・行政を担う建物ですが、コロニアル建築が美しく日暮れ以降はさらに際立ちます。さらにもう少し北東に行くとオペラハウスがあって、こちらも優雅で見事な建築で、このあたりの風景から東方のパリと呼ばれるに至ったようです。

 
 
 
 人民委員会庁舎から北西方向に行くとまず目に飛び込むのが市の博物館で、様々な色にライトアップされ、後方に見えるビルのライトアップと共演しているようにも見えます。さらに行くと統一会堂で、フランス統治下の総督府で南ベトナムの大統領府として使われた歴史を持ち、ベトナム戦の終わりには北の戦車が突入した場所でもあります。内部は歴史を物語る展示がなされ、豪華な会議室なども公開され、屋上には戦闘ヘリもおかれています。

 
 
 さらに、次は北東方向に行くとカトリック大聖堂と中央郵便局都があります。どちらも19世紀に建てられた美しい建物です。大聖堂はノートルダムを原型とするレンガ造り、ロマネスク様式と言われていますがノートルダムはゴチック用紙j気なんですが。2本の尖塔が空を突き、夜景もなかなかです。一方、中央郵便局は、エッフェルの設計で、外観は荘厳な感じですが、内部に入るとアーチ状の天井が軽やかです。

 
 ホーチミン市を最初に訪れたのは約15年前のクリスマスの頃でした。メインの通りは、これでもかと言わんばかりのイルミネーションが道路を覆っていてびっくりしました。観光拠点となる建物もほとんどがライトアップされ、これにかかる電気代も、かなりのものではないでしょうか。15年前の頃は、LED化されていたか微妙ですが、現在の光源はLEDになっていると思います。ところで、LEDをはじめ世界の半導体市場では中国のシェアが後退してベトナムが伸びているのだそうです。産直なのでしょうかね。

3つの国鉄線の結節点が今は日南線の終点の車止めが寂しい志布志ですが町並みにはいわくありげなものを含めて見どころいっぱいです

2023-05-21 08:00:00 | 日本の町並み
 
 観光路線の日南線の途中駅の油津では広島カープが毎年キャンプをする町で、カープ通りだけでなくカープ神社まで作って町中でカープを応援していました。油津を通る日南線は宮崎から日南海岸を通って志布志まで延びていますが、かつては志布志で2通りに分かれて、鹿屋を経由して国分までの大隅線と、もう一方は都城まで至る志布志線の分岐駅でした。今では両線とも廃線となり、行き止まりの駅になってしまった志布志駅ですが、駅から北東に広がる街並みには見どころがいっぱいで、今回はこの街並みを紹介します。

 志布志は宮崎県を走ってきた日南線が鹿児島県にちょこっと入り込んだところですが、明治の初期には廃藩置県で鹿児島に所属した後に宮崎県となり再び鹿児島県となった歴史があるようです。江戸時代には薩摩藩が数多く持っていた外城の一つで藩の直轄の土地で海運の拠点として栄え、現在も残る武家屋敷やどの町並みはその面影のようです。

 
 
  
 武家屋敷などの町並みが残るのは、駅の北東方向で2つの内城と松尾城跡がある小山に挟まれたような地区で、その途中に寺町のようにお寺の多い地区があります。この地区にはお寺に混じって統合医院のレトロな洋館もあって楽しい散歩道です。

 
 
 
 
 

 
 2つの山城の囲まれた武家屋敷町ですが志布志の武家屋敷群は、りっぱな庭園が残っている点でしょうか。武家屋敷だけでなく、寺の住職が作ったという庭園もあります。中にjはりっぱな庭園は残っているのに、母屋の屋根は崩れてしまっている屋敷もありました。武家屋敷地区には湧水も多く、湧水が流れ込むのでしょうか、近くの掘割の流れもなかなかきれいです。

 
 また、志布志には放浪の俳人の種田山頭火が鹿児島県で唯一滞在した場所であったそうで、句碑や滞在した宿屋の跡地があります。ほかにも、嫁女石という供養塔や角地蔵それに密貿易屋敷跡などいわくありげな物が多くて散歩をしていて飽きさせない町です。

 湧水の水は清冽で飲んでも美味しいものが多いのですが、純粋の水とは異なるようで、純水は美味しくはないのだそうです。この究極に不純物を取り除いた純水は半導体の生成に不可欠で、原料となる水の良い場所に工場が作られるようです。かつて1kgは4℃の純水1リットルの質量と規定されました、この純水の質量も微妙に変化するそうです。そこで、やむなくフランスにあるキログラム原器の質量を1kgとすると規定したのですが、これも不変ではなかったようです。もちろん空気中の酸素で酸化しないよう、参加しにくい合金で作り、気密性の容器に入っていましたが、宇宙線が通り抜けるとわずかながら質量が変化するそうなのです。そこで、現在の質量の規定はプランクの定数という耳慣れない物理量を用いたものに変わっています。

ベトナム最初の王朝の都のホアルーには、2代の行程の廟しか残っていませんが周りの自然が素敵です(ベトナム)

2023-05-14 08:00:00 | 世界遺産
 ベトナム北部のカルスト地形の一つのチャンアンを紹介しましたが、チャンアンは独立の自然遺産ではなく古都ホアルーなどを含めた東南アジアで初の複合遺産の一部です。今回はこの複合遺産の文化遺産の部分であるホアルーを紹介します。

