世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

長浜では黒壁スクエアより北国街道沿いの商家の町並みのほうに好感が持てます

2014-05-25 08:00:00 | 日本の町並み
 鋼製のトレッスル橋が、列車の転落事故のためにコンクリート橋に架け替えられたのが兵庫県北部にある余部橋梁でした。トレッスル橋の旧余部鉄橋は橋脚の3基が残されて観光資源として役立っているようです。鉄道に関連の施設や物が鉄道記念物として指定され、機関車の弁慶号などがありますが、余部鉄橋は記念物には指定されてませんでした。鉄道記念物の中には、現存で最も古い駅舎というものもあり、これが旧長浜駅舎なのです。今回は、旧長浜駅舎のある長浜の古い街並みを紹介します。

 最も古い駅舎というと、日本で最初に鉄道が引かれた新橋ー横浜間に存在するように思いますが、この間の駅は、すべて建て直したり駅が移転したりして現存しません。新橋ー横浜間の次に鉄道が開業したのが、新橋ー神戸間の東海道線で、明治22年に長浜駅は東海道線と、その後の敦賀方面の分岐駅として開業しました。長浜って北陸線の駅では?と思われるでしょう。確かに現在は北陸線の途中駅の一つですが、東海道線の開通の頃は、全線の開通を急ぐために、3ヶ月という短期間でしたが、長浜ー大津間は琵琶湖を連絡船で渡っていました。長浜駅は、連絡船への乗換駅で旧駅舎もそのため湖岸に建てられています。

 京阪神地区は、JRと私鉄の競争が激しく、スピード競争のため新快速という速達列車が運転されています。標準軌の私鉄に対して狭軌のJRの方が短時間で走るというのも奇妙ですが、その無理がたたって福知山線の事故につながったようにも思います。この新快速は、当初は米原を始発駅としていましたが、通勤圏が北へ伸びると共に1991年には長浜まで延長され、現在は敦賀が始発駅となっています。かつての連絡船の始発駅が、7年間の間ですが、通勤電車の始発駅に生まれ変わったわけでした。新快速の電車は直流で走りますが、北陸線は交流電化で、かつては米原と長浜の途中で直流と交流との切り替え地点がありました。この切り替え地点が、新快速の始発駅の北上と共に北へ北へと移動して、現在は北陸トンネルの入り口あたりになっています。

 
 鉄道の話が長くなりましたが、長浜の町並みの元は、秀吉の長浜築城に始まります。しかし、長浜城の遺構は、関が原以降に徳川方に徹底的に破壊をされ、現在の町並みは北国街道沿いの交通の要害として商家の町並みのようです。また、大通寺の寺内町としての性格もあるかもしれません。ふるい町並みの向こうに立ち上がる大通寺の山門は存在感がありますが、10年程前の訪問時には見られましたが、現在は工事中で足場の中です。

 
 黒漆喰の建物が並ぶ付近は黒壁スクエアとして観光の目玉になっていますが、直方体に、のっぺりとした黒い壁、変哲の無い窓があるだけの建物はあまり好感がもてません。

 
 
 
 
 むしろ格子や虫籠窓の家並みが続く町並みの方が美しく見えます。これらの町並みの中には、板壁の家や、屋上に八角形の望楼を乗せた洒落た感じの洋館も建っています。

 再び鉄道の話で恐縮ですが、北陸線の直流化は敦賀に留まらず、全線で直流化の計画もあるようです。ただ、北陸新幹線の開通で、在来線が3セク化される予定なので、この計画は頓挫の可能性も高いようですが。かつて、列車の本数が多い幹線は直流電化、少ないローカル線は地上設備の安価な交流電化という図式でした。ところが、新幹線では、消費電力が大きく直流電化では架線が太くなりすぎるなどの理由で交流電化が採用されています。交流電化は付近の電話線などの通信線に悪影響を与えるため、いろいろな対策が採られていますが、逆に地磁気観測所の近くでは、直流電化では観測に悪影響があるため、つくばエクスプレスは交流電化を採用しています。技術野発達や周辺環境によって、一概にどちらの技術が優れているかが左右される例の一つでしょうか。

