世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

世界遺産に登録されたのは古代ローマ建築のメゾン・カレのみですが、ニームには古代ローマの遺跡がたくさん残っています(フランス)

2024-03-31 08:00:00 | 世界遺産
 昨年と一昨年に新規登録された世界遺産の3回目です。今回は、フランス南部のニームにあるメゾン・カレという建築物です。以前このブログの世界の町並みでニームの町を紹介した時に、その一部を紹介しましたが、今回はめぞん・かれを中心に紹介します。

 ニームは、フランスの南部の人口13万程度のこじんまりとした都市ですが、今回登録の世界遺産のほかに東の郊外には水道橋のポン・デュ・ガールや、もう少し東にはオランジュのローマ劇場、アルルのローマ遺跡それにアヴィヨンの歴史地区と世界遺産が集中しているところです。メゾン・カレをはじめとして、時代は違ってもすべてがローマ帝国の影響を受けた遺跡で、改めてローマの版図の広さを実感させます。


 
 ニームにはメゾン・カレ以外にも世界遺産の対象外なのですがローマ遺跡が残っていて、大きなものは円形闘技場で、現役の劇場として手を加えられていて対象ではないのでしょうか。フォンテーヌ公園には、ローマの神殿跡が、そして背後の山にはやはりローマ時代のマーニュの塔が残っています。

 
 
 
 さて、メゾン・カレですが、紀元前後にアグリッパによって再建されたローマ神殿です。アグリッパと聞くと、木炭画の素描でアグリッパの石膏彫刻を見つめた方もいらっしゃるかもしれません。神殿は4世紀にキリスト教会に転用され会議場に使用されたり、フランス革命後は政府の馬小屋にもなったそうです。さらに、政府の公文書保庫を経て19世紀以降は美術館として利用されています。用途は転々と変わったのですが、ヴィトルウィウス的古典建築の形態を最もよく残した建築物として世界遺産登録となったようです。このような端正な形状は、ギリシャ建築の影響で、コリント模様の柱頭や真珠模様、唐草模様、バラ模様など多彩です。この建物は、18世紀にパリに建てられたマドレーヌ寺院に大きな影響を与えたそうです。どおりで、メゾン・カレを見たときに、「どこかで見たことがあるぞ」と思ったのは、マドレーヌを思い出したのでしょう。、

 高校の部活で素描に使ったのはアグリッパよりもミロのビーナスやブルータスが多かったように思います。先輩から、木炭用紙をいったん灰色に汚してから描くようにとも言われました。ハイライトをパンを使って炭を消すことで、鮮やかな白が浮き立つからだったようです。使う木炭は決まって柳の枝を焼いたもので、ポプラの枝の物はちょっと敬遠されていました。この木炭は炭素原子がランダムに集まったものですが、これが規則正しく集まって結晶になるとダイヤモンドになるわけですが、足の多い4価の原子はいろんな形をとります。しかし同じ4価の原子で、地球表面上で酸素の次に多い元素のケイ素は炭素のようにいろいろな形はとらないようです。しかし、炭素のようにダイヤモンド構造の結晶を作り、こちらは宝石ではなく半導体基板としてITを支えています。

佐保佐紀路は、仏像あり建築あり、古墳もあり、さらに遺跡もありで盛りだくさんの散歩路、途中をバスでワープすれば歩く距離もさほどではありません

2024-03-24 08:00:00 | 日本の町並み
 壱岐の島の中央部には長崎県で最大の古墳など、多くの古墳が集中して、重要文化財を含む多くの出土品が発見されていました。古墳群と聞くと世界遺産の仁徳寮などがある大阪府南部を思い起こしますが、古代政権の都であった平城宮の近くにも大きな古墳があります。今回は、奈良市内の喧騒から離れて、散歩にも向いている佐保佐紀路周辺を紹介します。

 
 
 散歩のスタートは近鉄の西大寺駅で、南に行くと垂仁天皇陵ですが、ここでは北に行って秋篠寺にお参りします。首を傾げた伎芸天像で有名で、芸能人が数多くお参りをするそうです。奈良時代に作られた脱乾漆像の頭部が、鎌倉時代に補修された木彫の胴体がの上に乗っかっていますが違和感はありません。すぐ東には競輪場がありますが、苔むす庭など、お寺の周辺は別世界です。競輪場のさらに東には神功皇后陵などいくつかの古墳があり、南に下ると平城宮後になります。

