世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

大和五か所御坊の一つの御所は今井町も顔負けの古い町並みが続きます。

2016-09-25 08:00:00 | 日本の町並み
 専立寺の寺内町として、またお伊勢参りの参道の宿場町として繁栄したのが大和高田でした。奈良県には、今井町をはじめ、古い町並みを残す寺内町が数多くありますが、今回は大和高田にも近く、古い家並が今井町に匹敵するほど残っている御所(ごせ)を紹介します。

 御所市は、「ごしょし」とは読まず「ごせし」と読みます。天皇の御所があったわけではなく、市内を流れる葛城川に5つの瀬があったという説や、天皇の御諸(みむろ)がなまったなどの説があるそうです。前回紹介の大和高田に隣接し南5kmほど、JR和歌山線で2駅、近鉄戦では尺度で乗り換えて4駅ほどと、ごく近い場所にあります。JRの駅と近鉄の駅とは通りを挟んで向かい合っていますが、圧倒的に近鉄の駅のほうが利用客は多く、6倍以上の開きがあるようです。ただ、駅の建物はJR駅のほうが情緒がありますが。

 
 
 
  
 古い町並みは、JR御所駅の東南に広がっていて、JR駅から東に延びる通りと大和川、そしてJR線に囲まれた三角形の部分です。ただ、寺内町の核となった圓照寺は、大和川を渡った東側で、古い町並みは、寺内町というより、葛城氏、のちには桑山氏の陣屋を取り巻く城下町の商家の遺構のようです。城下町の名残か、T字路や鍵の手の道路が多く、その先に何があるのだろうかと期待を持たせますが、住んでいる人は往来に不便かもしれません。

 
 
 寺内町は、御所の北東にある橿原市の今井町が有名で、掘割に囲まれた町内には古い家並がひしめいています。御所の方は、さすがに今井町ほどのボリュームはありませんが、復元された高札場があり、京都の町家でおなじみの「ばったり床几」がある民家がありで、けして見劣りしません。修験道の開祖の役小角も御所市の生まれで、町並みの中に行者街道の石柱も立っていました。

 
 
 
 御所市の町並みを歩いていて気が付くのは、庭木や生け花など、花や緑が多いことです。塀越しに庭木の実や花がのぞいていたり、コンテナ植えの草花は、他でも良く見かけますが、大ぶりの花瓶に花が活けられたりもします。

 高札場は、元あった場所といわれる御所駅の東、古い町並みの西端あたりに復元されています。高札という制度は8世紀ごろから明治の初め頃まであったようで、もっとも盛んに使われたのは江戸時代です。時の権力が、市民に法律などを公示するために使われたのですが、この程度のスペースで事足りたのでしょうか。文字を読めない人も多かったでしょうし、全国に行きわたるのにも時間がかかったでしょうね。現代の高札場は、インターネットかもしれません。情報の伝達は瞬時で行われますが、溢れ返る、情報の中から必要なものをより分けるのに苦労します。また、権力者の理不尽な命令も瞬時に行きわたるわけで、こちらは真っ平御免ってところでしょうか。

石造り町並みが多いヨーロッパで、ラウマは木造の町並みが世界遺産に登録されています(フィンランド)

2016-09-18 08:00:00 | 世界遺産
 パリ近郊に中世の町並みが残る町がプロバンスならぬ、プロバン(同じフランス国内で紛らわしいですね)でした。ヨーロッパの古い町並みは、石造りのためか、日本の木造民家に比べて保存性が良く、建てられた年代を聞くと随分と古いことに驚くことがあります。世界遺産に登録された、街並みも、この石造りの町並みが続くところが多いのですが、木造の建物が続く街並みが世界遺産に登録された町があります。それが、フィンランドのラウマで、今回はラウマの旧市街を紹介します。

 ラウマは、フィンランドの南西端、鉄道駅やスウェーデンとの間のフェリー港のあるトゥルクから北へバスで90km、1時間半くらいの町です。西側はバルト海沿岸に接していて、かつては造船業や海運業が盛んな町だったようです。17世紀に2回の大火に見舞われた後、18世紀に再建されたネオルネッサンスの木造建築群が600軒ほども残されています。

 
 
 旧市街は、バスターミナルの南東の、300m四方ほどで、このエリアの中にマーケット広場を中心に、木造の民家がずらりと並んでいます。マーケット広場では、野菜や果物それに色とりどりの花々などの露店市が開かれています。ヨーロッパでは、どこの町でも露店市が盛んで、日常的にスーパーで買い物をする感覚で利用されているようです。日本では、ややもすると産直ほど高いものはない、といった観光目的の高価格の朝市などとは違うようです。
 マーケット広場のそばには、旧市庁舎を利用した博物館があります。建物の中央に時計台とその上に鐘楼の乗った黄色の壁の色も素敵な建物です。展示の大部分は、ラウマの特産の一つになっているボビンレースで、数多くのボビンを気の遠くなるような複雑な操作をして作り上げるレースは、根気の缶詰のようです。