台北近郊の九份は雨の夕方に訪れるとノスタルジックかもしれません(台湾)

2014-05-18 08:00:00 | 世界の町並み
 フランス南部の美しい村々は、すべて小高い丘の上にあって周りの眺望も美しいものでした。一方、お隣の台湾の台北の近くには、小高い山の中腹の斜面にノスタルジックな町並みがへばり着くように広がっています。今回は、台湾映画「悲情城市」のロケ地や日本の映画の「千と千尋の神隠し」のモデルにもなった九份を紹介します。

 九份は、台北から北東方向に、列車で40分ほどの瑞芳からバスで15分ほど山登りをしたところにあります。7年ほど前に行った時に公共輸送機関を利用するルートはこれだけのようでしたが、現在は台北からバスが直行していて本数も多いようです。7年前には、瑞芳駅近くのバス停で(バス停もはっきりした表示が無かった)いつ来るか判らないバスをひたすら待った記憶があります。

 
   
 
 町並みはT字型に伸びていて、往路のバスはTの左肩で下車をします。横方向にお土産屋や飲食店なのた町並みが伸びていて、Tの縦棒部分は階段で、やはり飲食店などが密集しています。通常は、帰路は階段を下りた先にあるバス停からバスに乗ることになります。階段の続く町並みは、ちょっと日本の伊香保温泉にも似ていますが、階段が細くてまっすぐでないので受ける印象が違います。この狭い階段の両側には、古めかしい建物が多く、店先に下がった赤いちょうちんも加わって郷愁を誘う風景を形作っています。

 
 飲食店の中には茶芸館がいくつかあって、美味しい台湾茶を飲ませてくれます。台湾でも中国でも、日本の喫茶店の感覚で茶芸館があり、コーヒーの代わりに烏龍茶などとお茶受けを出してくれます。茶という字にこだわるならば、日本でコーヒーしか出してくれない店は喫珈琲店とでも標記するべきかもしれません。日本茶にもたくさんの種類がありますが、中国茶には産地、収穫時期、発酵の度合い、形や付加する物の差異などで、一説には数千を超えるお茶が飲まれているといわれています。筆者は、台湾産で発酵度が浅く香りの良い凍頂烏龍茶が好きですが、後発酵まで加えて真っ黒で独特の香りがする普洱茶とは、同じお茶の葉を原料としてこんなにも違うものかと思います。

 
 九份へは、7年間に加えて昨年に2度目の訪問をしました。バスの本数も増えて便利になっていましたが、その裏返しで通りは観光客だらけ、日本人の姿も数多く見かけます。パッケージツアーの団体で観光バスでドッと押しかけた感じです。原宿や銀座と変わらず、ノスタルジーを感じている暇もありません。7年前は、雨の降る夕方に訪れたので、さらに観光客が少なかったのかもしれません。写真のうち人の多いのが昨年、ほとんど人が写っていないのが7年前です。

 雨模様の風景を楽しむには、天候をコントロールするのは難しいことが多いので、九份には夕方に出かけるのもいいかもしれません。ただ、最近は夕方4時頃に出発するバスツアーもあるらしく、以前のようなちょっと感傷的な風情を楽しむのは無理なのかもしれません。

 お茶の渋みは、茶葉に含まれているカテキンなどのタンニンのためです。ワインに含まれるポリフェノールやブルーベリーのアントシアニンも同類で、強い抗酸化作用がある食品とされています。このタンニンは意外な場面で役立とうとされ、海水中のウラン元素を吸着し分離する研究が進んでいるようです。海水中にはほとんどの元素が存在していますが、それを分離して利用できるようにするのがするのが難しく、タンニンを使う技術はその解決の一手法だそうです。IT分野で使われるシリコンも、地球上でありふれた元素ですが、こちらの場合は純度を100%近くまで精製しなければならない困難さがありました。原発の停止でウランへの風当たりはあまり良くはありませんが、海水中に潤沢にあるウランを精製できれば、エネルーの供給に明るい材料ではないでしょうか。

