リル・シュル・ラ・ソングはフランスにいくつかある美しいい村や町の一つで、近くにあるラベンダー博物館と一緒に回れる範囲にあります。ただ、6月中旬では博物館の回るのラベンダーは、まだつぼみ状態で、ちょっと寒々しい消しでした。ラベンダーの花は初夏の花ですが、その6月から1か月ほど前のGW前後は、首都圏でも桜の後を追うように色々な種類の花が咲きそろいます。お隣の韓国は、緯度が東北地方と似ているため、菜の花も1か月ほど遅くに咲きます。菜の花の絶景は中国雲南省の羅平が有名で、緯度が低いので2月には谷筋が真っ黄色の帯のようになるそうです。ただ、羅平は昆明まで飛んでそこからバスという奥地で、行くにはそれなりの準備が要りそうです。もっと簡単に行けて、それなりの菜の花畑が楽しめるのが、お隣の韓国の慶州で、飛行機で釜山に飛んで、空港バスで直行できます。今回は、市内に2つの世界遺産がある慶州の、世界遺産にはなっていないところを中心に紹介します。

慶州は、韓国の南東端、釜山の北北西100kmたらずで、2010年に開通したKTXに乗れば30分ほどで着いてしまいますが、着くのは新慶州駅で市街地の南西10kmほどの野原の中です。金海空港(釜山)からは釜山の市内を経由しないで直行バスがあり1時間ちょっとでバスターミナルに付きます。筆者の訪問した時は新慶州駅はできておらず、市街地の中にあり趣のある駅舎の慶州駅しかありませんでしたが、速い列車は来なくてローカルな駅といった感じでした。






菜の花畑ですが、筆者が見たのは慶州駅の南1kmほど、大陵苑一帯と言われる地域の南端の半月城や慶州博物館のあるあたりでした。平地部分は菜の花が一面咲いていて、これが山の麓まで続いていました。この辺りは、南東端の博物館から、北西に向けて半月城跡、鶏林、贍星台や古墳が連なります。慶州博物館は、慶州一帯で発掘などされた王冠、仏像、仏塔などを展示し新羅文化を集めた博物館です。半月城は新羅の王宮のあったところとされますが石碑が建つのみ、鶏林は金氏誕生の説話のある場所、贍星台は天文台の遺跡と言われています。


慶州博物館の南には南北に峰を連ねる南山圏があり石仏や摩崖仏が数多くありますが、かなりきつい上りになります。この峰々の西側の麓には、鮑石亭跡や三仏寺などが点在するので麓のみ散歩といった選択もありかもしれません。鮑石亭跡は新羅王室が祭祀を行った跡と言われていますが、木立の中に鮑石が残るのみで、この鮑石は京都の城南宮や上賀茂神社に残る曲水の宴に使われたものとみられています。三仏寺には3体の石仏が鞘堂に収まっています。もともとは近くの山中にあった露座の石仏を集めたものだそうで、風雨にさらされたために彫が浅くなって、そのためか、微笑んでいるように見える表情に温かみがあります。


一方、博物館から東に、市街地の東に連なる山の麓の普門湖を中心にしてできたのが普門観光団地で、ホテルなどを伴う巨大観光施設です。野外民俗公演場での伝統舞踊は公演時間が変わっていて見損ねましたが、ソウルなアドで上演される舞踏と似たようなものだと思います。ディズニーランドのように狭いところにゴチャゴチャするのではなく、巨大な水車や噴水などと広大な水辺のある空間はほっとします。


筆者が慶州で泊まったのは大陵苑という古墳群の南側にあるゲストハウスでした。オーナーは世界を旅した経験を持ち、もちろん英語は堪能でコミュニケーションには不自由はありません。韓屋と呼ばれるオンドル部屋でしたが、何もない広い部屋に布団を敷いて寝た記憶があります。朝食は付いていませんが、台所が解放されて、調理道具に加えて最小限の食材もそろっていて、宿泊客が集まってセルフサービスで朝食が取れます。夜は、中庭にみんなが集まって来て、雑談会です。ほぼ英語でコミュニケーションをしましたが、その時に話題となったのがハングルによる交通標識で、漢字や英単語のようにパターン認識が難しく、音を拾って瞬時に表示内容の判断をするのが難しいとのことです。ハングルは、世界にも類を見ない母音と子音とを組み合わせた純粋の表音記号文字で、大部分の文字が象形文字を先祖にした中で、最も進んだ文字の一つと言われています。文字数も少なく、コンピュータにとっては扱いやすい文字でしょうが、人間にはかえって扱いにくいところがあるように思います。


