世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

雲州平田の木綿街道の家並みに下がる暖簾は、当然ながら木綿で作られていました

2014-09-28 08:00:00 | 日本の町並み
 都心にあった寺が火事に遭って、当時は郊外であった豊島園近くに引っ越して寺町を形作った場所が練馬寺町でした。都内には中野や烏山あたりにも寺町が幾つか存在しますが、真宗のお寺を中心とした寺内町とは趣が違うようです。また、城下町では武家屋敷や町家などの区割りの中に寺町の区割りも存在したようです。このような寺町の一つに松江寺町があり幾つものお寺が固まっています。今回は、松江の町並みはすでに紹介済みですので、松江から出る一畑電車の沿線の平田を紹介します。

 平田は、松江しんじ湖温泉と出雲市を結ぶ一畑電車の出雲市寄り、雲州平田が最寄の駅になります。この一畑電車の駅には変わった人形が展示されています。平田一式飾という説明があるのですが、平田天神祭に各町で奉納される飾りの例です。この飾りは、陶器や仏具、文房具などの日用品を組み合わせて、おとぎ話の場面などを作りこむものだそうです。余談ですが、この一畑電車の駅の中には、日本で最も長い駅名が存在しました、「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」というものでした。ところが、この美術館が閉館してしまい日本一の座は、かつて日本一であった南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原」が返り咲きました。

 
 
 現在の交通は一畑電車が担っていますが、江戸時代には平田の東西に貫く船川と南に広がる宍道湖が舟運による物流の動脈でした。平田は、この物流のルートを利用した木綿の集散地として、大きな商家が残る町並みとなり、この船川沿いのルートを木綿街道と呼んでいます。

 
 
 
 
 木綿街道沿いには、出雲格子と呼ばれ、長短2本ずつの角材が交互に組まれている格子が窓にはめられたり、白漆喰の塗込壁を持つ商家が数多く並んでいます。さすがに現役の木綿問屋は無さそうですが、複数の造り酒屋、複数の醤油の醸造蔵、それに生姜糖本舗など現役の商家が商売を続けているようです。大都市のそばに位置しないせいか、観光地にありがちな妙なお土産屋もあまり見かけません。ただ、町並みを突き抜けた先には日帰り温泉施設があって、町並み散策の汗を流すことができます。

 木綿というと天然繊維の中では価格の安いものの代表でしたが、化繊の価格が下がって、相対的に木綿も高級繊維になりつつあるかもしれません。化繊には、強いなど多くの利点がありますが、逆に吸湿性が無いことや、帯電しやすいなどの欠点もあります。この帯電性が、IT分野では困る点で、服に帯電をした静電気が放電して、回路やICなどを破壊してしまうのです。最近の部品は、静電気に強くなった面はあるようですが、集積度が上がれば、相対的に脆弱になるはずで、超小型コンピュータのウェラブル・コンピュータを使う時には天然繊維を着ること!なんてことにはならないでしょうね。

ボルドーというとワインを思い起こしますが旧市街には見所があふれんばかりです(フランス)

2014-09-21 08:00:00 | 世界遺産
 国際河川に数多くの城を作って通行税を徴収した関所があるのがライン川の中流域でした。ヨーロッパの大きな川は、流域に複数の国を持つことが多く、流れも緩やかなこともあって、船を利用した流通路になっています。ライン川でもそうですが、大きな船が河口から驚くほど上流まで遡ってきています。フランスのガロンヌ川は国際河川ではありませんが、河口から80kmほどのところに巨大船が出入りをするボルドーの港を持っています。ボルドーの場所で、ガロンヌ川が大きく湾曲して三日月の形に似ていることから、月の港ボルドーの名称で世界遺産に登録されています。