 
 
 平城宮後は東西1.5km、南北1km程のエリアで、朱雀門や大極殿それに東院庭園などが再現されていて平城宮歴史公園になっています。ただ、これらの建物が建つ以外は野っ原が広がるだけで、かつての平城宮の繁栄はしのぶことは難しい状況です。おまけに再建された朱雀門のそばを近鉄電車が横切っていきます。



 平城宮跡の北辺の路を東に1km程行って北に上がるとウワナベ、コネベの2つの巨大な前方後円墳が並んでいます。平城宮の北側に散在する古墳群の中でも最大の古墳の一つですが、被葬者は誰なのかは割っていないようです。コナベ古墳の北西には仁徳天皇皇后陵とされるヒシアゲ古墳もありますが、知名度はウワナベ、コナベ古墳ほどではないのは、墳丘の周りの水豪が枯れてしまって絵になりにくいからでしょうか。この3つの古墳に囲まれているのが航空自衛隊奈良基地ですが、なぜか滑走路は見当たりません。

 
 自衛隊の正門から南に延びる道を行くと海龍王寺と法華寺とが並んでいます。海龍王寺は国宝の五重小塔が有名で西金堂内に収められられた4m程の高さで、工芸品ではなく建造物として指定されています。お隣の法華寺は、光明皇后を移したとされる秘仏の十一面観音像が有名で、全国で7体しかない国宝の十一面の一つです。春と秋との開帳の時に拝観しましたが、和辻哲郎や亀井勝一郎が絶賛したほどは感激がなかったのは、手が異常に長く、表情もやy不気味だからでしょうか。

 
 法華寺の南の四つ辻を東に400mほど、北に曲がって200mほどにあるのが不退寺で、ちょっと地味なお寺ですが、本堂や多宝塔それに石棺は重文で、在平野業平が暮らしたという伝説もあるお寺です。こじんまりとした本堂はそれなりに存在感があります。

 
 元来た道を戻り、さらに東に1kmほど、北にお曲がって300m程行った突き当りに興福寺ならぬ興福院があります。拝観には予約が要り、地味なお寺ですが、遠州好みのお庭を煮ながら静かに一息入れるのにいい場所かもしれません。元来た道を戻って、車の多い道をひたすら東に1km程行くと突き当りが東大寺の転害門です。東大寺の大仏殿は、あまりにも有名ですが、1年に1度だけ大仏殿の正面にある小窓からお顔を見られる日があるのです。お盆の夜間拝観の時なのですが、大仏は、大仏殿の中から見上げることしかできませんが、この日だけは真正面から見ることができます。また、」ライトアップされた大仏殿も大きさが強調されて見ごたえがあります。

 
 
 大仏殿は何度も火災にあって、現在の大仏は、頭部は江戸時代、胴体の大部分は鎌倉時代で、台座の一部などに建立当時の天平時代の部分が残っているようです。天平仏像というと、聖林寺の十一面観音や新薬師寺の十二神将などに代表される仏像で、大仏ができたころのお顔はもっと凛々しかったのではないでしょうか。大仏殿も江戸時代債権のもので、創建当時の2/3の幅しかないのだそうです。よく、大仏殿は瀬かい最大の木造建築と言われますが20世紀には大仏殿を越える木造建築も出現していて、正確には世界最大の木造軸組建築なのだそうです。大型コンピュータの黎明期にコンピュータの共同利用で大きな比重を占めていたのは建築業界の強度計算だったそうです。コンピュータもない天平時代に、火災以外で壊れたことが無いあれだけの大きな木造建築を作れた技術基盤はどこにあったのでしょうか。

国が違えば青空市に並ぶものも多彩ですが、やはり果物や野菜など生鮮食料品が多いようです

2024-03-17 08:00:00 | 世界の町並み
 いろいろな夜店が集合して、観光客でごった返すのがシンガポールなどの夜市でした。夜市は、台湾の台北や台南、マレーシアのコタキナバル、ベトナムのカントーなどなど、アジア圏に多く見られるように思います。一方、昼間に露店で店が開かれる青空市場は、アジア圏でも気かけますが、欧米に多いように思います。生鮮食料品は、スーパーで買うのではなく青空市場が流通拠点になっているのではないかとも思いますし、物価の高い国であっても我が国と比べて驚くほど安く売られているようです。今回は、写真に残っている青空市を順不同に紹介します。

