世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

礎石だけが残る谷中の塔の跡は放火犯に腹立たしさを感じますが、谷根千の東端に位置する谷中は霊園という薄暗さはない散歩道です

2024-06-02 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は都内に残る重文の五重塔の一つがある池上本門寺界隈を紹介しました。本門寺の五重塔は戦災でも被害を受けなくて済みましたが、戦災でも被害が無かったのに戦後に放火で焼けてしまった五重塔がありました。それは谷中霊園に建っていた天王寺の五重塔で、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルにもなった塔です。今回は、五重塔の礎石のみが残る谷中墓地周辺を紹介します。

 
 天王寺の五重塔の放火事件というのは、1953年に起こった不倫清算の末の心中で、睡眠薬自殺の後に石油による放火までやってしまったそうです。当事者は男女関係の不倫だけでなく、貴重な文化財に対する倫理観も欠如していた不幸な出来事です。谷中霊園はJR山手線の鶯谷駅から日暮里駅にかけての南西にほろがる広大な霊園で、五重塔後は霊園の中央のやや北寄りに礎石と脊柱のみが寂しく建っています。

 谷中は上野公園の北に谷根千と呼ばれる、古い町並みが残る一郭で、谷中が東寄りでその北西に千駄木、そして千駄木の南南西に根津といった位置関係ですが、それぞれの境界は住居表示で千が引かれているのですが、散歩をしていると、どうもあいまいな気がします。したがって、今回の紹介範囲も住居表示の谷中からはみ出しているかもしれません。

 
 
 
 
 
 谷中は霊園には有名人の墓地も多く、徳川瀑布最後の将軍の慶喜の墓もあります。明治維新で負け一時は朝敵であった慶喜が谷中に葬られたのは、諸説ありますが、最終的に明治天皇と講和したことによるとされています。また、福沢諭吉の代わりに一万円札の肖像となった渋沢栄一のお墓もありました。これらの広大な墓地を囲むようにお寺が多く、もともとは上野寛永寺の支院ががあったところに、明暦の大火の後に焼失した寺が移転をしてきて寺町を形成したようです。

 
 
 
 
 
 
 お寺に交じって、高村光太郎が卒業した第一日暮里小学校の校門前には光太郎の直筆が添えられたフクロウの像があったり、大名時計だけを集めた大名時計博物館が在ります。芸術の香りの高い上野に続く土地柄でしょうか。北寄りの日暮里駅に近いところには朝倉文夫が住居兼アトリエとしていた建物を改装した朝倉彫塑館があります。アトリエであったところを中心に彫刻が置かれていますが、温室であったところは猫の間といい猫が好きであった作者らしく猫の彫刻であふれています。居室であった和室は中庭に湧水を利用した池があってこちらも見ごたえがあります。


 新しい3種類の紙幣が発行されますが、これを印刷する印刷局も大変でしょうが、自販機などのお札を識別する装置の変更はもっと大変かもしれません。置き場所は全国の津々浦々に散らばっているわけですから、取替の手間たるや大変でしょう。新五百円硬貨が使えない機械が数多くありますが、お札の変更に合わせて更改するのではと思います。新しいお札は偽造防止のために3Dホログラムやマイクロ文字などが取り入れられていますが、判別機でどのように処理されているか興味がありますが、判別ユニットを製造するメーカの極秘事項なのでしょう。コンピュータのスキャナや印刷技術ではカバーができないとのことですが、それは現状の技術水準のことで、結局はいたちごこなのでしょうか。


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