世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

周りを断崖に囲まれたルクセンブルク旧市街は世界で唯一の大公宮のある都市です(ルクセンブルク)

2011-12-18 08:00:00 | 世界遺産
 町を取り囲む6kmの城壁がほぼ完全に残されていたのが平遥古城でした。平原に作られた都市を外敵から守るために城壁は必須だったのでしょうが、城壁は無くとも深い谷など天然の防塁で町が守られているのがルクセンブルク市です。今回は、神奈川県の面積程度の小国ルクセンブルク大公国の首都であり旧市街が世界遺産に登録されるルクセンブルク市を紹介します。

 
 ルクセンブルグは、三方をドイツ、フランスそしてベルギーに囲まれた内陸国で、ベネルクス(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)3国と呼ばれる立憲君主国の一つです。大公国という形態は、現在世界で居唯一の政治形態で、ルクセンブルグ市内には大公宮があり、衛兵が入り口を守っています。ヨーロッパの中央に位置するために、近隣大国によって、蹂躙されてきた歴史を持っていますが、なかなか堅固な要塞都市でした。それは、市内を流れるアルゼット川の囲まれ岩だらけの断崖が、天然の要塞の役割をして、北のジブラルタルと称されたようです。

 
 人口50万人足らずの小さな国ですが、重工業や金融業それに情報産業が盛んで、どこかの国とは違って所得格差の小さな暮らしやすい国の一つです。世界遺産に登録されている旧市街は、ネオバロック様式のルクセンブルグ駅から北に1kmほど、深い渓谷に架かるアドルフ橋を渡ったところにあります。この断崖に要塞が作られ、現在もその名残が断崖のあちこちに窓として顔をのぞかせています。周辺は緑が豊かで、争いごとのための要塞の存在が嘘のようですが、見下ろす断崖は人を寄せ付けないような険しさです。

 現在は、崖の下にも町が広がっていて、崖に沿って谷底に下りてゆくことができます。谷下りは、山登りと違って、帰りが坂を上るので、辛いのですが、観光用のミニトレインが崖の上のテラスから谷底まで行って、再びテラスに戻ってきてくれます。谷底に下りると、これだけの断崖の下なのでさぞや大きな川がと思うと、予想に反して数mの幅の小さな流れがあるだけす。



 谷底から見上げると、駅から渡ってきたアドルフ橋や鉄道橋が谷を跨いでいますが、連続アーチの橋はローマの水道橋を思わせ、なかなか奇麗です。







 
 さて、断崖の上の旧市街ですが、四方を谷に囲まれ、海に浮かぶ軍艦のような形をしています。北西と南東方向が長く600mほど、北東と南西方向は400mほふどです。こじんまりとしたエリアに、教会や広場それに町の中央あたりに大公宮があります。大公宮の入り口では衛兵が番をしていて、時折建物に沿って行進をしていましたが、衛兵の交代式は見られませんでした。ガイドブックにある時間に、その場に居たんですが・・・。近くの広場では露天市が開いていました。ヨーロッパの国々では、広場があると露天市があるようです。日本では高山や勝浦の朝市の雰囲気で、花や野菜、お肉やパンなども売ってました。とかくガラクタの捨て場と化すフリマとはだおぶ違っています。

 ルクセンブルクは、日本ではあまりなじみの無い国の一つで、多くの日本人は何処に位置するのかも知らない人が多いのではないでしょうか。こんな、小国ですが、情報通信分野では、ヨーロッパの中心的な名役割を果たしている面が多いようです。民間での放送衛星の運用数は世界一であり、欧州で最大の商用インターネット接続ポイントも有しています。また、電子商取引の関連法の成立や電子認証機関の設立などでヨーロッパをリードしてきたようです。どことなく、スマートにお金儲けをして、もっとも豊かな国の一つになっているように思えます。

