世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

大阪、京都のベッドタウン化した守山ですが思いがけない古い町並みが健在です

2016-02-28 08:00:00 | 日本の町並み
 日本のへそ公園のあり日本の中心を標榜する西脇は、播州織の産地でみおありました。かつて織物は、日本の輸出品の中心でしたが、現代ではむしろ輸入の方が多いのかもしれません。全国に織物の産地は数多く存在したようですが、どちらも苦戦を強いられているようです。今回は、これらの織物のうち湖東織物の産地である東近江市からも近い旧中山道の守山宿を紹介します。湖東織の産地に近いためか、旭化成やワコールなど糸偏の会社の多くが拠点を置いています。

 
 
 
 守山宿は、中山道の67番目の宿場で、終着の京都三条までは草津、大津を残すのみの位置にあり、昔の旅人では一日の行程だったようです。現在の守山市の最寄り駅はJRの守山駅で新快速も停車して大阪、京都のベッドタウン化しています。このために人口増加も大きく1970年以降で2倍以上にもなっています。そのわりに、昔の町並みも残され、どこかのんびりとした感じがあり、近畿圏でもっとも住みやすい都市にランクされています。

 
 古い町並みは、駅の西寄り、旧中山道までの500m四方に広がっていて、土蔵造りや格子の商家や神社仏閣に混じって本陣跡の石碑、それに街道に架かる土橋の遺構もあります。ただ、本陣跡は、石柱が一本立つのみで、素っ気がありません。また、土橋は現役の橋として健在ですが、こちらもありふれた現代風の橋で、欄干に中山道守山の記名があるだけです。

 
 
 古い商家が残されているのが、この2つの遺構のある旧街道沿いで、中でも造り酒屋の「うの家」と門前茶屋の「かたたや」は存在感があります。「うの家」は、黒漆喰に白の格子がアクセントの古民家で、展示室や貸室として再生されたものです。一方の「かたたや」は、対照的に白漆喰に木の格子が軽やかな印象で、かつての宿場の茶屋が現代にそのまま再生し古民家ダイニングとして使い続けられています。この他にも格子の美しい商家がありました。

 
 
 神社は、駅に近い所に勝部神社があり、7世紀の創建と歴史が古い神社のようで、鎮守の森もうっそうとしています。本殿は重要文化財にも指定されているようです。また、境内には無形民族文化財の松明祭りで使われる松明が置いてありました。

 
 一方、お寺の代表格の東門院は旧街道の近くで、こちらもかなり古くて9世紀の創建で十一面観音を本尊としています。入り口に立つ山門が最も古い建築で、中央に東門院の大きな提灯が下がる構図は、浅草寺の仁王門に似ています。

 守山の街道沿いには、稲妻型屋敷割の道が残されています。このような道は姫路城の東の野里地区にのこぎり横丁という名の道があり、どちらも町の防衛上の理由によるもののようです。ギザギザの所に隠れやすいとか、逆に反対側から発見しやすい、といった仕組みだとか。かつては、上空から敵情を探る手段が無かったので、道路や石垣の出入りの形が城下や街道の防衛に有効だったのでしょう。現在では、偵察衛星、偵察機で核実験の準備状況まで察知できる時代で、ドローンもこのような用途に使われているのではないでしょうか。これらは、すべて映像関連の機器が小型、軽量、高精細で低消費電力になったからで、これらのIT技術は戦争の片棒担ぎには使われたくありませんね。

古代ローマの植民地ニームには円形闘技場などが残り世界遺産でないのが不思議です(フランス)

2016-02-21 08:00:00 | 世界の町並み
 アフリカ大陸の最北端の都市で、チュニジアの植民地支配をしたフランスが最後まで手放さなかった都市がビゼルトでした。その旧宗主国のフランスの、ビゼルトと地中海を挟んで向かい合う都市で、かつてはローマの殖民都市であったのがニームです。今回は、町中にローマ時代の遺跡が数多く残るフランス南部のニームの町を紹介します。

