世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

53年で緑豊かな原生林のような森林になった大阪万博の跡地の記念公園は太陽の塔が守る大阪の宝です

2023-09-24 08:00:00 | 日本の町並み
 柏原と表記する地名の中でもやや変わった読み方をするのが丹波市の柏原(かいばら)でした。JR福知山線の柏原駅はローカルな駅としてはしゃれたちゅくりで、それもそのはず、大阪で開かれた花博会場で使われた駅舎を転用したものでした。日本で最初にの万博は1970年に大阪で開催された大阪万博で、その前年にアポロが持ち帰った月の石がアメリカ館の目玉で2時間も3時間も行列したものでした。この万博の会場は再開発の計画もありましたが、当時の中馬大阪市長の主張が通って森林公園となっています。今回は、万博会場の面影がすっかりなくなって、原生林のようなたたずまいになった万博記念公園を紹介します。

 
 
 
 
 大阪万博は大阪府の吹田市の郊外で開催され、月の石だけでなく、岡本太郎の太陽の塔が話題となりました。現在も、公園の入り口の緑の中に立つ姿は、万博期間中のパビリオンの中に立つ姿よりも存在感があるように思います。日本庭園などや閉会後に建てられた民族博物館の建物以外の施設はすべて撤去され、森林と草原になっています。53年という月日は森林を原生林のような姿に変えていて、森の中に作られたキャノピー・ウォークにある展望台から眺めると、うっそうとした森が広がっています。森の中の散歩道のとこrどころに、ここにはXXパビリオンが建っていた、と表示されていますが、53年前の状況はとても思い出せません。

 
 
 
 
 森林のところどころが開けていて草原や池になっています。ボール遊びができたかどうjか忘れましたが、ピックニック二は好適な場所です。大阪の繁華街から1時間ほどで、このような自然の遊び場があるのは地域の宝物のように思います。神宮外苑や日比谷公園など、何でもかんでも、壊して再開発をする日本の文化に逆らった中馬さんの先見性を尊敬します。草原に一部はお花畑になっていて、訪問した時には一面にポピーとネモフィラが咲き乱れていました。花畑のところどころに木がぽつんと植えられていて、北海道の美瑛の景色を思い出させる空の高さでした。

 「人類の進歩と調和」をテーマとした大阪万博ではテーマが掲げるように展示されその後実現普及した数多くの技術があります。携帯電話、テレビ電話、LAN、電波時計、電気自動車などきりがありません。その後の急激なコンピュータの進歩で、コンピュータ囲碁やコンピュータ・ハンドゲームなどを通り越して当時は想像もできなかった様々な分野でコンピュータ制御が普及しました。大阪では、再び万博を開こうとしてますが、53年前の大阪万博の時のような必然性は全く感じられず、万博で利益を売る一部の団体と政治主導でごり押しで物事が進んでいるように思います。

標高差の大きなモンブランのロープウェイは、途中に支柱が無くて、まるでエレベータのように垂直移動です(フランス)

2023-09-17 08:00:00 | 世界の町並み
 ベトナムのカンボジア国境に近いあフーコック島には世界最長のtロープウウェイがあり、ロープウェイに乗って訪れる島は花がいっぱいで水遊びができるテーマパークでした。一方、世界で最も高いところへ連れていってくれるロープウェイはスイスにあって、マッターホルンを展望する標高3883mのクライン・マッターホルンまで登るものです。ヨーロッパアルプスで最も高い山は、マッターホルンではなくモンブランですが、このモンブランの展望台であるエギューユ・デュ・ミディに上るロープウェイは、マッターホルンのロープウェイができるまでは世界一で標高3777mと富士山よりも1m高いところまで乗せていってくれます。今回は、このロープウェイのあるシャモニー・モンブラン近辺を紹介します。

 
 
 
 
 ロープウェイの麓駅のあるシャモニーはフランスの町ですがスイスのジュネーブの近くの東南にあり、フランスのサンジェルヴェ・レ・ヴァンやスイスのマルティニーから登山電車で行くことができます。シャモニーの一つ東寄りの駅が国境で、この駅が両線の接続駅になります。フランス側からは粘着区間としては最も急な90‰の勾配を上っていきます。一方のスイス側からは、ラックレールで上る電車が走っていますが、ともに電気を架線唐ではなく第三軌条から取っていたように思います。踏切もあるような路線に800Vもの電圧のある第三軌条があるわけで、なんでも危険といって排除する日本ではありえないシステムです。ラックレールで谷底にあるマルティニーまで降りていく車窓はなかなか雄大です。ただ、いつも思うのですが、谷の向こう側の山腹に民家が見えるのですが、日常の移動はどうしているんだろうと思ってしまいます。