 まずは、夜市が多いアジア圏です。アジア圏では、野菜や果物だけでなく肉や海産物なども多く売られているようです。

 
 香港では、半ばさばかれた肉が肉がぶら下がっていたり、豚の頭が転がっているのも見ました。店頭でさばいているのはスッポンのようですが、実物をチェックする中国の人の風習でしょうか。

 
 マカオでも、店頭で作ったり切り分けたりしていました、香港に近いので似ています。

 
 ベトナムは、南部に近いカントーでは夜市も盛んなのですが、どちらかというと観光客向けで、市民の台所は朝市で数多くの店とお客でひしめいていました。メコン川で採れた海産物と南国の果物が目立ちます。

 次にアフリカのチュニジアでの風景です。

 
 首都のチュニスでは、青空市場というより通常の市場に近いのですが、体育館のようなところに露店風に雑然と果物屋野菜が並んでいます。色々な豆が麻袋に入れられて並んでいる店もありました。

 
 南部の砂漠地帯のタタウィンでは、半ば観光客用もあるのでしょうか、砂漠のバラと呼ばれる塩の結晶や、遠くから見ると絵の具のパレットかと思うような香辛料らしきものなどがありました。

 美食にのフランスですが、パリの青空市は多彩な商品で有名で、骨董や古書、映画シャレードのシーンに出てくる切手など。
冬のパリでお目にかかったのは青空ならぬ灰色の空の下の花のお店でした。



 
 
 フランスは芸術の国だけでなく農産物の生産量が大きな国の一つです。南部に行くと、青空市場という集合体でなく移動販売で新鮮な果物が安く手に入ります。プロバンスの有名な朝市では、色とりどりの果物や、野菜などの農産物に混じってフランスパンも売られていましたし、古着らしい服もたくさんぶら下がっていました。

 
 ヨーロッパの南部のクロアチアのスプリトでも農産物と服が売られていました。こちらは、世界遺産の城壁に寄りかかるように店屋が並んでいます。

 
 イベリア半島のポルトがの第二の都市のポルトでは、東洋で見かけるようなシーンにびっくりしました。子犬や鳥が売られている様子です。愛玩用だと思いますが、鳥の一部は食用でしょうか。

 
 ドイツには初夏に行きましたが、マインツで売られていたのはアスパラガスで、この時期の美味を代表する食材で、レストランにも季節のメニューとして並びます。

 
 ドイツのお隣のルクセンブルグでは、香辛野菜が多く並べられ、お隣には花もあったようにも思います。細長く茶色の野菜は玉ねぎのようですが、一見すると水仙の球根?水仙だと毒草のはずです。

 
 北欧のフィンランドの西部にある世界遺産の町のラウマでは、訪れたのが初夏だったせいか青空の下に花でいっぱいでした。もちろん野菜などもたくさんあって、天気が良くって気持ちの良い風景でした。

 日本の野菜や果物は石油の塊だって言われることがあります。季節外れのものを高く売るために、ビニールハウスを作り石油などで暖房をして無理やりに寒い時期に暖かい季節のものを出荷しようとしています。ビニールハウスのビニールは当然に石油製品ですから、暖房の石油と合わせて石油の塊を高い金を出して食べさせられているわけです。イチゴなんぞは、本来の初夏の頃にはあまり見かけず、お正月前後にどっと出回ります。資源のない国で、こんな不自然って、おかしいとは思いませんか。フランスでは、あまりビニールハウスを見かけませんでしたし、他の物価の高さとは逆に、野菜や果物は、どこかの国に比べて驚く安さです、自然に逆らわない栽培だからではないでしょうか。