慶州は、韓国の南東端、釜山の北北西100kmたらずで、2010年に開通したKTXに乗れば30分ほどで着いてしまいますが、着くのは新慶州駅で市街地の南西10kmほどの野原の中です。金海空港(釜山)からは釜山の市内を経由しないで直行バスがあり1時間ちょっとでバスターミナルに付きます。筆者の訪問した時は新慶州駅はできておらず、市街地の中にあり趣のある駅舎の慶州駅しかありませんでしたが、速い列車は来なくてローカルな駅といった感じでした。









菜の花畑ですが、筆者が見たのは慶州駅の南1kmほど、大陵苑一帯と言われる地域の南端の半月城や慶州博物館のあるあたりでした。平地部分は菜の花が一面咲いていて、これが山の麓まで続いていました。この辺りは、南東端の博物館から、北西に向けて半月城跡、鶏林、贍星台や古墳が連なります。慶州博物館は、慶州一帯で発掘などされた王冠、仏像、仏塔などを展示し新羅文化を集めた博物館です。半月城は新羅の王宮のあったところとされますが石碑が建つのみ、鶏林は金氏誕生の説話のある場所、贍星台は天文台の遺跡と言われています。




慶州博物館の南には南北に峰を連ねる南山圏があり石仏や摩崖仏が数多くありますが、かなりきつい上りになります。この峰々の西側の麓には、鮑石亭跡や三仏寺などが点在するので麓のみ散歩といった選択もありかもしれません。鮑石亭跡は新羅王室が祭祀を行った跡と言われていますが、木立の中に鮑石が残るのみで、この鮑石は京都の城南宮や上賀茂神社に残る曲水の宴に使われたものとみられています。三仏寺には3体の石仏が鞘堂に収まっています。もともとは近くの山中にあった露座の石仏を集めたものだそうで、風雨にさらされたために彫が浅くなって、そのためか、微笑んでいるように見える表情に温かみがあります。




一方、博物館から東に、市街地の東に連なる山の麓の普門湖を中心にしてできたのが普門観光団地で、ホテルなどを伴う巨大観光施設です。野外民俗公演場での伝統舞踊は公演時間が変わっていて見損ねましたが、ソウルなアドで上演される舞踏と似たようなものだと思います。ディズニーランドのように狭いところにゴチャゴチャするのではなく、巨大な水車や噴水などと広大な水辺のある空間はほっとします。




筆者が慶州で泊まったのは大陵苑という古墳群の南側にあるゲストハウスでした。オーナーは世界を旅した経験を持ち、もちろん英語は堪能でコミュニケーションには不自由はありません。韓屋と呼ばれるオンドル部屋でしたが、何もない広い部屋に布団を敷いて寝た記憶があります。朝食は付いていませんが、台所が解放されて、調理道具に加えて最小限の食材もそろっていて、宿泊客が集まってセルフサービスで朝食が取れます。夜は、中庭にみんなが集まって来て、雑談会です。ほぼ英語でコミュニケーションをしましたが、その時に話題となったのがハングルによる交通標識で、漢字や英単語のようにパターン認識が難しく、音を拾って瞬時に表示内容の判断をするのが難しいとのことです。ハングルは、世界にも類を見ない母音と子音とを組み合わせた純粋の表音記号文字で、大部分の文字が象形文字を先祖にした中で、最も進んだ文字の一つと言われています。文字数も少なく、コンピュータにとっては扱いやすい文字でしょうが、人間にはかえって扱いにくいところがあるように思います。