 
 
 ニームはアヴィニョンの西南西40km、アルルの北西30kmほどで、3地点を結ぶとアヴィニョンを頂点とする二等辺三角形のような場所にあります。この三都市の中で最も人口が多いといっても15万人足らずで、東京の多摩市や広島の尾道市くらいの人口で、のんびりした感じは、人が少ないからかもしれません。街中には、ニームのシンボルの椰子に繋がれた鰐をあしらった噴水があり、教会も数多くあります。また、ヨーロッパの町並みでよく見かけるロンドンのリージェント通りのような微妙なカーブのある通りなど散歩に楽しい町並みが続きます。

 


 
 ニームは古代ローマの植民地の一つで、周辺を含めて古代ローマの遺跡が数多く残っています。その中で、アヴィニョンとの中間には世界遺産の水道橋ポン・デュ・ガールがありますが、すでにご紹介をしているので、今回はニームの市街地を紹介します。ローマ遺跡の最大のものは、SNCFのニーム駅近くにある円形劇場で、現在も闘牛やコンサートに使われる現役の劇場です。アルルの円形劇場も現役で、観客席などを改造していて興ざめしましたが、こちらも似たり寄ったり。現役で観客を入れて使うためにはこうなるのでしょうか。

 
 円形劇場から北に少し行くとメゾン・カレと呼ばれるローマの神殿が残っています。現代までの間に、いろんな用途で使われ、周辺の建物と複合体を構成していた時もあるようです。20世紀末に修理が加えられ、元の形に近い現在の姿になったそうです。現用の建物として使い続けられ、手入れが行き届いたたためか、真新しく感じます。コリント様式の列柱が立った建物は、ギリシャの神殿を思わせ、ここがフランスであることを忘れさせます。

 
 
 
 メゾン・カレを西に行くと、気持ちのよい水路沿いの並木道を通ってフォンティーヌ公園に出ますが、この一郭にもローマの神殿跡があります。こちらの方は、かなり傷んでいて、あちこちが崩れ、いかにも遺跡って感じです。メゾン・カレとは建築様式が違うように感じ、こちらの方が古く感じるのは傷んでいるからかもしれません。神殿のある、フォンティーヌ公園は18世紀に作られたヨーロッパでも元雄も古い公園の一つで、聖なる泉の跡にあるのだそうです。

 
 公園の北にあるカヴァリエの丘に登ると、こちらにもローマ時代の遺跡が残されていて、石造りの望楼らしきマーニュの塔があります。こちらもフォンティーヌ公園の神殿同様にかなり痛んで上部は欠落しているように見えます。この塔のところまで上ってくると、ニームの市街地がよく見えます。麓からビルなどが立て込む景色が広がりますが、そのすぐ先には広大な緑の平野が広がっています。フランスって農業国でもあって、果物など驚くほど安く売ってるんですよね。

 フランスは、エアバスやTGVなど最先端の工業製品を作り出す工業国の顔とワインやチーズなどを含む農産物を輸出する農業大国の両面の顔を持ちます。ヨーロッパで日本より広い3カ国の一つで、平野の多い広大な国土は農業に適しているのですが、統計数字を見た限りでは、農業人口やGDPに占める比率は低くちょっと疑問のところもあります。ただ、小麦、とうもろこし、牛肉などの生産高はEU一を誇っているのも事実です。農産物って、単価が低いのでGDPの割合が低いのかな?とも思ったりします。それかといって、ITを駆使して、年中季節感の無い野菜や果物を作って、高く売りつけられるのはゴメンです。

播州織の中心地であった西脇の日本のへそ公園は日本の中心だそうです

2016-02-14 08:00:00 | 日本の町並み
 兵庫県の中央の南部に鶴の林の寺と高砂の松のある神社が隣接するのが鶴林寺でした。お寺の東側には加古川線の支線であった高砂線の廃線跡が遊歩道として続いています。兵庫県でも旧国鉄の廃線跡は多く、線路を付け替えた福知山線の生瀬付近の廃線跡もあります。今回は、高 砂線と同じ加古川線の支線で廃線となった旧鍛冶屋線が走っていた西脇付近を紹介します。