 
 大西洋に注ぐガロンヌ川は、南部で地中海に至るミディ運河とつながって、地中海と大西洋とを結ぶ物流の重要なルートでした。かつては、フランス南西部の農産物を大西洋へ安く運ぶには、船による運搬が好都合でした。現在でも大量に遠距離を運ぶのは船の独壇場で、ボルドーのワインの多くは月の港から船によって積み出されているかもしれません。訪問をした時は、ドイツの巨大クルーズ船とフランス軍の艦船が停泊していました。

 
 さて、ボルドーですが、パリからは500kmほどありますが、TGVに乗れば3~4時間程度で到着します。市街地は、ガロンヌ川の左岸に開けた低湿地で、世界遺産の登録も左岸にある施設になります。右岸との間には1822年に完成して、1965年まではガロンヌ川を渡る唯一の橋であったピエール橋が架かっています。中央をLRTが走っていますが、地表終電方式という特殊な給電がなされていて架線が無いため美しい橋の景観を邪魔していません。この方式は、ボルドーで初めて用いられ、通常のレールの間に、もう1本の給電用のレールがあり、電車が通過する時にだけ電気が来るようにして感電を防いでいます。ただ、通常の架線方式よりコストがかかるので、景観を重んじる旧市街部分のみに導入され、郊外などでは通常の架線が張られています。




 このLRTがガロンヌ川に沿って走る所にブルス広場があります。18世紀に作られて、何度か名称も変わっていますが、現在の名称は広場の北側の旧ブルス宮殿にちなんだものです。広場の前面に作られた水の鏡と呼ばれる水面に映る左右対称に並んだかつての宮殿とフェルム館とは、昼に見ても夜に見ても息を呑むほど美しい景色です。


 さて、世界遺産に登録されている旧市街ですが、主だった施設を把握するには、この中を走り回るミニトレインが便利です。日本では、道交法の制約なのか、あまり見かけませんが、ヨーロッパの町並みでは良く見かける光景です。ミニトレインで町の概念をつかんで、あとは自分の気に入ったポイントを集中的に訪問すれば、効率もよくって見落としもありません。以下に、いくつかのポイントについて紹介します。

 
 大劇場は、パリのオペラ座のモデルとなった18世紀の建物で、ギリシャ神殿風の列柱と、その上に並ぶ女神像が見事です。内部は大階段のあるホールまでしか入れなかったのですが、こちらもなかなか豪華です。

 
 
 サン・タンドレ大聖堂は、11世紀に建てられたロマネスク様式の教会で、サンティアゴ・コンポステイラ参詣道の一部としての登録にも入っています。教会の隣りにはペイ・ベルランの塔が建っていて、上るとボルドーの町の眺めがすばらしいそうですが、階段を歩いての上りになります。

 
 サン・ミシェル大聖堂もサンティアゴ・コンポステイラ参詣道の一部としての登録にも入っていて、こちらはゴシック様式の聖堂です。ピエール橋の近くに建っていますが、114mの高さの鐘楼は、ガロンヌ川を渡った対岸からも目だってよく見えます。

 
 その他に世界遺産には登録されていませんが、町中に数多くの教会が建っています。その中で、ノートルダム教会は、バロック様式で建てられており、正面の彫刻も、内部のステンドグラスも、なかなか美しいのですが余ガイドブックには載っていないようです。


 さらに、旧市街の入り口にはいくつかの城門があります。凱旋門のようなアキテーヌ門や大きな鐘をつるした鐘楼の形のものもあります。美術館や博物館も充実していて、何気なく入館したアキテーヌ博物館は見ごたえ十分で予想外の時間を過ごしました。

 
 ガイドブックには載っていなくて意外なのは、ローマの円形闘技場の遺跡が残されています。これは、旧市街を一周するミニトレインでそばを通って知ったのですが、そこだけが回りの風景とは段差があります。ボルドーが古代ローマに支配されていた3世紀頃の遺跡で、円形闘技場の壁の一部が残っています。