 
 
 
 
 
 
 木造の家屋群は、どれもパステル調のカラフルなものですが、美しさを保つためにはペンキの塗り直しなどの手入れが大変だろうと思ってしまいます。これらの家の中で内部を公開しているものがあり、一つは19世紀後半に建てられ大船主の家であったマレラ・ハウスです。さすがに、お金持ちの家らしく、どこかの宮殿を小ぶりにしたようなシャンデリアや調度類が並んでいます。もう一つは、18世紀に建てられた航海士の家であったキルスティ・ハウスです。こちらは、小さな小川を木の橋で渡った先にある、何の変哲もない小さな家で、内部は当時の生活調度が展示されています。航海士は留守なことが多かったため、表札のキルティというのは奥様の名前になのだそうです。

 
 
 
 旧市街の北側には、聖十字架教会が建っています。こちらは15世紀に建てられ、石造りの外壁に木の屋根が乗っています。内部には、16世紀に描かれたというフレスコ画が残っていて、パイプオルガンも置かれていました。この辺りは、水路に沿った並木があり、気持ちの良い散歩道になっています。

 ラウマまでのバスが出るトゥルクと首都のヘルシンキの間には、ペンドリーノと呼ばれる振り子電車の特急が走っています。このペンドリーノ、実はイタリアのフィアット製で、当然イタリアではバンバン走ってます。ところが、フィンランドの鉄道の軌間は、広軌の1,524mmで、イタリアはいわゆる標準軌の1,435mmとだいぶ違います。イタリアの車両の台車部分を履き替えて持ってきたのでは思いますが、ヨーロッパでは、軌間は標準軌でも電化の方式や信号方式など、国によってバラバラです。国際列車が機関車けん引が全盛の頃は、国境で機関車だけを付け替えればよかったのですが、現在はタリスなど、専用の編成の特急列車が国境を越えて走ってます。これらは、国境で、いろんなシステムを切り替えながら走ってるわけです。いっぽう、通信の世界では、あまりこのようなことはなく、国際標準を決める機関で、標準化がきっちりして、互換性が保たれています。ただ、標準化の競争に勝った企業が、その分野を独占する悪弊を招くことも多いようですが。

大和高田の寺内町のお寺は目立たない存在ですが町並みは、見どころがたくさん

2016-09-11 08:00:00 | 日本の町並み
 神戸駅から200kmを越える駅からJRの乗車券を買うと行き先が神戸市内と表示されます。ところが、良く見ると道場駅は除くとあり、神戸市内でも例外扱いをされているのが福知山線にある道場駅でした。この道場の地名は、付近にあった寺の道場があり寺内町を形作っていたことに由来します。この寺内町は、近畿圏の浄土真宗寺院を中心とするものが多く、今回はこれらの寺内町の中から、専立寺二より形成された寺内町の大和高田を紹介します。

 大和高田は、明日香村の西方7kmほど、JRでは和歌山線と桜井線が分岐する高田駅、近鉄線では大阪線の大和高田駅と吉野専の高田市駅とがあります。複数の線の駅があるということは、交通の要で、大阪のベッドタウンとして、奈良県下ではもっとも人口密度の高い市になっています。1948年に市制を敷く時に新潟県の高田市との混同を避け旧国名の大和を付けましたが、新潟県の高田市は合併により上越市になり市の名前は消滅しています。

 
 寺内町の中心となった、専立寺は大和高田駅と高田市駅のちょうど真ん中くらいにあって、浄土真宗本願寺派の寺院です。100m四方ほどの寺域があるようですが、19世紀に本堂などが火災に遭い、対面所などが再建されています。焼け残った18世紀に作られた門と太鼓楼たが、目立った存在でしょうか。門のそばには、野口雨情が童謡の中に太鼓楼を歌った歌碑も作られていました。


 
 
 
 
 
 この、専立寺の界隈には、江戸末期に盛んになった大神宮信仰の名残の大神宮の祠や石灯籠が散在しています。古い町並みが残るのも、この辺りと、旧伊勢参りの街道筋で、土蔵造りに格子の連なる家並が続きます。昔の丸くて赤いポストが点景になっていたり、屋根の上には煙出しと思われる小屋根が乗っていたりします。京都の町家でよくみられる、庇の上に乗った鐘馗様も見かけました。これも、京都で見かける犬矢来も見かけましたし、せんじぐすりの看板も見かけました。かつては、良く見かけた風景が、冷凍保存されたような街並みです。

 旧伊勢街道は、江戸末期に60年ごとに起こったお蔭参りの時には、集団でお参りする人々であふれかえったそうです。このお蔭参りというのは、お参りをしてお蔭を貰うということではなく、親や雇用主に無断で、蔭に隠れてお参りをしたことに起因した言葉のようです。神社仏閣への参詣の名目で、簡単に通行手形が手に入ったのだそうです。いわば、現在のパスポートですが、この手形は、どのと程度の偽造防止が図られていたのでしょうか。パスポートでは、コンピュータによる指紋認証は導入済みで、顔認証も時間んお問題のようです。江戸時代に役人を抱き込んだ顔パスがあったかもしれませんが、現代版の顔パスでコンピュータを抱き込むのは大変かも。