香住と浜坂は町名が、余部は鉄橋が消えてしまいましたが応挙の絵は大切に保存されています

2014-05-11 08:00:00 | 日本の町並み
 本州の最南端の町に応挙一門の襖絵などが残されている無量寺というお寺があるのが串本でした。この絵は、無量寺の住職と応挙とが友人関係であったことから、お寺の再建祝いに描かれたものですが、応挙が恩返しに描いた襖絵などが残る寺があります。兵庫県の日本海岸、香美町にある大乗寺で、応挙の絵が38面、長沢芦雪の絵が11面のほか一門の絵が100点近く残されています。今回は、大乗寺周辺と、お隣の新温泉町の浜坂とを紹介します。

 
 大乗寺はJR山陰線香住駅の南1kmほどのところにある8世紀創建とと言われるお寺です。いったん衰退したのですが、江戸後期の再興の祖であった密蔵が京都で苦学中の応挙とめぐり合ったことがこの寺を有名にするきっかけだったようです。応挙が大成した後に、密蔵が与えた資金の恩返しとして、弟子12名と共に数多くの襖絵などをお寺に残していきました。お寺の玄関には応挙の坐像があって、来訪客を出迎えています。

 
 大乗寺のある香住駅と、浜坂駅との間には余部橋梁があります。現在の橋梁は、コンクリート製ですが、かつては鋼製トレッスル橋で余部鉄橋の名前で呼ばれていました。日本には数少ないトレッスル橋は、日本海をバックにした姿が美しく、格好の被写体になっていましが、1986年の列車の転落事故をきっかけに架け替えが行われました。

 現行の橋梁は2010年に開通していますが、筆者は新橋梁の工事中の2008年に旧橋梁を列車で通過しました。この時は、旧橋梁を通る最後のチャンスとのことで、鉄橋のある餘部駅から香住駅までの2駅だけを乗車するツアー客がわんさか乗ってきました。ただ、列車に乗っても、鉄橋の美しい姿は見られないのですがね。したがって、ここでも写真は、レールと鉄柵だけが見えている余部鉄橋です。

 餘部駅から鉄橋とは逆の方向の西に2駅乗った駅が浜坂です。かつては香住も浜坂も独立の町でしたが、近隣との合併で町名からは消えてしまい、駅名だけが残っています。浜坂は、山陰海岸の観光船の基地として観光客に知られていますが、温泉もあることは意外と知られていないようです。駅の北の道端に源泉が噴出している源泉塔なるものが立っています。

 
 
 
 この温泉塔の近辺に、かつての北前舟の寄港地の面影を残す古い町並みがあります。その中の中心的存在が、酒蔵を営んでいた旧森家住宅で、以命亭の名前で公開されています。亭の前には、昔懐かしい郵便ポストがあり、中に入ると、高い吹き抜けに酒林が下がっています。壁のオレンジ色は、漆喰に混ぜたベンガラの色と思いますが、すごくモダンな感じを受けます。そのモダンな部屋の隣の部屋の鴨居の上には、神棚が祭られていたりで、面白いコントラストです。

 余部鉄橋から落下したのは回送列車で、重量が軽いので風にあおられ易かったことも原因の一つとされています。首都圏でも、1978年に地下鉄東西線が荒川橋梁上で突風のために脱線転覆する事故がありました。この列車は乗客が乗っていたので、余部のケースより車両重量は重かったと思いますが、竜巻状の風に持ち上げられてしまったそうです。周りに遮るものが無く、風の通り道になることが多い川という地形を横切る橋梁は、鉄道にとっては、最も危ない場所の一つのようです。事故を防ぐために、風速計を設置し、風速が一定値を越えると警報で知らせるシステムが導入されていますが、局所的な突風検出には限界があるようです。超音波の伝わり方が風に影響されることを利用して、測定結果をコンピュータで解析して風速を割り出す超音波風速計も導入されていますが、これとてもピンポイントの測定です。CTスキャンのように超音波風速計を組み合わせコンピュータ解析によって、空気の流れ(風)を面的に捉えるシステムってできないんでしょうかね。

