穴太衆による野面積みの石垣の上に、明智光秀が改修した天守閣がそびえていたのが福知山城でしたが、丸い石や切石を使って積み上げた石垣が台風の風を防いでいるのが、吉良川地区のいしぐろと呼ばれる石垣です。さらに壁には水切り瓦または庇と呼ばれる庇で壁を伝う雨を防いで、台風銀座に備えた家並みが続いています。今回は、室戸岬の近くの吉良川の町並みを紹介します。
吉良川町は、合併によって室戸市を構成する一地区で、市の中央やや南、西ノ川と東ノ川に挟まれたあたりにあります。いしぐろに囲まれた町並みの残る地区は、二つの川の河口近く、高知と室戸岬を結ぶ国道55号線から少し入ったところに、国道に沿って家並みが続いています。四国の南岸、特に室戸岬あたりは大型の台風の通り道で、過去に室戸の名称の付いた大型台風が2つもありました。台風は上陸すると、海からのエネルギーの補給が無くなり、山脈などにぶつかることもあって勢力が弱まります。ところが、室戸岬あたりでの台風は、最も勢力の強い状態で接近するので、風や雨は猛烈であることは想像にかたくありません。この台風などに備えて、家屋を守る知恵として生まれたのが、いしぐろと水切り瓦だったようです。
石垣については、やはり台風の襲来の多い沖縄でも、家屋を守るために多くが築かれているようですが、水切り瓦は土佐独特のもののようです。壁の部分に二重、三重に奥行きの短い庇を出して、壁を伝う雨水をカットしてしまおうというものです。通常見られる庇の下には窓がありますが、水切り瓦では、庇の下には窓が無いのが普通で、白い漆喰壁に庇が幾重も重なっています。多くは妻側に付けられているようですが、出入り口や窓など開口部の少ない土蔵造りでは平側にも付けられているようです。
なまこ壁の上に水切り瓦のある土蔵は、上部が単調になる土蔵にアクセントを持たせ、なにか計算されたような美しさがあります。
古い町並みには、なまこ壁や虫篭窓と並んで、格子のある家並みがつきもののようにも思えますが、この町で見かけた格子は、上下で同じ密度ではなう、上部の格子が間引かれているような構造になっていました。他の町にもあるのかもしれませんが、格子の作るリズムが単調にならずより美しさを感じさせました。
格子の上部は、多少間引いても防犯上は問題が少なく、採光や風通しには格子は少ないほうがいいでしょうから、そのあたりの兼ね合いから生まれた意匠ではないかと推定しました。
これだけの家並みが残る吉良川は、土佐備長炭の生産/集散地として栄えた歴史があり、明治から昭和初期頃までに財を成した商人の土蔵などが町並みの核になっているようです。吉良川は、もともと火力の強い薪を産出し京阪神地方に供給していたようです。明治期に炭の生産を始め、大正期には後背地の馬目樫の原料と和歌山からの製造技術とを得て、良質の備長炭を生産するようになったとのことです。
備長炭は白炭の一種で、長時間火力が衰えず煙が出ないことから炭火焼の料理屋では、使っていることを宣伝材料にされるほど有名ですが、産地もいろいろ、材料も樫以外を使ったものが備長炭の名称で出回っていることも多いそうです。良質の備長炭は、たたくと金属製の音がして、風鈴などに仕立てられ硬質な感じがします。炭素原子が、規則正しく配列して結晶化したものがダイヤモンドですから、多少は通ずるところがあるのかも知れません。ありふれた炭とダイヤモンドが同じ元素でできているわけですが、ITを支えているLSIの原料となるシリコン結晶も、地球上に4番目に多く存在し岩や砂に含まれる珪素が結晶化したものです。いくら同じ元素が身の回りにあるといっても、不純物を極限まで取り除いて、単結晶にするのは簡単なことではないようです。同じ性格を持つ人々をふるいにかけて、一まとまりにすると、新しい価値が生まれる?いやいや、その前に何か事件が起こりそうです。
吉良川町は、合併によって室戸市を構成する一地区で、市の中央やや南、西ノ川と東ノ川に挟まれたあたりにあります。いしぐろに囲まれた町並みの残る地区は、二つの川の河口近く、高知と室戸岬を結ぶ国道55号線から少し入ったところに、国道に沿って家並みが続いています。四国の南岸、特に室戸岬あたりは大型の台風の通り道で、過去に室戸の名称の付いた大型台風が2つもありました。台風は上陸すると、海からのエネルギーの補給が無くなり、山脈などにぶつかることもあって勢力が弱まります。ところが、室戸岬あたりでの台風は、最も勢力の強い状態で接近するので、風や雨は猛烈であることは想像にかたくありません。この台風などに備えて、家屋を守る知恵として生まれたのが、いしぐろと水切り瓦だったようです。
石垣については、やはり台風の襲来の多い沖縄でも、家屋を守るために多くが築かれているようですが、水切り瓦は土佐独特のもののようです。壁の部分に二重、三重に奥行きの短い庇を出して、壁を伝う雨水をカットしてしまおうというものです。通常見られる庇の下には窓がありますが、水切り瓦では、庇の下には窓が無いのが普通で、白い漆喰壁に庇が幾重も重なっています。多くは妻側に付けられているようですが、出入り口や窓など開口部の少ない土蔵造りでは平側にも付けられているようです。
なまこ壁の上に水切り瓦のある土蔵は、上部が単調になる土蔵にアクセントを持たせ、なにか計算されたような美しさがあります。
古い町並みには、なまこ壁や虫篭窓と並んで、格子のある家並みがつきもののようにも思えますが、この町で見かけた格子は、上下で同じ密度ではなう、上部の格子が間引かれているような構造になっていました。他の町にもあるのかもしれませんが、格子の作るリズムが単調にならずより美しさを感じさせました。
格子の上部は、多少間引いても防犯上は問題が少なく、採光や風通しには格子は少ないほうがいいでしょうから、そのあたりの兼ね合いから生まれた意匠ではないかと推定しました。
これだけの家並みが残る吉良川は、土佐備長炭の生産/集散地として栄えた歴史があり、明治から昭和初期頃までに財を成した商人の土蔵などが町並みの核になっているようです。吉良川は、もともと火力の強い薪を産出し京阪神地方に供給していたようです。明治期に炭の生産を始め、大正期には後背地の馬目樫の原料と和歌山からの製造技術とを得て、良質の備長炭を生産するようになったとのことです。
備長炭は白炭の一種で、長時間火力が衰えず煙が出ないことから炭火焼の料理屋では、使っていることを宣伝材料にされるほど有名ですが、産地もいろいろ、材料も樫以外を使ったものが備長炭の名称で出回っていることも多いそうです。良質の備長炭は、たたくと金属製の音がして、風鈴などに仕立てられ硬質な感じがします。炭素原子が、規則正しく配列して結晶化したものがダイヤモンドですから、多少は通ずるところがあるのかも知れません。ありふれた炭とダイヤモンドが同じ元素でできているわけですが、ITを支えているLSIの原料となるシリコン結晶も、地球上に4番目に多く存在し岩や砂に含まれる珪素が結晶化したものです。いくら同じ元素が身の回りにあるといっても、不純物を極限まで取り除いて、単結晶にするのは簡単なことではないようです。同じ性格を持つ人々をふるいにかけて、一まとまりにすると、新しい価値が生まれる?いやいや、その前に何か事件が起こりそうです。