神戸山手では異人館だけでなく世界中の宗教施設を見て回れます

2011-12-11 08:00:00 | 日本の町並み
 三条通や五条通のように観光客が闊歩する通りではありませんが、お城や教会それに京町家が並ぶのが裏通りのような雰囲気を持つ二条通でした。一方、神戸の山手の異人館通りは観光客と妙なお土産やであふれていますが、少し裏に入ったり、異人館街を外れると神戸らしい町並みや建物が残っています。今回は、海から上がってきた町並みが山に突き当たる少し手前の山手界隈を紹介します。


 神戸はいわずと知れた港で栄えた都市で、外国人の数の多さも東京の港区と似ているかもしれません。この外国人が多いせいで、世界中の宗教施設が、それも山手地区に揃っています。

 
 キリスト教会はカトリックでは、阪神大震災で壊れた3つの教会を統合した神戸中央教会が丸い聖堂とシャープな鐘楼で生まれ変わっています。
 プロテスタントは、やはり地震で壊れた栄光教会が、もとあった道路が分岐する三角形の場所に、壊れる前と同じ姿で再建されています。

 
 日本では2箇所のみのユダヤ教の教会(シナゴーグ)の入り口には、6つの頂点を持つダビデの星が掲げられています。
 イスラム教会は、やはり日本では2箇所のみで特徴のあるドームを持つモスクは、巨大な建物で目立った存在です。

 
 日本では神戸にしか存在しない寺院が、ジャイナ教の寺院で、インドに居るような錯覚を覚える一郭です。
 商売をする中国の信仰を集めているのは、横浜などにもある関帝廟です。

 
 日本の神社やお寺は数多くありますが、お寺では、山手でもやや西寄りですが禅宗の修業道場の祥福寺が雰囲気のあるお寺です。神社は、一宮から七宮まで数字が付いた神社があり、この中の三宮神社は繁華街や駅の名前にもなって最も知名度はありますが、神社そのものはあまり目立ちません。ただ、幕末に起こった神戸事件の舞台として有名で、神社の前に石碑も建っています。

 
 宗教施設ばかりの紹介では、偏った紹介でしょうから、異人館も少し取り上げましょう。公開されている異人館だけでも20棟近くあり、全てを見て回るのはずいぶんと時間がかかります。公開時期が古くて、相変わらずの人気は「かざみどりの館」「萌黄の館」「うろこの家」などでしょうか。





 レストランとして使われている東天紅や神戸北野美術館などは現役の建物として利用されているものもあります。








 
 ゴールデンウィークには、インフィオラータにより道路が花で埋め尽くされ、年末にはイルミネーションや飾りつけがされて、華やかさが絶えない街です。

 ただ、今でこそ観光客であふれる異人館街ですが、筆者の学生の頃はスケッチブックを持った人が時たま訪れるくらいの街でした。あまり、人を見かけない町並みだったかもしれません。1981年に開催されたポートアイランド博覧会の頃から、異人館街として観光化が進んだようです。あまりの観光客の多さに閉口しますが、観光化によって内部が見学できるようになったメリットはあるようです。ただ、お土産屋の多さだけは、もう少し自制してもいいのではないかと思います。

 神戸山手は世界の宗教施設博物館の状況を呈していて、それぞれの宗教がお互いに平和共存をしているように思えます。しかし、歴史を眺めてみると、戦争の原因のかなりの部分は、宗教の対立にあるようです。宗教は口実で、宗教を後ろ盾にした、つまるところは権力闘争なのかもしれません。愛や平和や人類の幸福を唱える宗教が、人殺しの戦争を引き起こすのは皮肉なことです。戦争も困りますが、技術者としては、宗教によって科学を否定されるのも、困った歴史の一つです。

七つの湖水の街のシュヴェリーンには、おとぎばなしのようなお城があります(ドイツ)

