世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

ペルガモン遺跡はドイツに持ち去れたゼウス神殿が無くても十分に見事でした(トルコ)

2014-07-27 08:00:00 | 世界遺産
 2014年の世界遺産委員会では、日本の富岡製糸場の登録が承認されましたが、他にも数多くの世界遺産が生まれました。今回は、それらの新規登録世界遺産の中からトルコのペルガモン遺跡を紹介します。


 ペルガモンは、トルコのアジア側の最西端に近く、トロイの遺跡の南にあります。トロイはマルマラ海に面していますが、ペルガモンはエーゲ海から25kmほど東に入った内陸のベルガマ新市街の北にある丘の上に残る遺跡です。紀元前3~2世紀のアッタロス朝の都として栄え、トラヤヌス神殿や円形劇場などの遺跡が残っています。しかし、中心となるゼウスの大神殿の遺跡は、19世紀にドイツによって略奪され、現在はベルリンのペルガモン博物館に収まっています。先ほどのトロイの遺跡の出土品も、シュリーマンによってすべて持って行かれたようですから、西欧列強というのはひどいものです。

 
 
 トラヤヌス神殿跡は、一番高い所にあって、コリント様式の列柱の一部とそれが支える梁やファサードと思われる部分が残っています。柱の何本かは、地表に転がっています。神殿跡の周辺には、アーチ状の回廊があって、石積みのアーチが見事です。トルコの遺跡は、どこのものでも、傷みが激しくって痛々しいのですが、西ヨーロッパにあれば、一つの遺跡だけでも多くの観光客を集めそうです。

         
 一方、円形劇場はトラヤヌス神殿の手前、丘の斜面を利用して作られています。丘の斜面に、石造りの観客席が延びていますが、地形の関係か、さほど湾曲せず、円形劇場といった感じはあまりしません。さらに、最下段にあるはずの舞台の遺構が見当たらず、そのまま丘の下まで斜面が続いているように見えます。観劇というより、周辺の景色を楽しむための観客席だった??といった感じです。

 景色を楽しむといえば、遺跡が現役であった頃には存在しなかった景色が現在は楽しめます。南側には、ベルガマの市街地と、その向こうには遠くエーゲ海までが望めます。エーゲ海の風景だけは、遺跡が作られた頃にも望むことができたでしょうが。一方、北側にはロックフィルダムでせき止められた農業用水用の人造湖があります。この湖の景色だけは、古代人は見ることができなかったでしょうね。




 円形劇場は、拡声装置などが無い頃に、音響効果の良い劇場を作る目的で作られたものです。観客は、舞台前面にせり上がった半円形の観客席に座って、舞台背面の壁の反射も手伝って音楽や演劇を楽しめることになります。1922年にできたハリウッド・ボールも同じ構造で、観客席の最上段まで上がるのは、かなり辛いぐらいの高さでした。一方、コンサートホールなどの音響設計は、コンピュータに形状を入力して解析する手法が一般的のようです。さらに、設計が進むと、ホールのスケールモデルを作って、残響特性などを測定します、この時は劇場の寸法が小さく(短く)なっている分、音波の波長も短いもの(高い音)を使う必要があるのでしょう。ただ、最終的には、実際のホールに人間を入れて(人間は吸音材なので)、特性を測定するそうで、音楽を聴くのは人間ゆえアナログ的なのでしょう。

蓮華畑の向こうにすっくと建つ備中国分寺の五重塔は、最も存在感のある塔の一つです

2014-07-20 08:00:00 | 日本の町並み
 京都の東山の法観寺の五重塔は、京都のシンボルのように建つ、きわめて目立つ五重塔でした。塔は、ストゥーパーの音訳である卒塔婆の中央の文字が残ったもので、元々のストゥーパーは釈迦の骨を収納するものでした。日本に伝わるまでに姿も随分と変わり、現在見られるような三重塔や五重塔になったようです。日本に伝わっても、舎利塔の役割は変わっていませんが、高くそびえる塔は、お寺の存在を誇示する役割も負っているように思います。遠くからも目立つ塔も多いのですが、今回は備中国分寺の塔と、その近辺を紹介します。

 
 備中国分寺は、JR伯備線の総社駅の東3kmほどの周りは田んぼばかりののどかな場所に建っています。奈良時代の国分寺が廃寺となっていた場所に、18世紀初頭に再建されたお寺が現在の国分寺です。境内には、重要文化財の五重塔のほか、本堂、太子堂、山門などが残されています。かつての備中国分寺には50mを越える七重塔がそびえていたそうですが、現在の五重塔も34mを越える高さがあり、木造五重塔としては7番目の高さです。周りに高い建物や山などが無いために、遠くからもよく見え、特に初夏の蓮華畑の向こうにそびえる姿はカメラマンを引き付けます。仏像は蓮の花に乗っていますが、蓮華の花に乗っかるように建っている五重塔は仏様の代わりのようにも見えます。

