世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

四国山地で隔てられた高知は幕末から国内よりは海外を見ていたのかもしれません

2011-05-29 08:00:00 | 日本の町並み
 酒豪の多い高知に日本酒を供給する白漆喰造りの酒蔵が並ぶ町が佐川でしたが、その佐川は日本を代表する植物学者である牧野富太郎の故郷でもありました。今回は、牧野博士を記念した植物園があり、佐川のお酒の大消費地である高知を紹介します。

 四国にある4つの県庁所在地のうち3つまでは瀬戸内海に面してますが、高知だけは太平洋に面していて、他の県庁所在地との間には四国山地が横たわっています。このためか、お互いの行き来はかなり不自由ですし、降雪などで高速道路も不通になることもあるようです。このような地理的な環境のためか、独自の文化を生んできたように思います。坂本竜馬や岩崎弥太郎の思想のベースは太平洋を見て育ったことに起因するのかもしれません。桂浜にはいまだに太平洋をにらみ続ける竜馬が立っています。



 
 牧野博士の名前を冠した県立の植物園は、桂浜とは浦戸湾を挟んで反対の東側の五大山に1958年に開園したもので、東京ドームの4倍ほどの広さを持つ植物園です。温室や屋外の花壇に加えて、牧野富太郎記念館があり博士の生い立ちや植物分類学についての解説がされています。この建物は、ドーナツ状の中庭を持つもので、中庭に面する部分は軒の深い板張りのテラスになっており、なかなか美しいデザインになっています。訪れた時は冬枯れの季節だったので、温室を除いては花が少なく、植物より建物の方に興味を奪われたようです。

 
 牧野記念植物園からすぐ近くに三十一番札所の竹林寺があります。植物園からも再建された五重塔が望めて、ここにお寺があるぞと主張をしているようです。塔は昭和の再建ですが、庭園は鎌倉期に夢想国師の作庭といわれる池泉式庭園で国の名勝になっています。この竹林寺の僧が髪飾りを買ったという場所が「日本三大がっかり」の一つの播磨屋橋です。橋が架かっていた堀川が埋め立てられしまったため、モニュメントとしての役割だけになってしまったのですが、どうも存在感の乏しい姿のようです。この播磨屋橋のそばの交差点は、土佐電鉄の路面電車が十字にクロスしており、高知一の繁華街になっています。この土佐電鉄は当地では「とでん」と呼ばれて親しまれているようで、東京都以外にも路面電車の「とでん」が走っていたんですね。路面電車の走る町並みは、どことなくホッとするところがあります。日本では邪魔者扱いをされて、ほとんどの都市から消えてしまった路面電車ですが、都市から追い出すべきは、大部分は一人しか乗っていない割りに占有面積の大きな乗用車ではなかったのでしょうか。

 

 播磨屋橋から土電で西に4駅ほど、高知城の南側に、土佐藩主が幕末に建てた下屋敷の警護にあたる武士のための長屋の遺構が残されています。下屋敷跡はホテルになり、長屋に隣接する武家門は、まるでホテルの通用口の雰囲気です。現在は重要文化財に指定され、高知市の所有となり内部が公開され、当時の下級武士の生活の様子が垣間見られるようです。新潟県の新発田に保存されている足柄長屋と似た感じがします。

 坂本龍馬は幕末に暗殺されてしまいましたが、明治維新後の日本にとって大きな損失であったと言われています。根維持新政府の政策や日本の商社の形もだいぶ違っていたかもしれませんが、彼の理想とはかけ離れた現実に愛想をつかせて、海外に逃げ出していたかもしれません。あるいは、新し物好きの龍馬のことですから、日本のIT産業の基礎になるような産業を早々と立ち上げて、自身がその製品のファースト・ユーザになっていたのかもしれません。

烏鎮は日常の生活そのものが生きた博物館になっている水郷の町です(中国)