 
 
 
 さてモンブランですが、標高は4800mあまりでヨーロッパアルプス最高峰ですが、この標高は測量するごとに訂正され2021年9月の測量では4807.81mでしたが21世紀に入って毎年平均で13cmずつ低くなってるそうです。シャモニーからのロープウェイは、途中で一度乗り継ぎがありますが、2800mもの標高差を一気に上ってしまいます。特に乗り継ぎ後の区間は、標高2317mの途中駅から1470mの標高差を支柱無しで上りきるので圧巻です。この様子は、頂上の展望台から見ることができ、まるでゴンドラがエレベータのように垂直に上ってきます。


 筆者は麓のシャモニーに宿泊したので、朝2番のロープウェイに乗ることができましたが、観光客の姿はまばらで、ほとんどはスキー板を担いだ乗客でした。大柄でスキーを持ってる乗客に周りを取り囲まれて、押しつぶされそうな感じがしました。スキーヤの連中は、頂上に着くやいなやスキー板を履いて滑り降りていきましたが、崖のすぐ縁のところを滑っていくので、雪庇のために転落しないか、見ているほうがハラハラします。モンブランへの登山客がいたのかどうか確認はできませんでしたが、頂上駅から標高差にして1000m程なので簡単に登れそうに思いますが、高山病や滑落の危険があり、出来心で上れる山ではなさそうです。

モンブランの頂上はフランスとイタリアとの間にあって、長く国境線の争いがあったようですが、現在はモンブラン山頂は両国の双方の領土ということになっているそうです。国境の山ということなので、フランス側だけでなくエギューユ・デュ・ミディからロープウェイを後次いでイタリアに行くこともできます。現在ではフランスもイタリアもEUで国境でパスポート・コントロールはありませんが、EUが生まれる前には富士山の頂上のようなところでイミュグレーションがあったんでしょうか。

 日本では第三軌条の電車は一部の例外を除いて地下鉄、それも古くに開通した路線で採用されtます。人間が触れる可能性の低い路線で安全が確保できるとの理由ですが、そもそもは架線を張らなくて済むのでトンネルの高さを低くできるメリットから採用されました。シャモニーなどで採用されたのは、架線が無い分景観への影響が少ないとの理由のようです。かつてのユーロスターは、イギリスの走行区間が第三軌条のためユーロトンネルを出るとスピードがガクンと落ちていましたが、現在は路線が変わって架線方式になりました。ヨーロッパでは、国を跨がる多くの特急がありますが、国によって終電方式だけでなく、異なる信号方式をものともせず猛スピードで走り回っています。この切り替えってコンピュータ制御なのでしょうか、人間が判断しているのでしょうか。

かいばら(柏原)という変わった読み方の旧城下町にレトロモダンな洋館も似合います

2023-09-10 08:00:00 | 日本の町並み
 大阪の市街地からさほど遠くない丘陵地帯に時間の止まったような街並みが残っているのが柏原市の太平寺地区でした。太平寺のある柏原は
かしわら」と読みますが、なんと地名として6種類の読み方が存在します。「かしわら」以外に「かしはら」かいばら」「かしわばら」「かせばら」「かしわばる」で、このうち3種類の読み方の駅名が存在します。今回は、これらの柏原の中から福知山線に駅名が存在する兵庫県丹波市の柏原(かいばら)築を紹介します。

 柏原駅は福知山線の北部、篠山口駅と福知山駅との間にあります。2004年までは氷上郡の町でしたが、合併によって丹波市の一部になりました。この丹波市の誕生をきっかけに、本ブログで7月に紹介した篠山市の名称変更のなりました。人口1万人程度ですが、陣屋跡がある柏原藩の城下町として落ち着いた街並みを残す町です。

 
 
 町の入り口となる柏原駅は1990年に大阪で開催された鶴見万博の会場にあった山の駅を移設したもので、田舎の駅にには珍しいしゃれた簡易です。駅の近くには、やぐら公園があって、太鼓櫓の模型があります。太鼓櫓は陣屋の付属として建てられ、時刻を知らせたり、望楼としての役割があったそうで、やぐら自体は駅から200mほど北にあります。やぐら公園から北に柏原八幡神社に延びる篠山街道の周辺が町の中心地で、古民家を利用した店舗も残ります。

 
 
 
 八幡神社は7世紀に創建という神社で本殿と拝殿は重文指定です。重文には指定されていませんが神社には珍しい三重塔や鐘楼もありますが、明治の廃仏毀釈の嵐をかろうじてまぬかれた建物だそうです。八幡神社に上る手前にあるのが木の根橋で大きな欅の木の根が小川を渡って橋の形となったものです。子供の危機を救うために根が伸びたという民話が残っているそうです。この大欅の向こうにあるのが旧丹波市柏原支所庁舎で90年ほど前の昭和初期に建てられたモダニズム建築で大木といい対比をしています。