2011-12-04 08:00:00 | 世界の町並み
 紺碧の湖に浮かぶ小島が幻想的な風景を作っていたのがフィンランドのコリ国立公園でしたが、青い湖水の向こうの小島に絵に描いたようなお城が建っているのがシュヴェリーンです。今回は、フランスのシャンボール城を手本にして作られたというシュヴェリーン城のあるシュヴェリーンの町を紹介します。




 
 シュヴェリーンは、ドイツ北部バルト海沿岸にある世界遺産の町ヴィスマールから30kmほど内陸に入った、かつては東ドイツ側の都市です。ドイツ東北部には湖水が多く、シュヴェリーンは七つの湖の街と言われています。シュヴェリーン城も最大の湖のシュヴェリーン湖に浮かぶ周囲が600mほどの小島に建てられています。駅からお城までは1.5kmほどで、歩いてもさほどの距離ではありませんが、大聖堂や州立劇場などの建物などを眺めながら行くと、ほどほどの時間がかかります。駅を東に出ると、そこにも小さな湖があって、湖に影を映す大聖堂の姿も湖水の街シュヴェリーンらしい風景かもしれません。

 
 シュヴェリーン大聖堂は19世紀後半に建てられた教会ですが、完成までに700年以上を要したという聖堂です。北ドイツには、ケルン大聖堂など高い尖塔を持つ教会が多いのですが、シュヴェリーンは9番目に高い約118mの高さを誇っています。訪問したときには、町中がお祭りのようで、大聖堂の周りにも露店がたくさん出て、子供達がお菓子やおもちゃを買ってもらっていました。 このお祭り騒ぎは、シュヴェリーン城の周りでも行われていて、貴族の衣装で着飾った人たちが、観光客と一緒に写真に収まったり、模擬砲が撃たれたりとにぎやかでした。

 さて、シュヴェリーン城ですが、北のノイシュヴァンシュタインと呼ばれているそうですが、ノイシュヴァンシュタインと比べ日本人観光客にはあまり馴染みがないようです。かつては東ドイツに属していて、訪問には制約があったことや、周辺に大きな観光地が無かったからかもしれません。ノイシュヴァンシュタインが山の頂上に緑に囲まれて建っていることに比べ、シュヴェリーンは湖水の中の青さの中に建っています。お城の原型は16~17世紀にネオ・ルネッサンス様式で建てられ、19世紀に現在のような姿に改築されました。ドーナツ状の中央部に中庭を持ちずいぶんと大きなお城です。現在は州議会として使用されているようで、一部が博物館として公開されています。英国議会がウエストミンスター宮殿を使っている湖とは有名ですが、かつての権力者の館が、民主主義の権力の館に転用されたことになるのでしょうか。

 
 お城が建っている島は小さくて、お城の周りにはあまり余白が無く、まさしくお城の島といった感じです。対岸から見ると、まるでお城そのものが湖水に浮かんでいるように見えることになります。州議会の入り口となる正面と、裏手とに橋があって陸地とつながっており、裏手の陸地側には運河が掘られて緑豊かな付属の庭園が広がっています。お城の島には、広大な庭園を造るほどのスペースはありませんが、お城周辺にも花がたくさん植えられていて、お城を際立たせていました。

 お城は、城主の住まいとしてだけではなく、外敵からの防御拠点としての役割も重要だったはずです。しかし、シュヴェリーンなどの優雅なお城を見ていると、無骨な役割は無くなってしまったのでは無いかと思ってしまいます。サイバー攻撃ならば、物理的な防備は不要、という時代はまだ到来していなかったでしょうが。
 シュヴェリーン城は、歴史が新しいせいなのか世界遺産には登録されていません。そういえばノイシュヴァンシュタイン城も未登録ですが、ノイシュヴァンシュタインを建てたルードヴィッヒ2世の従弟のフェルナンド2世が建てたペーナ宮殿は世界遺産になっています。世界遺産には登録されていないシュヴェリーンですが、北ドイツに行かれたときには、ぜひ立ち寄って損はしない美しい町の一つです。