世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

アマランテはタメガ川沿いの小さなエリアの中に絵に描いたような風景がありました(ポルトガル)

2017-12-17 08:00:00 | 世界の町並み
 町の中に川が流れ絵に描いたような街並みが広がるのがドイツ北部のリューネブルクでした。ヨーロッパの町並みには、安野光雅さんの絵本に出て来るような風景が広がる町並みが沢山ありますが、こんかいはそれらの中からポルトガルのアマランテを紹介します。

 
 
 アマランテは、ポルトガル北部、ポルトガルの第二の都市であるポルトの東40kmほどの内陸にある町で,す。人口は5.6万人程度なので、羽村市や茅野市くらいの規模でしょうか。ポルトのバスターミナルから1時間程度、途中は緑の田園地帯を走ります。


 タメガ川に架かる石橋のPonte de Sao Goncaloの周辺の数百メートルほどに教会などが建つ町の中心です。アズレージョのポルトガルらしく、道路には陶板がはめ込まれた標識のようなものもありました。そして絵のような風景も、この辺りになり、またこのあたりの散歩だけで十分のようにも思います。筆者も、世界遺産の町のギマランイスを訪れるバスの途中下車でちょい寄りをしただけでした。この程度でも、町の美しさは感じられ、もっと時間をかけスケッチブック片手に歩き回れば、違った良さが見つかるかもしれません。

  ポルトを三角形の頂点とすれば、世界遺産のギマランイスは底辺の中点、そして底辺の両端がアマランテとボンジェスス教会のあるブラガになります。ポルトから1泊2日で回るのに程よい町々です。

 絵のような風景を描くときに必要となるのが絵具ですが、この絵具に使われる顔料には人体に有害な金属を含むものがあることは意外と知られていないかもしれません。カドミュウム、鉛、クロム、水銀などですが、有害なものほどいい色だったりします。一方、IT分野でも有毒な金属は使われていて、代表的なものは半導体として使われるガリウムヒ素ではないでしょうか。高速動作が必要なトランジスタや赤外発光ダイオードの材料として無くてはならない存在です。また、最近はニッケル水素電池に取って代わられつつありますが、大量に使われたのがニカド電池のカ ドミュウムです。人体には有害ですが、自然界では独自の特性を持った金属なのですね。

全国的に地名はあまり知られていませんが日出にはかつての城下町の名残が残されています

2017-12-10 08:00:00 | 日本の町並み
 伊豆の長八の鏝絵の美術館があり、なまこ壁の町並みが続くのが西伊豆の松崎でした。この鏝絵は全国の1/3が大分県に集中していて、これは伊豆の長八に習った鏝絵を故郷の大分に戻って広めた青柳鯉市の影響です。拠点としたのが日出で今回は、民家の壁に鏝絵の残る土野町並みを紹介します。

 
 

 日出町は、大分県の中部、国東半島の南の付け根当たり、別府湾の北西端に位置します。JRに日出駅がありますが、鏝絵や日出城跡など、町の中心は隣の駅の暘谷駅の南の600m、南北300mほどに広がります。この駅名は日出城の別名の暘谷城に由来するもので、三代藩主が中国の古書に因んで命名したそうです。この日出城は明治の廃城令で売りに出され二つの櫓を除いて壊されてしまいました。現在は、この櫓が移築復元され、城跡には小学校が建ち、その周りに石垣が残るのみです。城跡からは、別府湾の眺めが綺麗です。

 
 
 城跡には、郷土が生んだ儒学者の帆足万里の像が立ち豊後の三賢人の一人と言われているようですが、全国的にはあまり知られてはいないようです。この帆足万里の記念館としても一時期使われたのが、藩校の致道館の建物です。門と家屋全体が残され、現存の藩校の遺構としては大分県唯一です。

 
 日出城跡の東には、金山開発で富を得た成清博愛が建てた的山荘(てきざんそう)があり、現在は重要文化財に指定され料亭として使われています。的山というのは成清博愛の雅号で鉱山開発で山を的てたいの気持ちを表すものだそうです。別府湾を眺めながら城下が令などの料理が味わえるのだそうです。

 
 鏝絵のある民家は、的山荘の東北寄りで町中にうずもれてしまっていて、見落としそうになります。筆者が見つけたのはウサギの絵とカレイの絵で、いつごろに作成されたものかは不明です。普通の民家の妻部の壁に何げなく描かれているのがいいのかもしれません。

