デンマークのロスキレ大聖堂にはデンマーク王室の代々の棺が収容されていましたが、韓国の慶州には、旧市街のほぼ中心に王族のものをも含む大小の古墳が集中した場所があります。古墳の中で最も有名な天馬塚からは韓国の国宝になっている冠が出土しています。今回は韓国の京都というよりは奈良とも位置づけられる古都の慶州歴史地域を紹介します。
慶州は韓国の東南部、釜山の国際空港から直行バスで70分ほどの距離にあります。慶州は10世紀まで新羅王朝の都が置かれた場所で、わが国への中国文化の通り道として、これをお手本とした飛鳥や奈良朝の文化に強い影響を与えた地域の一つといわれています。市の中心部にも高い建物が少なく、バスにちょっと乗ると田園風景が広がるのんびりとした雰囲気の町並みは飛鳥の風景にも似ているように思います。訪れたときには、郊外の仏国寺(これも別に登録された世界遺産)への道路わきには一面の菜の花畑が広がっていました。
市街地のほぼ中央部にあり、古墳が集中する場所は大陵苑と呼ばれ、塀に囲まれた40万平米の地域に23基の古墳があります。
もっとも接近している古墳同士では、古墳の裾が接しているようなものもあります。公園内に付けられた道は、古墳の小山を縫うように右に左にうねうねと続いていて、この先どこまで続いているのだろうという気持ちにさせます。天馬塚から出土した宝物の本物は、市街地の南部にある博物館に収められ、古墳の中にはレプリカが飾られていますが、レプリカといえども豪華な冠はなかなか見事です。
世界遺産に登録されている慶州歴史地域は大陵苑以外に五箇所ほどに分散していて、市街地から一番遠いのはバスで田舎道を南に4kmほど行った南山地区で、山全体に寺院の跡、山城の跡、石塔、王陵それに石仏が散らばっています。南山が一つの博物館のようで、ハイキングコースにもなっていて、多くの現地の人たちがやってきていました。韓国の人は山登りが好きなようで、急な斜面も苦も無く追い越して上っていきます。こちらは、頂上までは極めることはできず、途中で引き返しましたが、それでもかなりの数の石仏を見ることができました。
南山に登る前に途中下車をして鮑石亭と呼ばれる離宮跡を訪れましたが、鮑(あわび)の形をした石造りの遺物に興味が惹かれました。鮑の外形をかたどって水路が彫ってあり、そこに水を流すのだそうです。その水に杯を浮かべて、詩を歌い踊を舞ったようですが、京都の上賀茂神社に曲水宴という王朝時代からの遊びが残されていて、どちらも中国を起源とする同じ遊びのようです。
離宮ではなく新羅の宮廷は現在の市街地の南に接する半月城跡にあったようで、河岸段丘のような場所の半月状の草原を松林が取り囲んでいます。この半月城址エリアには7世紀に作られ東洋に現存する最古の天文台といわれる瞻星台があります。
外見は小さめのサイロのように見える地味な石造りの塔ですが、東西南北に正対しており、塔を形作る石の数も陰暦の一年の日数に合わせてある、なかなか科学的な根拠のある建物です。
曲水宴というのは、小川に杯を浮かべて、この杯が通り過ぎる前に詩を読まなければならないという遊びです。宴そのものは見たことは無いのですが、上賀茂神社の近くの宴が行われる小川のそばは通ったことがありますが、ほどほど流れは速かったように思います。昔の人はのんびりしていたと思いがちですが、けっこうさっさと詩を書いたり、機敏な動作をしていたのかもしれません。時間に追いかけられている現代人は、機械の力を借りて効率化、スピード化を果たしています。移動における乗り物や、仕事をこなす上でのIT機器類などといったところです。パソコンや携帯電話の助けが無いと仕事にならん!とおっしゃる方も多いかもしれません。機械の助けに頼る現代人は、これらの助けが無ければ非効率で、のろまな動物になりつつあるのかもしれません。
慶州は韓国の東南部、釜山の国際空港から直行バスで70分ほどの距離にあります。慶州は10世紀まで新羅王朝の都が置かれた場所で、わが国への中国文化の通り道として、これをお手本とした飛鳥や奈良朝の文化に強い影響を与えた地域の一つといわれています。市の中心部にも高い建物が少なく、バスにちょっと乗ると田園風景が広がるのんびりとした雰囲気の町並みは飛鳥の風景にも似ているように思います。訪れたときには、郊外の仏国寺(これも別に登録された世界遺産)への道路わきには一面の菜の花畑が広がっていました。
市街地のほぼ中央部にあり、古墳が集中する場所は大陵苑と呼ばれ、塀に囲まれた40万平米の地域に23基の古墳があります。
もっとも接近している古墳同士では、古墳の裾が接しているようなものもあります。公園内に付けられた道は、古墳の小山を縫うように右に左にうねうねと続いていて、この先どこまで続いているのだろうという気持ちにさせます。天馬塚から出土した宝物の本物は、市街地の南部にある博物館に収められ、古墳の中にはレプリカが飾られていますが、レプリカといえども豪華な冠はなかなか見事です。
世界遺産に登録されている慶州歴史地域は大陵苑以外に五箇所ほどに分散していて、市街地から一番遠いのはバスで田舎道を南に4kmほど行った南山地区で、山全体に寺院の跡、山城の跡、石塔、王陵それに石仏が散らばっています。南山が一つの博物館のようで、ハイキングコースにもなっていて、多くの現地の人たちがやってきていました。韓国の人は山登りが好きなようで、急な斜面も苦も無く追い越して上っていきます。こちらは、頂上までは極めることはできず、途中で引き返しましたが、それでもかなりの数の石仏を見ることができました。
南山に登る前に途中下車をして鮑石亭と呼ばれる離宮跡を訪れましたが、鮑(あわび)の形をした石造りの遺物に興味が惹かれました。鮑の外形をかたどって水路が彫ってあり、そこに水を流すのだそうです。その水に杯を浮かべて、詩を歌い踊を舞ったようですが、京都の上賀茂神社に曲水宴という王朝時代からの遊びが残されていて、どちらも中国を起源とする同じ遊びのようです。
離宮ではなく新羅の宮廷は現在の市街地の南に接する半月城跡にあったようで、河岸段丘のような場所の半月状の草原を松林が取り囲んでいます。この半月城址エリアには7世紀に作られ東洋に現存する最古の天文台といわれる瞻星台があります。
外見は小さめのサイロのように見える地味な石造りの塔ですが、東西南北に正対しており、塔を形作る石の数も陰暦の一年の日数に合わせてある、なかなか科学的な根拠のある建物です。
曲水宴というのは、小川に杯を浮かべて、この杯が通り過ぎる前に詩を読まなければならないという遊びです。宴そのものは見たことは無いのですが、上賀茂神社の近くの宴が行われる小川のそばは通ったことがありますが、ほどほど流れは速かったように思います。昔の人はのんびりしていたと思いがちですが、けっこうさっさと詩を書いたり、機敏な動作をしていたのかもしれません。時間に追いかけられている現代人は、機械の力を借りて効率化、スピード化を果たしています。移動における乗り物や、仕事をこなす上でのIT機器類などといったところです。パソコンや携帯電話の助けが無いと仕事にならん!とおっしゃる方も多いかもしれません。機械の助けに頼る現代人は、これらの助けが無ければ非効率で、のろまな動物になりつつあるのかもしれません。