 西脇は東経135度、北緯35度が交わる場所に位置し、その交点には日本へそ公園があります。旧鍛冶屋線は、日本へそ公園の最寄り駅から加古川寄りに3駅目の西脇市駅(旧野村駅)から北北西に13kmほど伸びていました。野村駅の次の駅の西脇駅が市の中心駅で、廃線になる前にもかなりの乗降客があったのだそうです。現在は駅の跡にホテルと神姫バスのバスターミナルがあり、やはり交通の要になっているようです。古い町並みや旧来住家住宅、それに播州織工房館などがあるのは、バスターミナルから東に橋を渡ったあたりになります。

 
 
 
 旧来住家住宅は、大正期に建てられた銀行家の住宅で国の登録文化財に指定されています。現在では入手困難な建材が多用され、釘をまったく使用しない優れた建築技術で作られていて、現在同じものを建てるのは不可能とまで言われています。大正から昭和初期にかけて政治家や皇族も逗留したようです。現在は来住家から西脇市に寄贈され、町づくりの拠点として使われると共に、内部が公開されて観覧することができます。また、付属の洋館にはレストランもあり、日替わりのランチも食べられます。

 
 旧来住家住宅の付近には、小さな流れがあり土蔵造りの家や蔵、それに流れに沿った塀など気持ちのよい風景が広がっています。

 
 旧来住家住宅を東に行くと、播州織工房館があります。播州織は江戸後期に西脇で興った綿織物産業で、かつては輸出の花形だったようです。播州織工房館は、織物工場であった建物を使った播州織の情報発信拠点で、織機や製品などが展示されてい
ます。工場だった建物の板壁が、いい味を見せています。

 
 
 旧来住家住宅から小さな流れに沿って北に行くと、童子山公園の麓に着き、小山を上ると頂上の北側には市民センタと郷土資料館があります。小高い丘の頂上は、西脇市街の見晴台になっています。一方、童子山の南面には、愛染堂、観音堂や大年神社があります。さほど目立たない存在で、愛染堂と観音堂は明治の建物です。しかし、中に祀られている仏像は、他からのものでかなり古いそうです。また、大年神社は、後ろの山に向かって鳥居が林立していて、伏見稲荷とは比べようもありませんが、それなりに綺麗です。

 東経135度は日本の標準時をを決めているもので、この場視での太陽の南中を正午としたものです。ところが、よく調べてみたら、地球の自転は一定ではないとことが解りました。そこで、現在はセシュウム原子時計の刻む時刻が国際標準時/日本標準時になっています。セシュウム時計は正確ですが、実生活で使う地球の自転周期とずれてきます。極端な話をすると、時計の指す時刻は、朝の8時なのに太陽は真南にあるってことになります。これでは困るので導入されたのが閏秒です。しかし、このセシュウム時計も相対性理論によれば、動くものに乗せられた時計と静止している時計とでは、進み具合に差があるそうです。ということは、人類が未発見の作用によっても、正確であるはずのセシュウム時計が狂っているのかもしれません。

モアサックの駅には日に数本の列車しか停車しませんが不便でも訪れたくなる町です(フランス)

2016-02-07 08:00:00 | 世界遺産
 フランス南部にローマ時代の遺跡がたくさんあって、ゴッホも愛した町がアルルでした。アルルは、スペインのサンティアゴ・コンポステイラへの4本ある巡礼路のフランス側の起点の一つにもなっています。この巡礼路は、北からトゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道、そしてアルルが起点のそしてトゥールーズの道があり、世界遺産に登録されています。おそらく、最も長い距離の世界遺産ではないかと思います。巡礼路の途中の町には訪れたくなるような雰囲気の良い町がたくさんありますが、今回はル・ピュイの道のモアサックの町を紹介します。