首都とは思えないのんびりさの漂うハノイですが、道路横断には勇気がいります(ベトナム)

2016-09-04 08:00:00 | 世界の町並み
 福岡からは東京より近くにあり、海の恵みが豊かな町が韓国の釜山でした。この釜山と姉妹都市になっているのが、ベトナムの首都のハノイです。首都といっても、ホーチミンと比べて、どことなくのんびりとした雰囲気が漂う街ですが、信号の無い交差点をオートバイの大群をかき分けて横断する時ばかりは、のんびりとはできません。今回は、このハノイの旧市街を中心に紹介します。

 ハノイは、南北に長いベトナムの北の端に近くにある首都です。かつての南ベトナムの首都のサイゴンだったホーチミンと比較して、人口はやや少ないだけですが、人口密度では1/2程度であるせいか、どことなくのんびりしています。ベトナムの南端に近いホーチミンとは緯度で10度ほども違う(日本では鹿児島と青森ほどの差)ので、気候も随分と違うようです。

 
 
 
 ベトナムは、旧宗主国のフランスの雰囲気が漂う国で、フランス以外でもっともフランスパンがおいしい国だともいわれています。ハノイにはフレンチ・コロニアル風の建物が沢山残されており、これらの建物は、なぜか黄土色に近い真黄に塗られています。ベトナム歴史博物館も宮殿風の黄土色の建物で、設計者はフランス人だそうです。この黄土色は南仏の建物を模したもので、南にある建物は黄色といった意識のためだそうです。ただ、すべてが黄土色かというと、オペラハウスは、アイボリーに薄い黄色、それに金色の縁取りで、雰囲気が随分と違います。

 
 ハノイの観光の目玉は、ホーチミン廟で、ギリシャ神殿風の15m立方の巨大な建物です。この中に、永久保存されたホーチミンの遺体が安置されています。写真は勿論、話すことも、腕を組むことも禁止で、なんとも窮屈な環境ですが延々と入館待ちの行列が続いています。世界で唯一、アメリカ帝国主義に勝利した、偉大な英雄は、死後も人気が絶大です。
 ホーチミン廟は市街地の中心から外れた西側ですが、周辺には、お寺や緑豊かな公園があります。その公園の中にホーチミンが生前に使っていた建物に遺品が陳列されています。また、隣接して記念館も作られています。

 
  
 お寺というには、お堂が一つ、それも5m四方ほどのものが一本の柱の上に乗っているだけのお寺が一柱寺です。四角の池の中に、直径2mほどの丸柱が建っていて、その上にお堂が危なげに乗っています。お参りをするのも、細くて手すりも低い階段を上り下りですれ違うのは、かなり怖いのですが、こちらもお参り待ちの行列です。

 
 
 
  一方、大きなお寺(厳密にはお寺ではなく、孔子廟)は文廟で、広大な境内には、水連の咲く池や、お堂が並んでいます。途中の中庭の回廊には、石碑をしょった亀の像がずらりと並んでいます。中国に行くとよく見る光景です。お堂には、巨大な孔子像がデンと座っていて、門から中は中国です。
 町並みに飲み込まれそうなハーダ寺院もなかなか趣があります。

 
 元の宗主国の影響で建てられたと思われる、ハノイ大聖堂はベトナムに居ることを忘れるくらいのネオゴシックの建物です。19世紀から20世紀初頭にかけて、石造りで建てられ、パリのノートルダムを思わせる二つの尖塔を持つ堂々たる教会堂です。

 
 
 ハノイで見逃せないのが、水上人形劇で、浅いプールの舞台の中で、人形たちが繰り広げるコミカルな動きは、筋書きがきが解らなくても楽しめます。この人形劇場の近くにある、ホアンキエム湖は、市街地の中心地にあって、市民ンお憩いの場所になっているようです。いろいろな伝説があり、伝説の主の亀が出現した場所には亀塔がポツンと建っています。

 ハノイの道路には、ほとんど交通信号機が無くて、車も人もクロスする相手車両を縫って通り抜けています。けして、交通量が少ないわけではなく、道路の横断には、かなりの決断がいります。しかし、土地の人は、老人も含めて、悠然と横断してゆきます。どうも、この悠然が良いらしく、ゆっくりと歩いて横断すると、相手の車は横断者の位置の予測ができ、避けて走れるようです。走ってしまうと、これが難しくて、事故につながるとか。ところで、この交通信号機は、交通量を測るセンサの入力を元に、最も車がスムーズに流れるように、コンピュータにより複数の信号機を総合的に制御されています。青や赤の時間の長さや、隣の交差点との連動など、シミュレーションなどに基づく実験式によって決めているようです。けれど、交通信号機が無いベトナムのほうが、ある種の理想かもしれません。