壱岐の島の中央当たりにある多くの古墳群は路線バスで行くと不便ですが、木漏れ日の中を森林浴をしながら散歩をすると気持ちのいいものです

2024-03-10 08:00:00 | 日本の町並み
 前回は辞し倭人伝にも記述されたと推定される一支国の遺構と思われる原の辻遺跡周辺を紹介しました。原の辻遺跡は弥生時代の遺跡ですが、その次の時代は古墳時代となります。古墳というと近畿一円、それも奈良周辺を思い浮かべますが、壱岐には256基が現存するそうで、今回は国の史跡に指定される6基の古墳が集中する、壱岐の島中央部を紹介します。

 
 古墳群は、郷ノ浦と勝本を結ぶ路線バスのうち、内陸部を走る路線の中央やや北寄りの壱岐風土記の丘のバス停がスタートポイントになります。このバスの本数がまた少ないんです、郷ノ浦と勝本を結ぶバスが2~3時間に1本で、その半分は海岸よりを走って風土記の丘には寄ってくれません。ただ、レンタカーで回るのも不便なんです、古墳群は散在していて、車の入れない山の中なので、ゴール地点から注射をしているところまで歩いて戻ることになるからです。風土記のお赤には、古民家を移築した資料館がありましたが、コロナのせいでしょうか、残念ながら現在は閉館中です。

 
 
 
 風土記の丘のそばにあるのが掛木古墳で7世紀に作られと推定される円墳です。石室内にある石棺は長崎県唯一のくりぬきで作られたもの。そこから森林浴コースと呼ばれる林の中の散歩道を南南東に下っていくと、最初に現れるのが百合古墳群で、小規模の古墳が斜面に23基も集中しています。百合古墳群のジグザグと下っていくと、河童が人間を生け捕りにしという池があった生池の跡があり、小さな石塔が立っています。平地になった道を西に行くと笹塚古墳で、二重構造の円墳です。ただ、古墳は雑木林に埋もれていて、全容はよくわかりません。この石室からは、数多くの亀型の金銅製品などが出土して重文に指定されています。

 
 
 
 
 来た道を少し戻り、南に曲がって、車道を横切り、さらに南に行くと長崎県最大の前方後円墳の双六古墳に出ます。こちらは、野っ原の中央に古墳があるので、全容が分かりやすいし、古墳の周りを一周できます。関市tsには入れませんが、伸びやかな感じがします。車道に戻って、車道を東に進むと鬼の窟古墳で、前室、中室、玄室の三室を持つ長さ17mの石室は九州でも屈指の規模を持つ物です。ただ、この古墳も林に埋もれて全体像はよく見えません。古墳群を後に車道を進むと、壱岐国分寺跡がありますが、広場に石仏と基石らしき物があるだけです。この国分寺跡の入口近くにへそ石と顎掛け石と取り巻くように石仏軍があります。へそ石は大きな石のてっぺんに擬宝珠状の石が乗っかりへそのような形をしているからのようです。一方の顎かけ石は、力自慢の大男が海岸で拾ってきて、自分の顎がかけられる高さに建てたものとの逸話があります。最後が国方主神社で、入口の普通の大きさの鳥居に加えて、境内にはちっちゃな鳥居があって、おそらくこれを来ぐることができれば、いいことがあるとのことのようです。

 
 双六古墳は「そうろく」と読むのだそうですが、最初にガイドを読んだ時には「すごろく」と読んでしまいました。祭られている人が双六が好きだったのかなと思ったりしました。枕の壮士にも登場する双六ですが、中国から伝来したのは7世紀ごろと言われるので、双六古墳が出j来た頃に伝来していたか微妙です。双六にはサイコロがつきもので、通常は正六面体で1~6までの数字がランダムに出てきます。一方、統計学などで疑似乱数を得るには正十面体のサイコロが使われ0~9までの乱数が得られます。学生の頃に疑似乱数を用いたモンテカルロ法というコンピューt・シミュレーション手法使ったことがありますが、これはコンピュータで疑似乱数を発生るもので、サイコロを振った結果を振った数値を入れるわけではありません。手間のことを考えれば、サイコロを使うのは非現実的ですが、果たしてコンピュータが出してくる乱数とサイコロの目の乱数と、どちらが偏りがないでしょうか。

ジョグジャカルタには現在も王宮があってスルタンが特別州の統治権を持っています(インドネシア)