 成清博愛は数々の鉱山開発でしっぱいし、最後にたどり着いた馬上金山で的を射たそうです。金山というと、2020年の東京五輪の金メダルの金は馬上金山のものではなく、都市鉱山から採取するようです。パソコンやスマホやケータイで買い替えた後に廃棄された古い機体から金を抽出するのだそうですが、これが尋常な量ではなく、現用のIT機器までを含めると金では世界の埋蔵量の16%、銀に至っては22%にもなるのだそうです。現用の機器で使われる貴金属はともかく、買い替えによる廃棄はあまりにも無駄ではないでしょうか。使わない機能が増えているだけの新しいスマホへの買い替えをあおるキャリアに踊らされるのは止めにしては。

執念で復刻させた建物群がある旧市街の他にもワルシャワは見どころ一杯です(ポーランド)

2017-12-03 08:00:00 | 世界遺産
 チェスキークルムロフは、戦後に住んでいた人が立ち去って廃墟同然になっていましたが、かえってそれが町を冷凍保存状態にして、現在のように古い街並みの残る観光地になりました。一方、第2次大戦の戦火によって廃墟になり、元の町並みを力ずくで復活させたのがポーランドの使徒であるワルシャワ旧市街です。今回は、ワルシャワの市街地を中心に紹介します。

 
 
 
 
 
 
 
 
 ワルシャワはポーランドのほぼ中央やや東寄りに位置し、旧市街が世界遺産に登録されています。旧市街は、中央駅の北2kmほど、ビスワ川の左岸に南北400m、東西200mほどの楕円の地域です。現在のワルシャワの旧市街は、戦火によって破壊された町並みを、古い写真や市民の記憶を基に、建物のひび割れまでも忠実に再現したとされています。ただ、そこまでやるか、とその執念に恐ろしさすら感じます。旧市街の中心は、南端に位置する旧王宮で13世紀に侯爵邸として作られた後、首都となった後は行政府などが置かれました。第2次大戦で破壊され1970年代に再建された象徴的な建物です。そこから北の旧市街広場への途中には聖マルティン教会、聖ヨハネ大司教座そして聖母教会と教会が集中しています。さらに旧市街の北端にはバルバカンという要塞の遺跡があります。壁に門がありますが、エストニアのタリンにある「ふとっちょマルガリータ」と似ています。

 世界遺産の指定外ですが、中央駅から旧市街へ通じるクラクフ通り沿いにも見どころが沢山あります。ただ、筆者はバルト三国からの帰路に1泊のみ、それも午後4時過ぎに到着して夜までという滞在であまり紹介できません。ポーランドを代表する有名人と言えば、コペルニクス、ショパンそしてキュリー夫人でしょうか。これらの有名人に関連のある施設もこの通り沿いにありますが、写真は撮れていません。

 
 
 コペルニクスの像は撮れませんでしたが、旧ラジヴィウ家の宮殿の前のユゼフ・ポニャトフスキ大公の像とアダム・ミツキェヴィチの像は撮ることができました。ユゼフ・ポニャトフスキ大公はナポレオン軍に見方をしたポーランドの軍人で、後方に建つのは旧ラジヴィウ宮殿で現在は大統領官邸になっています。一方、アダム・ミツキェヴィチはポーランドを代表するロマン派の詩人だそうです。銅像にもなっていますが、我が国ではあまり知られていないですね。
 通りの南端あたりには、旧ソ連時代にスターリンの指令で建てられた文化科学宮殿が建っています。高さが237mある構想建築で、現在は映画館やオフィスが入居しているそうです。いかにも威圧的な建物ですが、目立つ建物でもあるようです。高層建築ではありませんが、ルーマニアの首都ブカレストにチャウチェスクが建てた国民の館にも似ているように思います。権力を誇示する建物は、このような形になるのかもしれません。

 ショパンのピアノ曲の一部は、弾くピアノが悪いと奏者の指を痛めると言われています。それだけ、超絶技巧を必要とするということでしょうか。ピアニストにとって、指の訓練は必要不可欠で、その前提で、演奏するうえでの解釈が生まれます。極論すれば、指の鍛錬は必要悪で、コンピュータによる自動演奏が進めば、この苦痛から解放され、ピアニストは曲の解釈に専念できる、とも言われています。さらに、現在のピアノ曲は、人間の10本の指で演奏する前提で作曲されますが、この前提からも自由になるかもしれません。ショパンは自動ピアノでの演奏を前提とした場合は、どんな曲を作曲したでしょうか。