2011-05-22 08:00:00 | 世界の町並み
 北欧諸国の首都は、どちらも緑と水に囲まれた落ち着いた都市ばかりでしたが、中国の江南地方は揚子江の河口近くに水辺に緑の木々が美しい水郷の町がたくさんあります。それらの中で世界遺産にも登録され、日本人にもおなじみの蘇州は、別途世界遺産の項で紹介することとして、今回は最近パッケージツアーでも立ち寄るものが現れてきた烏鎮(うーじぇん)を紹介します。

 烏鎮は上海と杭州との間にある水郷の町で、上海、杭州のどちらからも路線バスが出ているようです。杭州からのバスは市の北部にあるバスターミナルから出発しましたが、中国のバスターミナルというのは、どこでも巨大でまるで体育館のようです。2時間ほどかけて町のバスターミナルまで走り、そこから水郷の町並みまでは歩いてすぐです。入り口で、入域と博物館の入館料が一緒になったチケットを購入します。博物館といっても、いろいろな職種の民家に関連の道具類や資料類を陳列したもので、大阪の平野の町ぐるみ博物館と似たような感じです。



 筆者が烏鎮を訪問したのは6年ほど前で、現在「烏鎮東柵景区」と呼ばれている地区のようです。その後の2007年1月に「烏鎮西柵景区」がオープンし、こちらは東柵景区の3倍以上の広さにイベントホールやホテルまで作られているそうです。ただ、西柵景区は町並みは古いまま残されていますが、住民はすべて引越しをさせられたディズニーランド状態のようです。一方の、東柵景区のほうは昔からの住民が日常生活を営んでいる場所で、博物館といっても日常をちょっと覗かしてもらうという感じです。

 
 水郷の町並みは、杭州と北京とを結ぶ京杭大運河から分岐する水路に沿って伸びていて、水路と平行に路地も作られています。家々の表玄関は水路側のようで、横付けされた船に降りてゆく石段のほうが、路地側の出入り口より立派に見えます。

 
 路地に沿った家並みの中に、造り酒屋さん、染物屋さんなど現役の仕事場を見せてくれ、何とはなしに仕事の流れが推定できます。

 
 中には、薬屋さんのように、現役ではなく店の様子を展示した博物館風のものや、古い民家を利用した喫茶店風の店もありましたが、テーマパークのような空々しさは、あまり感じません。

 
 広場の端には舞台があり、京劇風のお芝居が上演されていましたが、江南地方なので崑劇なのかもしれません。中国の舞台というのは、2階のベランダで演じられている、といった高い位置にあるものが多いようです。北京郊外の世界遺産頤和園(いわえん)の中にあって西太后が京劇を楽しんだという舞台もずいぶんと高い位置に作られていたように思います。あまt、一軒の民家では影絵が演じられていて、東南アジアで見たような単純な動きの影人形を見ることができます。

 筆者は路線バスを使って烏鎮を訪問しましたが、幹線道路を中には日本と比べて格段に安いタクシーを利用する観光客も多いようです。ところが、烏鎮は高速道路から降りた後の道が結構ごちゃごちゃしていて、迷うタクシーも居るのだそうです。中国ではタクシーに地図を見せて「ここに行ってくれ」という指示をしても、地図が読めなくって、行ってくれないことが多いとか。アメリカでも同様の状況があるようで、「2ブロック行って右折して、その先を3ブロック行って左折・・」というように道なりの指示をしないとだめだそうです。頭の中で地図を現状の上に写像するのが苦手とのことで、携帯に表示されたGPSの地図を見て何処にでも出掛ける日本人とはだいぶ違うようです。

白漆喰の土蔵造りの酒蔵に混じって真っ白の洋館も建っている佐川です

2011-05-15 08:00:00 | 日本の町並み
 京都の南の桃山丘陵を源とする名水と公家の食文化が発達した消費地を背後に持つ銘酒の産地が伏見でしたが、お魚が美味しくって酒豪が多いといわれる高知という消費地の近くで酒造が栄えた町が佐川です。今回は、高知から西へ列車で30分ほどの小さな町に、造り酒屋の酒蔵が連なる佐川町を紹介します。