 ボルドーといえば世界的なワインの銘柄の一つで、代表的な赤ワインの産地であるサンテミリオン地区は世界遺産にも登録されています。ワインの醸造は、長年のノウハウの集積の賜物でしょうが、世界的なワインの産地の一つアメリカ西海岸では、IT産業で有名なシリコンバレーの技術者とのタイアップでワイン製造のロボットが売り出されているそうです。材料のぶどうと酵母とを容器に入れると、あとはパソコンが温度管理などを自動的に行って醗酵を制御するそうです。醗酵が終了すれば、オークの樽に入れて寝かせれば、自家製の美味しいワインに仕上がるとのことです。熟練の職人の後継者不足が進んでいる現在、技術の継承にはコンピュータの助けも必要になってきているのかもしれません。

中央線の吉祥寺にはお寺は無く、有名人のお墓の多い吉祥寺があるのは本駒込なのです

2014-09-14 08:00:00 | 日本の町並み
 豊島園近くの練馬寺町は関東大震災に遭ったお寺が都心から引っ越してきてできたものでした。それより前の江戸時代には、江戸の町はたびたび大火に見舞われて八百屋お七の逸話で有名な明暦の火事でも、都心のお寺が引っ越しています。ただ、この頃は江戸の町が現在ほどは広がっていなかったので、江戸城からちょっと遠くに引越しといった感じです。このお寺の一つが駿河台から駒込に引っ越した吉祥寺で、境内にはお七、吉三郎の比翼塚もあります。今回は、JRの駒込から地下鉄の本駒込あたりまでを紹介します。

 
 
 スタートは、駒込駅から近い六義園(りくぎえん)です。江戸時代には柳沢吉保の下屋敷であった庭園を、明治時代に岩崎弥太郎が買収をして別邸になり、昭和になって東京市に寄付されたものです。回遊式の庭園の中には茶室あり、小山有りで、池に映る紅葉の頃は美しさの増す庭園です。ただ、なぜか駅に近い門は閉じられていて、南側に大きく回りこんだ正門からしか入園できません。ところが、紅葉の頃には、ライトアップされた紅葉を鑑賞できるよう夜間開園がなされていますが、このときばかりは駅に近い染井門からの入園になります。

  六義園の東を通る本郷通りを南に本駒込にかけてお寺や神社などが数多く並んでいます。最初にある神社が、前田家が上屋敷を作るに当たって、その土地にあった浅間社を移設した駒込富士神社です。江戸の各地にあった小高い丘の富士塚の一つに拝殿が置かれています。駒込富士神社から裏通りに入ると、駒込名主屋敷があります。このあたりの名主の家屋の名残で立派な門などが残されていますが、現在もお住まいなので外部から静かに拝見、という感じです。

 
  
 再び、本郷通りに出てしばらく行くと立派な山門が目に飛び込んできます。このお寺が、明暦の大火の後に駿河台から引っ越してきた吉祥寺です。八百屋お七と吉三の比翼塚に加えて、榎本武揚や二宮尊徳など有名人の墓も数多くあります。ちなみに、中央線の若者の町である吉祥寺駅の近くにはお寺は無く、大火の前の門前町の町民が新しい農地を提供されて引越しをしてきた場所が、現在の武蔵野市の吉祥寺なのだそうです。

  
 さらに本郷通りを進むと、目赤不動そしてその先には駒込土物店跡、本駒込を少し行き過ぎたところには、このコースでの二つ目の富士塚がある海蔵寺があります。目黒、目白はJR山手線の駅名にもなりよく知られていますが、この二つの不動尊のほか、駒込の目赤、世田谷区太子堂の目青、そして目黄不動は台東区三ノ輪と江戸川区平井にあり合わせて五不動と言われています。土物店というのは野菜などの市場があった場所で昭和初期に豊島区に引っ越しています。また、海蔵寺の富士塚には江戸初期に富士山で入滅をした参身禄山の墓碑が建っています。