 モアサックは、フランスの南西部、ピレネー山脈と平行に走るフランス国鉄のトゥールーズとボルドーとの間にある小さな町です。トゥールーズからは列車で1時間ほどの距離で、この路線には、かなりの列車が走っているのですが、モアサックは通り過ぎてしまい、停車する列車は数本しかなく、極めて不便です。そんな駅ですが昼の間は窓口が開いていて、筆者が訪れた時には2人も座ってました。ところが、次の朝に駅に来て見ると、停車する少ない列車が来る時間にもかかわらず駅が閉まってました。もちろん、ホームへは駅の建物の横から入れましたが、お客対応の感覚がよく解りません。

 
 
 参詣道の経路には、訪れたくなる美しい町や村がたくさんあり、モアサックもその一つで、修道院の回廊はフランス一の美しさと言われます。ところが、アルルやトゥールーズなどの都市を除いては足の便の悪いところが大部分です。鉄道は、参詣道ができた後に引かれたわけですから、路線網と参詣道とは無関係に存在したのでしょう。現在でも歩いて参詣する信者も多いとのことなので、鉄道駅の存在は必須ではなかったのかもしれません。ただ、ドイツとは違って、フランスでは路線バスがあまり発達していないので、一般の旅行者には不便をしのぐことになります。鉄道駅があっても、一日に数本しか列車が止まらないモアサックでも、便利な町なのかもしれません。

 
 
 
 
 
 世界遺産に登録されているのは、サンピエール修道院とその美しい回廊で、駅からは10分くらい歩くことになります。回廊だけでなく、教会の方もロマネスク様式で、建物やレリーフがすばらしい門など、わざわざ途中下車と1泊を割いて訪れる
価値は十分です。門にちりばめられたレリーフは、好きな方だと一日見ていても飽きないのではないかと思います。入り口上部のタンパンという部分には黙示録のヨハネの幻視が描かれているそうですが、信者でない筆者には内容はよく解りません。門の両袖や柱にも、おそらく聖書の一場面と思われるシーンが彫られています。このレリーフは、聖堂内部や回廊の柱にもあって、規模こそ違いますがアンコールワットのレリーフを思い起こします。

 
 
 
 町の中心は、この修道院がある辺りで、駅の位置はむしろ町外れのような場所になります。旧市街は北側を円弧を描いて走る鉄道と、南側のガロンヌ川の支流のタルン川がで囲まれた南北500m、東西1kmほどのエリアで、修道院以外にも散歩をして楽しい町並みです。ちなみに、タル ン川の上流には、東京タワーより高い道路橋のミヨー橋があります。ロンドンのリージェント通りのように微妙にカーブをする通りや教会、それに石かレンガ造りと思われる公共の建物など、日本の無機質な町並みとは違います。タルン川からは閘門を通じて街中に運河が通じていて、回転橋もあります。タルン川にかかる連続アーチの橋も、なんとなく景色の一部になっています。

 フランスは、外国からの観光客が最も多い国の一つと言われています。ところが、観光客が多いことと、観光客に便利と言うこととはイコールではなく、ドイツなどと比べて見劣りのする国の一つです。ドイツでは、こんな人口の少なそうな、と
思う田舎の 駅にもバス停があり、かなりの頻度でバスが発着しています。駅で荷物を預かってくれないのもフランスで、駅周辺のレストランや観光案内所など預かってくれる場所を探すのに苦労します。これも、ドイツでは、小さな駅でもロッカーがあり、スーツケースほどの大きな物まで入れることができます。ロッカーといえば、鍵の代わりに携帯で指定先に電話をして発信番号で利用者を認識するシステムがあります。鍵を管理する必要も無くなり、なかなか便利なシステムですが、外国からの観光客には不都合なシステムかもしれません。