 
 
 旧陣屋跡は、篠山街道より200mほど東の南北の通りに面する小学校の敷地にあります。残っている遺構は長屋門のみで、御殿は明治期に解体されたものを縮小再建したものです。陣屋跡近くには、「雪の朝 二の字二にの字の 下駄の跡」の句で有名な田捨女の像があるはずなのですが、工事中だったのか見損ねました。陣屋跡の北隣には、旧氷上郡各町村組合立高等小学校の遺構があります。こちらは旧支庁者の建物予知古く明治後期の木造建築で、下見板張りのモダンな建物です。

 今ではスマホでも音声認識も音声合成も当たり前でできるようになりましたが、50年以上まえには、多少は進んでいた音声合成でも、注意して聞かないと何を言ってるのかよくわからないといったレベルでした。コンピュータ内に日本語の発音の辞書を持っていましたが、当時の技術ではメモリ容量も処理能力も3~5桁ほど違ったので難しかったのでしょう。柏原のように日本語では同じ漢字で読みの違うものも多いので英語よりも難しかったかもしれません。

 スマホを用いた自動翻訳のアプリは旅行などでは重宝します。ただ、ベトナム語などメジャーではない言語では、とんでもない訳文が出ていてびっくりします。日本語では柏原のように同じ漢字で読みの違うものも多いので英語よりも発音が難しいのかもしれません。ベテランの通訳の方から聞いた話ですが、代名詞の多い会話では、その代名詞を実際の名詞に置き換えて通訳しないと話が伝わらないので、事前にバックグラウンドを調べておくとのことでした。自動翻訳アプリにも、生成AI機能を組み合わせる必要があるのかもしれません。

中国三大石窟の中で最大級の龍門石窟の優美な毘盧遮那仏は見ごたえが十分ですが白楽天の遺構もお忘れなく(中国)

2023-09-03 08:00:00 | 世界遺産
 イタリアのマテラは岩壁を彫りこんだ洞窟に人間が住んだ遺跡でした。一方、中国では岩壁をくりぬいて仏像を彫りこんだ石窟寺院が数多く残っています。それらのうちの3か所が世界遺産に登録され三大石窟と呼ばれていますが、今回はそのうちの一つの龍門石窟を紹介します。

 中国の三大仏教石窟とは敦煌の莫高窟、大同にある雲崗石窟そして洛陽の南部にある龍門石窟です。龍門石窟は伊河の両岸に2千を越える石窟と1万を越える石仏があって三大石窟の中でも最大級の規模を持っています。柔らかい砂岩を彫りぬいた雲崗石窟とは違い、硬い岩盤を彫ったため細かな彫刻が可能で繊細で優美なことが特徴といわれています。
 
 
 
 
 

 龍門石窟は、中国中央部のかつて都が存在した洛陽の南19kmほど、路線バスでも簡単にアクセスできます。ただ、バスを降りて巨大なゲートを入って両岸の石窟と白楽天の遺構などを見て回ると4kmほどの距離になり、石窟への上り下りなどもあってほどほど足が疲れます。そこは世界遺産だけあって、ゲート内を走る有料の電動カートもあるようです。

 

 とにかく規模が大きくて、個々の石窟は記憶に乏しのですが、目玉は最大級の奉先寺の石窟で、則天武后を写したとをいわれる廬舎那仏は巨大なだけでなく、なかなか優美な顔立ちをしています。これだけ優美な仏像は、わが国を含めてあまり見かけないようにも思います。画面に写っている人物との比較で大きさが分かりますが、河の東に橋どぁたっても巨大さを実感できます。

 
 
 大きな石窟は河の西岸にあるのですが、東岸の北寄りには白居易公園(白園)と呼ばれる白楽天が晩年を過ごした場所があります。後方の龍門東山琵琶峰の頂には墓所もあります。公園内には多くの東屋や池、それに白楽天の詩碑などもあって、龍門石窟とは違った趣が楽しめます。

 白楽天といえば李白や杜甫とともに漢文の講義の中でこれらの詩人の漢詩を勉強した記憶のある方が多いと思います。筆者は漢文はあまり得意ではなかったのですが、漢詩のリズム感は悪くないなって感じでした。ただ、教科書で習う漢詩は書き下しで日本語読みだったので本来のリズムではなかったのでしょうが。コンピュータAIによって、白楽天や李白、杜甫風の漢詩がいくらでも生成できるかもしれませんが、作成された漢詩で感動はあるでしょうか。