 江戸時代の都市火災は、現代のように消火という手段はほとんど使えなく、延焼を防止するため建物を壊して防火線を作るのが精一杯だったようです。一方、現代でも、消火が難しいのが森林火災で、上空から消化剤を撒いてもなかなか鎮火しないようです。江戸時代の都市火災のように防火線を作る手段もあるようですが、火災がどちらに拡大してゆくかを予測するのが難しのだそうです。的確な予測は、消火だけでなく非難のための情報にもなるのですが、最近は衛星からの情報や地上のセンサの情報などを入力として火災の拡大を予測するコンピュータシステムが発展しているようです。大気の動きの予測もあるでしょうから、スパコンの京を使った全地球の大気のシミュレーションシステムとも通じるところがあるかもしれません。ただ、この技術は都市部の火災の消火には、あまり役立たないかもしれませんが。

アンコナ港の近くにはギリシャ時代の遺跡や数多くの教会が散在し散歩が楽しい町です(イタリア)

2014-09-07 08:00:00 | 世界の町並み
 列車で2箇所、船でもクロアチアにある2箇所の世界遺産にアクセスできる南イタリアの町がバーリでした。一方、イタリア中部の東海岸にもアドリア海を渡ってクロアチアとの間を結ぶフェリーの港があります。バーリからのフェリーと同じ船会社のフェリーが就航しており、似たようなダイヤと料金でアドリア海を渡ることができます。また、バーリと同様に、ギリシャまでのフェリーも数多く出航しているようです。今回は、この港町のアンコナの街並みを紹介します。

 アンコナは、首都ローマの東200kmほどにある人口10万人程度の町で、ローマとの中間あたりに世界遺産のアッシジもあります。町はアドリア海の南側に東西に伸び、北に突き出た岬の西側にフェリーが発着する港があり、旧市街は港の西側の小高い丘の付近に広がっています。また、ローマなどに向かう列車の駅は港の南西1kmほどの位置にあります。

 
 
 
紀元前4世紀ごろにギリシャの植民地として建設された歴史を持ち、ギリシャ時代のアクロポリスの遺跡や古代ローマ時代の噴水が残っています。町を代表する教会は港の東にある丘の上にあるサン・チリアーコ大聖堂で、12世紀に建てられたロマネスクの建物にファサードはゴシックで改造されています。聖堂のある丘からは、足元の港やアンコナの町並みの眺めが広がっています。

 
 
 
 サン・チリアーコ大聖堂以外にも、旧市街を中心に数多くの教会が散らばっています。出入り口の装飾が美しいサン・フランチェスコ教会、17世紀のローマ教皇であったクレメンス12世の像が建つサンドメニコ教会などなど。町の中を散歩すると、石造りのアーチがあったり、神殿風の列柱のある建物があったり、市場は2階から見下ろすと意外とゆったりとしたスペースがとられていることが解ったりと、交通の要所として通過してしまうにはもったいないような町の一つです。

 アンコナからアッシジに移動する列車では、乗ろうとしていた列車を2本も乗り損ねてしまいました。アンコナ駅には番号のみが付いたプラットホームの他に番号の後ろにサフィックスの付いたプラットホームがあって、とんでもなく離れた場所にあります。本来乗るべき列車は3N(北3番)から出ることになってましたが、3番のプラットホームの北のはずれで待っていたら見事に取り残されました。続く列車の出発ホームを駅員に尋ねたら、次も3Nだとのことで、重い荷物を持って3Nに移動して待っていたら、これも取り残されました。こちらは3番ホームだったようです。仕方なく、改札から出て、出発ボードの下で次の列車の確認をしてやっと乗車できました。これらの情報がWiFiで受信できたかどうか不明ですが、これがあれば、荷物のために移動に制約があるときには、ありがたかったかもしれません。日本は、オリンピックに向けて観光客誘致に血道をあげているようですが、フリーWiFiが少ないと苦言を呈しているようですね。