夏至の頃のカルカソンヌのライトアップは待ちくたびれますが待つだけの価値があります(フランス)

2014-05-04 08:00:00 | 世界遺産
 地中海から北海までの舟運を確保するために作られた運河がミディ運河でした。運河は現在も小型船が行き来をしていて、クルーズ船や観光船も発着していて、その発着の中心地の一つがカルカソンヌです。この、カルカソンヌには、フランスでモンサンミシェルに次いで人気のある世界遺産の城塞都市があります。フランスで2番目に人気があるとのことですが、最寄り駅はごくごく普通の地方都市の玄関のたたずまいです。今回は、城塞都市とその麓に広がる町並みを含めて紹介します。

 カルカソンヌは、フランスの南西部、エアバスの本社があるトゥールーズの東南東100kmほどの所にあります。スペイン国境までも100kmほどで、地中海と北海を結ぶ交通の要所ということから、カルカソンヌには古くから要塞が作られてきました。時代と共に、要塞は巨大化し、他に類を見ない三重の城壁を持つ城塞都市になっています。城壁の内側は、お城の建物だけかと思うと、さにあらずで、普通の町並みが続いていて、その外れにいわゆるお城の建物があります。中国にも城壁に囲まれている都市が沢山あって、壁の内側には普通の町並みがあり、城壁や町並みの保存状態の良い平遥古城は世界遺産にも登録されています。世界的に見ると、城壁の内側には、城主とその取り巻きの館などしかない日本のお城のほうが、マイナーなのかもしれません。

 
 
 
 城塞都市(シテ)は、カルカソンヌの駅から南南東に1km半足らず。歩いても30分かからない距離で、丘の上のシテには最後が上りになりますが、さほどの辛さはありません。城壁の中の町は、細い道が多く、トレドほどではありませんが、気をつけないと迷って現在位置がわからなくなります。土産物屋が多いのと、食べ物や画多いのとは、日本の観光地と似た現象で、あまり好ましくはありませんが、フランスの美しい村などと同様に、綺麗な町並みが保たれているようです。

 
 シテの中の、いわゆるお城はコンタル城で、その周りには堀もめぐらされています。お城の建物の高台に登ると、遠くまで平野が続いているのが眺められます。平野が続いているということは、敵から襲撃を受けやすいと言うこと、それには三重の防備が必要だった、ということでしょうか。

 
 上から眺める景色もすばらしいのですが、ライトアップされたシテを、麓から見上げる景色も幻想的です。ただ、夏至前後に訪れると、なかなか暗くならなくって困ります。ロンドンとほぼ同じ経度にありながら、1時間進んだヨーロッパ標準時を採用するフランスで、さらに夏時間で1時間進んでいるので、太陽の位置より時計は2時間も進んでしまっています。この景色は10時頃まで麓で待たねばならないと覚悟が要ります。

 
 
 世界遺産の登録はシテの部分ですが、駅の南、シテの麓から西に広がる旧市街にも見所が沢山あります。500m四方ほどの町並みで、碁盤の目状の道路があるので迷うことが無い町並みです。南端の中央あたりには城門もあります。普通に市民が生活をしている町並みですが、博物館、教会の鐘楼それに噴水のある広場などがあって、住んでみたくなる町の一つに成りそうです。

 ヨーロッパや中国などに行くと、外敵が居て、その外敵から身を守るのが当たり前、言い直せば、争いごとが前提の文化のように感じます。わが国でも、多くの城があって敵の存在を感じますが、わが国の城は権力者がわが身を守るためにだけ作られたように思います。これまでの日本文化は、基本的には外敵の存在が希薄な平和主義の文化のように思います。このような文化を守って諸外国に広める努力をするのが良いのか、もっと現実的に外敵に備えたほうが良いのか悩ましいところです。ウインドウズXPの保守対応が停止をして、使い続けるのは危ない危ない!と言われています。コンピュータの世界も外敵だらけという現実は憂うべきことですが、そのことを利用して、一般のユーザがほとんど使わないような機能を付け加えて新しいOSを売りつけようとする独占企業も困り者です。