 
 佐川町は高知市の西20kmほど、太平洋には面していない内陸の町です。町の中心を高知から伸びる土讃線が北東から南に横切り中心に佐川駅があります。ところが高知から西に向かって走る列車が佐川駅に止まると、方向を180度誤認してしまいます。進行方向を西と思うのですが、路線がアラビア数字の5のような形を描き、高知からの列車は東を向いて停車します。酒蔵が軒を連ねるのは、この東を向いた駅の南側を西に行ったあたりになります。

 伏見の酒蔵は、上部に白壁を少し見せ大部分を板張りとした作りですが、佐川の酒蔵の大部分は、漆喰の塗り込めの壁に水きり瓦がある土蔵造りです。伏見の町並みからは柔らかい感じを受けるのと比べて、佐川のものは、そっけなくって、人を寄せ付けない威圧感を受けます。同じように酒蔵が並んでいても、ずいぶんと町の印象が違うように思います。


 
 ただ、酒蔵の並ぶ通りの一郭にある造り酒屋の店舗はなまこ壁がある建物で、親しみを感じますし、重文の武村家住宅は土蔵造りでも伏見と似て下部に板を配し柔らかい感じの建物になっています。

  土蔵造りの建物に混じって、下見板張りの洋館がぽつんと建っています。旧青山文庫の建物で、明治期に警察署として建てられたものだそうですが、真っ白のしゃれた建物です。周りの重量感のある壁を見てきた目には、軽やかな、さわやかさを感じます。現在は、建物が元あった土地に移設復元され、民具館として利用されるようですが、訪れた時にはお雛飾りがなされていました。

 駅から酒蔵の町並みを抜けたあたりの空き地に牧野富太郎先生生誕地という石碑が立っています。日本を代表する植物学者は、佐川の酒蔵の息子として生まれたのですが、その酒蔵はその後に没落して潰れてしまいました。植物学者と酒屋との二足わらじは無理だったのでしょうか。石碑の建つ空き地は、かつては他と同様の酒蔵が建っていたのでしょう。この石碑のそばに、佐川出身の有名人の一覧があり、それによると佐川を代表する酒蔵の従弟に当たるのが漫画家の黒鉄ヒロシ氏だそうで、お酒の酵母は一芸に秀でた人物をも作り出すのでしょうか。

 阪神淡路大震災の時には、灘の酒蔵がずいぶんと被害に遭いました。建物は再建されましたが、酒蔵に住み着いていた蔵つき酵母は失われてしまい、お酒の味が変わってしまったそうです。かつての酒造りは、寒仕込みとして醸造期間が限定されていましたが、現在では温度コントロールを始め自動化が進んで、年中同じ品質のお酒ができるようになっているようです。ただ、pHや糖度などのセンサー技術は進んでも、最終的な「こく」や「うまみ」それに香りなど、お酒が総合的にかもし出す個性はIT技術ではなく杜氏の技術に依存するように思います。

畑の中に西洋とも東洋ともつかないような楼閣がニョキニョキの開平です(中国)

2011-05-08 08:00:00 | 世界遺産
 権力者が住居数に比例する税金逃れのために住居を壊せ!と命令したために、住民が自衛手段として簡単に壊せて再建も簡単な住居構造を考え出したのがアルベロベッロでした。三角形の屋根が連続する景色は、きわめて奇妙な光景ですが、西洋とも中国ともつかないような奇妙なコンクリート製の楼閣が林立するのが開平です。今回は、世界遺産に登録されてまだ余り時間がたっておらず、日本人にはなじみの少ない開平を紹介します。

 開平は、中国南東部、広州とマカオを結ぶ線を底辺として西に正三角形を描いたときに3番目の頂点に位置します。広州からもマカオからも高速バスでおよそ3時間程度で開平の市街に到着します。奇妙な楼閣群は、市街地からさらに西側に散在していて、路線バスなどの公共輸送機関を使って回るのは、かなりの困難を伴います。筆者の場合は、地元の旅行会社が主催するツアーを申し込みましたが、我々2人以外に申込者はおらず、結果的にはワゴン1台と運転手、ガイド、ガイド見習いの3人を貸し切り状態にしました。2人分の料金は、タクシーのチャーター料金の2/3程度で、ガイドも昼食もついてずいぶんと得をした感じです。

