世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

佐保佐紀路は、仏像あり建築あり、古墳もあり、さらに遺跡もありで盛りだくさんの散歩路、途中をバスでワープすれば歩く距離もさほどではありません

2024-03-24 08:00:00 | 日本の町並み
 壱岐の島の中央部には長崎県で最大の古墳など、多くの古墳が集中して、重要文化財を含む多くの出土品が発見されていました。古墳群と聞くと世界遺産の仁徳寮などがある大阪府南部を思い起こしますが、古代政権の都であった平城宮の近くにも大きな古墳があります。今回は、奈良市内の喧騒から離れて、散歩にも向いている佐保佐紀路周辺を紹介します。

 
 
 散歩のスタートは近鉄の西大寺駅で、南に行くと垂仁天皇陵ですが、ここでは北に行って秋篠寺にお参りします。首を傾げた伎芸天像で有名で、芸能人が数多くお参りをするそうです。奈良時代に作られた脱乾漆像の頭部が、鎌倉時代に補修された木彫の胴体がの上に乗っかっていますが違和感はありません。すぐ東には競輪場がありますが、苔むす庭など、お寺の周辺は別世界です。競輪場のさらに東には神功皇后陵などいくつかの古墳があり、南に下ると平城宮後になります。

 
 
 平城宮後は東西1.5km、南北1km程のエリアで、朱雀門や大極殿それに東院庭園などが再現されていて平城宮歴史公園になっています。ただ、これらの建物が建つ以外は野っ原が広がるだけで、かつての平城宮の繁栄はしのぶことは難しい状況です。おまけに再建された朱雀門のそばを近鉄電車が横切っていきます。



 平城宮跡の北辺の路を東に1km程行って北に上がるとウワナベ、コネベの2つの巨大な前方後円墳が並んでいます。平城宮の北側に散在する古墳群の中でも最大の古墳の一つですが、被葬者は誰なのかは割っていないようです。コナベ古墳の北西には仁徳天皇皇后陵とされるヒシアゲ古墳もありますが、知名度はウワナベ、コナベ古墳ほどではないのは、墳丘の周りの水豪が枯れてしまって絵になりにくいからでしょうか。この3つの古墳に囲まれているのが航空自衛隊奈良基地ですが、なぜか滑走路は見当たりません。

 
 自衛隊の正門から南に延びる道を行くと海龍王寺と法華寺とが並んでいます。海龍王寺は国宝の五重小塔が有名で西金堂内に収められられた4m程の高さで、工芸品ではなく建造物として指定されています。お隣の法華寺は、光明皇后を移したとされる秘仏の十一面観音像が有名で、全国で7体しかない国宝の十一面の一つです。春と秋との開帳の時に拝観しましたが、和辻哲郎や亀井勝一郎が絶賛したほどは感激がなかったのは、手が異常に長く、表情もやy不気味だからでしょうか。

 
 法華寺の南の四つ辻を東に400mほど、北に曲がって200mほどにあるのが不退寺で、ちょっと地味なお寺ですが、本堂や多宝塔それに石棺は重文で、在平野業平が暮らしたという伝説もあるお寺です。こじんまりとした本堂はそれなりに存在感があります。

 
 元来た道を戻り、さらに東に1kmほど、北にお曲がって300m程行った突き当りに興福寺ならぬ興福院があります。拝観には予約が要り、地味なお寺ですが、遠州好みのお庭を煮ながら静かに一息入れるのにいい場所かもしれません。元来た道を戻って、車の多い道をひたすら東に1km程行くと突き当りが東大寺の転害門です。東大寺の大仏殿は、あまりにも有名ですが、1年に1度だけ大仏殿の正面にある小窓からお顔を見られる日があるのです。お盆の夜間拝観の時なのですが、大仏は、大仏殿の中から見上げることしかできませんが、この日だけは真正面から見ることができます。また、」ライトアップされた大仏殿も大きさが強調されて見ごたえがあります。

 
 
 大仏殿は何度も火災にあって、現在の大仏は、頭部は江戸時代、胴体の大部分は鎌倉時代で、台座の一部などに建立当時の天平時代の部分が残っているようです。天平仏像というと、聖林寺の十一面観音や新薬師寺の十二神将などに代表される仏像で、大仏ができたころのお顔はもっと凛々しかったのではないでしょうか。大仏殿も江戸時代債権のもので、創建当時の2/3の幅しかないのだそうです。よく、大仏殿は瀬かい最大の木造建築と言われますが20世紀には大仏殿を越える木造建築も出現していて、正確には世界最大の木造軸組建築なのだそうです。大型コンピュータの黎明期にコンピュータの共同利用で大きな比重を占めていたのは建築業界の強度計算だったそうです。コンピュータもない天平時代に、火災以外で壊れたことが無いあれだけの大きな木造建築を作れた技術基盤はどこにあったのでしょうか。


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