 
  
 上層と下層との大きさにあまり差が無く、全体的に細身の塔は、ロッケッとを思わせます。ただ、塔身が細くて軒の出が大きいので、リズミカルな軽やかな感じがする塔の一つです。第一層には心柱を取り囲んで4体の仏像が安置され、その中には孔雀明王のあでやかな像もあります。さらに、初層の欄間には十二支の動物が彫られています。薬師如来を取り巻いて並ぶ十二神将の兜に十二支が乗っているのと似ているでしょうか。

 
 
 国分寺の東北4kmほどの所には日本三大稲荷の一つといわれる最上稲荷があります。稲荷というと神社ということになりますが、明治期の廃仏毀釈を免れた日蓮宗のお寺に神仏習合の形態を取る神社です。お寺の本堂に加えて、神社の社殿と拝殿さらには巨大な鳥居まであります。さらには、入り口のところにはインドの寺院を思わせるパゴダのような形をした門もあり、そばには日本船舶振興協会の笹川会長の像もあって、節操の無いごった煮の感じです。それでも、お正月や節分には岡山一帯からの参詣客で大混雑なのだそうです。

 蓮華草は蓮の花に似た花を付けることからの銘銘ですが、蓮といえば仏像が蓮の花に乗っていることからも解るよう高貴な花とされています。日本では、蓮の根っこ、つまり蓮根を食用にしますが、他の仏教国では、考えも及ばないことなのだそうです。蓮根といえば、奈良の当麻寺には蓮の繊維を使って織られたという国宝の曼荼羅が残されています。この伝説は、植物学者などによって否定され絹糸が原料であると考えられています。美術品の鑑定には、可視光だけではなく、赤外線や紫外線で撮影したり、絵の具などを少量取り出して、素材を分析したりという技法が使われます。それに加えて、その美術作品に、作者の個性が現れているか、品位や訴えかけるものがあるかなども判断材料にされているようです。これらは、鑑定家の長年の経験に基づくものですが、次第にコンピュータによる解析も加わって来ているのではないでしょうか。そのうちに、コンピュータの描いた、有名画家の贋作が出回るようになるかもしれませんね。

600mの断崖のあるリーセフィヨルドへの基地の町のスタヴァンゲルはかわいらしい町でした(ノルウェー)

2014-07-13 08:00:00 | 世界の町並み
 ノスタルジックな雰囲気が漂う丘が台湾の九份で、陽光サンサンとした丘がチュニジアのシディ・ブ・サイドでした。共に、標高はさほど高くない丘でしたが、氷河に削られてできたフィヨルドには、これらの丘の高さをはるかに越える断崖があります。ノルウェーのリーセ・フィヨルドには、丘どころか、標高が600mもある一枚岩がそびえています。今回は、リーセ・フィヨルドを訪れるための基地の町である、スタヴァンゲルを紹介します。


 スタヴァンゲルの紹介の前に、リーセ・フィヨルドを紹介しておきましょう。世界遺産には、西ノルウェー・フィヨルド群として、ガイランゲル・フィヨルドとネーロイ・フィヨルドが登録をされていますが、リーセ・フィヨルドは登録対象ではありません。しかし、海面から1000mを越える絶壁や600mの一枚岩のプレーケストーレンなどがあって、観光客の多いフィヨルドの一つです。プレーケストーレンとは説教台の意味で、岩の頂上部が25m四方の正方形になっていることから名付けられたようです。それにしても、巨大な説教台で、ここで説教をしても、600m下の聴衆には声が届きそうにありません。

 
 
 
 
 プレーケストーレンへは、スタヴァンゲルから、フェリーとバスを乗り継いで1時間ちょっと、標高がほぼ数十mのレストハウスがスタート地点です。ここから、600mの標高差を2時間~2時間半の登りで到達できます。ガラ場などがある、かなりきつい登りですが、途中に湿原などもあって、日本の高原ハイクを思わせる場所も在ります。そして到着した一枚岩は、日本では考えられない怖さです、600mの断崖には、柵も何も作られていません。すべて自己責任で、高所平気症の人は、岩の端に腰を掛けたり、海面を覗き込んだりしています。見ているほうが怖くなります、こちらは端から2mの所でも近づけません。。

 
 
 さて、リーセ・フィヨルドからスタヴァンゲルの町並みの紹介に移りましょう。スタヴァンゲルは、首都のオスロから、南南西にに伸びる半島を列車で回り込んで9時間ほど、夜行の寝台列車もあります。一方、スタヴァンゲルの北にあり世界遺産のブリッケンがあるベルゲンからだと、高速船で4時間ぐらいです。ベルゲンとの高速船も、リーセフィヨルド方面のフェリーも、町の中心地から北に伸びる小さな半島の東の付け根にある港から発着しています。そこからスタヴァンゲルの鉄道駅などがある中心街までは南南西に500~600mほどで、途中の湖畔には12世紀にできた大聖堂も建っています。スタヴァンゲルはノルゥー第4の都市とのことですが、それでも人口は12万人程度、町全体がのんびりして、かわいらしい感じがします。