 開平に奇妙な楼閣がニョキニョキと作られた理由ですが、19世紀ごろには、このあたりは治安があまりよくなく、そのためもあって華僑としてアメリカやカナダへ多くの移民が渡ったことが始まりでした。北米の好景気に支えられて華僑の収入が増え、母国の開平への送金が増えましたが、それを狙った盗賊も横行したために、防備のために望楼形式の住居が増えていきました。この時に、海外に居る華僑から送られてくる欧米の写真に写った建物を真似てビルを作ったために、中国とも西欧ともつかない奇妙な外観を持った楼閣が出現したわけです。

 楼閣は鎮と呼ばれる村落単位でかたまって建っているもの、畑の中にぽつんと1基だけ残っているものなどさまざまです。鎮の中には、大部分は無住になってしまっている楼閣だけではなく、古い町並みがあり、人々が住んでいる現役の家並みが続いています。市街地に近い三門里は、名前の通り3つの門のある村落で、背の高い望楼はありませんがレンガ造りの家々が細い路地を挟んで密集して、独特の景色を作り出しています。

 
 赤坎鎮は、西欧風のアーケードが続く町並みで、連続して建てられた家並みのところどころに望楼が付けられています。川に面した長屋と表道路に面した長屋とがあって、川の向こうに見える家並みも美しいのですが、微妙なカーブを描く表道路沿いの家並みも捨てがたい味があります。ここには、映画のロケ地となった家並みも残されているようです。

 

 

 馬降龍村落群は、緑の中に望楼のてっぺんが顔を出し、楼閣の内部も公開されていて、開平を代表する村落の一つです。村落の中は、三門里と同様にレンガ造りの家並みもあり、その向こうに望楼がそびえています。無住になっている望楼の内部は、階下に台所があり、上の階に昇っていくと机や生活用品が残されていますが、家具に混じってご先祖の位牌の祭壇が一番目立つところに置かれていました。一族の血のつながりを尊ぶ現われでしょうか。頂上のベランダから眺める緑の中の楼閣群の眺めも、楼閣に登ることができる馬降龍の良いところでしょうか。

 
 一方、単独に建っている望楼には個性的なものも多いようです。個性的ゆえに残されたのかもしれません。
一つは、傾いた楼閣です。地盤の悪いところに建てたために、そばの建物ははぼ水平ですが背の高い望楼は10度くらいも傾いているでしょうか。ピサの斜塔が5.5度ですが、その倍くらい傾いていそうです。万が一倒壊した場合は、道路の方ではなく川の上に倒れこむようで、多少は救いでしょうか。
 もう一つは、ロボット楼と呼ばれるもので、幹線道路のそばにぽつんと建っています。その姿が、まるでロボットが立っているようなところから命名されていますが、背の高い雑草の中に立つ姿は亡霊のようでもありました。

 開平の楼閣の目的の一つは外敵から身を守るということでした。2階以上に上って、階段をはずしてしまえば、外敵は簡単に侵入してこれないでしょうし、屋上からは外敵の来襲を早くに発見できたことでしょう。さらには、壁に付けられた銃眼から応戦することもできたようです。最近のマンションでは、入り口に電子錠があるセキュリティをうたったものがあたりまえになっていますが、現実的には、効果があるとは思えません。指紋認証や顔認証など、ITを駆使した生態認証などをいくら導入しても、入館する人に伴って誰かが一緒に入っても、通常は防犯システムは無防備で、住民もとがめません。かえって、セキュリティをうたう為に油断する欠点の方が大きいかもしれません。開平の楼閣のように、物理的な防御の方が優れていそうです。

伏見には酒蔵の町並みに加えて酒造りを支えた名水ゆかりの場所もあります

2011-05-01 08:00:00 | 日本の町並み
 山手線のすぐそばにありながら、昔の町並みが残されている根岸の町並み散歩のときに、甘党でなくとも、ちょっと一休みに好都合なところが、文学作品にも数多く紹介されている羽二重団子でした。一方、辛党の日本酒を代表する産地は灘五郷ですが、灘と人気を分け合う酒蔵の一つが伏見ではないでしょうか。酒造りを支えた名水にちなむ場所を含めて紹介します。