 ホアルーは前回紹介したチャンアンの北1km程に位置し、10世紀にベトナム最初の独立王朝であった丁朝の都がおかれたところです。11世紀初頭にハノイに首都が移転するまでベトナムの首都として機能した場所ですが、都としての遺構はほとんど残っておらず、初代と2代の皇帝の廟が残されているのみのようです。発掘現場のような場所もありましたが、よくはわかりませんでした。
 

 川に架かった橋を渡ると楼門があり、門を入ると大きな広場に出ます。この広場に何があったのかはよくわかりませんが、、広場を越えると、2か所の廟があります。、どちらも似たような建物があって、写真を整理するときに少し混乱しました。入口の所に背の高い石柱が立つのはフエの廟に似ているような気もしますが、フエのほうが時代が新しいので、ホアルーがオリジナルかもしれません。
 
 

 どちらの廟も瓦葺の切妻で平入に建てられていて、フエの王宮などと比べると簡素です。草庵に近いかもしれません。龍の石像があったり、亀の甲羅に石碑が乗っていたりするのは中国の影響のようです。
 
 
 
 
 

 周りは緑が多く、その中にカルスト特有の山容を山があって、中国の南部の景色のようです。行けには水連も咲いていて、気持ちの良い景色が広がります。ただ、ベトナム最初の王朝の遺構という意味合いはありますが、ホアル0だけをハノイから片道2時間以上をかけて訪れると、ちょっとがっかりするかもしれません。ハノイからの日帰りツアーのほとんどは、カルスト地形の鍾乳洞窟を船で巡る行程と組み合わされていました。
 

 亀の甲羅に乗る石碑は中国のあちこちで見かけます。ホアルーで見た時も「中国の影響なんだ」と感じましたが、亀は神聖な動物だからなのでしょうか。古代には亀の甲羅を焼いて現れた模様で占いをしたのもその表れなのか、占いに使う動物だから神聖なのかはわかりません。占いが好きな人は多く、携帯の立ち上げの頃にはトラフィックを稼ぐのに、占いを提供する音声サイトが、かなり繁盛していたようです。占いは決める決断ができない事項を他人に後押しして決めているのだとも言われます。占いの結果によって、政治が左右されていた時代は、不合理極まりないと思うのですがね。

鯉神社まで作ってしまった熱の入れようですが、古い町並みもなかなか味わい深い油津です

2023-05-07 08:00:00 | 日本の町並み
 標準時の子午線の通る明石市内に見事な藤が咲くのが魚住の住吉神社でした。明石というとタコ、そしてそのタコが入った明石焼きが名物で、大阪のタコ焼きとは一味違います。その大阪のお好み焼きと一味違うのが広島焼で、広島といえば広島カープ、そのカープがキャンプ地とする油津にはカープ通りがあります。前置きが長くなりましたが、今回は宮崎県の日南市の油津を紹介します。

 
 
 
 
 広島カープがキャンプをするのはJR日南線の油津駅の南、市街地の背後にある天福球場のようです。駅の東側にはカープ商店街があり、そこから球場に伸びるのがカープ通り、近くの商店街の中には鯉神社まであり、広島カープ一色です。一方、タイガースならぬ寅さんのロケ地もあって、市街地の頭部を流れる堀川沿いにあり、ロケ地の対岸にある堀川資料館にはその時の様子が写真展示されています。この堀川資料館は飫肥杉作りの古民家で、対岸からの外観も風情があり、そのベランダからの風景もなかなかです。

 
 堀川資料館のある左岸の堀川河口、油津港のあるところまでが古い町並みが広がる地域です。表通りは表通りの国道220号線は車の往来の激しい喧噪な場所ですが、ちょっと路地を入ると土蔵造りの古民家が静かに佇んでいます。ただ、この表通りにもレトロな商店の遺構が残されていて、満尾書店は2階部分の意匠がレトロな木造の登録文化財、そして杉村本店は窓が連続する木造3階建ての登録文化財があります。

 
 
 
 
 
 この満尾書店と杉村商店の西側、国道と赤レンガとおりとわかば通りに囲まれた一帯には、赤レンガ館、渡邊家住宅があり、ほかにも木造の古民家が建ち、時間の止まったようなエリアです。このような路地だと、メンコやビー玉遊びもできそうですが、この頃の子供はスマホゲームでしょうかね。

 
 南に行くと油津港で、南国の宮崎らしいパッっと明るい景色が広がります。その景色の中に直方体に赤い屋根が乗り窓のない石倉倉庫の建物が、ちょっと異質にぽつんと建っていました。

 カープ/carpは英語の授業で「これは単複同型でsは付かないんだよ」って教わりました。物質名など数えることのできない名詞は単複同型ですが、動物でもfishやsheepなど群れを成して1匹ずつ数えるのが難しい場合には単複同型を採ることが多いのだそうです。このように言語というのは、複雑なルールが入交り、必ずしも論理的とは思えないような理由でそうなっていることが多いように思います。長い歴史の中で、いつの間にか変化してきたのでしょうが、このような複雑なルールは、スマホの多言語翻訳ではすべてデータベース化されているんでしょうね。ただ、多用される英語では完璧に近いのでしょうが、ベトナム語から日本語に変換したときは、意味不明の文書が出てきました、データベースのデータ不足なんでしょうか。