2024-03-03 08:00:00 | 世界遺産
 2回まとめての世界遺産会議での新規登録遺産の2回目はインドネシアのジョグジャカルタです。登録名は「ジョグジャカルタの宇宙論的枢軸とその歴史的建造物群」と言います。ジョグジャカルタはドネシアの朱ともあるジャワ島の南東部にある大都市で現在もスルタンが暮らす王宮がある特別市です。序ぐじゃらるたの北には仏教遺跡のボルブドゥールが、東にはヒンドゥー教の遺跡のオウランバナンがあり、3つの世界遺産が集中する観光都市になったわけです。ジョグジャカルタは古くからヒンドゥー教に基づく都市づくりが行われ、北をメラピ山に、東西を川に、南をインド洋に囲まれた肥沃な土地がヒンドゥーの宇宙観に沿うものとして王都として選ばれたそうです。今回は、ジョグジャカルタの王宮周辺を中心に紹介します。

 
 
 
 
 旧市街の中心部にある王宮は現在もスルタン一族の居住地になっていますが、観光客にその一部が公開されて、王宮の歴史などを展示する博物館の役割もはたしています。現在の建物の基礎は18世紀に作られ植民地支配を経て現在もかつてのスルタンの家臣の末裔がボランティアで警備の役割をになっているのだそうです。公開されている部分は一部と言われるのですが、なかなか豪華で権力の大きさをうかがえます。

 
 これらの建物の中の天井の高い吹き抜けのホールでガムラン音楽の演奏が楽しめます。打楽器が中心のガムラン音楽は、通常は聞こえない20kHz以上の高周波を含み、これらの音は耳にも聞こえなくても、人間の情緒を安定させる効果があるのだそうです。ガムラン音楽のCDも作られていますが、ディジタルの泣き所で人間に聞こえないとされる高周波はカットされて記録できません。したがって、CDの再生音を聞いても情緒は安定しそうにありません。

 
 現在の王宮から西に1km程行ったところにあるのが水の宮殿と呼ばれる施設で、王宮と同時代に離宮として作られたようです。離宮としてだけでなく、要塞の役割も持っていたそうで、5kmにも伸びる地下トンネルがスルタンのシェルターとして機能したそうです。19世紀の地震で壊滅的なダメージを受けた後は、長く放置されてきましたが、水浴用のプールなどを中心に1970年から修復がすすんでいます。

 
 
 
 一方、王宮の北側にはワヤン・クリの常設劇場があって、無形文化遺産に登録されている人形劇が鑑賞できます。ワヤン・クリというのは、スクリーンの裏で縁起をする人形の影を鑑賞するもので、劇の内容は英雄譚が多いようです。通常は一人の演者が複数の人形を操作し歌やせりふまで担当します。加えてガムランの走者が何人かいて伴奏を務めています。観客は普通は影が映る方向から鑑賞するのですが、スクリーンの裏側にも自由に移動でき、カラフルに塗られた人形の動きを見ることもできます。不思議なのは通常は影を見るだけなのに、こんなにカラフルに人形を彩るのでしょうか。

 
 ジョグジャカルタに滞在中に町中を、いろいろな民族衣装を身に着けた人たちが更新するシーンに遭遇しました。帰国後にいろいろと調べてみたのですが、どのような背景があるのかは判らずじまいでしたが、多民族国家のインドネシアを垣間見たように思えました。

 通常のCDは音のアナログ信号を1秒間に4万8千回切り取って、2進数に置きなおして記録しています。2進数の記録や通信は0か1かが識別できればいいので、連続料のアナログ情報に比べて、情報が壊れることはほとんどありません。したがって、遠い宇宙から送っても、鮮明な画像が容易に得られる利点があります。現在はディジタル全盛のようですが、これは一定の品質で諦めたら、高品質が得られるという、方便の技術なんです。アナログ量の数値化のためには、必ず量子化といった、省略過程を伴います。CDでは理論的に24kHz以上の音(実際は20kHz)は再生できません。人間の耳は20kHzまでしか聞こえないと言われていますが、耳以外の感覚器官で、20kHz以上の音を感じているともいわれ、もっと高い音を耳で聞き分けられる人もいます。ディジタル技術は、これらを切り捨てることで、最大公約数的ないい音を作っているのです。