 酒蔵が並ぶ狭義の伏見は、京都市の最南端の伏見区に属していて、東海道本線こそ通っていませんが、南北に走るJR奈良線をはじめ、京阪、近鉄と3本の線路が伏見のあたりで東西から集まってきます。電車だけではなく、南を流れている宇治川は、大きく北に蛇行をして伏見に近づいた後に淀川に向かって南下していきます。物の輸送の主役が船であった江戸時代には、この宇治川と京都市内とを結ぶ高瀬川とを使った水運の港町としても発展したのが伏見でした。京都の喉のような場所として、昔から交通の要所でもあったわけです。

 
 伏見に名水が湧くのは、京都の東山から続く山塊が桃山丘陵で終わって、その伏流水が丘陵の南西になる伏見に良質の湧水をもたらしたのです。近鉄の桃山御陵前駅の東には、境内に良い香りの水が沸くことから御香神社と命名された神社があります。御香水の石碑もあり、竹ずつから流れる御香水をペットボトルに汲んでいる人も多かったのですが、良い香りがする?っといった感じでしたが。

 湧水があるのは神社だけではありません。中書島駅の近く、月桂冠の酒蔵と掘割を挟んだ西側にある長建寺には「閼伽水(あかすい)」という湧水があります。閼伽水とは、仏様にお供えをする水のことですが、こちらにも竹筒から湧水が流れていて、人間様もお相伴にあずかることができます。





 

 さて、伏見のお酒ですが、近江の酒米と伏見の伏流水、それに冬の寒さの厳しさが酒造りに適していたことから銘酒のふるさとになりました。生産されたお酒を運ぶ水運に恵まれていたこともプラスにはたらいたようです。兵庫県の奈だの酒は、六甲山系の硬水を使って作られることから、アルコール度数の高い辛口ですが、伏見の水は中硬度のため、滑らかできめの細かなお酒が特徴です。このために、このため京料理に合うお酒として洗練化されていったそうです。京阪の伏見桃山と中書島との間には、月桂冠の大倉酒造の酒蔵をはじめ、数多くの酒蔵が通りの両側に並んでいます。板塀についた黒かびの微妙な模様と、その上の白壁とが面白いコントラストで町の顔を作っています。特に、裏側の掘割側からの眺めは、水面に映った酒蔵が絵葉書的な風景を作っています。

 月桂冠の酒蔵から西に行くと、寺田屋跡があります。昨年はNHKの大河ドラマの影響で観光客がひしめいたようですが、ご存知「寺田屋事件」の舞台となったところです。寺田屋に投宿していた坂本竜馬が、幕府の捕り方に暗殺されそうになり、お龍さんの機転で命拾いをしたというものですが、この時には伏見のお酒を飲んでいたでしょうね。寺田屋に入ると、これが柱に着いた当時の刀傷ですとか、お龍さんが入っていたお風呂ですとかの説明があったようですが、竜馬が襲われた当時の建物は鳥羽伏見の戦いで焼失し、現在の家屋はその後に再建されたものだそうです。

 日本の名水というのは、灘の宮水は例外的で、硬度が100以下の軟水が多いようです。防府や松山で紹介した山頭火が好んだ名水も、大部分が軟水であったようです。一方、海外でミネラルとうたう場合は、一定量の硬度が必要なことが多く、フランスを代表するペリエの硬度は400近くあります。硬度の高い水は苦く感じ、飲みなれないと下痢をすることもあるようです。水に含まれる鉱物質は複数ありその比率もさまざまなので、特定の鉱物質に換算しますが、その換算方が各国で少しずつ異なる定義となっているようです。電子式の硬度計なるものがあって、スイッチで異なる定義の元での硬度が測定できるようです。硬度だけではなく、センサーなどの技術の発展で、pHや溶け込んでいる酸素や炭酸ガス濃度も簡単に測定できる遥ですが、水のおいしさはの最終的な判定を行うセンサーは、人間の舌なのでしょう。