前回は、上海の黄浦江の西岸に沿った外灘を紹介しましたが、外灘は戦前に上海に存在をした租界の一つでした。今回は、フランス租界を中心に外灘以外の租界の一部を紹介したいと思います。上海にはどことなく西欧の匂いのする街並みが多いのは、租界時代の名残なのです。
上海の租界は、アヘン戦争の結果、イギリスが上海の中に取得した治外法権のある土地のことで、第二次大戦の終結まで100年間存在しました。イギリスに続いて、フランス、アメリカも租界を設け、日本も日本警備区の名称で実効的な租界を持っていました。やがてイギリス、フランス、アメリアを含む12カ国が共同で管理をする共同租界が生まれましたが、その後にフランスだけは独立の租界を持つようになりました。
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上海市の中心部から南西方向に広がる、旧フランス租界界隈は、プラタナスの街路にフランスを思わせる町並みが残されています。このプラタナスは、租界の頃にフランスから持ち込まれたようで、世界遺産のミディ運河に沿って植えられている並木もプラタナスです。フランスの町には、プラタナスの並木が似合うのかもしれません。フランス租界の西南の端近くに外国弄堂(ろんたん)が残されていて、このあたりもプラタナスの並木の美しい町並みが続きます。外国弄堂とは租界時代に外国人が住んだ集合住宅で、この一郭はどう見ても中国の風景ではありません。中には、アメリカ映画のロケに使われた建物もあるようです。
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逆に、東北よりの復興公園近くには、周恩来と蒋介石とが会談を行ったという周公館が残されていますが、このあたりも並木の向こうに洋館が並ぶ美しい町並みです。通りに面したレンガ造りの教会の建物も、蔦の絡まる周公館もどう見ても中国ではありません。
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一方、フランス租界の北辺から外れるのかも知れませんが、延安中路には童話から飛び出したような建物があります。ゴチャゴチャとした町並みの地下鉄の侠西南路から北に行くと、並木が美しくなった頃にその建物が現れます。英国籍ユダヤ人が建てた馬勒私邸(マーラー邸)で、現在はホテルとして使われていますが、とにかく一見の価値があります。ノルウェー風の建物といわれていますが、ノルウェーでもこれだけ絵本風の建物は見れないのではないでしょうか。
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実質的な日本租界は、市街地の北の虹口地区と呼ばれているあたりに存在しました。現在は、その北辺は魯迅公園になっており、大きなサッカー場、それに魯迅関連の施設として記念館とお墓とがあります。租界の町並みは、公園の南側に残されているようですが、フランス租界とは並木の種類も違って町の顔が違います。このあたりは、レンガ造りの建物が多く、レンガ造りの現役のアパートも多いようですが、それらの中の3階建てのアパートの一郭に魯迅旧居があります。表示が無ければ通り過ぎてしまいそうな建物で、魯迅が最晩年を過ごし、息を引き取ったというベッドも残されています。
魯迅旧居で亡くなった魯迅の死因は、公的には肺結核ということになっていますが、中国を取りまく情勢が不安定な時期だけに、色々な説があるようです。肺結核の検査にはX泉撮影が使われますが、病巣の詳細を調べるためには断層撮影が使われます。かつてアナログ撮影の頃は、X線照射装置とフィルムとを回転させ患部周辺にある物体の影響を減らす手法が取れれましたが、得られた映像はあまり鮮明ではありませんでした。現在ではX線CTと呼ばれる、コンピュータによって画像処理される手法が一般的です。これはラドン変換と逆ラドン変換と呼ばれる数式を用いるそうですが、1971年に作成された原型機では、走査に5分以上、当時の大型コンピュータで2時間半の演算処理をしてやっと画像が得られたそうです。40年前といえば、音声の認識も大型のコンピュータをフル回転させて、やっと一つのフレーズが認識できました。現在ではスマートフォンにまでも音声認識が導入されて、瞬時に持ち主の指示に答えてくれるようです。ただ、このCMを見ていると、人間が馬鹿になるな~と感じるのは私だけでしょうか。
上海の租界は、アヘン戦争の結果、イギリスが上海の中に取得した治外法権のある土地のことで、第二次大戦の終結まで100年間存在しました。イギリスに続いて、フランス、アメリカも租界を設け、日本も日本警備区の名称で実効的な租界を持っていました。やがてイギリス、フランス、アメリアを含む12カ国が共同で管理をする共同租界が生まれましたが、その後にフランスだけは独立の租界を持つようになりました。
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上海市の中心部から南西方向に広がる、旧フランス租界界隈は、プラタナスの街路にフランスを思わせる町並みが残されています。このプラタナスは、租界の頃にフランスから持ち込まれたようで、世界遺産のミディ運河に沿って植えられている並木もプラタナスです。フランスの町には、プラタナスの並木が似合うのかもしれません。フランス租界の西南の端近くに外国弄堂(ろんたん)が残されていて、このあたりもプラタナスの並木の美しい町並みが続きます。外国弄堂とは租界時代に外国人が住んだ集合住宅で、この一郭はどう見ても中国の風景ではありません。中には、アメリカ映画のロケに使われた建物もあるようです。
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一方、フランス租界の北辺から外れるのかも知れませんが、延安中路には童話から飛び出したような建物があります。ゴチャゴチャとした町並みの地下鉄の侠西南路から北に行くと、並木が美しくなった頃にその建物が現れます。英国籍ユダヤ人が建てた馬勒私邸(マーラー邸)で、現在はホテルとして使われていますが、とにかく一見の価値があります。ノルウェー風の建物といわれていますが、ノルウェーでもこれだけ絵本風の建物は見れないのではないでしょうか。
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実質的な日本租界は、市街地の北の虹口地区と呼ばれているあたりに存在しました。現在は、その北辺は魯迅公園になっており、大きなサッカー場、それに魯迅関連の施設として記念館とお墓とがあります。租界の町並みは、公園の南側に残されているようですが、フランス租界とは並木の種類も違って町の顔が違います。このあたりは、レンガ造りの建物が多く、レンガ造りの現役のアパートも多いようですが、それらの中の3階建てのアパートの一郭に魯迅旧居があります。表示が無ければ通り過ぎてしまいそうな建物で、魯迅が最晩年を過ごし、息を引き取ったというベッドも残されています。
魯迅旧居で亡くなった魯迅の死因は、公的には肺結核ということになっていますが、中国を取りまく情勢が不安定な時期だけに、色々な説があるようです。肺結核の検査にはX泉撮影が使われますが、病巣の詳細を調べるためには断層撮影が使われます。かつてアナログ撮影の頃は、X線照射装置とフィルムとを回転させ患部周辺にある物体の影響を減らす手法が取れれましたが、得られた映像はあまり鮮明ではありませんでした。現在ではX線CTと呼ばれる、コンピュータによって画像処理される手法が一般的です。これはラドン変換と逆ラドン変換と呼ばれる数式を用いるそうですが、1971年に作成された原型機では、走査に5分以上、当時の大型コンピュータで2時間半の演算処理をしてやっと画像が得られたそうです。40年前といえば、音声の認識も大型のコンピュータをフル回転させて、やっと一つのフレーズが認識できました。現在ではスマートフォンにまでも音声認識が導入されて、瞬時に持ち主の指示に答えてくれるようです。ただ、このCMを見ていると、人間が馬鹿になるな~と感じるのは私だけでしょうか。