 
 
 
 フェリーの出航する港の先にある岬には小高い丘があって、そのてっぺんには八角形の塔が建っています。かつての見張り台の遺構とのことですが、かなり見晴らしがよさそうです、ただ夕方に訪れたので閉まっていました。塔に登らなくても、暮れなずむ町並みの甍の波が綺麗でした。この半島と入り江を挟んだ対岸には、フィンランドにある世界遺産のラウマ旧市街二似たような、下見板張りの家々が連なる町並みが続いています。石畳の通りにパステルカラーの家並み、ベランダにはコンテナ植えの花々と、絵に描いたような、かわいらしい一廓です。

 プレーケストーレンに立っても、そこが海面から600mもあるという実感はあまりしませんが、なんとはなく空に浮いている感じです。海からつながっているというより、岩の上面が空飛ぶ絨毯の幕面のような感じを受けます。標高を測るのは、気圧の変化を利用した気圧高度計が登山家の持つ時計にも採用されていました。ただ、地表の気圧が変化をするので、補正が必要になります。一方、GPS衛星を利用した高度計も普及して、GPSを内蔵するスマホでは、地図上の位置だけでなく、標高までも知ることができるアプリもあるようです。スマホ1台あれば、ほとんどのことができそうですが、一番簡単にできることは、スマホ中毒になることでしょうか。

石塀小路の付近には、古いお寺や塔だけでなく明治のハイカラな建物も残っています

2014-07-06 08:00:00 | 日本の町並み
 土佐くろしお鉄道の起点の一つ、高知県の最東端の駅が奈半利で、町中に2種類に分類できる形式の石塀が連なっていました。丸みのある石が埋め込まれた塀は温かみのある路でした。一方、京都にはその名もずばり「石塀小路」という名前がついた通りがあります。今回は、石塀小路のある八坂神社から高台寺にかけて東大路通りから少し東に入った町並みを紹介します。

 
 
 
 石塀小路は、八坂神社の南、南北に並行する下河原通りと高台寺通りとの間を北西から南東に折れ曲がって結ぶ小さな小路です。石塀という名称が付いていますが、実際には塀ではなく石垣と石畳、そしてその上には板壁が続く小路です。石垣と石畳を見ていると、鹿児島の知覧の風景を思い起こしますが、石垣の上にある建物は料理屋や楽焼屋それに旅館など京都を思わせる建物ばかりです。

  石塀小路の西側の下河原通りを南に行くと八坂庚申堂(金剛寺)に突き当たります。日本三大庚申の一つで、庚申信仰発祥の地なのだそうです。本尊の青面金剛の使いが3匹の猿といういわれから、寺の山門の上には、見ざる、言わざる、聞かざるの3匹の猿の像が乗っています。さらに、境内には、おびただしい数の、くくり猿と呼ばれる布製の猿の人形がぶらさがっています。

 庚申堂の東隣が6世紀に建てられた八坂の塔で、正式には法観寺五重塔なのですが、塔ぐらいしか残っていないので、通称の方で呼び習わされています。京都では東寺の五重塔に次ぐ高さを誇り、東山を背景に立つ姿は京都のシンボル的な存在になっています。八坂の塔は、昔から目立つ存在であったようで、戦国時代には上洛した戦国武将が天下人を誇示するために八坂の塔に定紋入りの旗を掲げたそうです。



 
 
 石塀小路を東側の高台寺通りを北に行くと八坂神社の裏手の円山公園に出ますが、その手前にあるのが長楽館です。明治の末期に、タバコで財を成した村井吉兵衛が迎賓館として建てたものです、かつての鹿鳴館を髣髴させる建物と言われています。現在は、レストラン、ティールームとして使われており、内部の調度や美しいステンドグラスなどを見ることができます。かつてはレディース・ホテルでしたが、現在はホテル棟ができ、オーベルジュとして女性以外でも宿泊できるようです。

 五重塔は、地震の多いわが国でも、地震による塔の倒壊例が無いために、優れた耐震建築物と言われています。ただ、コンピュータなどによる構造計算技術などまったく無い頃に、はたして耐震設計という考え方があったかどうかは疑わしく、結果論だとも言われています。ただ、結果論としても、五重塔の設計思想は、東京スカイツリーにも生かされているようです。ところが、五重塔がなぜ耐震性に優れているか、という理由は、これだけスーパーコンピュータによる解析が進んでいても、あまり解っていないようです。五重塔のミニュチュアを揺らす実験もなされているようですが、はたしてどこまで数式に表しきれるのでしょうか。五重塔の作り方は、過去に来訪した宇宙人の遺産なのでしょうか。